V号戦車パンターA型
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+概要
パンター戦車A型はD型の生産が始まって間もない1943年2月18日に、砲塔を開発したデュッセルドルフのラインメタル社とドイツ陸軍兵器局第6課の関係者による会合で開発が決まった改良型である。
同じ頃に開発要求が出された新型パンター戦車(パンターII)とは異なり、D型のそれも砲塔関係の改修を目的とした改良型であったが、当然ながら生産中に多くの改良が実施されていることはいうまでもない。
パンター戦車A型の生産は1943年9月~1944年7月にかけて行われ、645両(車体製造番号210255~210899)がニュルンベルクのMAN社(Maschinenfabrik
Augsburg-Nürnberg:アウクスブルク・ニュルンベルク機械製作所)、675両(車体製造番号151901~152575)がベルリン・マリーエンフェルデのダイムラー・ベンツ社、830両(車体製造番号154801~155630)がハノーファーのMNH社(Maschinenfabrik
Niedersachsen-Hannover:ニーダーザクセン・ハノーファー機械製作所)で完成した。
さらに、パンター戦車A型の生産にはデュースブルクのドイツ機械製作所(Deutsche Maschinenbau-Aktiengesellschaft:DEMAG)の子会社である、ベルリン・シュターケンのデマーク車両製作所も新たに加わっており、同社で50両(車体製造番号158101~158150)が生産されA型の総生産数は2,200両を数える。
なお、パンター戦車D型を生産していたカッセルのヘンシェル社が見当たらないが、これは回収型のベルゲパンターの生産に振り向けられたからである。
パンター戦車D型からA型への発展で最大の変化は、やはり砲塔関係であった。
まず砲塔内部左側にL4S砲塔旋回油圧装置を新設し、レバー操作で高低2種のギアを選択することにより砲塔の旋回速度が変更可能となった。
同様に生産の簡易化も図られており、砲塔側面と前面の装甲板の組み合わせがより単純なものに変更され、防盾と接する基部も強化が図られて形状が変化している。
また視界が悪く不評だった車長用キューポラは、鋳造製で上部全周にペリスコープ7基を備える新型が採用され、装甲厚の面でも60mmから80mmに強化が図られている。
この車長用キューポラの上部に備えられたペリスコープ・ガードの上には、対空機関銃架を装着するリングが溶接された。
ただし現存する写真からパンター戦車A型の初期生産車では、より鋭角的でまるで機械加工による削り出しのように見える車長用キューポラが用いられていたことが判明している。
この車両はダイムラー・ベンツ社の生産車で、1943年10月1日に完成したと思われる車体製造番号151951の車両といわれており、これを見る限りでは少なくとも50両はこのスタイルで完成したと考えるのが妥当である。
さらに砲塔関係の改良は1943年11月半ばの生産車から、主砲照準機がそれまでの双眼式のTZF.12照準機から単眼式のTZF.12a照準機に変更された。
このため、2個並んで開口されていた防盾の照準機用穴は廃止されることになるが、部品在庫の関係からひとまず2個開口している防盾の外側の開口部を装甲栓で埋めて溶接して用い、この防盾の在庫が無くなった時点で最初から開口部が1個の新型防盾を装備した。
このあたりは、他のドイツ軍車両に共通している。
これにわずかに先駆ける1943年11月半ばに生産された第651号車から、砲塔バスケットの支柱が強化されたことも砲塔周りの変化である。
1943年9月からの生産車では、磁気吸着地雷への対処として「ツィンメリット・コーティング」と呼ばれる非磁性体被膜の塗布が開始された。
ドイツ軍自身が磁気吸着地雷を採用したので、敵も同様の兵器を持ち出してくるであろうという判断から採用されたものだが、連合軍では磁気吸着地雷を実用化しなかったためこれは徒労に終わり、1944年9月半ばに廃止されることになる。
この決定時すでにパンター戦車A型の生産は終了しており、生産数から見ると1943年9月の生産車を含まないとしても、2,000両以上はコーティングを施して完成したことになる。
同じく9月からの生産車では、リベットを打って強化していた転輪の在庫を消化したので、最初からボルトを24個とした強化型転輪が用いられることになった。
同様に凍結した路面で車体が滑らないように、履帯に防滑具の装着が始められたのもこの頃からである。
これは履板の5枚ないし7枚おきに装着するもので、簡単なスプリングを用いて固定されていたため、装着時には15km/h以上の速度で走行することは禁じられていた。
1943年11月の生産車からは、主エンジンであるフリードリヒスハーフェンのマイバッハ発動機製作所製のHL230P30 V型12気筒液冷ガソリン・エンジンのガヴァナーを調節して、最大回転数を3,000rpmから2,500rpmに落とし、最大出力を700hpから600hpに減格することになった。
この結果エンジンへの負担は減り、ようやく本調子を発揮するようになる。
さらに、牽引車両が少ないことを背景として車体後面下部に大きな牽引具を装着することになったが、これは1943年9月の生産車から装着用のボルト穴を開け1944年4月まで実行されたものの、実際に装着したのは1943年11~12月にかけての生産車の一部にしか過ぎなかった。
これは、グラウンド・クリアランスを減らすデメリットがあったためである。
その後、牽引具は車体後面中央にある点検用ハッチの上に取り付けられるようになった。
この11月半ば以降の生産車では、それまで長方形の開閉式カバーとなっていた車体前面右側の無線手用ガンポートに代えて、ようやく完成した80mm装甲板用のボールマウント式銃架である「クーゲルブレンド80」(80型球形銃架)が装着されることになった。
これにより無線手は安全に7.92mm機関銃MG34の射撃を行えるようになり、この時点でパンター戦車A型の見慣れたスタイルが完成した。
この変更にわずかに遅れる1943年12月からは砲塔3カ所に設けられていたガンポートが廃止され、砲塔上面に近接防御兵器が新設されることが決まったが、この兵器自体の生産が遅れているためにひとまず装着用の穴を開口し、装着できるようになるまで蓋をボルトで固定することとして生産が進められた。
実際に装備が一般化するのは1944年3月に入ってからで、これ以前に完成した一部の車両は近接防御兵器を追加装備した車両もあるが、大半は未装備のままで戦った。
この12月には車体上面と側面の装甲板の溶接部をそれまでの単純なものではなく、より強固となるようにインターロック接合に改めたが、装甲板を製作している鉄工場の全てがその技術を持っていたわけではなく、このため従来通りの溶接方式で完成された車両も多かったようである。
1944年1月以降の生産車では、戦闘室用ヒーターが採用された。
これは、機関室内左側に設けられているラジエイターからの空気排出用ファンを逆に装着し、通常とは逆に熱気を下方に向け、機関室と戦闘室の間に設けられている隔壁の一部を開口して、この部分にスライド式のカバーを設けて戦闘室に熱気を導くという単純なものであった。
もちろん冬季時以外には、ファンを元通りに直しておくことはいうまでもない。
しかしこのファンを逆にすることで、左側排気パイプの温度が上がり過ぎてしまうという欠点も生じてしまった。
このため対処策として、左側の排気管基部左右にそれぞれ吸気管を新たに設け、内部に排気管へ延びるパイプを覆う形でエンジンの排気口接合部をカバーし、排気の際に生じる負圧を利用することで外部から空気を導入して排気パイプを冷やすという手法が採られた。
1944年2月以降の生産車では、右側排気管の下に備えられていたエンジン始動用の慣性始動装置に繋がるクランク棒を差し込む穴の下にサポートガイドが新設された。
さらに、車体後面中央部に設けられている点検用ハッチのクランク式始動装置カバーの左右に、エンジン強制始動装置を装着するアタッチメントが追加されている。
このエンジン強制始動装置とは寒冷時に凍り付いたエンジンのフライホイールや、これに付随する歯車などを通常はクランク棒を用いて始動するが、固く凍って回転することが不可能な場合に用いるもので、小型のガソリン・エンジンを駆動させてこの動力をエンジンに伝える簡単な装置である。
これらの新装備が採用された結果、それまで車体後面中央の点検用ハッチの外側に装備されていたジャッキが、両排気管の間に立てた形で装備されるようになった。
併せてジャッキ自体も20t級に強化されたが、これらの変更は段階的に盛り込まれたため、生産時期によりやや変化が生じていることが写真で確認できる。
1944年4月11日付で兵器局第6課は、それまで車長用キューポラに備えられていたアジマス表示器を外すように指令を出した。
これは、赤外線投光機と赤外線スコープを組とした夜間暗視装置の装備がその背景にあり、MNH社の報告書では、1944年4月3日に完成した車体製造番号155297の車両からアジマス表示器を廃止したと記述されている。
パンター戦車A型の月産数から見ると、500両近くがこのアジマス表示器を未装備として完成したものと思われるが、おそらくA型で赤外線暗視装置を備えた車両は無かったと考えられる。
A型最後の装備となったのは、その形状から「ピルツ」(Pilz:キノコ)と呼ばれる簡易クレーン装着具で、1944年6月の生産車から装備が始まった。
これは砲塔上面3カ所に溶接されるもので、装着具の中央に開口されたネジ穴に組み立て式の2tクレーンの支柱をねじ込み、エンジン等を自力で交換できるようにした機材である。
生産時期から考えるとこのピルツを備えて完成したパンター戦車A型は100両前後と思われるが、前線やオーバーホール等で戻された車両にも装着作業が行われたため、実際には多くのA型でその装備例を目にすることができる。
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+部隊配備
1943年7月のクールスク戦後、残存するパンター戦車は第51戦車大隊に集められ、同大隊は機甲擲弾兵師団グロースドイッチュラント隷下の第15戦車連隊第1大隊となった。
その後8月にはSS第1機甲師団LSSAH(ライプシュタンダーテ・SS・アドルフ・ヒトラー)の第1戦車大隊、9月にはSS第2機甲師団ダス・ライヒの第1戦車大隊、10月には第1機甲師団第1戦車大隊もパンター戦車の装備となり、次第にパンター戦車装備の戦車大隊が増えていった。
1944年以降の新しい編制では各戦車連隊のうち第1大隊にパンター戦車、第2大隊にIV号戦車が配備されることになっていた(第3大隊が存在する場合は突撃砲装備)が、その配備は段階的に行われており、全部の部隊にパンター戦車が行き渡るのはまだ先(正確には永久に来なかった)であった。
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<パンター戦車A型>
全長: 8.86m
車体長: 6.88m
全幅: 3.43m
全高: 2.98m
全備重量: 45.5t
乗員: 5名
エンジン: マイバッハHL230P30 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 700hp/3,000rpm
最大速度: 55km/h
航続距離: 177km
武装: 70口径7.5cm戦車砲KwK42×1 (79発)
7.92mm機関銃MG34×2 (4,200発)
装甲厚: 16~110mm
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兵器諸元
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<参考文献>
・「世界の戦車イラストレイテッド11 パンター戦車と派生型 1942~1945」 ヒラリー・ドイル/トム・イェンツ 共著
大日本絵画
・「世界の戦車 1915~1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画
・「パンター戦車」 ヴァルター・J・シュピールベルガー 著 大日本絵画
・「パンツァー2014年11月号 歴代戦車砲ベストテン」 荒木雅也/久米幸雄/三鷹聡 共著 アルゴノート社
・「パンツァー1999年9月号 ドイツ・パンター戦車(1) その開発とバリエーション」 後藤仁 著 アルゴノート社
・「パンツァー1999年10月号 ドイツ・パンター戦車(2) パンターの構造」 後藤仁 著 アルゴノート社
・「パンツァー2020年8月号 特集 V号戦車パンサー」 白石光/小野山康弘 共著 アルゴノート社
・「パンツァー2014年2月号 誌上対決 パンター vs T-44戦車」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「ピクトリアル パンター/ティーガー」 アルゴノート社
・「ピクトリアル パンター戦車」 アルゴノート社
・「グランドパワー2017年1月号 パンター戦車A型」 寺田光男 著 ガリレオ出版
・「世界の戦車(1) 第1次~第2次世界大戦編」 ガリレオ出版
・「戦車ものしり大百科 ドイツ戦車発達史」 齋木伸生 著 光人社
・「戦車名鑑 1939~45」 コーエー
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