38(t) 7.62cm対戦車自走砲マルダーIII
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+開発
1941年6月22日、ソ連侵攻作戦(Unternehmen Barbarossa:バルバロッサ作戦)発動と共にソ連領内に侵攻したドイツ軍はやがて、自分たちの戦車よりも防御力が高く、また攻撃力も勝っているという信じられない戦車に遭遇した。
しかもそれはT-34中戦車、KV-1重戦車、KV-2重戦車と多種類に渡っており、確実な対抗手段が8.8cm高射砲による水平射撃のみという事態に及んだ。
以後、ドイツ軍はこのT-34中戦車を撃破できる戦車の開発に傾注することとなるが、実戦化には多大な時間を必要とし、にも関わらず前線からT-34中戦車を撃破できる兵器を望む声は日ごとに強くなったのである。
このためドイツ軍は、既存の戦車と突撃砲の主砲を長砲身化することで砲口初速の増加を図り、装甲貫徹力を向上する一方で、1940年5月のフランス侵攻作戦で初めて実戦に投入したI号4.7cm対戦車自走砲に範を得て、より大型の戦車車台をベースに大口径砲を搭載した対戦車自走砲の開発に着手した。
ドイツ軍には、1939年からデュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社の手で開発がスタートし、1941年11月に「7.5cm PaK40」として制式化された中口径対戦車砲が存在した。
ドイツ軍は、この砲を戦車車台に搭載した対戦車自走砲を一刻も早く実用化したかったのだが、実際に数量が揃うのにはさらなる時間を必要としていた(実際、生産が開始されたのは1942年2月に入ってからのことであった)。
このため、T-34中戦車を撃破できる対戦車自走砲の早急な実戦化の要求に応じるため、装甲貫徹力こそ7.5cm PaK40には劣るものの能力的には充分なものを備え、しかも大量に鹵獲していたソ連製の76.2mm師団砲F-22(M1936)に白羽の矢が立った。
F-22はソ連軍が1935年に開発に着手し、1936年に制式化した汎用火砲であり野砲、対戦車砲、はたまた高射砲としても使える革新的な多目的火砲であった。
このため、当時の同級砲には見られない48.4口径長という長砲身となり、仰角を大きく取れるように極端なまで後方に砲耳が位置する独特の形状をしていた。
BR-350A APCBC-HE(風帽付被帽徹甲榴弾)を使用した場合、射距離1,000mで55mm厚のRHA(均質圧延装甲板/傾斜角30度)を貫徹することが可能であった。
ドイツ軍は、この砲に「7.62cm FK296(r)」の鹵獲兵器呼称を与えてそのまま野砲として使用する一方、7.5cm PaK40が配備されるまでの繋ぎとして、大幅に改造を加えたものを「7.62cm PaK36(r)」と名付けて対戦車砲としても使用した。
さらにドイツ軍はこの7.62cm PaK36(r)を、すでに第一線での運用が難しくなっていた38(t)戦車とII号戦車の車台に搭載した対戦車自走砲を製作することを決定した。
ドイツ陸軍兵器局第6課は1941年12月22日に、38(t)戦車の生産を行っていたチェコ・プラハのBMM社(Böhmisch-Mährische
Maschinenfabrik:ボヘミア・モラヴィア機械製作所)に対して、38(t)戦車の車台を用いて7.62cm PaK36(r)を搭載する対戦車自走砲120両を生産発注した。
さらに同日、ベルリンのアルケット社(Altmärkische Kettenwerke:アルトメルキシェ装軌車両製作所)に対しても、II号戦車D/E型の車台を用いて7.62cm
PaK36(r)を搭載する対戦車自走砲150両の生産発注が行われている。
この要求に従い、BMM社では早速38(t)戦車ベースの対戦車自走砲の開発作業に着手し、1942年初めには基本設計が完了した。
開発期間の短縮のために、38(t)戦車の車体はそのまま流用することとして設計が進められ、車体上面のみを新設計として7.62cm PaK36(r)を搭載しており、そのスタイルは極めてシンプルかつ生産性の高いものであったが、反面腰高となってしまったのは問題であった。
1942年1月12日にはBMM社の幹部による生産ラインの検討会議が行われ、続く1月22日にはオーバーホールのために前線から戻された38(t)戦車E型(車体製造番号507)を用い、砲塔を取り外して上部構造と主砲の木製モックアップを載せた試作車が、2回目の会合に参加したBMM社の幹部に展示された。
この試作車は主砲用の7.62cm砲弾30発を弾薬庫に収め、車体機関銃用のベルト式7.92mm弾300発を収めた弾薬箱5個が搭載されていた。
この2回目の会議の後、試作車の上部構造を木製モックアップから装甲板で製作された実物に換装し、主砲も木製モックアップに代えて実物の7.62cm PaK36(r)を搭載する改修が行われ、1942年2月11日にはプラハ南西約60kmの地点に設けられたジンス砲兵射撃試験場において主砲の試射が実施された。
これに先立つ1942年1月29日には、「SS219-5326」の計画名で38(t)対戦車自走砲の生産が開始され、38(t)戦車の最終生産型となったG型車台と同じ規格の車台120両をベースに生産が行われた。
BMM社では本車に「sFL 7.62cm PaK36(r)搭載38(t)G型」の呼称を与えていたが、ドイツ軍は本車に対し「Sd.Kfz.139」の特殊車両番号を与えたものの、「マルダーIII」の愛称は特に用意しなかったようである。
もっとも、II号戦車D/E型に7.62cm PaK36(r)を搭載した車両が「マルダーII」の愛称で呼ばれる場合が多く、このため、38(t)戦車に7.62cm
PaK36(r)を搭載した車両も同様に「マルダーIII」と呼ぶのが一般化した。
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+車体の構造
マルダーIII対戦車自走砲の車体は38(t)戦車の最終生産型であるG型と同仕様で、車体前面上部50mm(74度)、前面下部15mm(16度)、操縦室前面50mm(17度)、車体上面前部12mm(16度)、車体側面15mm(0度)、車体後面上部10mm(60度)、後面下部15mm(16度)、車体下面8mm(0度)の装甲板をリベットと溶接両工法を用いて結合していた。
車体最前部には、イギリスのSCG社(Self-Changing Gears:自動変速ギア会社)よりライセンス生産権を得て、さらにプラハのプラガ社が独自の改良を加えたプラガ・ウィルソン変速機(前進5段/後進1段)と操向機が配され、機関室内のエンジンと推進軸で結合されていた。
その後方右側に操縦手、左側に無線手がそれぞれ位置し、無線手は操縦室前面のボールマウント式銃架に装備された7.92mm機関銃MG37(t)の操作も担当した。
この車体機関銃は戦車時代の名残りであるが、自走砲で取り外し式のものではない専用の車体機関銃を装備している例は極めて少なく珍しい存在といえよう。
また車体機関銃は操縦手の足下の射撃ペダルとワイアーで結合されており、必要に応じて操縦手が射撃を行うこともできた。
このため車体前部右側には38(t)戦車と同様に、起倒式の直接照準棒がそのまま残されていた。
もちろん操縦手が機関銃を左右に振ることはできないため、その際には車体を左右に向けて射撃を行うことになる。
車体中央部の戦闘室は上面がオープンとされ、この上にマルダーIII用に設計された上部構造を搭載するという形を採り、戦闘室内には主砲と砲座、そして左右それぞれ3個ずつの弾薬箱が置かれた。
車体最後部は機関室となっており、スウェーデンのスカニア・ヴァビス社の手になる1664型ガソリン・エンジンを、プラガ社がライセンス生産権を取得して国産化したTNHP/S(EPA)
直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(出力125hp)が搭載されていた。
エンジンの直後にラジエイター、さらにラジエイターの後方には強制冷却ファンが備えられ、ファンを駆動することにより、戦車型では機関室左右の吸気口から導入された空気をラジエイターを通して冷却した後、暖まった空気を機関室後部に設けられた排出グリルから車外に導いていた。
マルダーIIIも基本的には同一の構造だったが左右の吸気口は塞がれ、戦闘室上面の開口部から空気を取り入れるように変更されていた。
この他、機関室の上面装甲板(10mm)は装填手の作業スペースを確保すると共に、作業をし易くするよう形状が大きく変化した。
これは、エンジンのシリンダーを覆っている中央部分とその後方を従来通りの盛り上がった形としながら、左右の空気取り入れ口を兼ねる部分がフラットな形状に改められた。
そしてこのフラット部分の前部には車長(右側)と砲手(左側)の座席が設けられ、戦闘に際しては車長が装填手を兼任した。
さらに機関室の後部には、薬莢受けとなる鋼製パイプのバスケットが新設されたのも戦車型からの変更点となっている。
なお戦闘時には車長席と砲手席の背当てが邪魔にならないよう、取り外して車体後部のバスケットに装着していた。
また機関室中央部の盛り上がった部分には、走行時に砲身が振動して照準機の微調整が狂うのを避けるため、主砲スライド部の後端を固定するトラヴェリング・ロックが備えられ、上部構造前部に装備されたトラヴェリング・クランプと共に主砲を固定するようになっていた。
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+戦闘室の構造
マルダーIIIの戦闘室の上部構造は全て16mm厚の装甲板により構成され、オープントップとなった操縦室前面装甲板から機関室隔壁までを覆う形で車体上部に搭載された。
上部構造の側面装甲板は後半部が下方に延長されていたが、これは機関室の左右にエンジン空気取り入れ用の開口部があることから、これをカバーすることを目的としていた。
上部構造は操縦室の直後からオープントップとなっていたが、操縦手と無線手の頭上を保護するために主砲防盾前面の左右下端に3角形の装甲板が装着され、これと対になるように頭上保護を兼ねた3角形の2分割ハッチが、上部構造の左右側面上端にヒンジを介して取り付けられていた。
操縦室上面装甲板の前端には、走行時に主砲を振動から守るトラヴェリング・クランプが設けられていたが、機関室上面装甲板に装着されたトラヴェリング・ロックで後部を固定する関係上、クランプ使用時は主砲の仰角をかなり大きく取る必要があった。
なお、このクランプは操縦手がロックの開閉をハッチから身を乗り出して行い、外した後はスプリングにより前方に倒れる機構が組み込まれていた。
クランプの基部にはストッパーとなる鋼板が溶接されており、クランプが倒れるとストッパーが操縦室前面装甲板に当たって、ほぼ水平の位置で止まるようになっていた。
トラヴェリング・クランプは、操縦手が車外に出ること無く身を乗り出すだけで立てることができた。
また必要に応じ冬季時などには、主砲防盾前部から機関室のほぼ中央までをカバーするキャンバス・トップを掛けて寒気を防いでいたが、このキャンバス・トップは後部に透明部が用意された本車専用のものが用いられていた。
操縦室上面装甲板と機関室隔壁、戦闘室左右側面にはそれぞれ補強材が溶接され、この補強材に十字型砲架を各6本のボルトで止めて、中央部に7.62cm対戦車砲PaK36(r)が搭載されていた。
主砲の旋回角は左右各21度ずつで、俯仰角は-8~+13.5度となっていた。
主砲の防盾は牽引型のものに代えて、11mm厚の装甲板5枚で構成された新設計の防盾が装着された。
牽引型の防盾が前面しか保護していなかったのに対して、マルダーIIIの防盾は側面まで保護するようになっていたが、防盾のサイズが小さく装甲厚も薄いため防御力は充分とはいえなかった。
このためBMM社では、車体後部までを防盾ごと装甲板で囲んだ装甲強化型試作車を製作しているが、これは試作の域を出ること無く終わった。
戦闘室の中央部には前述の砲架と主砲が配され、その左右には5発もしくは3発の主砲弾薬を収める弾薬ケースが左右各3個ずつ収められていた。
また車体上部と上部構造の間に生じる左右の空間にも、縦に主砲弾薬3発を収容する弾薬ケースが配されていた。
マルダーIIIが携行する主砲弾薬は、合計で30発となっていた。
マルダーIIIの戦闘室はかなり狭く、主砲とその弾薬だけでスペースの大半を占めていたため、前述のように車長と砲手は機関室上面に設けられた座席に位置するようになっていた。
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+主砲の構造
マルダーIIIの主砲に採用された48.4口径7.62cm対戦車砲PaK36(r)は、ソ連侵攻緒戦で大量に鹵獲したソ連軍の76.2mm師団砲F-22を、ドイツ軍が大幅に改造して対戦車砲としたものである。
原型のF-22は砲の旋回を左側に配された砲手、俯仰を右側の砲手がそれぞれ担当するという機構を採っており、迅速な操作が要求される対戦車砲としては扱い難い以外の何ものでもなかった。
このため7.62cm PaK36(r)では、左側のみで操作を行えるように右側の俯仰用ギアからシャフトを左側に延ばし、これにハンドルを取り付けて左側の砲手1名での操作を可能とした。
さらに照準機は、7.5cm PaK40と同じZF社(Zahnradfabrik Friedrichshafen:フリードリヒスハーフェン歯車製作所)製の3X8型に換装されてより射撃精度の向上が図られ、砲身先端には二重作動式の砲口制退機が装着された。
これらの改修に加え薬室の内部を削って直径を増やし、より威力の高い7.5cm PaK40用砲弾を使用できるように改めた。
しかしそのまま7.5cm PaK40用砲弾を用いると、当然ながら砲弾と砲内径のサイズが合わないため砲口から発射ガスが漏れてしまい、装甲貫徹力と命中精度が低下することは明白であった。
このため薬莢のみ7.5cm PaK40用のものを用い、F-22用砲弾の弾頭部と組み合わせて使用するという折衷砲弾が製作されたがその数は6,340発と極めて少なく、性能の低下を承知で7.5cm
PaK40用の砲弾を用いるのが一般的であった。
7.62cm PaK36(r)で折衷型のPz.Gr.39 APCBC-HE(弾頭重量7.54kg)を発射した場合、砲口初速740m/秒、射距離1,000mでの装甲貫徹力は82mmと、同じ条件での7.5cm
PaK40の85mmと大差無い威力を発揮した。
なお7.62cm PaK36(r)を車載化するにあたって、Pz.Sfl.1(装甲自走砲架1型)とPz.Sfl.2(装甲自走砲架2型)の2種類の砲架が用意され、これらの砲架を介して戦車車台に搭載された。
装甲自走砲架1型はII号戦車ベースの対戦車自走砲に、装甲自走砲架2型は38(t)戦車ベースの対戦車自走砲にそれぞれ用いられたが、その内容は全く同じものであった。
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+足周りの構造
マルダーIIIの足周りは前方の起動輪、後方の誘導輪、2個の転輪をリーフ・スプリング(板ばね)で懸架したサスペンション2組、そして2個の上部支持輪から構成され、起動輪の直径は637mmで19枚の歯が設けられていた。
転輪は直径775mmとかなりサイズが大きく、6mm厚の鋼板をプレス加工して製作され、外周部にはソリッドゴム製のリムが装着されていた。
サスペンションの構造は、車体に固定されたプレートにスウィングアームを装着し、このアームの両端に転輪を1個ずつハブで固定し、このアームの上に押さえる形でリーフ・スプリングを装着していた。
マルダーIIIはこのサスペンションを車体の左右側面に2組ずつ装着していたので、片側の転輪数は4個となる。
III号戦車などに採用されたトーションバー式サスペンションと比べると、マルダーIIIのサスペンションは緩衝能力が劣っており被弾等にも弱かったが、整備や交換などの作業はトーションバーよりも容易で実用性は高かった。
またトーションバーのように車内スペースを占有しないため、全高を高めること無く乗員を収めることができ、さらに停止して射撃を行う際、トーションバーよりも早く揺動が終わるのも利点であった。
誘導輪の直径は535mmで車軸には履帯張度調整装置が設けられ、後方から専用の工具を用いて装置を回転させることで車軸を前後に動かすことができた。
上部支持輪は直径220mmで、外周部にソリッドゴム製のリムが装着されていた。
マルダーIIIは大直径転輪を採用していたので、上部支持輪は必ずしも必要は無かったのだが、起動輪が高い位置に配されていたので、履帯の弛みによる脱落を防止するために装備されていた。
履帯は幅293mm、長さ104mmの履板を片側92~94枚用いて構成され、それぞれの履板はピンで結合され、脱落しないように割りピンで固定されており、耐用距離は5,000kmが保証されていた。
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+生産
「SS219-5326」の生産計画名で、1942年2月からマルダーIII対戦車自走砲の生産がBMM社においてスタートした。
38(t)戦車の生産に要するマンアワーは5,600時間なのに対し、マルダーIIIはこれが4,600時間と期待通り大きな製造時間の短縮ができることを立証した。
BMM社では1週当たりの生産数は16~18両と試算を立て、最初に発注された129両の内最初の17両は1942年3月24日までに引き渡しを終え、最後の17両が引き渡されたのは1942年5月5日のことであった。
これらのマルダーIIIにBMM社が用意した車体製造番号は1369~1479で、続いて47両が追加発注されており1480~1526の車体製造番号で生産が行われ、1942年6月20日には追加分の第47号車が引き渡しを終えている。
これらの生産車の一部は、北アフリカ戦線向けの熱帯仕様型として生産が行われた。
これはドイツ軍からの要求に従ったものであり、まずアルケット社において38(t)戦車G型(車体製造番号1348)に対し、エンジンに防塵フィルターを装着する改造を施した試作車が製作され、この車両は1942年3月9日にBMM社に送られてきた。
この改修を基にして、BMM社ではマルダーIII 18両に対して同様の改修を1942年5月5~8日にかけて実施した。
この車両の車体製造番号は1428~1445で、第1次発注分の車両から抽出されたことが分かる。
1942年6月にはさらに23両のマルダーIIIが熱帯仕様型として完成し(車体製造番号1527~1540、1542~1550)、1942年7月にも16両(車体製造番号1541、1572~1575、1577~1579、1581~1585、1604、1620)が生産された。
1942年6月20日、BMM社は38(t)戦車G型の最終生産車をロールアウトさせて戦車型の生産を完了した。
この結果、後はマルダーIIIの生産に専念することになったが、1942年春には主砲を本命の46口径7.5cm対戦車砲PaK40に換装し、戦闘室の形状をリファインした改良型の開発がスタートしている。
これが「マルダーIII H型」と呼ばれる新型の対戦車自走砲であり、1942年5月18日付で生産が認可されている。
マルダーIII H型の試作車は1942年7月30日には主砲の射撃試験を実施していたが、当時生産中だったマルダーIIIの生産を阻害しないよう、発注数を全て完成させた後このマルダーIII
H型へ生産を切り替えることが決まった。
そして従来のマルダーIIIは最終的に1942年10月まで生産が続けられ、合計で344両が完成し1942年11月からはマルダーIII H型に生産が切り替わっている。
7.62cm対戦車自走砲マルダーIIIの生産数 |
1942年4月 |
38 |
1942年5月 |
82 |
1942年6月 |
23 |
1942年7月 |
50 |
1942年8月 |
51 |
1942年9月 |
50 |
1942年10月 |
50 |
合 計 |
344 |
マルダーIIIの月別の生産数は上表の通りで、この344両をもって生産は終了した。
これらには車体製造番号1360~1550、1554~1600が与えられ、また生産コストは官給品扱いの武装と無線などの装備品を除いて、通常型が54,785ライヒスマルク、熱帯仕様型が55,100ライヒスマルクだったと伝えられている。
さらに1942年7月の生産車からは、マルダーIII H型向けとしてプラーガ社が開発した出力向上型のAC 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(出力150hp)が搭載され、最大回転数も2,200rpmから2,600rpmに向上し、この結果路上最大速度は42km/hから49.5km/hに大きく向上した。
さらに燃料消費量も改善され、約12kmほど航続距離が延びているのも特徴である。
これら新規生産車とは別に、オーバーホールなどで前線から戻された38(t)戦車の一部がマルダーIIIに改造されている。
BMM社の記録では84セットの改造キット(主砲なども含む)が製作されたとあるので、84両もしくはそれに近い改造車が完成したものと思われる。
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+部隊配備
1942年末より部隊への引き渡しが開始されたマルダーIII対戦車自走砲は、機甲師団や機甲擲弾兵師団、歩兵師団の戦車駆逐大隊と独立戦車駆逐大隊が装備した。
マルダーIIIが配備された当時の各師団内の戦車駆逐大隊の編制は、大隊本部と3個戦車駆逐中隊というもので、第1、第2中隊は自走化されて対戦車自走砲をそれぞれ14両装備し、第3中隊は牽引式対戦車砲12門を装備していた。
一方独立戦車駆逐大隊では、3個中隊編制であることは変わらないが3個中隊全てが自走化されていた。
それぞれの中隊は対戦車自走砲3両を装備する小隊3個で編制され、各中隊には本部車両として3両が配備されたので中隊当たりの装備数は12両となり、大隊単位では36両となる。
しかし部隊配備といっても、その装備車種がマルダーIIIとは記されているものの、7.62cm PaK36(r)搭載型か、7.5cm PaK40を搭載するH、M型かを判読することはできないため、マルダーIIIの配備先の詳細はよく分かっていない。
現在判明しているものについては下表の通りであるが、表に記載したほとんどの部隊が7.5cm PaK40搭載型との混成となっていたので、大隊としての装備数はこの数字より多い。
7.62cm対戦車自走砲マルダーIIIの配備先 |
配備先 |
配備数 |
時期/戦域 |
第1機甲師団 第37戦車駆逐大隊 |
49(7.5cm型含む) |
1943年/補充 |
第5機甲師団 第53戦車駆逐大隊 |
12 |
1943年/東部戦線 |
第7機甲師団 第42戦車駆逐大隊 |
24 |
1943年/東部戦線 |
第8機甲師団 第43戦車駆逐大隊 |
6 |
1943年/東部戦線 |
第15機甲師団 第33戦車駆逐大隊 |
4 |
1943年/東部戦線 |
第17機甲師団 第27戦車駆逐大隊 |
1 |
1943年/東部戦線 |
第19機甲師団 第19戦車駆逐大隊 |
13 |
1943年/東部戦線 |
第20機甲師団 第92戦車駆逐大隊 |
12 |
1943年/東部戦線 |
第21機甲師団 第39戦車駆逐大隊 |
34 |
1943年/北アフリカ戦線 |
第20機甲擲弾兵師団 第8戦車駆逐大隊 |
7 |
1943年/東部戦線 |
独立第616戦車駆逐大隊 |
4 |
ブランク |
独立第731戦車駆逐大隊 |
1 |
ブランク |
マルダーIII対戦車自走砲は主に東部戦線の戦車駆逐大隊に配属されたが、北アフリカ戦線にも66両(熱帯仕様型57両、通常型9両)が送られており、強力な対戦車火力として活躍した。
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<38(t) 7.62cm対戦車自走砲マルダーIII 初期型>
全長: 5.85m
車体長: 4.56m
全幅: 2.16m
全高: 2.50m
全備重量: 10.67t
乗員: 4名
エンジン: プラガEPA 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 125hp/2,200rpm
最大速度: 42km/h
航続距離: 185km
武装: 48.4口径7.62cm対戦車砲PaK36(r)×1 (30発)
7.92mm機関銃MG37(t)×1 (1,200発)
装甲厚: 10~50mm
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<38(t) 7.62cm対戦車自走砲マルダーIII 後期型>
全長: 5.85m
車体長: 4.56m
全幅: 2.16m
全高: 2.50m
全備重量: 10.67t
乗員: 4名
エンジン: プラガAC 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 150hp/2,600rpm
最大速度: 49.5km/h
航続距離: 197km
武装: 48.4口径7.62cm対戦車砲PaK36(r)×1 (30発)
7.92mm機関銃MG37(t)×1 (1,200発)
装甲厚: 10~50mm
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兵器諸元(7.62cm対戦車自走砲マルダーIII 初期型)
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<参考文献>
・「パンツァー1999年4月号 ラッチュ・ブム ドイツ軍戦車を血祭りに上げたソ連76.2mm野砲」 古是三春 著
アルゴノート社
・「パンツァー2020年11月号 「再利用」から生まれた優良対戦車車輌 マルダー物語」 白石光 著 アルゴノー
ト社
・「パンツァー2015年10月号 マルダーIII対戦車自走砲シリーズ」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「パンツァー2018年4月号 対戦車自走砲 SdKfz139 マーダーIII」 箙公一 著 アルゴノート社
・「パンツァー2001年12月号 マルダーIII対戦車自走砲ファミリー」 後藤仁 著 アルゴノート社
・「パンツァー2010年5月号 ラッチュ・ブムと17ポンド砲」 坂本雅之 著 アルゴノート社
・「ピクトリアル ドイツ軍自走砲」 アルゴノート社
・「グランドパワー2010年10月号 ドイツ7.62cm対戦車自走砲」 後藤仁/国本康文 共著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2007年6月号 マーダーIII対戦車自走砲H型」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2022年4月号 ドイツ軍自走砲(4)」 寺田光男 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2001年7月号 マーダーIII対戦車自走砲(1)」 箙浩一/古是三春 共著 デルタ出版
・「世界の軍用車輌(1) 装軌式自走砲:1917~1945」 デルタ出版
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画
・「異形戦車ものしり大百科 ビジュアル戦車発達史」 齋木伸生 著 光人社
・「戦車名鑑 1939~45」 コーエー
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