+概要
ドイツ陸軍兵器局第6課は1939年9月にエッセンのクルップ社に対して、デュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社が開発した28口径10.5cm軽榴弾砲leFH18を、砲塔形式に搭載する自走砲の開発要求を出した。
この自走砲は砲塔形式を採ってはいたものの、左右各35度ずつの限定旋回式とされており、これに応じる形でクルップ社は1940年2月8日に開かれた会議において、兵器局第6課に対し、同社が開発したIV号戦車の車体をベースとする自走砲の設計案を提示した。
この自走砲は、戦車による攻撃を支援する牽引式火砲の後継として位置付けられており、兵器局第6課は砲にある程度の装甲防御を備えることを求め、クルップ社はこれに従って設計に改良を加えることになった。
この改良案は兵器局第6課に承認され、その期日は明らかにはされていないものの、「leFH18/1搭載IV号b型装甲自走砲」の呼称で試作車2両が発注された。
クルップ社は1941年にIV号戦車の車体をベースとし、車体後部にオープントップ式の固定戦闘室を設けて、クルップ社とラインメタル社が共同開発した52口径10.5cm加農砲K18を限定旋回式に搭載した、IV号a型10.5cm対戦車自走砲を開発していたため、これに続くIV号戦車ベースの2番目の自走砲ということで、「IV号b型」の呼称が付いたものと思われる。
V1、V2(”V”はVersuchs:試作の頭文字を採ったもの)と名付けられた2両の試作車は、1942年1月7日までに全ての試験を終了し、続いて先行生産型の0ゼーリエ(シリーズ)が10両(車体製造番号150631〜150641)発注された。
この0ゼーリエは、クルップ社の子会社であるマクデブルクのグルゾン製作所において製作が進められ、1942年11月までに全車が完成した。
兵器局第6課は本車の実戦化を考えており、「leFH18/1搭載IV号b型自走砲」(Sd.Kfz.165/1)の制式呼称が与えられた。
1942年7月には200両分の装甲板などの部品が発注され、1943年1月には最初の生産型が登場する計画が立てられたものの、結局1942年11月に計画の中止が告げられ、それ以上の段階に進むこと無く終わった。
これは、兵器局第6課が1942年春から計画を進めていた、10.5cm軽榴弾砲leFH18を搭載する新型の支援自走砲(後のホイッシュレッケ10)計画の方が実用性が高いと判断されたのに加え、本車がIV号戦車の車体を流用したといっても、そのコンポーネントの供用率は20%にも満たなかったため、車体の共通化による生産コストの削減という目的は達成されず、エンジンの出力不足も問題となっていたためである。
試作車2両と、0ゼーリエ10両が製作されただけに終わったIV号b型10.5cm自走榴弾砲は、前述のように車体にIV号戦車のコンポーネントを一部使用していたが、IV号戦車よりも車体の全長と全高が短縮されており、それに伴って転輪が片側8個から6個に、上部支持輪も片側4個から3個にそれぞれ減らされていた。
またエンジンもII号戦車L型ルクスと同じ、フリードリヒスハーフェンのマイバッハ発動機製作所製の、HL66P 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(出力180hp)に変更されていた。
車体もIV号戦車に似てはいるが全くの別物で、機関室のレイアウトが大きく異なっていた。
IV号戦車では機関室の左側面に吸気用グリル、右側面に排気用グリルがそれぞれ設けられていたが、本車では廃止されて機関室の上面に吸気用グリル、後面に排気用ルーヴァーがそれぞれ設けられていた。
また本車は、敵戦車と撃ち合うという車両ではないので、装甲厚もIV号戦車に比べてかなり削られており、車体前面が20mm、側/後面が14.5mm、上面が10mmとなっていた。
この結果戦闘重量は17tに抑えられ、エンジンが低出力のものに変更されたにも関わらず、路上最大速度は45km/hとIV号戦車を上回っていた。
砲塔は上面がオープンとなっており、牽引式の10.5cm軽榴弾砲leFH18を車載化した28口径10.5cm軽榴弾砲leFH18/1を搭載していた。
砲塔の旋回角は左右各35度ずつ、主砲の俯仰角は−10〜+40度となっていた。
砲塔の装甲厚は前面が20mm、側/後面が14.5mmとなっていた。
なお車体上部構造より砲塔の幅が広いため、これをカバーするために、上部構造の左右側面には円弧形の鋼板が溶接されていた。
本車の主砲に採用された10.5cm軽榴弾砲leFH18/1は、弾頭重量14.8kgの榴弾をチャージ5装薬で発射した場合、砲口初速470m/秒、最大射程10,500mと当時としては充分な能力を備えていた。
弾薬は火力支援用の榴弾の他、対装甲車両用の徹甲榴弾や成形炸薬弾も用意されていた。
砲塔内には各種弾薬合わせて60発が収容されており、砲塔内には車長と砲手、装填手の3名が配されて6発/分の持続射撃能力を有していた。
車体前部の操縦室内にはIV号戦車と同様に左側に操縦手、右側に無線手が配されたが、IV号戦車にあった無線手用のボールマウント式機関銃は廃止され、代わりに操縦手用と同じ装甲ヴァイザーが設けられていた。
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