III号突撃砲A型
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+III号突撃砲の開発
ドイツが本格的な再軍備に全力を上げて取り組んでいた1936年6月15日、歩兵を支援して強固な陣地などの突破に用いる、「突撃砲」(Sturmgeschütz)という新しい車種の開発が指示された。
開発は、車体および戦闘室がベルリン・マリーエンフェルデのダイムラー・ベンツ社、主砲はエッセンのクルップ社がそれぞれ担当することになった。
ドイツ陸軍兵器局より提示された開発要項は、
・武装としては、少なくとも口径7.5cmの砲が搭載可能なこと
・方向射界は、車両を移動しないで30度以上となること
・砲身の最大仰角は、最大射程6,000m以上となるように考慮すること
・主砲については、現時点で確認されているあらゆる装甲厚を、射距離500mで貫徹する能力が求められること
・装甲としては、砲塔が無いオープントップの上部車体に全周装甲を施すこと
前面装甲は傾斜角60度の2cm厚装甲板であり、側面と後面は耐SmK装甲板であること
・車両の全高は、直立した人の背丈を超えないこと
となっていた。
この要項の是非については充分時間をかけた論議が不可欠であり、とりわけオープントップの上部車体は議論の対象となり、近接戦闘における乗員保護のため最終的には密閉されることとなった。
ベース車体としては、「ZW」(Zugführerwagen:小隊長車)の秘匿呼称下で開発され、1935年末に最初の試作車が作られていたIII号戦車のシャシーを用いることが最終的に決定された。
「Vゼーリエ(シリーズ)」(”V”はVersuchs:試作の頭文字)と呼ばれる試作車は、1937年末にIII号戦車B型のシャシーを用いて5両が製作され、一部に未消化の部分は見られるものの、突撃砲の基本形はすでに確立されていた。
極端に低い戦闘室は軟鋼で作られており、無砲塔といっても主砲の旋回角は左右各12度ずつあり、歩兵支援という目的からは全く問題にはならなかった。
このVゼーリエは、後の生産型シャシーと走行装置が異なっていた。
車両側面の走行装置は起動輪、転輪8個、誘導輪と上部支持輪3個から成っていた。
グリースレスの試験用履帯は幅360mmであり、履板1個の長さは121mmであった。
2個一組の転輪は車体側面のスウィングアームにより制動されており、スウィングアームの終端はダブルスウィングシャフトに繋がり、もう一方の終端は車体に設けられたジャーナルボックスに取り付けられていた。
ダブルスウィングシャフトは、スウィングアームの軸受け部に回転可能なように取り付けられており、先端部には転輪装着用の軸受け部が2個装備されていた。
横方向の力を吸収するため、スウィングアームはダブルスウィングビーム近傍で、車体に取り付けられたガイドウェイに接続されていた。
各2本のスウィングアームは、同一のリーフ・スプリング(板ばね)終端部を支えており、スプリングは車体に設けられた軸受け部を中心に動作した。
スウィングアームの制動範囲は、上方にあるゴム製リミッターによって制限されており、起伏のある走行面で発生する断続的な動揺を抑えるため、2個一組の転輪毎にダンパーがスプリングボックスに設けられていた。
このフィクテル&ザクス型ダンパーは、一方向にのみ作用する油圧ダンパーであり、転輪が下向き方向に動こうとする時にのみ、反対方向に緩衝力が働くというものであった。
車体後部に搭載された、フリードリヒスハーフェンのマイバッハ発動機製作所製のHL108型エンジンは、2分割の鋳鋼製クランクケースを持つ60度V型12気筒液冷ガソリン・エンジンであり、上部と下部は互いにボルト止めされ、推進軸の軸受けは、バルクヘッドにある同心円状に分割されたベアリングブロックで支えられていて、これらはピストンロッドの動作幅の中にうまく収められていた。
クランクケース下部は一種の油槽構造となっており、鋳鋼製のシリンダーライナーは交換可能であった。
エンジン両側面にはシリンダーヘッド、互い違いに位置している吸気と排気ダクト、バルブが傾斜して取り付けられている球形の燃焼室などが設けられていた。
吸気と排気バルブはシリンダー毎に設けられており、シリンダーヘッドに据え付けられたカムシャフトを、スウィングレバーを介してピストンロッドで動かすことにより開閉動作を制御した。
公称出力は、2,600rpmで230hpであった。
駆動力は平衡安定なカルダンシャフトによりクラッチ、変速機と減速機が一体化したメインクラッチ装置へと伝達された。
このZF社(Zahnradfabrik Friedrichshafen:フリードリヒスハーフェン歯車製作所)製のSFG75変速機は、同期装置付き5段変速Aphon機構であり、減速比1:1.235の減速機用ケーシングが付属していた。
このVゼーリエを用いた試験の結果は大変良好で、1939年末に「III号突撃砲」(Sturmgeschütz III)として制式化された。
5両のVゼーリエは1939年9月より軍装備リストに掲載されているが、上部構造が軟鋼の鋳物であることから実戦使用は不可能であり、5両ともユーターボークの突撃砲兵学校に引き渡され、1941年まで教育訓練用として使用された。
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+III号突撃砲A型
III号突撃砲の最初の生産型であるA型の生産は1940年1月から開始され、同年5月までに30両が生産された。
III号突撃砲A型の車体は、当時生産されていたIII号戦車F型と共通しているが、車体前面と後面の装甲が強化され、車体側面の脱出用ハッチも廃止されており、突撃砲専用の車台として製作されたことが分かる。
エンジンは車体後部に位置しており、両側面には強制空冷式冷却器があり、車体左側には、エンジンの放熱に対する断熱隔壁に保護された燃料タンクが位置していた。
機関室と戦闘室は防火隔壁で仕切られており、機関室への出入りができるよう扉が1つ設けられていた。
カルダンシャフトはダクトの中をエンジンから戦闘室を経て、車体前部にある変速機へと連なっていた。
この変速機の前方には操向機の付いた減速機がフランジで取り付けられており、ここから左右に駆動軸が両側面の制御ブレーキと最終減速機に連なっていた。
また、変速機の左側には操縦手席が設けられていた。
車体後部には位置調整可能なクランクシャフトに誘導輪が取り付けられ、前方の起動輪と誘導輪の間には各側面に6個ずつの転輪が、トーションバー(捩り棒)により懸架されていた。
また、転輪の上方には各側面に3個ずつの上部支持輪が設けられており、これら全ての転輪に起動輪で駆動する履帯(Kgs 6111/380/120型)が装着され、上部はフェンダーで覆われていた。
車体上面前部の2分割されたハッチ2カ所の内1カ所は、操縦手の非常脱出用ハッチとして用いられた。
エンジンはマイバッハ社製のHL120TR型ガソリン・エンジンであり、Vゼーリエで使われた従来型のHL108型の改良発展型であった。
ボアは100mmから105mmに向上し、排気量は10,800ccから12,000ccにアップした。
ディスクシャフトは7個のジャーナル軸受けで支えられ、8番目はラジアルボールベアリングの軸受けであった。
ジャーナル軸受け毎に連結棒とアルジー型ピストンが互い違いに設けられており、実出力は3,000rpmで300hpに達した。
高出力エンジンとして設計されたHL120TR型は、ドライサンプ潤滑方式を採用していた。
燃料の貯蔵はエンジン右横の310リットル容量のタンクが受け持っており、燃料を気化器へ送り出す機械式ポンプ2基と、電気式始動ポンプ1基を備えていた。
III号突撃砲A型の場合、平衡なカルダンシャフトがエンジントルクをメインクラッチを経て変速機へと伝達しており、変速機は、クラッチバルジ付きのマイバッハ社製SRG328145型が用いられていた。
クラッチフットペダルを踏み込むと速やかにリリースバルブが作動し、低圧油圧システムにより自動的に前進10段/後進1段の速度変換が、1段ずつ選択される仕組みとなっていた。
シャシーには12Vのボッシュライトとスターター、各12V、105Ahのボルタ式バッテリー2基が搭載されており、これらの車両用電気品にはM1クラスのノイズ防止対策が図られていた。
密閉式装甲戦闘室は鋼板を複雑に溶接して成型され、側面には装甲板を外側から装着して増加装甲としていたが、これは当時としては珍しい手法であった。
また、左側に張り出しを設けてFu.15無線機の収容スペースとするなど、細かい箇所に気を使っているのも目立つ。
工具や装備品は装甲車体および装甲戦闘室内部の壁面や、床面の上下部に収納することができた。
戦闘室天蓋には走行方向に向かって右側に装填手用、左側にその他乗員用の観音開き式乗降用ハッチが2つ設けられており、砲手用のハッチカバーの前には展望式望遠照準眼鏡用のクラッペが付いていた。
主砲はベースプレート上に搭載されており、砲収納のための砲座を支持し、上部を互いに接合した2個の箱型サポートから成っていた。
後方にあるサポートは、カルダンシャフトダクトの左右にある2本の支柱により後ろから支えられていた。
またこのサポートは左右を装甲車体の側面、下部を車体床面に溶接されており、ネジ止め板の間には中間ベアリングがあって平衡が保たれるよう考慮されていた。
トーションバーの上部には、滑り止めパターンが刻まれた床面が水平に設置されていた。
7.5cm砲弾は1発ずつ表張りがあるL字型フレームケースに収納され、スプリングボルトロックにより施錠可能であった。
変速機の右横の空きスペースには弾薬3発入りのケース2箱と、2発入りのケース2箱が収納できる落とし棚が取り付けられており、車内に全部で44発の7.5cm砲弾が収納可能であった。
武装については、副武装として装甲戦闘室後面に9mm機関短銃用のホルダー2個が設けられており、主砲としては、砲身長1,766.5mmの24口径7.5cm突撃加農砲StuK37が搭載されていたが、これはすでにIV号戦車に採用された24口径7.5cm戦車砲KwK37と同じ砲であった。
最大射程は6,000mに達し、下記の各種砲弾が使用可能であった。
・Pz.Gr.39 APCBC-HE(風帽付被帽徹甲榴弾、砲口初速385m/秒)
・Spr.Gr.34 HE(榴弾、砲口初速420m/秒)
・Gr.38Hl/C HEAT(対戦車榴弾、砲口初速450m/秒)
兵装重量は490kg、価格は9,150ライヒスマルクであり、車両に据え付けた場合旋回角は左右各12度ずつ、俯仰角は-10~+20度であった。
照準装置としては、ヘッド付き展望式望遠照準眼鏡32型4×10度が用いられ、戦闘室天蓋のクラッペを通じて眺望を得ることができた。
突撃砲は極短波無線受信機が使用され、乗員間の意思疎通は伝声管を通じて行われた。
III号突撃砲A型の30両は1940年5月に納入され、ドイツ軍はこれらで突撃砲中隊を編制し、5月10日に開始されたフランス侵攻作戦に投入した。
中隊は歩兵部隊に適切な直協火力を提供できることを証明し、突撃砲の有効性が証明されたのである。
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<III号突撃砲Vゼーリエ>
全長: 5.665m
全幅: 2.81m
全高:
全備重量: 16.0t
乗員: 4名
エンジン: マイバッハHL108TR 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 250hp/3,000rpm
最大速度: 35km/h
航続距離: 165km
武装: 24口径7.5cm突撃加農砲StuK37×1 (44発)
7.92mm機関銃MG34×1 (600発)
9mm機関短銃MP40×1
装甲厚: 14.5mm
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<III号突撃砲A型>
全長: 5.38m
全幅: 2.92m
全高: 1.95m
全備重量: 19.6t
乗員: 4名
エンジン: マイバッハHL120TR 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 300hp/3,000rpm
最大速度: 30km/h
航続距離: 160km
武装: 24口径7.5cm突撃加農砲StuK37×1 (44発)
9mm機関短銃MP40×2
装甲厚: 11~50mm
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兵器諸元
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<参考文献>
・「パンツァー2002年8月号 AFV比較論 III号突撃砲/ルノーR35戦車」 白石光 著 アルゴノート社
・「パンツァー2013年4月号 特集 III号突撃砲」 久米幸雄/佐藤肇 共著 アルゴノート社
・「パンツァー2006年7月号 ドイツIII号突撃砲の発展」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「グランドパワー2014年3月号 III号突撃砲 短砲身型」 寺田光男 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2006年1月号 III号突撃砲(1)」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「世界の軍用車輌(1) 装軌式自走砲:1917~1945」 デルタ出版
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画
・「突撃砲」 W.J.シュピールベルガー 著 大日本絵画
・「異形戦車ものしり大百科 ビジュアル戦車発達史」 斎木伸生 著 光人社
・「戦車名鑑 1939~45」 コーエー
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