IV号戦車/70(V) |
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+開発
1942年9月に行われたIV号駆逐戦車に関するドイツ陸軍兵器局の基本協議において、IV号駆逐戦車の主砲として装備することが予定された、デュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社製の48口径7.5cm対戦車砲PaK39に代えて、より強力な同社製の70口径7.5cm対戦車砲PaK42を装備する要求が出された。 この7.5cm対戦車砲PaK42は、当時開発が進められていたドイツ陸軍の新型主力戦車パンターの主砲として、ラインメタル社が開発した70口径7.5cm戦車砲KwK42を原型としたものであった。 KwK42では、砲身先端に射撃時の反動を低減するための砲口制退機が装着されていたが、PaK42は、後座量を変えることによって砲口制退機を必要としない構造に改修された。 これは、砲口制退機付きの7.5cm対戦車砲PaK39を装備したIV号駆逐戦車を運用した結果、射撃の際に砲口制退機から排出されるガスが土埃を舞い上げて視界を極端に妨げることが判明したためで、このためにPaK39搭載型のIV号駆逐戦車は、前線部隊ではほとんど砲口制退機を取り外して運用されていた。 7.5cm対戦車砲PaK42は、原型のKwK42と共に第2次世界大戦中にドイツが開発した対戦車兵器の中では傑出した存在であり、電気撃発装置付き半自動式機構を採用し、徹甲弾および榴弾を発射可能であった。 IV号駆逐戦車が従来装備していたPaK39とPaK42の性能を比較すると、PaK39はPz.Gr.39 APCBC-HE(風帽付被帽徹甲榴弾)を使用した場合、砲口初速750m/秒、射距離1,000mにおける装甲貫徹力が82mmだったのに対し、PaK42はPz.Gr.39/42 APCBC-HEを使用した場合、砲口初速925m/秒、射距離1,000mにおける装甲貫徹力は99mmと約20%も向上していた。 この火砲の優位性にも関わらず、当初はまだIV号駆逐戦車にPaK42を搭載することは考慮されていなかったが、その理由は1944年1月の生産時点で、PaK39を装備したIV号駆逐戦車が大量に配備されていたためである。 しかし、連合軍の新型戦車に対してPaK39は次第に威力不足が指摘されるようになり、またより小柄なIII号突撃砲が、PaK39とほぼ同等の威力を持つ48口径7.5cm突撃加農砲StuK40を装備していたため、III号突撃砲より車体サイズに余裕のあるIV号駆逐戦車には、さらに強力な主砲を装備すべきであるという声も上がっていた。 このため、1944年1月25~27日にかけての総統会議の中で、IV号駆逐戦車への70口径7.5cm対戦車砲PaK42の装備について再び話し合いが行われ、技術的問題が解決されかつ充分な生産量が確保され次第、この長砲身砲はIV号駆逐戦車に装備されることとなった。 1944年4月初めに兵器局は改造した70口径7.5cm戦車砲KwK42を呈示し、それを1両のIV号駆逐戦車(車体製造番号320162)に組み込んだ。 1944年4月6日に同車の写真を見たアドルフ・ヒトラー総統は、この70口径7.5cm対戦車砲装備のIV号駆逐戦車こそが、戦車工学が生んだ究極的形態であると確信した。 4月20日に同車はヒトラーの査閲を受け、彼はこのIV号駆逐戦車長砲身型の生産計画を最終月産数800両に引き上げることを命じた。 1944年5月4日の兵器局の長期生産計画によると、1944年4月から1945年4月までの年間生産数は、両タイプのIV号駆逐戦車を合わせて2,020両という要求が出されている。 ヒトラーは1944年7月18日に、このIV号駆逐戦車長砲身型の呼称を「IV号戦車ラング(V)」とすることを命令した。 ちなみに「ラング」(Lang)はドイツ語で「長い」という意味で、本車が70口径の長砲身砲を装備していることを表していた。 また添字の”V”は、本車の開発を担当したプラウエンのフォマーク社(Vogtländische Maschinenfabrik AG:フォークトラント機械製作所)の頭文字を採ったもので、同時にフォマーク社がこの車両の独占製造メーカーであることも意味していた。 本車がなぜ、「IV号駆逐戦車」から「IV号戦車ラング(長砲身)」に呼称が変更されたのかは不明であるが、前線部隊ではこの駆逐戦車と、長砲身(43および48口径)7.5cm戦車砲KwK40搭載のIV号戦車を混同しないよう、「IV号戦車/70(V)」の通称で呼ぶのが一般化していたが、兵器局はこの呼称を1944年11月に公式に採用している。 |
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+構造
IV号駆逐戦車に長砲身の70口径7.5cm対戦車砲PaK42を搭載するのに当たって、生産ライン全体の変更が必要となった。 主砲の内装式および外装式防盾は重量削減のため変更されることとなったが、その際装甲防御力の低下は許されなかった。 戦闘時以外に主砲を固定するために補助的に外部に装着されたトラヴェリング・ロックは、起伏が激しい地形では照準の修正を妨げることが分かった。 いずれにせよ、車体から大きく突き出した長砲身砲を装備するのは困難が伴うことがはっきりとしていた。 PaK39搭載型で戦闘室天井に設けられていた簡易な戦闘室用ヴェンチレイターの代わりに、PaK42搭載型では新たに砲身送風装置が設置され、砲身内部の硝煙を射撃後迅速に排出できるようになった。 その他に砲弾格納ラックは、PaK39に比べてサイズが大型化したPaK42の砲弾用に変更され、またPaK39搭載型では車体前方右手に設置されていた弾薬架が重量削減のために撤去されたため、主砲弾薬携行数はPaK39搭載型が79発だったのに対し、PaK42搭載型は55発に減少した。 すでに48口径のPaK39搭載のIV号駆逐戦車でさえも、ノウズヘビー(重心が前に偏っている状態)が問題となっていたが、この欠点は70口径のPaK42搭載のためにますます増長されることとなった。 1944年5月16日に兵器実験部第6課は、PaK42搭載型IV号駆逐戦車の転輪全体の位置を100mm前方に移動することを提案しており、これはノウズヘビーを軽減する効果があると考えられたため、車両の設計に採り入れるよう要求された。 しかし、第1転輪はすでに起動輪にかなり接近していたため、これ以上前方に移設すると両方の走行機構の部分的接触を招く可能性があり、もしそうなった場合、起動輪によって第1転輪が損傷を被るのは明らかであった。 1944年8月10日にはさらなる前面装甲の重量軽減と、車体前方の転輪を従来のゴム縁付き転輪から、より強度の高いゴム内蔵型鋼製転輪に変更する要求が出された。 ヒトラーはPaK42搭載型IV号駆逐戦車のノウズヘビーを軽減するため、8月11日に前面装甲厚を従来の80mmから60mmに低減するよう命令したが、装甲防御力が低下することを嫌った兵器局がこの命令を無視したため、前面装甲厚は全生産期間を通じて80mmのままであった。 結局、PaK42搭載型IV号駆逐戦車のノウズヘビー改善策として実行に移されたのは第1、第2転輪を強度の高い鋼製転輪に変更することと、軽量化を図った新型履帯を採用するという2点だけであった。 この2つの変更は1944年9月に実施され、この他に、車体後部の機関室の上に設置されていた2個の予備転輪も鋼製転輪に置き換えられた。 1944年8月と9月に実施されたその他の変更は、IV号駆逐戦車の改修意見を反映したものであった。 最初に明らかな相違点が生じたのは1944年11月になってからであり、車体後面の中央に牽引装置が溶接され、2t補助クレーンを取り付けるための「ピルツ」(Pilz:きのこ)と呼ばれる器具が戦闘室上面に装備された。 さらに戦闘室上面に測遠機用ホルダーとして、3個のピボット(取り付け座)が設けられることとなった。 1944年11月4日に、IV号戦車においては不可欠であったブレーキ用換気口カバーが、IV号駆逐戦車では不必要であるとの決定がなされたため、車体前部上面装甲板にあった換気口フードカバーは撤去された。 IV号駆逐戦車ではブレーキの換気は換気ダクトを通じて行われ、ブレーキの熱と煙は後方の機関室に排気され、空冷ヴェンチレイターによって外へ排出されるシステムが採られていた。 IV号駆逐戦車の内、PaK39搭載型の全車とPaK42搭載型の大部分は、IV号戦車F型用のパイプ溶接式誘導輪を使用していたが、スペア部品の欠乏により1945年2~3月の期間には、まだ在庫が残っていたIV号戦車H型の鋳造式誘導輪を流用した。 |
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+生産
フォマーク社は1944年8月に最初の57両のIV号戦車/70(V)を製造し、ドイツ陸軍兵器局は同じ月内に検査を行った。 1944年9月には41両が継続生産され、10月には104両と増加し、11月には178両、12月には180両が製造され、1945年1月には185両という最高月産数に達した。 しかし、スペア部品の供給と停電の問題により1945年2月の生産数は135両、3月には50両に低下した。 1945年3月19日、21日と23日のプラウエンを目標とした連合軍の空襲により、IV号戦車/70(V)の生産設備が破壊されたため、同月をもってIV号戦車/70(V)の生産は終了した。 結果として、総計930両のIV号戦車/70(V)が製造されたことになる。
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+部隊配備
新しく編制中の戦車旅団が最初の部隊としてIV号戦車/70(V)を受領したが、旅団の3個中隊はV号戦車パンターを装備していたため、第4中隊が戦車駆逐中隊として11両のIV号戦車/70(V)を装備することとなった。 第105と第106戦車旅団が1944年8月に各々11両のIV号戦車/70(V)を受領し、1944年9月には5個戦車旅団(第107、第108、第109、第110および総統護衛戦車旅団)に各々11両が配備された。 第105、第106、第107、第108戦車旅団は西部戦線に投入され、第109と第110戦車旅団は東部戦線に投入された。 その他に、1944年9月にさらに10両のIV号戦車/70(V)が西部戦線の第116機甲師団へ補充として配備され、同年11月にはさらに10両が東部戦線の第24機甲師団へ送られた。 1944年10~12月にかけての割り当ての大部分は各戦車駆逐大隊の戦力回復に充てられ、一部は1944年12月のアルデンヌ攻勢(Unternehmen Herbstnebel:秋霧作戦)や、すぐ後に続いて実施された1945年1月の北風作戦(Unternehmen Nordwind)に投入された。 機甲師団内の各戦車駆逐中隊にはそれぞれ10両のIV号戦車/70(V)、機甲擲弾兵師団と重戦車駆逐大隊内の各中隊にはそれぞれ14両のIV号戦車/70(V)が配属されることとなっており、ドイツ陸軍車両局から手配された引き渡し順に、次のような部隊がIV号戦車/70(V)を受領した。
アルデンヌ攻勢の開始時には210両のIV号戦車/70(V)が西部戦線の部隊に配備されており、攻勢の終了までの間にさらに90両が部隊に送られた。 一方、1944年12月の第2半期の間は専ら関心は東部戦線の苛酷な戦闘に向けられており、補充として第7、第13と第17機甲師団の戦車駆逐大隊に各21両のIV号戦車/70(V)が配備され、第24機甲師団は19両を受け取った。 全戦線の状況は悪化の一途を辿っているのは明らかであったが、正規の編制計画はこれを考慮しないままであり、日ごとに大きくなる前線の綻びを塞ぐという試みないしは分析評価は、行き当たりばったりのその日暮らしの仕事となっていた。 装甲車両は前線部隊に交付されるやいなや使用され、乗員の新型車両に対する訓練時間も無い有様であった。 輸送用の貨車が車両の荷降ろしをして走り去ると同時に車両は実戦投入されており、次のような部隊においても状況は同様であった。 ・第563重戦車駆逐大隊-1945年1月に31両のIV号戦車/70(V) ・第9戦車連隊/第II大隊-1945年1月に26両のIV号戦車/70(V) ・歩兵師団デーベリッツ-1945年2月に10両のIV号戦車/70(V) ・第303戦車大隊(シュレージェン)-1945年2月に10両のIV号戦車/70(V) ・第510戦車駆逐大隊-1945年2月に10両のIV号戦車/70(V) ・戦車大隊ユーターボーク-1945年2月に10両のIV号戦車/70(V) ・SS擲弾兵師団ノルトラント-1945年3月に10両のIV号戦車/70(V) 残りのIV号戦車/70(V)のほとんどは東部戦線向けの補充として積載輸送されており、1945年1~3月の間にそれを受領した部隊は次の通りである。
西部戦線を支えるための絶望的な試みとして、最後のIV号戦車/70(V) 59両が様々な部隊の補充用として西部戦線に送られた。 その内17両が1945年3月16日、21両が4月3日、20両が4月4日、そして残りが4月8日に最前線に到着した。 |
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<IV号戦車/70(V)> 全長: 8.60m 全幅: 3.17m 全高: 1.96m 全備重量: 25.8t 乗員: 4名 エンジン: マイバッハHL120TRM 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン 最大出力: 300hp/3,000rpm 最大速度: 35km/h 航続距離: 210km 武装: 70口径7.5cm対戦車砲PaK42×1 (55発) 7.92mm機関銃MG42×1 (1,200発) 装甲厚: 10~80mm |
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兵器諸元 |
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<参考文献> ・「パンツァー2014年12月号 ヒトラーごひいきのタンク・デストロイヤー IV号駆逐戦車」 久米幸雄 著 アルゴ ノート社 ・「パンツァー2014年11月号 歴代戦車砲ベストテン」 荒木雅也/久米幸雄/三鷹聡 共著 アルゴノート社 ・「パンツァー2005年2月号 IV号駆逐戦車の全貌」 篠正人 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2020年9月号 IV号駆逐戦車 前編」 後藤仁 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2020年10月号 IV号駆逐戦車 後編」 後藤仁 著 アルゴノート社 ・「グランドパワー2019年10月号 ソ連軍が撮影したIV号駆逐戦車」 箙公一 著 ガリレオ出版 ・「グランドパワー2013年5月号 IV号駆逐戦車」 後藤仁 著 ガリレオ出版 ・「世界の軍用車輌(1) 装軌式自走砲:1917~1945」 デルタ出版 ・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画 ・「軽駆逐戦車」 ヴァルター・J・シュピールベルガー 著 大日本絵画 ・「異形戦車ものしり大百科 ビジュアル戦車発達史」 齋木伸生 著 光人社 ・「戦車名鑑 1939~45」 コーエー |
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