三式砲戦車 ホニIII
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+概要
三式砲戦車(ホニIII車)は一式七糎半自走砲(ホニI車)の発展型として開発されたもので、日本陸軍の砲戦車の集大成ともいえるものである。
一式七糎半自走砲は車体上部にオープントップ式の戦闘室を設けて主砲を搭載していたため、榴弾の弾片等に対する防御力に問題があったが、三式砲戦車では砲塔型式の完全密閉式戦闘室が採用され、乗員は弾片から防護されることになった。
三式砲戦車の砲塔は非常に横幅が広く、後部に張り出し(バスル)の無い独特の7角形をしていた。
車体上部よりも砲塔の幅が広いため、砲塔の左右は車体からオーバーハングしていた。
この砲塔は一見すると全周旋回が可能なように見えるが、実際は限定旋回式であった。
主砲には一式七糎半自走砲に搭載された九〇式野砲をベースに、三式中戦車(チヌ車)用に開発された三式七糎半戦車砲II型が搭載された。
一式七糎半自走砲は、牽引型の九〇式野砲をほとんどそのまま搭載したために照準装置は間接射撃用が主で、直接照準装置はオマケ程度だったため対戦車戦闘に用いる際に問題となったが、この三式七糎半戦車砲は対戦車用の本格的な直接照準装置を完備していた。
また、一式七糎半自走砲では牽引型の九〇式野砲にあった砲口制退機が取り外され、代わりに砲口補強リングが装着されたが、三式七糎半戦車砲には牽引型の九〇式野砲と同様の砲口制退機が装着されていた。
三式七糎半戦車砲の使用弾薬は九〇式野砲と同じで、装甲貫徹力も同程度であった。
三式砲戦車の車体は、太平洋戦争の後期に開発された車両にも関わらず九七式中戦車(チハ車)のものが用いられているが、車体前部の九七式車載重機関銃(口径7.7mm)は廃止され、新たに展視用のスリットが設けられている。
三式砲戦車の生産は1944年から開始されたがすでに物資も不足しており、少数が完成しただけに過ぎなかった。
一説では90両生産されたともいわれるが、真偽の程は明らかではない。
1945年、アメリカ軍の攻撃が激しくなるにつれて本土決戦が叫ばれるようになると、それに備えるため三式砲戦車および四式十五糎自走砲(ホロ車)を装備する独立自走砲大隊10個が編制されることになった。
これらの部隊は野戦砲兵学校において大隊長および所要の機甲幹部の教育が行われ、順次各部隊に自走砲が配備され始めたが、その編制が終わらぬうちに8月15日の終戦を迎えた。
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<三式砲戦車>
車体長: 5.516m
全幅: 2.33m
全高: 2.367m
全備重量: 17.0t
乗員: 5名
エンジン: 三菱SA12200VD 4ストロークV型12気筒空冷ディーゼル
最大出力: 170hp/2,000rpm
最大速度:
航続距離:
武装: 三式38.4口径7.5cm戦車砲II型×1
装甲厚: 8〜41mm
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兵器諸元
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<参考文献>
・「パンツァー2004年12月号 日本陸海軍の自走砲/砲戦車(1) 中戦車々体改造車」 高橋昇 著 アルゴノート
社
・「パンツァー2013年9月号 帝国陸軍の戦車武装 戦車砲と車載機銃(下)」 高橋昇 著 アルゴノート社
・「パンツァー2008年11月号 日本陸軍の対戦車自走砲」 高橋昇 著 アルゴノート社
・「日本の戦車と装甲車輌」 アルゴノート社
・「日本軍兵器総覧(一) 帝国陸軍編 昭和十二年〜二十年」 デルタ出版
・「世界の軍用車輌(1) 装軌式自走砲:1917〜1945」 デルタ出版
・「帝国陸海軍の戦闘用車両」 デルタ出版
・「戦車機甲部隊 栄光と挫折を味わった戦車隊の真実」 新人物往来社
・「機甲入門 機械化部隊徹底研究」 佐山二郎 著 光人社
・「大砲入門 陸軍兵器徹底研究」 佐山二郎 著 光人社
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著 グランプリ出版
・「世界の戦車・装甲車」 竹内昭 著 学研
・「帝国陸軍 戦車と砲戦車」 学研
・「戦車名鑑 1939〜45」 コーエー
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