38式駆逐戦車 15cm重歩兵砲搭載型
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+開発
38式駆逐戦車 15cm重歩兵砲搭載型は、15cm自走重歩兵砲「グリレ」(Grille:コオロギ)シリーズに代わるべく開発された歩兵支援自走砲である。
グリレ自走重歩兵砲シリーズは、チェコ製の38(t)戦車の車体上部にオープントップ式の戦闘室を設けて、デュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社製の11.4口径15cm重歩兵砲sIG33を搭載した車両で、優秀な歩兵支援自走砲であった。
しかし、同シリーズの開発と生産を手掛けたチェコ・プラハのBMM社(Böhmisch-Mährische Maschinenfabrik:ボヘミア・モラヴィア機械製作所、旧ČKD社)は、1943年末から38(t)戦車のコンポーネントを流用し、車体上部に完全密閉式の戦闘室を設けて、ラインメタル社製の48口径7.5cm対戦車砲PaK39を搭載した「ヘッツァー」(Hetzer:勢子、狩猟の場で鳥獣を追い出したり他へ逃げるのを防いだりする役目の人)駆逐戦車の開発に着手し、1944年4月から本格的な量産を開始した。
ヘッツァーは軽量小型ながら、強力な武装とそこそこの防御力を備えた優秀な駆逐戦車であり、ドイツ軍は早急に大量生産することを求めた。
BMM社をヘッツァー駆逐戦車の生産に専念させるため、グリレ自走重歩兵砲の生産は1944年9月で打ち切られることになり、これに代わる車両としてヘッツァー駆逐戦車の車体をベースとし、15cm重歩兵砲sIG33を搭載する歩兵支援自走砲の開発要求が同月に出された。
BMM社では早速試作車の製作を開始したが、改造のベースとなったのは1944年5月に生産された車体製造番号321079の38式回収戦車であった。
38式回収戦車はヘッツァー駆逐戦車の車体を流用して作られた回収車両で、1944年5月~1945年4月にかけて合計181両がBMM社で生産された。
車体製造番号321079の車両は、1944年5月に生産された最初の8両の38式回収戦車の第8号車である。
試作車がいつ完成したのかは不明であるが、試験の結果が良好だったため本車は「15cm重歩兵砲sIG33/2(自走式)搭載38式駆逐戦車」として制式化された。
従来の説では、38式自走重歩兵砲の生産は全てBMM社で行われたとされていたが、新しい資料によるとBMM社は試作車の製作を行っただけで、量産はドイツ国内で行われたとされている。
ドイツ側の生産記録によると、38式自走重歩兵砲は1944年12月~1945年2月にかけて6両が新規生産されたのに加えて、前線から戻されてきたヘッツァー駆逐戦車を用いて39両が改造生産されたとされている。
38式自走重歩兵砲の生産と改造を行った企業は不明であるが、38(t)戦車の自走砲専用車台の設計に協力したベルリンのアルケット社(Altmärkische Kettenwerke:アルトマルク履帯製作所)あたりが担当したのではないかと思われる。
38式自走重歩兵砲は、グリレ自走重歩兵砲と同様に擲弾兵連隊の重歩兵砲(自走式)中隊に配備され、第2次世界大戦末期に実戦投入されているが、今のところドイツ軍が本車を運用している写真は公表されておらず、BMM社で1944年に製作された試作車の写真しか残っていない。
1両のみが製作された38式自走重歩兵砲の試作車は第2次世界大戦を生き延び、戦後も数年間はミロヴァイスの鹵獲兵器集積場に置かれていたが、その後スクラップとなり姿を消した。
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+構造
前述のように、38式自走重歩兵砲の試作車はヘッツァー駆逐戦車の回収型である38式回収戦車を改造して製作されたが、回収戦車型と駆逐戦車型との違いは、駆逐戦車型では完全密閉式となっていた戦闘室が、回収戦車型では操縦手用ヴァイザーの直上で切断されてオープントップとされており、主砲も装備されていなかった。
駆逐戦車型で主砲が装備されていた場所には、ノイルピーンのガウムバーデン社が開発したウィンチがケースに収められた状態で置かれ、ここからワイアーを伸ばして引き上げなどの作業を行った。
ウィンチの動力は、エンジンからの推進軸にトランスファー・ギアを介して得ていた。
また、車体後面には大型の牽引ホルダーが装着されていた。
改造にあたって、38式回収戦車は戦闘室を上に延長する形で10mm厚の装甲板が前/側/後面に溶接され、新たなオープントップ式の戦闘室が形成された。
戦闘室の内部には架台が設けられ、15cm重歩兵砲sIG33の車載型であるsIG33/2が限定旋回式に搭載された。
駆逐戦車型では、車体前部中央に置かれた変速機と干渉するのを避けるため、主砲の7.5cm対戦車砲PaK39は大きく右側にオフセットして搭載されたが、本車は主砲の搭載位置が駆逐戦車型より高く砲が変速機と干渉しないため、15cm重歩兵砲sIG33/2は戦闘室のちょうど中央に搭載された。
戦闘室の前面装甲板は、主砲を俯仰させるために中央部が上から2/3程度切り欠かれていたが、この部分をカバーするため、砲の俯仰に合わせて上下にスライドする装甲板が駐退レールの下に設けられていた。
15cm重歩兵砲sIG33/2の旋回角は左右各5度ずつで、俯仰角は0~+73度となっていた。
戦闘室の後面装甲板は右側が切り欠かれており、ここから乗員の乗降を行うようになっていた。
グリレ自走重歩兵砲では、重量の軽減を図るためにベースとなった38(t)戦車より車体の装甲厚が削られ、グリレK型では車体前面の装甲厚が20mmしかなかったが、38式自走重歩兵砲はヘッツァー駆逐戦車の車体をそのまま流用したため、装甲厚は車体前面で60mmに達し、さらに避弾経始を考慮して傾斜装甲を多用していたため、車体前面装甲板は連合軍のM4中戦車や、チャーチル歩兵戦車が搭載する75mm戦車砲の零距離射撃に耐えることができた。
またグリレ自走重歩兵砲よりもシルエットが低く、暴露面積も小さいために被弾確率の面でも優れていた。
装甲厚が増したことにより、38式自走重歩兵砲の戦闘重量は16.5tとグリレ自走重歩兵砲より4t以上重くなったが、ヘッツァー駆逐戦車と同様に出力を強化した、プラハのプラガ社製のAC2800
直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(出力160hp)を搭載していたため、グリレ自走重歩兵砲に比べて機動性能はそれほど低下していない。
ただし、グリレ自走重歩兵砲と同様に15cm砲弾の携行数は少なく、15発しか車内に搭載できなかった。
15cm砲弾および装薬の詳細な配置については不明であるが、戦闘室内の左右壁面には4~5発の15cm砲弾を収めるラックがそれぞれ設置されており、その砲弾ラックの下方および、戦闘室と機関室を隔てる防火壁の左側には装薬を収める弾薬箱が設けられていた。
副武装としては、車内にオベルンドルフ・アム・ネッカーのマウザー製作所製の7.92mm機関銃MG34または、デーベルンのMLJG社(Metall und Lackwarenfabrik Johannes Großfuß:ヨハネス・グロースフース金属・漆器製作所)製の7.92mm機関銃MG42を1挺搭載していた。
7.92mm機関銃弾は、600発が車内に搭載された。
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<38式駆逐戦車 15cm重歩兵砲搭載型>
全長: 4.87m
全幅: 2.63m
全高: 2.20m
全備重量: 16.5t
乗員: 4名
エンジン: プラガAC2800 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 160hp/2,800rpm
最大速度: 32km/h
航続距離: 130km
武装: 11.4口径15cm重歩兵砲sIG33/2×1 (15発)
7.92mm機関銃MG34またはMG42×1 (600発)
装甲厚: 8~60mm
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<参考文献>
・「グランドパワー2001年11月号 駆逐戦車ヘッツァー(2) ヘッツァーのバリエーション」 箙浩一 著 デルタ出版
・「世界の軍用車輌(1) 装軌式自走砲:1917~1945」 デルタ出版
・「第2次大戦 ドイツ戦闘兵器カタログ Vol.2 AFV:1943~45」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2013年6月号 駆逐戦車ヘッツァー」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「ドイツ試作/計画戦闘車輌」 箙浩一/後藤仁 共著 ガリレオ出版
・「第2次大戦 ドイツ試作軍用車輌」 ガリレオ出版
・「パンツァー2000年12月号 ヘッツァー駆逐戦車の派生型」 後藤仁 著 アルゴノート社
・「パンツァー2011年8月号 ドイツ駆逐戦車ヘッツァー」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画
・「異形戦車ものしり大百科 ビジュアル戦車発達史」 齋木伸生 著 光人社
・「ドイツの火砲 制圧兵器の徹底研究」 広田厚司 著 光人社
・「ドイツ駆逐戦車ヘッツァー」 ゲンブンマガジン
・「ドイツ兵器名鑑 1939~45 陸上編」 コーエー
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