IV号戦車/70(A) |
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+開発
1944年に入ってソ連軍が長砲身85mm戦車砲を装備するT-34-85中戦車や、より大口径の122mm戦車砲を装備するIS-2重戦車などの強力な新型戦車を相次いで実戦投入したため、当時のドイツ陸軍の主力戦車であったIV号戦車長砲身型は完全に力不足の存在となってしまった。 しかし、IV号戦車の後継主力戦車として開発されたV号戦車パンターは充分な生産体制が整っておらず、前線部隊が必要とする台数を供給することができない状況であった。 パンター戦車の不足分を補うために引き続きIV号戦車の生産も続けざるを得なかったため、ドイツ陸軍の技術者たちはヒラースレーベンにおいて、IV号戦車でソ連軍の新型戦車に対抗することが可能かどうか研究を行った。 しかし1944年6月24日には、IV号戦車は全ての評価項目においてソ連軍の新型戦車に圧倒されるという結論が下された。 またドイツ陸軍は、IV号戦車長砲身型が装備するデュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社製の48口径7.5cm戦車砲KwK40と、米英軍の新型戦車の主砲(アメリカ軍の52口径76.2mm戦車砲M1、イギリス軍の58.3口径17ポンド(76.2mm)戦車砲など)の性能についての比較研究も行っており、この研究においてもIV号戦車は米英軍の新型戦車に圧倒されるという事実が確認された。 このため、ドイツ陸軍首脳部はIV号戦車の主砲を強化する必要性を強く認識し、1944年6月26日にベルリンのアルケット社(Altmärkische Kettenwerke:アルトマルク履帯製作所)に対して可能な限り早く、IV号戦車にパンター戦車の主砲と同じラインメタル社製の70口径7.5cm戦車砲KwK42を搭載することを命じた。 なお、ドイツ陸軍がIV号戦車に70口径7.5cm戦車砲を搭載することを計画したのはこれが初めてではなく、似たような研究はすでに1943年夏に完了していた。 この時の研究では、IV号戦車の砲塔に70口径7.5cm戦車砲を搭載することは不可能であるという結論が下されており、その理由が5つばかり挙げられていた。 この研究結果も参考にして、IV号戦車に70口径7.5cm戦車砲を搭載するための試行錯誤が続けられたが、最終的にIV号駆逐戦車に同砲を搭載したIV号戦車/70(V)と同じく、IV号戦車の車体上部に密閉式戦闘室を設けて70口径7.5cm戦車砲を限定旋回式に搭載するという決定がなされた。 1944年7月5日付の報告書では、「IV号戦車を70口径7.5cm砲付き突撃砲に改修することは、IS-2重戦車を除く全ての敵戦車に対して優位性を示すことになろう」と述べられている。 なお、ドイツ陸軍において「突撃砲」と「駆逐戦車」についての明確な区別は無く、砲兵は「突撃砲」(Sturmgeschütz)という呼称を好み、戦車兵は専ら「駆逐戦車」(Jagdpanzer)という呼称を用いていた。 アルケット社が開発することになった70口径7.5cm戦車砲装備のIV号戦車は、当初「70口径砲付き改修型IV号戦車」、「70口径7.5cm砲付き突撃砲」などと呼ばれていたが、1944年7月18日のアドルフ・ヒトラー総統の命令により、「IV号戦車ラング(A)」という公式呼称が与えられた。 「ラング」(Lang:ドイツ語で「長い」という意味)は、本車が70口径の長砲身砲を装備していることを表し、添字の”A”はアルケット社の頭文字を採っていた。 しかし、前線部隊ではIV号戦車長砲身型と混同するのを避けるために、本車を「IV号戦車/70(A)」の通称で呼ぶのが一般化し、ドイツ陸軍兵器局はこの呼称を1944年11月に公式に採用している。 |
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+構造
開発期間の短縮を図るため、IV号戦車/70(A)の戦闘室は当時プラウエンのフォマーク社(Vogtländische Maschinenfabrik AG:フォークトラント機械製作所)が開発を進めていた、IV号戦車/70(V)の戦闘室の設計を流用することになった。 ただしIV号戦車/70(V)の戦闘室をそのまま搭載するのではなく、戦闘室の下部に装甲板を追加して戦闘室を400mm嵩上げしていた。 これはIV号戦車/70(V)が車高を低くするために、IV号戦車の車体に大幅な改修を施した専用車体を使用したのに対し、IV号戦車/70(A)ではIV号戦車からの速やかな生産転換を図り、かつ生産効率を高めるためにIV号戦車の車体を改修せずに流用したことに起因する。 IV号戦車の車体は砲塔床下の位置に燃料タンクが置かれており、IV号戦車/70(V)の戦闘室をそのまま搭載すると燃料タンクが主砲の駐退機ガードと干渉し、主砲の仰角がかなり制限されてしまうため、干渉を回避するために主砲の取り付け位置を高くする必要があったのである。 また戦闘室の嵩上げに関しては、他に次のような理由も挙げられている。 1.戦闘室内部の主砲取り付け位置が、車体前部に搭載されているZF社(Zahnradfabrik Friedrichshafen:フリー ドリヒスハーフェン歯車製作所)製の、SSG76変速機(前進6段/後進1段)の整備と点検の邪魔にならないよう にするため。 2.車高が低いIV号戦車/70(V)は主砲の取り付け位置が低いため、しっかり固定しないと起伏が激しい地形では 砲口を地面にぶつけてしまい、その結果照準機器の損傷を招いたため。 IV号戦車/70(A)の戦闘室上方部分は主砲架、防盾、前面装甲板の傾斜角と厚さがIV号戦車/70(V)の戦闘室と一致しており、戦闘室上面のレイアウトも同じであった。 しかしながら戦闘室の側/後面装甲板、機関銃射撃用ガンポートの装甲カバー、戦闘室内の弾薬架については違いが見られた。 主砲はIV号戦車/70(V)と同様、ラインメタル社製の70口径7.5cm対戦車砲PaK42を搭載していた。 戦闘室下部の嵩上げ部分は、IV号戦車/70(A)の試作車では垂直面で構成されていたが、生産型では避弾経始を考慮して戦闘室下部装甲板に20度の傾斜角が与えられた。 戦闘室の高さはIV号戦車/70(V)が620mmだったのに対して、IV号戦車/70(A)は1,020mmであった。 背が高くなると被弾確率や被発見率が増加するデメリットがあったが、IV号戦車の車体を改修せずに流用するためには不利を承知で受け入れる以外は無かった。 また、IV号戦車/70(V)の車体前面装甲板が大きな傾斜角を与えられていたのに対し、IV号戦車の車体を流用したIV号戦車/70(A)の車体前面装甲板は傾斜角が小さく、装甲防御力に大きな差があった。 長期に渡って生産された他のドイツ陸軍AFVと同様に、IV号戦車/70(A)も生産中に多くの変更点が導入されている。 以下に重要な変更点と、その採用時期を記載する。 ・1944年9月 ノウズへビー(重心が前に偏っている状態)による車体の消耗を抑えるため、第1、第2転輪が従来のゴム縁付き転輪から、より強度の高いゴム内蔵型鋼製転輪に変更された。 資材を節約するため、従来車体側面を防御するために装備されていた補助装甲板に代えて、成形炸薬弾対策に絞った金網製シュルツェンが採用され、また1944年9月18日には対磁気吸着地雷用のツィンメリット・コーティングが廃止された。 ・1944年12月 車体後面下部中央に、水平ボルト付き新型牽引装置が設置された。 これは、回収戦車によって損傷戦車を牽引する際に用いられるジョイントバーを連結するためのものである。 車体側面装甲板の前部および後部が延長され、牽引用ハト目として加工された。 これは6個のボルトで固定する従来設計のものでは、しばしば牽引の際に破損したためである。 軸受けを節約し同時に組み立て時間を短縮するため、上部支持輪の数が片側4個から3個に削減された。 |
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+生産
アルケット社により設計され急遽組み立てられたIV号戦車/70(A)の試作車は、1944年7月6~8日の山荘での総統会議においてヒトラーの査閲を受けた。 この会議においてヒトラーは、現在IV号戦車の生産を行っている工場設備を最終的に全て、当時開発が進められていたIII/IV号戦車の生産に切り替えることを主張した。 このIII/IV号戦車は、1941年9月にドイツ陸軍が開発に着手した新型中戦車で、III号戦車とIV号戦車のコンポーネントを流用することで開発・製造コストを軽減し、全体的に傾斜装甲を採用して、なるべく重量を増加させずに装甲防御力を強化することを目指したものであった。 ドイツ陸軍は高性能な反面製造コストの高いパンター戦車と、安価でそこそこの性能を持つIII/IV号戦車をハイ・ロー・ミックスで効率的に運用することを構想していた。 しかし、III/IV号戦車の開発が完了し生産体制が整うまでにはまだ時間が必要なため、それまでの暫定措置としてIV号戦車の車体をベースとし、70口径7.5cm戦車砲を装備する過渡的な車両を生産することが提案され、ヒトラーは最終的にこれを了承した。 この過渡的車両とは試作車が完成したばかりのIV号戦車/70(A)と、当時フォマーク社が開発を進めていたIV号戦車/70(V)のことを指していた。 両者を比較すると、IV号戦車の車体を改造無しに流用できるIV号戦車/70(A)は早期に生産開始が可能で生産効率も良かったが、ヒトラーは洗練されたスタイルを持つIV号戦車/70(V)の方が気に入っていたため、フォマーク社にはそのままこの車両の生産を行わせ、IV号戦車/70(A)の生産を行うメーカーにも、できるだけ早くIV号戦車/70(V)に生産を転換させることを求めた。 結局この会議において、過渡的車両の生産計画は次のように決定された。 1.1944年8月から計画された350両のIV号戦車の内50両分の車体を、IV号戦車/70(A)用としてアルケット社に納 入する。 新編制の師団用に緊急かつ必要な装備を供給するため、この車両の引き渡しは可能であれば1944年8月の 第1四半期が望ましい。 2.1944年9月からさらにIV号戦車の生産を抑制して、少なくとも100両のIV号戦車/70(A)を生産する。 3.IV号戦車/70(A)の製造メーカーには、できるだけ早くIV号戦車/70(V)へ生産を転換するよう命じること。 これにより遅くとも1944年10月には、さらに150両のIV号戦車/70(V)をIV号戦車/70(A)の代わりに引き渡す。 4.1944年10月より各月50両ごとの継続した生産転換を計画し、1945年2月までに生産された350両のIV号戦車全 てをIV号戦車/70(V)に転換する。 このような計画の下で最終的には、フォマーク社は以前に命令したように総生産能力をIII/IV号戦車に転換す る。 ドイツ陸軍兵器局は直ちに必要な処置を命令したが、必ずしもヒトラーの指示通りではなかった。 この時期、ザンクト・ヴァーレンティーン(オーストリア)のニーベルンゲン製作所が唯一なおIV号戦車を製造しており、IV号戦車/70(A)の生産上の暫定措置として1944年8月に50両、9月に100両、10月に150両、11月に200両、12月に250両、および1945年1月に300両生産するという転換計画を受領した。 兵器局のこの命令はヒトラーの意向に反して、IV号戦車/70(A)をドイツ陸軍の装備として本格的に導入するという意志が貫かれていた。 その後、IV号戦車/70(V)への生産転換は1944年10月にヒトラーの命令により中止となり、次のような生産計画が兵器局からの2番目の指令として直ちに発せられた。 フォマーク社はIV号戦車/70(V)を1944年8月に50両、9月に100両、10月に150両、11月に150両、12月に100両生産し、最終的に1945年1月に製造中止し、ニーベルンゲン製作所は1944年11月からIV号戦車/70(A)の代わりにIII/IV号戦車を生産することを命令された。 続いて1944年8月初めに発せられた兵器局3番目の命令では、砲塔付きのIV号戦車の生産を月産250両まで高めて継続実施することとされ、III/IV号戦車への生産転換は要求されなかった。 またIV号戦車/70(A)の生産は1945年2月まで継続し、1944年8月に50両、1944年9月~1945年1月の期間は毎月100両ずつ生産することになった。 さらに1945年1月30日には1945年1月に50両、2月に60両、3月に60両、4月に60両、5月に60両、および6月に8両というIV号戦車/70(A)の生産計画の変更が要求された。 最終的に、IV号戦車/70(A)は合計278両が生産されている。 |
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+部隊配備
IV号戦車/70(A)が装備する70口径7.5cm対戦車砲PaK42は、通常型のIV号戦車が装備する48口径7.5cm戦車砲KwK40に比べて装甲貫徹力が約20%も向上したため、IV号戦車/70(A)は通常型IV号戦車の後方から援護射撃を行う任務に用いられた。 また主砲の長大な射程にものを言わせて、IV号戦車/70(A)装備の部隊は実に広範囲に実戦投入された。 1944年9月に、68両のIV号戦車/70(A)を東部戦線の部隊へ増援として割り当てることが計画された。 総統護衛旅団の戦車中隊へ配備される5両を始め(同部隊は同時に17両の通常型IV号戦車を受領した)、生産遅延のため、1944年9月にはわずか17両のIV号戦車/70(A)が東部戦線に割り当てられたに過ぎず、実際に、初めて鉄道への積載が行われたのは1944年10月10日になってからであった。 残りの51両の内34両は1944年10月8日に、残り17両は11月初めに鉄道へ積載された。 これらのIV号戦車/70(A)は、次のような前線部隊へ配備された。
1944年10月の計画によれば、45両のIV号戦車/70(A)が戦車連隊グロースドイッチュラント第II大隊へ、さらに45両が第2戦車連隊第II大隊に引き渡され、依然通常型IV号戦車との混成ではあるものの、3個中隊に各14両のIV号戦車/70(A)と大隊本部に3両を有するはずであった。 両部隊は、1944年12月のアルデンヌ攻勢(Unternehmen Herbstnebel:秋霧作戦)開始時にその固有の師団以外、すなわち独立軍直轄部隊として師団群や軍団の下で投入される計画であった。 しかしIV号戦車/70(A)の生産状況は困難を極め、戦車連隊グロースドイッチュラント第II大隊は約束された45両のIV号戦車/70(A)の内38両のみを受領し、不足分の7両は通常型IV号戦車で代替された。 新車両はアルデンヌ攻勢の開始に間に合うよう、1944年12月4日に部隊に到着した。 一方、第2戦車連隊第II大隊は1944年11月16日にわずか11両のIV号戦車/70(A)を受領し、11月中に同部隊はさらに6両の通常型IV号戦車を受け取った。 このため不足分の補充として、22両のナースホルン対戦車自走砲を装備する2個中隊が配備された。 第2戦車連隊第II大隊は西部戦線のG軍集団に配属され、攻勢のための出撃準備を行ったが、アルデンヌ攻勢には投入されなかった。 1944年12月に新編された第208戦車大隊は、31両の通常型IV号戦車と14両のIV号戦車/70(A)を装備しており、大隊本部は3両のIV号戦車、1個中隊が14両のIV号戦車/70(A)、その他の2個中隊は各14両のIV号戦車が割り当てられていた。 1945年1月に第208戦車大隊は東部戦線行きの鉄道に積載され、南方軍集団の指揮下に入った。 さらにIV号戦車/70(A)の1944年12月中の割り当てとして、東部戦線の中央軍集団の指揮下にある第7機甲師団第25戦車連隊第II大隊が、車両定数の回復のため10両を受領している。 1945年1月にはさらに2つの戦車部隊がIV号戦車/70(A)を受領しており、第24機甲師団第24戦車連隊第III大隊(南方軍集団)には1945年1月15日に14両が配備され、また中央軍集団指揮下の第103戦車旅団第29戦車連隊第I大隊は、1月中に14両のIV号戦車/70(A)を受領している。 ただしそれは書類上のことで、実際に鉄道輸送により車両が部隊に到着したのは1945年2月2日であった。 これらが、IV号戦車/70(A)を装備した最後の2つの戦車部隊であった。 この後、IV号戦車/70(A)は専ら突撃砲部隊に配備されたが、これはより長い射距離から敵戦車と有効に戦闘を行うため、突撃砲部隊は基本的に1個小隊のIV号戦車/70(A)をもって増強するという決定がなされたためである。 この決定は西部戦線において、長砲身76.2mm戦車砲や17ポンド戦車砲装備のM4中戦車、同じく東部戦線において、T-34-85中戦車やIS-2重戦車の数がますます増大していることを考慮すると、妥当な措置であったといえよう。 1945年1月中旬に乗員の訓練用として、マクデブルク近くのブルクの突撃砲学校が2両のIV号戦車/70(A)を受領したのを皮切りに、次のような戦闘部隊がIV号戦車/70(A)の供給を受けた。
突撃砲旅団グロースドイッチュラントは1個小隊のみの装備ではなく、合わせて3個中隊のIV号戦車/70(A)を受領した。 第111教導突撃砲旅団については、まとまった数のIV号戦車/70(A)を受け取った最後の部隊であり、4個小隊を装備することができた。 |
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<IV号戦車/70(A)> 全長: 8.60m 全幅: 3.33m 全高: 2.236m 全備重量: 28.0t 乗員: 4名 エンジン: マイバッハHL120TRM 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン 最大出力: 300hp/3,000rpm 最大速度: 38km/h 航続距離: 320km 武装: 70口径7.5cm対戦車砲PaK42×1 (55発) 7.92mm機関銃MG42×1 (1,200発) 装甲厚: 10~80mm |
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兵器諸元 |
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<参考文献> ・「パンツァー2014年12月号 ヒトラーごひいきのタンク・デストロイヤー IV号駆逐戦車」 久米幸雄 著 アルゴ ノート社 ・「パンツァー2014年11月号 歴代戦車砲ベストテン」 荒木雅也/久米幸雄/三鷹聡 共著 アルゴノート社 ・「パンツァー2005年2月号 IV号駆逐戦車の全貌」 篠正人 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2020年9月号 IV号駆逐戦車 前編」 後藤仁 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2020年10月号 IV号駆逐戦車 後編」 後藤仁 著 アルゴノート社 ・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画 ・「軽駆逐戦車」 ヴァルター・J・シュピールベルガー 著 大日本絵画 ・「異形戦車ものしり大百科 ビジュアル戦車発達史」 齋木伸生 著 光人社 ・「グランドパワー2013年5月号 IV号駆逐戦車」 後藤仁 著 ガリレオ出版 ・「世界の軍用車輌(1) 装軌式自走砲:1917~1945」 デルタ出版 |
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