III号戦車E型
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+概要
III号戦車E型は、III号戦車シリーズ初の本格的量産型である。
生産拡大のためこのE型からカッセルのヘンシェル社、ニュルンベルクのMAN社(Maschinenfabrik Augsburg-Nürnberg:アウクスブルク・ニュルンベルク機械製作所)も生産に加わっており、1938年12月~1939年10月にかけて96両が生産された。
E型は全体的なラインこそ連続性があるもののD型以前とはかなりの違いがあり、同一シリーズの戦車とは思えないほどの変化を見せている。
その中でも最大の変化が、これまで長い間改良が繰り返されてきたサスペンション・システムの変更である。
最初の生産型であるIII号戦車A型がコイル・スプリング(螺旋ばね)式サスペンション、続くB~D型がリーフ・スプリング(板ばね)式サスペンションを採用したのに対して、E型に採用されたのは近代的なトーションバー(捩り棒)式サスペンションであった。
トーションバー式サスペンションは鋼の棒を車体の一方に固定し、その棒の先端にスウィング・アームを取り付けて転輪を装着し、転輪の上下動を棒の捩れ方向の弾性で吸収緩衝する機構を持っており、現在でも多くの戦車に使用されている優れたサスペンションである。
ドイツ陸軍ではまずハーフトラックのサスペンションとして導入し、II号戦車D/E型にも採用されたが、主力戦車に装備したのはIII号戦車が初めてである。
突然トーションバー式サスペンションが採用された経過は不明であるが、決まるまでには随分議論があったものと思われる。
結局このトーションバー方式は大成功で良好な機動性能を発揮したため、E型以降のIII号戦車シリーズ全てに採用された。
トーションバー式サスペンションを採用したことで、E型では足周りのデザインが完全に一新されている。
転輪はこれまでより大型のものが片側6個となり、各々がトーションバーで独立して懸架されていた。
なおトーションバーの貫通位置をずらす必要上、左右の転輪の位置は若干ずれていて左側の方が前寄りになっていた。
各軸のうち最前部と最後部のものは跳ね上がりを抑えるため、円筒形のショック・アブソーバーが装備されていた。
III号戦車E型では起動輪、誘導輪についても新型のものが用いられた。
上部支持輪も数は片側3個と同じであるが、サイズと位置が若干変更されていた。
履帯については、36cm幅の同一のものが使用されていた。
またサスペンションの変更で車体側面がすっきりしたおかげか第2、第3転輪の上方、第1、第2上部支持輪に挟まれたあたりに前後に長い変形5角形の脱出用ハッチが設けられるようになった。
もっともこのハッチはサイズが小さ過ぎて使い難かったため、後の型では廃止されている。
E型は車体のデザインは従来のIII号戦車とそれほど変わらなかったが、防御力向上のため車体主要部の装甲厚が30mmに増厚されている(ただし車体後面のみ21mm)。
A~D型の車体主要部の装甲厚は14.5mmだったので2倍以上に増厚されたことになるが、実際は30mmでも不充分であったのが現実である。
なお、これに合わせて操縦室前面の操縦手用視察クラッペが上下開きのスライド式視察ヴァイザーに変わり、車体機関銃のマウント基部も従来の円形のものから四角形の新型となり、車体側面の視察クラッペなどの形状も変更されている。
また車体前上面の点検および乗降用ハッチが前後開き式となり、弱点となる車体前面下部の点検用ハッチは廃止された。
III号戦車E型では機関室周辺のレイアウトも変更され、前方の点検用ハッチが前後開きになり、側面の冷却空気取り入れ口は再び上向きになった。
後部のオーバーハング部の形状も変わり、一部の車両では発煙筒も装備されるようになった。
砲塔も装甲厚が増えているが、デザインは変わらない。
ただし、防盾の取り付け基部がD型まではボルト止めだったものがその他の部分と同じく溶接止めになり、防盾左側に砲手用視察クラッペが追加された。
また砲塔側面のハッチが、従来の前開き式から左右開き式の新型に変更された。
その前方の視察クラッペも、車体同様新型となっている。
砲塔後部のガンポートも、従来の四角形から半球形に変わった。
エンジンはフリードリヒスハーフェンのマイバッハ発動機製作所製のHL120TR V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力300hp)に強化され、変速機も同社製のSGR328.145予約選択機構付き変速機(前進10段/後進1段)に変更された。
これによりIII号戦車E型は戦闘重量が19.5tに増えたにも関わらず、路上最大速度がD型の35km/hから40km/hへと逆に向上している。
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+部隊配備
III号戦車の機甲師団への配属はA型の生産が始められてすぐ1937年春から始まり、1938年の段階では軽戦車中隊の内の1個小隊に3両、1個戦車連隊で6両、1個機甲師団では12両が配備されていただけであった。
1939年9月のポーランド侵攻作戦(Unternehmen Weiß:白作戦)時点で登録されていたIII号戦車はわずか98両に過ぎず、とても主力兵力といえるものではなかった。
この内実戦に参加した数は87両で、作戦参加した機甲師団の中にはIII号戦車を1両も配属されていない部隊もあったのである。
当時のIII号戦車はA~E型で主砲は3.7cm戦車砲、最大装甲厚はE型は30mmあったがA~D型は14.5mmしかなく、性能的に不充分であった。
この時の戦闘によるIII号戦車の損失は26両もあったので、意外と大きな被害が出たことが分かる。
なおこの後III号戦車A~D型については、1940年2月に部隊から引き上げる処置が採られている。
これは前述のようにA~D型の装甲防御力が不充分だったためで、最大30mmの装甲を持つE型以降のIII号戦車も後に防御力の不足が指摘されたため、車体各部に増加装甲を装着する改修を受けている。
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<III号戦車E型>
全長: 5.38m
全幅: 2.91m
全高: 2.44m
全備重量: 19.5t
乗員: 5名
エンジン: マイバッハHL120TR 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 300hp/3,000rpm
最大速度: 40km/h
航続距離: 165km
武装: 46.5口径3.7cm戦車砲KwK36×1 (131発)
7.92mm機関銃MG34×3 (4,500発)
装甲厚: 10~30mm
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兵器諸元
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<参考文献>
・「パンツァー2014年11月号 歴代戦車砲ベストテン」 荒木雅也/久米幸雄/三鷹聡 共著 アルゴノート社
・「パンツァー2016年10月号 近代戦車の先駆となったIII号戦車の先進性」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「ピクトリアル
III号戦車シリーズ」 アルゴノート社
・「グランドパワー2001年5月号 ドイツIII号戦車(1) III号戦車の開発と構造」 嶋田魁 著 デルタ出版
・「グランドパワー2001年6月号 ドイツIII号戦車(2)
III号戦車の変遷」 嶋田魁 著 デルタ出版
・「グランドパワー2019年3月号 ドイツIII号戦車(2)」 寺田光男 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2010年1月号 ドイツIII号戦車(1)」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「世界の戦車(1)
第1次~第2次世界大戦編」 ガリレオ出版
・「世界の戦車イラストレイテッド21 III号中戦車
1936~1944」 ブライアン・ペレット 著 大日本絵画
・「世界の戦車
1915~1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画
・「アハトゥンク・パンツァー第2集 III号戦車編」 大日本絵画
・「戦車ものしり大百科 ドイツ戦車発達史」 斎木伸生 著 光人社
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著 グランプリ出版
・「戦車名鑑 1939~45」 コーエー
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