38(t) 7.5cm対戦車自走砲マルダーIII H型
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+開発
チェコ製の38(t)戦車の車台をベースとし、ソ連軍から鹵獲した76.2mm師団砲F-22(M1936)を改造した、48.4口径7.62cm対戦車砲PaK36(r)を搭載したマルダーIII対戦車自走砲が実戦化されて間もない1942年春、ドイツ陸軍兵器局第6課は、中口径対戦車砲の本命としてデュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社で開発が進められ、1940年に実戦化された46口径7.5cm対戦車砲PaK40を、38(t)戦車の車台に搭載する対戦車自走砲を開発することを計画した。
これは、鹵獲兵器であるPaK36(r)は砲自体も弾薬も保有数が限られていたためで、兵器局第6課はPaK40のIII号突撃砲搭載型である48口径7.5cm突撃加農砲StuK40を、38(t)戦車の車台に搭載する対戦車自走砲の開発を、38(t)戦車の生産に携わっていたチェコ・プラハのBMM社(Böhmisch-Mährische
Maschinenfabrik:ボヘミア・モラヴィア機械製作所)に命じた。
この要求は、1942年3月6日にベルリンで開かれた会議において出されたもので、BMM社の代表として会議に出席していたアレクサンダー・スリンはこの要求を引っ提げてプラハに帰り、早速試作車の開発に着手した。
開発に際しては、III号突撃砲を生産していたベルリンのアルケット社(Altmärkische Kettenwerke:アルトメルキシェ装軌車両製作所)から主砲周りの資料提供を受けて作業が進められ、1942年3月末頃には、ラインメタル社より送られてきた7.5cm突撃加農砲StuK40を搭載した試作車が完成した。
この試作車は、マルダーIIIの装甲強化型に改造された38(t)戦車F型車台(車体製造番号507)が用いられたと思われ、車体上部には軟鋼を用いて製作されたオープントップ式の戦闘室が載せられ、7.5cm突撃加農砲StuK40はIII号突撃砲F型と同じく、角型の駐退機装甲カバーが装着されていた。
このためその後の生産型と戦闘室の形状こそ似ていたものの、かなり不恰好なスタイルであった。
この試作車とは別にBMM社では独自に並行して、38(t)戦車の車台に7.5cm対戦車砲PaK40/3を搭載する対戦車自走砲の開発を進め、試作車の完成と前後して兵器局第6課に提出した。
この案は、大型化された戦闘室や機関室上面に設けられた肉抜き穴の開けられた空薬莢受けを備えるなど、後の生産型と大差無かったものといわれ、これを受けた兵器局第6課は検討の結果、先の試作車よりも完成度が高いと判断し、1942年5月18日付でこの案を承認して試作車の製作を命じた。
この決定により、先の試作車は生産に移行すること無く終わっている。
1942年7月に入って間もなく38(t)戦車G型車台を用いた試作車が完成したようで、7月30日にはプラハ郊外のミロヴァイス戦車試験場において射撃試験が実施されている。
試験結果は良好で直ちに生産が行われることになり、「219-3951/42H」の発注番号で50両が発注され、「38(t)対戦車自走砲H型」の制式呼称と「Sd.Kfz.138」の特殊車両番号が与えられた。
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+車体の構造
38(t)戦車に7.62cm PaK36(r)を搭載した対戦車自走砲が「マルダーIII」の通称で呼ばれたのと同様に、本車も「マルダーIII H型」の通称で呼ばれるのが一般化した。
マルダーIII H型用に500両分の38(t)戦車H型車台がBMM社に発注されたが、このH型車台は38(t)戦車の最終生産型となったG型の車台と同規格で、これに新たに開発されたオープントップ式の戦闘室を載せ、さらに46口径7.5cm対戦車砲PaK40/3を搭載するために、車体中央の戦闘区画も独自のものに改められていた。
マルダーIIIでは車体上部構造も戦車型とはかなり変化していたが、このマルダーIII H型では生産性を高めるために車体自体は戦車型と同一のものが用いられ、操縦室前面のボールマウント式銃架に装備された7.92mm機関銃MG37(t)もそのまま残されていた。
しかし、戦車型やマルダーIIIで備えられていた操縦室上面の無線手用ハッチは、後述する戦闘室の変更により戦闘室前部が操縦室上面に載った形となったため、必然的に装備する余裕が無くなり廃止された。
このため操縦手は乗降や脱出に際し、無線手共々後方に開いた隙間を抜けて戦闘区画に這い出し、さらにそこから車外に出るという2度手間を取らざるを得なくなり、被弾時などの生残性がかなり低くなってしまったのは否めなかった。
車体の装甲厚は38(t)戦車G型と同様で、車体と操縦室の前面が50mmに強化されていたが側/後面は15mm、操縦室から前方の上面は15mm、その他の上面は12mmと前面以外は強力とはいい難かった。
操縦手席と無線手席の間には、プラハのプラガ社がイギリスのSCG社(Self-Changing Gears:自動変速ギア会社)からライセンス生産権を取得してさらに独自の改良を加えた、プラガ・ウィルソン変速機(前進5段/後進1段)が置かれ、その前方に操向機と最終減速機が配されて、後方の機関室から変速機に結合された推進軸により得た動力を車体最前部の起動輪に伝えていた。
操縦手席の前方には2本の操向レバーが設けられており、この操向レバーを操作することにより、エンジンからそれぞれ同等の駆動力が伝えられている左右の起動輪の回転速度を制御して方向の転換を行った。
このため操向ギアはブレーキ機構と連動しており、クラッチを踏みながら後方に操向レバーを引くと最初のブレーキが作動して回転数が24%減り、引いた側の起動輪の回転速度が遅くなって、引いた側を支点として旋回が始まる。
さらに操向レバー上部にはブレーキボタンが設けられており、レバーを引きながらこのボタンを押すと、引いた側の操向機に駆動力が伝えられなくなり信地旋回が行われる。
そして、左右の操向レバーを引きながらブレーキボタンを両方とも押すと、車両が停止する。
これに加え、操縦手の足下にはブレーキペダルも備えられていた。
操縦手席の左側に位置する、無線手席左側にあたる側板にはラックが設けられ、送受信が可能な超短波無線機Fu.5が搭載されていた。
このFu.5無線機は出力10Wで、周波数は27,200~33,000kHz、有効送受信距離2~3kmで、ドイツ陸軍の戦車が標準装備としていた無線機でもあった。
無線手は操縦室前面に備えられた車体機関銃の操作も行ったが、必要に応じて操縦手の足下に設けられた射撃ペダルを踏むことで、操縦手が射撃を行うことも可能であった。
また、操縦室の中央部には前方に倒れるトラヴェリング・クランプが設けられ、クランプの下には、前方に倒した際に車体によって水平位置で止まるよう鋼板が溶接されていた。
車体中央部は戦闘区画とされ、操縦室の後方から機関室隔壁までの車体上面装甲板は姿を消してオープントップとされ、戦車型で備えられていた弾薬箱などは全て取り外されて車内を大きな空間として、砲手を兼ねる車長と装填手の作業スペースを確保していた。
操縦室の後方と機関室隔壁の間にはT字型の架台が新設され、この上に7.5cm対戦車砲PaK40/3を搭載していたが、防盾は牽引砲のものに代えて新たに設計された円弧状のものが装着されていた。
この新型防盾の採用により、主砲を大きく旋回した場合でも前面には隙間が生じなかった。
またマルダーIIIでは主砲の旋回角は左右各21度ずつだったが、このマルダーIII H型では左右各30度ずつに増えていた。
戦闘区画の左右には弾薬箱が配されており、それぞれの弾薬箱に7.5cm砲弾を16発ずつ合計32発収めていたようである。
機関室の隔壁には左右にそれぞれ折り畳み式の座席が設けられ、戦闘区画左側には車長兼砲手、右側には装填手がそれぞれ位置していた。
この座席の間にはトラヴェリング・ロックが設けられており、走行時には操縦室のトラヴェリング・クランプと共に主砲を固定するようになっていた。
車体後部はエンジンとその補機類、およびラジエイターと冷却ファン、燃料タンクを収める機関室となっていた。
ラジエイターには64リットルの冷却水が収容され、エンジンの左右に配された燃料タンクはそれぞれ110リットルの容量を有していた。
ラジエイターはエンジンの直後に置かれており、その後ろには円形の冷却ファンが設けられ、機関室後部上面のグリルから熱した空気を車外に排出した。
またエンジンへの空気吸入は、機関室左右に張り出した部分に開口部を設けてそこから導入していた。
車体後面には円形の冷却ファン点検蓋が設けられていたが、この蓋の中央部には冬季時などにエンジンを強制始動させるためにクランク棒差し込み口が開口されており、通常は装甲カバーが装着されていた。
マルダーIIIおよびマルダーIII H型のベース車台となった38(t)戦車は、1942年7月以降の生産車ではプラガ社製のEPA 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(125hp/2,200rpm)から、同社製のAC
直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(150hp/2,600rpm)に換装されていたが、マルダーIII H型の場合1942年11月から生産がスタートしたので、当然ながら全車が最初からACガソリン・エンジンを装備して完成した。
また前線から引き上げられた38(t)戦車からの改造車の場合も、改造作業に際してACガソリン・エンジンに換装されたものと思われる。
機関室の上面には左右に肉抜き穴を開けた薄い鋼板が備えられ、その後部にはパイプを溶接したラックが溶接され、さらに強度を高めるために機関室後端に支柱を立てて装着されていたが、これらは戦闘時に空薬莢受けとして用いられた。
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+戦闘室の構造
前作のマルダーIIIでは車体上面に上部構造を載せて、さらに主砲に小型の防盾を装着していたが、このマルダーIII H型では全く新しい形のオープントップ式戦闘室が採用された。
この戦闘室は、主砲の前/側面と上面前部を15mm厚の装甲板で覆うように構成されていた。
戦闘室の前面と左右側面の装甲板は10個のリベットを用いて固定され、側面装甲板は車体側面に水平に溶接された10mm厚の鋼板に10個のリベットで固定されていた。
また戦闘室の上面装甲板は、前面および側面装甲板と30個のリベットで固定されていた。
戦闘室左右の側面内側と上面の装甲板にはペリスコープが装着されており、上面の開口部には後方にヒンジを持つ開閉式カバーが設けられていた。
降雨時や降雪時には開口部はキャンバス・カバーで覆われるが、このため戦闘室側面には左右それぞれ6本の固定用フックが溶接され、上面装甲板にはキャンバス・カバーを張るためのロッドが溶接されていた。
なおこのキャンバス・カバーは、上面装甲板のペリスコープを用いる際の視界を得るために、その部分がセルロイドの透明部とされていた。
戦闘室左右壁面には右側に4発、左側に2発の即用弾を収めるクイックリリース式ラックが備えられていたので、戦闘区画内に置かれた弾薬箱に収容された32発と合わせると、車内には38発の7.5cm砲弾が搭載されていたことになる。
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+主砲の構造
マルダーIII H型が装備した主砲は、ドイツ陸軍の中口径対戦車砲の決定版である46口径7.5cm対戦車砲PaK40を車載型としたPaK40/3で、1942年からIV号戦車やIII号突撃砲などの主砲としても広く用いられたものである。
弾薬はPz.Gr.39 APCBC-HE(風帽付被帽徹甲榴弾/弾頭重量6.8kg)を主に用い、これに軟目標や対人用のSpr.Gr.34 HE(榴弾/弾頭重量5.75kg)を組み合わせて搭載した。
一応、より強力なタングステン弾芯を鋳込んだPz.Gr.40 APCR(硬芯徹甲弾/弾頭重量4.1kg)も用意されてはいたが、タングステン鉱が不足していたため実際に装備されることは稀であった。
Pz.Gr.39 APCBC-HEを用いた場合砲口初速792m/秒、射距離100mで106mm、500mで96mm、1,000mで85mm、1,500mで74mm、2,000mで64mmのRHA(均質圧延装甲板)を貫徹することが可能であった(傾斜角30度)。
Pz.Gr.40 APCRを用いた場合には砲口初速933m/秒、射距離100mで143mm、500mで120mm、1,000mで97mm、1,500mで77mmのRHAを貫徹することができた(傾斜角30度)。
これは、当時の連合軍戦車を前面から攻撃して撃破するのに何ら問題が無かったことを示している。
マルダーIII H型の主砲の旋回角は左右各30度ずつ、俯仰角は-5~+22度となっていた。
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+生産と部隊配備
マルダーIII H型は、1942年8月に「219-3951/42H」の発注番号で最初の50両が発注されている。
しかしBMM社ではすでに1942年2月から、7.62cm PaK36(r)を搭載するマルダーIIIの生産を行っていた。
BMM社の生産能力は工場のサイズなども手伝い満足とはいえず、マルダーIIIと並行してマルダーIII H型の生産を行うことは不可能であった。
このため、本命である7.5cm PaK40を搭載するマルダーIII H型の生産に入ったのは、マルダーIIIの生産が終了した1942年10月末からであった。
しかも1943年2月には、38(t)戦車の車内レイアウトを自走砲向きに改めた新型車台が開発されたため、マルダーIIIの生産もこの新型車台を用いたM型に切り替えられることになり、1943年5月までに275両が完成した時点でマルダーIII
H型の生産は打ち切られることになった。
またBMM社ではマルダーIII H型を新規生産するのと並行して、前線からオーバーホールなどのために後方に引き上げられた38(t)戦車をマルダーIII H型に改造する作業も進められた。
当初の計画では、1943年9月までにマルダーIII H型への改造キット338セットを製作することが求められたが、最終的な改造車の数は工場のドキュメントによると336両とされている。
この結果、新規生産車と合わせてマルダーIII H型は611両が完成したことになる。
なおドイツ陸軍は、マルダーIII H型に対し「ジグマー」の秘匿呼称を与えており、前線で兵士たちから「マルダーIII」と呼ばれてはいたものの、本車が生産中に制式呼称としてこの呼び名が与えられたことは無く、生産終了後の1944年3月に入ってようやく「マルダーIII
H型」の制式名が与えられている。
マルダーIII H型は機甲師団や機甲擲弾兵師団、歩兵師団の戦車駆逐大隊と独立戦車駆逐大隊に配属され、東部、チュニジア、イタリアなどの各戦線に投入されており、その高い砲威力を活かして善戦した。
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<38(t) 7.5cm対戦車自走砲マルダーIII H型>
全長: 5.77m
車体長: 4.56m
全幅: 2.16m
全高: 2.51m
全備重量: 10.8t
乗員: 4名
エンジン: プラガAC 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 150hp/2,600rpm
最大速度: 47km/h
航続距離: 240km
武装: 46口径7.5cm対戦車砲PaK40/3×1 (38発)
7.92mm機関銃MG37(t)×1 (600発)
装甲厚: 8~50mm
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兵器諸元
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<参考文献>
・「パンツァー2020年11月号 「再利用」から生まれた優良対戦車車輌 マルダー物語」 白石光 著 アルゴノー
ト社
・「パンツァー2010年12月号 ドイツ対戦車砲の主力 7.5cmPaK40 (1)」 稲田美秋 著 アルゴノート社
・「パンツァー2015年10月号 マルダーIII対戦車自走砲シリーズ」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「パンツァー2001年12月号 マルダーIII対戦車自走砲ファミリー」 後藤仁 著 アルゴノート社
・「ピクトリアル ドイツ軍自走砲」 アルゴノート社
・「グランドパワー2007年6月号 マーダーIII対戦車自走砲H型」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2022年7月号 ドイツ軍自走砲(5)」 寺田光男 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2022年10月号 ドイツ軍自走砲(6)」 寺田光男 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2002年9月号 マーダーIII対戦車自走砲(2)」 箙浩一 著 デルタ出版
・「世界の軍用車輌(1) 装軌式自走砲:1917~1945」 デルタ出版
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画
・「異形戦車ものしり大百科 ビジュアル戦車発達史」 齋木伸生 著 光人社
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著 グランプリ出版
・「図解・ドイツ装甲師団」 高貫布士 著 並木書房
・「戦車名鑑 1939~45」 コーエー
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