+概要
III号突撃砲はF型以降、従来装備していたエッセンのクルップ社製の短砲身7.5cm突撃加農砲StuK37に代えて、より対装甲威力に優れる、デュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社製の長砲身7.5cm突撃加農砲StuK40を装備するようになり、歩兵部隊の目標制圧のための兵器から一種の対戦車車両になってしまい、歩兵を敵戦車から防御することが最優先任務になってしまった。
このため、非装甲目標の制圧や後方支援を任務とする自走砲が必要であると認められ、それは可能な限りIII号突撃砲と同構造とすることとなった。
最初にこの対策について言及している文書は、1941年12月2日付の将来の戦車および兵器生産についての提案書であり、その内容は、ラインメタル社製の10.5cm軽榴弾砲leFH18のVゼーリエ(試作シリーズ)12門を、III号突撃砲に搭載するというもので、生産計画は1941年12月に5両、1942年1月に5両、2月に2両とされていた。
42式10.5cm突撃榴弾砲の試作車は1942年3月に完成したが、これはIII号突撃砲F型の車体に10.5cm軽榴弾砲leFH18を装備したものであった。
アドルフ・ヒトラー総統は1942年10月2日の総統会議の期間中、42式10.5cm突撃榴弾砲の試作車を検閲し、特に砲の取り付け高さが1.55mしかない低い姿勢がいたく気に入った。
このため彼は、この型式の0ゼーリエ(増加試作車)12両の製造を命じ、前述の通りまず最初の6両が製造され、1942年10月10日までに3両、次いで4週間後に最後の3両が製造された。
1942年10月13日の総統会議においてヒトラーは、以前総統官邸で閲覧した42式10.5cm突撃榴弾砲の試作車について、理想的な解決策であると再び指摘し、12両の0ゼーリエを生産するという開発計画の進捗状況についての早急な報告を求めた。
1942年11月22日に、最初の0ゼーリエ9両が第185突撃砲大隊の第III中隊に配属されたが、この車両はIII号突撃砲の旧型修理車両を改装したものであった。
同年12月9日付の通知によれば、42式10.5cm突撃榴弾砲とIII号突撃歩兵砲については、今まで通りIII号突撃砲の被修理車両を流用して製造するとしているが、価値ある兵器であることを考慮して、以降は新型生産シャシーの流用が要求された。
1943年2月から、42式10.5cm突撃榴弾砲の生産型の量産が開始されたが、この時点で原型のIII号突撃砲の生産がG型に移行していたため、生産型はIII号突撃砲G型の上部車体とシャシーを有していた。
III号突撃砲G型は、F型までの戦闘室を全面的に改設計して全体に内部容積の拡大が図られたため、F型にも搭載可能だった10.5cm榴弾砲への武装変更にも何ら問題は無かった。
主砲は10.5cm軽榴弾砲leFH18に車載用の改造を施した、ラインメタル社製の28口径10.5cm突撃榴弾砲StuH42を搭載し、砲の旋回角は左右各10度ずつ、俯仰角は-6~+20度であった。
最大有効射程は第6種発射薬使用の砲弾で10,650m、遠距離用装薬使用の場合は12,325mであった。
砲身長は2,940mmで10.5cm軽榴弾砲leFH18と同じ構造であり、32本のライフルは時計回りで、ピッチは1/30から1/15に徐々に増加する仕様であった。
また携行可能砲弾数は、装薬分離弾36発(26発は榴弾、10発は成形炸薬弾)であった。
1942年12月1~3日の総統会議において、以前に決定した42式10.5cm突撃榴弾砲の月産数12両を24両に引き上げる決定がなされ、1943年2月6、7日にヒトラーは3月には月産20両、5月には月産30両の42式10.5cm突撃榴弾砲が生産予定との報告を受けた。
当時ヒトラーは、性能を向上させた成形炸薬弾を一刻も早く42式10.5cm突撃榴弾砲で使用することが、戦況に重要な影響を与えると考えており、このために増産に執着していたと思われる。
なお42式10.5cm突撃榴弾砲の生産型には、特殊車両番号「Sd.Kfz.142/2」が与えられた。
1943年10月中旬にアルベルト・シュペーア軍需大臣は、42式10.5cm突撃榴弾砲に対する前線からの戦訓報告に基づき、増加する一方の42式10.5cm突撃榴弾砲の製造において部分的な見直しを新しく提案した。
主砲の28口径10.5cm突撃榴弾砲StuH42には、増加装薬弾の射撃が可能なように元々二重作動式の砲口制退機が装備されていたが、1944年9月のドイツ陸軍技術局命令書No.635に従い、以後の生産車両からこれを廃止し、すでに配備済みの42式10.5cm突撃榴弾砲の砲口制退機が使用不能となり、補充が得られない場合は、10.5cm軽榴弾砲leFH18MまたはleFH18/40の砲口制退機を流用することとした。
なお42式10.5cm突撃榴弾砲の生産は、ベルリンのアルケット社(Altmärkische Kettenwerke:アルトマルク履帯製作所)1社のみが担当した。
本車の総生産数は、試作車1両と各型式合わせて1,211両である。
派生型は存在しないが、生産時期により幾つかの変更点がある。
ザウコプフ(豚の頭)型防盾の採用、シュルツェンのバリエーション、全金属製上部支持輪の使用、車内操作式機関銃との交換、近接防御兵器の装備などがあるが、これらは全てIII号突撃砲G型に準じるものである。
なお主砲および車内付属装備について、III号突撃砲用か42式10.5cm突撃榴弾砲用のどちらを搭載するかは、シャシーの検査終了後に決定されることになっていた。
42式10.5cm突撃榴弾砲は長砲身化した従来のIII号突撃砲を支援するため、1943年3月から突撃砲大隊に配備が開始された。
両車の配備比率は大体7:3となっており、突撃砲大隊ごとに1個中隊9両が装備された。
42式10.5cm突撃榴弾砲は、その榴弾威力によって特に対歩兵制圧に効果を発揮した。
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