38式駆逐戦車ヘッツァー シュタール搭載型
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+開発
ヘッツァー駆逐戦車は開発当初、デュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社製の48口径7.5cm対戦車砲PaK39を原型とする、「シュタール」(Starr:固定式)と呼ばれる固定砲を主砲に採用する予定であった。
シュタールは、PaK39からカルダン枠砲架と駐退・復座機を省略して固定式砲架に搭載し、射撃時の反動を車体全体で受け止めようというものであり、砲の軽量化と製造コストの低減を図れる上、後座に必要な空間を他に転用できるというメリットがあった。
しかし結局、ヘッツァー駆逐戦車の生産開始までにシュタールの開発が間に合わないことが判明したため、やむを得ずシュタールの開発を続行しながら生産も行うべく、ヘッツァー駆逐戦車は原型の7.5cm対戦車砲PaK39を搭載することになり、設計の変更作業が行われた。
一方、ヘッツァー駆逐戦車用のシュタールの開発は、ドイツ陸軍兵器局第4課とラインメタル社、そして軍需省のシェーデ大佐を中心として進められた。
シュタールの設計を担当したのは、ベルリンのアルケット社(Altmärkische Kettenwerke:アルトメルキシェ装軌車両製作所)に勤務し、後にラインメタル社に移ったワニンジャー工学博士を中心とするグループで、その詳細は明らかにはされていないが、1943年9~12月にかけてIV号戦車に48口径7.5cmシュタール砲を搭載して射撃試験が実施されたという。
このことから考えると、8月にはシュタールの試作砲は完成していたものと思われる。
シュタール搭載型のIV号戦車は主砲の俯仰こそ可能だったものの、砲塔は旋回できないように固定式に改められていた。
この試験車両を用いて20発前後の射撃試験を実施した結果、車体のブレーキを掛けた状態では約150mm、外した状態では約200mm車体が後退することが確認された。
また乗員への影響は全く無く、車体に掛かる反動も、通常のIV号戦車が装備する48口径7.5cm戦車砲KwK40に比べて15~29%ほど増大する程度に留まることが判明した。
さらに1944年1月には、ヴェスペ自走榴弾砲の主砲を28口径10.5cm軽榴弾砲leFH18Mから48口径7.5cmシュタール砲に換装した試験車両が、ツォッセンのクンマースドルフ車両試験場での試験に供された。
この際には、射撃の振動が旋回ハンドルに手を掛けていた砲手にまで伝わって手が痺れ、照準機が破損し、主砲の命数も通常砲より大きく劣るなどの問題が報告された。
このため、急遽イェーナのカール・ツァイス社がシュタール専用の照準機を開発することが決まり、後に生産されるシュタール搭載型ヘッツァーの先行生産型0ゼーリエ(シリーズ0)の10両に、この新型照準機が装着されている。
しかし、これらの問題はシュタールの開発を中止しなければならないほど深刻なものではないと判断され、1944年4月にはチェコ・プラハのBMM社(Böhmisch-Mährische Maschinenfabrik:ボヘミア・モラヴィア機械製作所、旧ČKD社)の手で、シュタール搭載型ヘッツァーの試作車の製作がアルケット社の協力を受けながら開始された。
そして5月12日に、その試作車がプラハ西方のコニス射撃試験場において射撃試験に供され、その後ドイツに運ばれて、ヒラースレーベンの砲兵射撃試験場でドイツ側により射撃試験が実施された。
さらに場所をクンマースドルフ車両試験場に移して射撃試験が続行され、1944年8月1日までに合わせて1,000発の射撃を行ったことが同日付の報告書で明らかになっている。
これらの試験によりシュタールの実用化の目処が立ち、8月末にシュタール搭載型ヘッツァーの試作車3両がBMM社に、シュタール100門がエッセンのクルップ社にそれぞれ発注されて製作がスタートした。
そして9月には試作車3両(車体製造番号321679、321682、321683)の車体製作が始まり、10月にはその中の2両が完成して、直ちにアルケット社に送られて主砲のシュタールが搭載され完成車となった。
またチェコ側の資料によるとこの2両の内の1両は、前面装甲板の厚さが通常の60mmから80mmに強化されていたという。
続いて10月にはシュタール搭載型ヘッツァーの先行生産型0ゼーリエが10両発注されたが、その際に与えられた車体製造番号は321679~321683、322370~322374とされている。
しかし、この番号は前述の試作車の車体製造番号と重複しているため、これでは試作車3両は先行生産型10両の中に含まれることになってしまうが、実際には試作車3両と先行生産型10両が製作されたことが記録に残っているので、このあたりは謎である。
先行生産型10両へのシュタールの搭載はBMM社で行うこととされ、1944年12月~45年1月にかけて全車が完成した。
なお話が前後するが、1944年3月19日にドイツ陸軍機甲兵総監ハインツ・W・グデーリアン上級大将が、ガソリン不足を背景としてヘッツァー駆逐戦車のエンジンをガソリンからディーゼルに変更することを強く求めたため、シュタール搭載型ヘッツァーは主砲の換装だけでなく、エンジンもディーゼル・エンジンに変更することが決定された。
これに応じてBMM社は3月22日付でチェコ・コプジブニツェのタトラ社に対し、ヘッツァー駆逐戦車用の新型ディーゼル・エンジンの開発を要請した。
BMM社はシュタール搭載型ヘッツァーの先行生産型のエンジンを、同社の要請に応じてタトラ社が開発を進めていた928型 V型8気筒空冷ディーゼル・エンジン(出力180hp)に換装することを計画していたが、このエンジンの開発が先行生産型の生産開始に間に合わないことが判明したため止む無く、通常型のヘッツァー駆逐戦車と同じプラハのプラガ社製のAC2800 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(出力160hp)を搭載して、1944年12月に5両、45年1月に5両をそれぞれドイツ陸軍に引き渡した。
そして1945年3月22日には待望の、928型ディーゼル・エンジンに換装したシュタール搭載型ヘッツァーの先行生産型1両(車体製造番号322971)が完成し、アドルフ・ヒトラー総統の誕生日を記念して4月20日に開催予定の新型兵器展示会へ参加することも計画されたが、これは戦局の悪化により実現せずに終わった。
そして第2次世界大戦を生き抜いたディーゼル・エンジン換装車は、ミロヴァイスの戦車猟兵学校に留め置かれたが、戦後数年を経てスクラップ処分されたという。
前述のように1944年10月にBMM社に対して、シュタール搭載型ヘッツァーの先行生産型が10両発注されたのに続き、1945年2月にはチェコ・プルゼニのシュコダ製作所に対して、ディーゼル・エンジンに換装したシュタール搭載型ヘッツァーの生産型100両が発注され、さらに4月21日付で500両の生産型が追加発注されたが、シュコダ社に送られてきたシュタールはわずか16門にしか過ぎず、ディーゼル・エンジンに至ってはその第1号基が送られてきたのは4月に入ってからで、同社は通常型のヘッツァー駆逐戦車の生産を続けるしかなかった。
結局シュタール搭載型ヘッツァーは、試作車3両と先行生産型11両(内1両はディーゼル・エンジン換装車)の計14両が完成したに留まった。
また記録では、実戦に投入されたか否かは不明だが、この内8両がミロヴァイスの戦車猟兵学校に送られたとしている。
さらに戦後、BMM社はドイツによるチェコ併合前の社名であるČKD社(Českomoravská Kolben-Daněk)に名前を戻し、チェコスロヴァキア国防省の要求に基づいて、工場に残された部品を用いて14両のヘッツァー駆逐戦車を同陸軍向けに製作した。
この内7両はシュタール搭載型、残りの7両はPaK39を搭載する通常型として完成したが、これらのヘッツァー駆逐戦車は結局、チェコスロヴァキア陸軍に引き渡されること無く終わったという。
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+構造
シュタール搭載型ヘッツァーは主砲が変更された以外は、基本的に通常型のヘッツァー駆逐戦車と同規格の車両であったが、通常型では右に大きくオフセットして搭載されていた主砲はやや中央寄りに位置を変え、併せて戦闘室前面装甲板に設けられる主砲搭載用の開口部の面積も半分以下に縮小された。
これに合わせて防盾基部のサイズは通常型に比べてかなり小型になり、防盾の形状も円錐形に先が窄まった「ザウコプフ」(Saukopf:豚の頭)型である点は通常型と同様だったものの、よりスリムな形状に改められた。
前述のように戦闘室の上面に突出している主砲用照準機も新型のWZF.2/2に替わり、照準機の開口部面積が縮小されたことを受けて、スライド式照準機カバーとレールが廃止された。
また主砲の砲架も通常型に用いられたカルダン枠砲架に代えて、シュタール搭載型では新設計の固定式砲架が導入された。
この固定式砲架の構造は、まず主砲の砲身基部に球形の旋回・俯仰軸を装着し、防盾基部の内側に設けられている球形の軸受けに主砲の球形軸を取り付け、後ろから蓋をボルト止めして主砲を固定した。
そして防盾基部を戦闘室前面装甲板に溶接で固定し、さらに防盾基部の開口部を塞ぐ形でザウコプフ防盾を主砲の球形軸とボルトで固定した。
シュタール搭載型ヘッツァーの主砲の射界については、旋回角が左右各8度ずつ(通常型は右が11度、左が5度)、俯仰角が-8~+15度(通常型は-6~+10度)であったとする資料があり、これに従えば通常型に比べて射界が広くなったことになるが、固定式砲架の内部構造を見る限り、実際は通常型より射界がかなり狭かった可能性が高い。
なお、ヘッツァー駆逐戦車用に開発された48口径7.5cmシュタール砲の制式呼称は「PaK39/1」で、砲身自体は通常型に搭載された48口径7.5cm対戦車砲PaK39のものとほぼ同様であったと思われる。
使用する弾種もPaK39と同様で、装甲目標用のPz.Gr.39 APCBC-HE(風帽付被帽徹甲榴弾)、Pz.Gr.40 APCR(硬芯徹甲弾)、Gr.38HL/C HEAT(対戦車榴弾)および、非装甲目標用のSpr.Gr.34 HE(榴弾)が用意されていた。
シュタール搭載型ヘッツァーのディーゼル・エンジン搭載車では、前述のようにプラガ社製のAC2800 直列6気筒液冷ガソリン・エンジンに代えて、タトラ社製の928型 V型8気筒空冷ディーゼル・エンジンが搭載されたが、このディーゼル・エンジンは従来のガソリン・エンジンに比べてサイズが大きかったため、ディーゼル・エンジン搭載車は車体後方が延長されて機関室の拡大が図られた。
また、エンジンの搭載位置も右にオフセットされて機関室上面のレイアウトも変更され、ガソリン・エンジン搭載車で機関室上面最後部の中央に設けられていた排気グリルは姿を消した。
ディーゼル・エンジン搭載車では機関室上面の前方左側に空気導入用のグリルが設けられ、さらに中央部分には排気グリルが箱型に張り出す形で設けられた。
排気グリルの直後から出された排気管と結合されたマフラーは、やや後方を向いた形で機関室上面最後部の左側に置かれた。
ガソリン・エンジン搭載車で車体後面に設けられていた円形のボルト止め式点検用ハッチは、ラジエイター冷却ファンが姿を消したことにより正方形の下開き式ハッチに替わり、その下方には大きな牽引具がコの字形の補強プレートに溶接された上で、車体後面に溶接されていた。
また車体の前後に各2個ずつ設けられている牽引フック掛けは、ガソリン・エンジン搭載車では車体側面装甲板の前/後端上部を張り出す形とし、その中央に穴を開けてフック掛けとするアイプレート方式を採用していたのに対し、ディーゼル・エンジン搭載車では、車体の前/後面装甲板に単純なU字形のフック掛けを各2個ずつ溶接するという方式に変更された。
さらにガソリン・エンジン搭載車では、車長が車内から外部を視察する方法は戦闘室上面の後方右側に設けられている角型で前開き式の車長用前方ハッチを開き、双眼式砲隊鏡SF.14Zをここから突き出して覗くしかなかったのに対し、ディーゼル・エンジン搭載車では全周旋回式のペリスコープを備える完全な新設計の車長用ハッチが導入され、車長は車内から全周の視界を得ることができるようになった。
この新型車長用ハッチは右開き式の円形のもので、機関室部分に大きく張り出す形で箱型の収容部を設けてその上に装着されていた。
おそらくこの新型車長用ハッチを取り付け、928型ディーゼル・エンジンを搭載した状態がシュタール搭載型ヘッツァーの完成形であると思われる。
前述のようにシュタール搭載型ヘッツァーは期待外れの結末に終わってしまったが、通常型に比べて重量が760~1,000kgほど軽減されたため機関系やサスペンションへの負荷が小さくなり(特に車体前方)、機動性能が向上していた。
また前述のようにシュタール搭載型は、主砲を搭載するために戦闘室前面装甲板に設けられる開口部のサイズが小さくなったため、通常型に比べて車体前面の防御力も向上していた。
さらにシュタール搭載型は通常型に比べて車内スペースが増加したため、主砲用の7.5cm砲弾の搭載数が通常型の41発から79発へと大幅に増大した。
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<ヘッツァー駆逐戦車 シュタール搭載型(ガソリン・エンジン型)>
全長: 6.38m
車体長: 4.87m
全幅: 2.63m
全高: 2.17m
全備重量: 14.0t
乗員: 4名
エンジン: プラガAC2800 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 160hp/2,800rpm
最大速度: 42km/h
航続距離: 177km
武装: 48口径7.5cmシュタール砲PaK39/1×1 (79発)
7.92mm機関銃MG34×1 (600発)
装甲厚: 8~60mm
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<ヘッツァー駆逐戦車 シュタール搭載型(ディーゼル・エンジン型)>
全長: 6.38m
車体長: 4.87m
全幅: 2.63m
全高: 2.17m
全備重量: 14.0t
乗員: 4名
エンジン: タトラ928 4ストロークV型8気筒空冷ディーゼル
最大出力: 180hp/2,000rpm
最大速度:
航続距離:
武装: 48口径7.5cmシュタール砲PaK39/1×1 (79発)
7.92mm機関銃MG34×1 (600発)
装甲厚: 8~60mm
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<参考文献>
・「世界の戦車イラストレイテッド14 38式軽駆逐戦車ヘッツァー 1944~1945」 ヒラリー・ドイル/トム・イェンツ 共著 大日本絵画
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画
・「軽駆逐戦車」 ヴァルター・J・シュピールベルガー 著 大日本絵画
・「グランドパワー2001年11月号 駆逐戦車ヘッツァー(2) ヘッツァーのバリエーション」 箙浩一 著 デルタ出版
・「ドイツ陸軍兵器集 Vol.4 突撃砲/駆逐戦車/自走砲」 後藤仁/箙浩一 共著 ガリレオ出版
・「第2次大戦 ドイツ戦闘兵器カタログ Vol.2 AFV:1943~45」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「ドイツ試作/計画戦闘車輌」 箙浩一/後藤仁 共著 ガリレオ出版
・「第2次大戦 ドイツ試作軍用車輌」 ガリレオ出版
・「グランドパワー2013年6月号 駆逐戦車ヘッツァー」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「パンツァー2000年11月号 駆逐戦車ヘッツァー その開発と構造」 後藤仁 著 アルゴノート社
・「パンツァー2011年8月号 ドイツ駆逐戦車ヘッツァー」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「ドイツ駆逐戦車ヘッツァー」 ゲンブンマガジン
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