IV号突撃砲
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+概要
IV号戦車の車体にIII号突撃砲の戦闘室を組み合わせた新型突撃砲の開発に、IV号戦車を開発したエッセンのクルップ社が着手したのは1943年2月であった。
これはドイツ陸軍兵器局がクルップ社に、IV号戦車の車体を流用した突撃砲の生産が可能かどうかを打診したことが開発のきっかけとなっている。
クルップ社が兵器局に最初に提示したIV号突撃砲の設計案は、当時まだ生産準備中であったIV号戦車の最新型であるH型の車体に、III号突撃砲F型の戦闘室を搭載したものであった。
ただしクルップ社としては、III号突撃砲の最新型であるG型の戦闘室を用いることを予定しており、当時まだIII号突撃砲G型の戦闘室の設計図をダイムラー・ベンツ社から入手していなかったため、暫定的にF型の戦闘室で図面を作成していた。
この車両で特徴的だったのは、IV号戦車の車体前部を改設計して前端から操縦室までを1枚板の傾斜装甲板に変更していた点であった。
また接地圧を低減するために、履帯は従来の400mm幅のものから560mm幅のものへ変更することになっていた。
しかし兵器局はこれらの変更点について、IV号戦車の生産の妨げになるとして却下した。
その後もクルップ社はIV号突撃砲の各種設計案を兵器局に提出したものの、III号突撃砲の生産が順調に進んでいたこともあり具現化には至らなかった。
1943年8月19~22日の総統会議の席上、前線部隊からの報告がアドルフ・ヒトラー総統へ紹介されたが、そのほとんどが突撃砲の価値を絶賛しており、車高が低いため被弾確率が低い突撃砲は、防衛戦闘を主とした現在の戦況下ではIV号戦車より優れた性能を示していた。
このため、速やかに実戦部隊の戦訓を反映したIV号戦車ベースの突撃砲を開発し、生産数を維持したまま短期間のうちにIV号戦車から突撃砲へ生産を転換するという可能性について検討し準備を進めることが決定された。
これに追い打ちをかけるように、1943年11月から始まったアルケット社(Altmärkische Kettenwerke:アルトメルキシェ装軌車両製作所)のシュパンダウ工場に対する連合軍の空爆により工場施設の大半が破壊され、III号突撃砲の生産がストップしてしまった。
III号突撃砲は対戦車火力の不足に悩むドイツ軍にとって欠かすことのできない車両となっていたため、これは由々しい問題であった。
ヒトラーは1943年12月6~7日の総統会議において、空襲により生産停止となっているIII号突撃砲の緊急代替として、IV号戦車の車体にIII号突撃砲の戦闘室を組み合わせたIV号突撃砲の生産を行うことを承認した。
IV号突撃砲の生産は、それまでIV号戦車の生産を行っていたグルゾン製作所(クルップ社の子会社)のマクデブルク工場において行うこととされ、併せてグルゾン製作所での生産準備が整うまでダイムラー・ベンツ社のマリーエンフェルデ工場でも生産を行うことが命じられ、試作車の製作もここで行われた。
12月14日にIV号突撃砲の試作車が総統官邸において展示され、12月16~17日の総統会議の期間中にIV号突撃砲はヒトラーの全面的承認を得た。
IV号突撃砲は、IV号戦車H型の車体上部にIII号突撃砲G型の戦闘室を搭載していたが、III号戦車とIV号戦車ではフェンダーの位置が異なるため、そのままIII号突撃砲の戦闘室を載せると側面と前面の一部に隙間が生じてしまうためこの部分に外側から鋼板を装着し、さらに戦闘室前部と車体に生じる段差を無くすためにこの部分に鋼板をボルト止めしていた。
またIII号戦車とIV号戦車では車体長も異なるために、操縦室は戦闘室の内部に収めることができず、このため戦闘室の前部左側に張り出しを設ける形で操縦室を独立して備えたのもIV号突撃砲の特徴である。
操縦室の上面には左開き式の四角い操縦手用ハッチが設けられ、その前方には固定式のペリスコープ2基が角度を変えて装着されていた。
初期の生産車では、戦闘室上面右側の装填手用ハッチの前方に折り畳み式の機関銃防盾が設けられていたが、1944年4月からの生産車では、この位置に車内から射撃ができる車内操作式機関銃が装備されるようになり、折り畳み式防盾は廃止された。
この変更に伴い、装填手用ハッチも従来の前後開き式から左右開き式に変更されている。
1944年11月からの生産車では、車体上面最前部に砲身固定用のトラヴェリング・クランプが新設された。
これらの変更点は、III号突撃砲G型にも導入されたものである。
また部隊ごとの現地改修によって、車体前面上部の点検用ハッチの上や車体前端などに独自のトラヴェリング・クランプを設置した車両や、主砲防盾に同軸機関銃を装備した車両も存在した。
IV号突撃砲の生産は1943年12月からダイムラー・ベンツ社で開始され、オーストリア、ザンクト・ヴァーレンティーンのニーベルンゲン製作所から供給されたIV号戦車H型の車体を用いて同月中に30両が生産された。
翌44年1月からはグルゾン製作所に生産が移管され、1945年4月までにグルゾン製作所で1,111両が生産された。
IV号突撃砲はポーランドに2両が現存しており、1両はポズナンの戦車博物館、もう1両はスカルジスコ・カミェンナのオルア・ビアウエゴ博物館にそれぞれ展示されている。
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<IV号突撃砲>
全長: 6.70m
車体長: 5.92m
全幅: 2.95m
全高: 2.20m
全備重量: 23.0t
乗員: 4名
エンジン: マイバッハHL120TRM 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 300hp/3,000rpm
最大速度: 38km/h
航続距離: 210km
武装: 48口径7.5cm突撃加農砲StuK40×1 (63発)
7.92mm機関銃MG34×1 (600発)
9mm機関短銃MP40×2
装甲厚: 10~80mm
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兵器諸元
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<参考文献>
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画
・「突撃砲」 W.J.シュピールベルガー 著 大日本絵画
・「グランドパワー2011年2月号 IV号突撃砲カラーズ」 寺田光男 著 ガリレオ出版
・「世界の軍用車輌(1) 装軌式自走砲:1917~1945」 デルタ出版
・「戦車名鑑 1939~45」 コーエー
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