四式十五糎自走砲 ホロ
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+開発
太平洋戦争後半、日本陸軍は対戦車火力の不足に苦しんでいたが、新式野山砲や対戦車砲の生産も絶望的なので、手持ちの旧式火砲といえどもそのフル活用を図る必要に迫られた。
そこでドイツ軍の自走重歩兵砲の例を参考に、旧式中戦車の車体に旧式の15cm榴弾砲を搭載した自走砲を開発することが考案された。
この自走砲は、秘匿呼称「ホロ車」として1944年7月に第四陸軍技術研究所で研究が開始され、同年8月に試作車が完成し直ちに「四式十五糎自走砲」として制式化された。
四式十五糎自走砲の主砲に採用されたのは口径149.1mmの三八式十五糎榴弾砲で、この頃にはすでに時代遅れとなっていたが、ドイツの技術援助で開発された「タ弾」と呼ばれる成形炸薬弾の導入により、対戦車能力を持つことができたためそれを期待されて自走化された。
車体には旧式の九七式中戦車(チハ車)のものが流用されており、車体上部構造を一部変更して前面25mm、側面20mm、上面12mm厚の装甲板で囲んだ大型の防盾を設け、その後方にあたる車体装甲板を外してオープントップとした上で三八式十五糎榴弾砲を砲架ごと搭載していた。
砲の可動範囲は俯仰角が−10〜+20度、左右の旋回角はわずか3度ずつで、この旋回角の狭さが問題として残った。
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+生産と部隊配備
四式十五糎自走砲は1944年から三菱重工業下丸子工場で生産が開始され、終戦までに12両が完成したとも25両が完成したともいわれるが、いずれにせよごく少数の生産で終わったことは間違いない。
1944年に陸軍は野戦砲兵学校において訓練した将兵を基幹として、四式十五糎自走砲を装備する独立自走砲中隊を編制しフィリピンに派遣することを決定した。
この自走砲中隊の中隊長は野戦砲兵学校より特に選抜された鷲尾大尉で、中隊は無事にフィリピンに上陸しマニラ付近でアメリカ軍と激しい戦闘を展開した。
しかしM4中戦車および、対戦車火器として新しく登場したロケット・ランチャー、バズーカのため、中隊はほとんど全滅してしまった。
その戦闘の状況や戦果に関しては未だに明らかにされておらず、不明のままである。
さらに1945年、アメリカ軍の攻撃が激しくなるにつれて本土決戦が叫ばれるようになると、それに備えるため四式十五糎自走砲および三式砲戦車(ホニIII車)を装備する独立自走砲大隊10個が編制されることになった。
これらの部隊は野戦砲兵学校において大隊長および所要の機甲幹部の教育が行われ、順次各部隊に自走砲が配備され始めたが、その編制が終わらぬうちに終戦となり日本陸軍の消滅と共に、本土防衛の任を受けた自走砲部隊もその歴史にピリオドを打つことになったのである。
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+攻撃力
四式十五糎自走砲の主砲は、すでに旧式化していた三八式十五糎榴弾砲が砲架ごと搭載された。
陸軍の主力装備であった九六式十五糎榴弾砲を選ばなかった理由は、直射火器として使うなら多少射程が劣っていてもかまわなかったことと、九六式十五糎榴弾砲の重量が4,140kgなのに対して、三八式十五糎榴弾砲は約半分の2,090kgと軽量で、九七式中戦車の車体に比較的無理なく搭載できたからである。
砲弾用弾薬箱は機関室上面と、戦闘室の床下(4発入り)に搭載された。
搭載弾数については不明で資料によって12発とするもの、24発とするもの、28発とするものがある。
28発説では戦闘室内に16発、機関室上面の弾薬箱に12発搭載するようになっていた。
四式十五糎自走砲が開発された主目的は、自走砲の本来の任務である支援火力の提供ではなく、敵戦車を直接照準射撃で撃破する対戦車自走砲として使用することであった。
そのため、本車の照準具は直接照準射撃が可能なものが装備されていた。
間接照準射撃も可能だが、それは全く考えられない状況であった。
三八式十五糎榴弾砲は成形炸薬弾であるタ弾を用いた場合、射距離に関わらず150mm厚のRHA(均質圧延装甲板)を穿孔することが可能であった。
本車は副武装の機関銃などは搭載しておらず、敵歩兵の肉薄攻撃への対処は考慮されていなかった。
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+防御力
四式十五糎自走砲の車体は、すでに主力戦車としては旧式化していた九七式中戦車のものが流用されており、エンジンも同じものが搭載されている。
車体の装甲厚は前面25mm、側/後面20mm、上面15mm、下面8mmとなっており、九七式中戦車より車体上面が増厚されていた。
主砲の三八式十五糎榴弾砲には前面と左右側面、上面を覆う大型の防盾が設けられており、後面はオープンとなっていた。
防盾の装甲厚は前面25mm、側面20mm、上面12mmとなっており、一式砲戦車(ホニI車)の防盾前面の装甲厚が50mmなのに対して半分の厚さしかない。
本車はあらかじめ準備した掩蓋陣地に進入し、複合防衛陣地の一角を占めるという用法を想定していたので、装甲による全周防御は与えられなかった。
また、車体寸法上の制限もあった。
なお防盾の溶接には、四式中戦車(チト車)と同じ戦後方式に近いものが第四研究所には内緒で実践されていたという。
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<四式十五糎自走砲>
全長: 5.516m
全幅: 2.33m
全高: 2.357m
全備重量: 16.3t
乗員: 6名
エンジン: 三菱SA12200VD 4ストロークV型12気筒空冷ディーゼル
最大出力: 170hp/2,000rpm
最大速度: 38km/h
航続距離: 200km
武装: 三八式12.6口径15cm榴弾砲×1 (28発)
装甲厚: 8〜25mm
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兵器諸元
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<参考文献>
・「パンツァー2004年12月号 日本陸海軍の自走砲/砲戦車(1) 中戦車々体改造車」 高橋昇 著 アルゴノート
社
・「パンツァー2008年11月号 日本陸軍の対戦車自走砲」 高橋昇 著 アルゴノート社
・「日本の戦車と装甲車輌」 アルゴノート社
・「グランドパワー2001年4月号 日本軍機甲部隊の編成・装備(3)」 敷浪迪 著 デルタ出版
・「日本軍兵器総覧(一) 帝国陸軍編 昭和十二年〜二十年」 デルタ出版
・「世界の軍用車輌(1) 装軌式自走砲:1917〜1945」 デルタ出版
・「帝国陸海軍の戦闘用車両」 デルタ出版
・「日本陸軍兵器 将兵と行動をともにした陸戦火器のすべて」 新人物往来社
・「戦車機甲部隊 栄光と挫折を味わった戦車隊の真実」 新人物往来社
・「機甲入門 機械化部隊徹底研究」 佐山二郎 著 光人社
・「大砲入門 陸軍兵器徹底研究」 佐山二郎 著 光人社
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著 グランプリ出版
・「世界の戦車・装甲車」 竹内昭 著 学研
・「帝国陸軍 戦車と砲戦車」 学研
・「戦車名鑑 1939〜45」 コーエー
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