+概要
15cm重歩兵砲sIG33の自走化は、I号戦車B型をベースとし、1940年に実戦化されたI号15cm自走重歩兵砲に始まり、II号戦車をベースとしたII号15cm自走重歩兵砲に受け継がれた。
また市街戦で建物に籠もる敵を撃破する目的で、完全密閉式の戦闘室を持つIII号戦車ベースのIII号突撃歩兵砲も1942年に作られたが、より簡便なI、II号戦車ベースの自走重歩兵砲の直系の後継車両として作られたのが、チェコ製の38(t)戦車をベースとする15cm自走重歩兵砲「グリレ」(Grille:コオロギ)である。
グリレ自走重歩兵砲の開発は、1942年3月6日にベルリンで行われた会議の席で、38(t)戦車の生産を行っていたチェコ・プラハのBMM社(Böhmisch-Mährische
Maschinenfabrik:ボヘミア・モラヴィア機械製作所)に対して、38(t)戦車の車体をベースとする新型自走砲の開発要求が出されたことに端を発する。
これは、デュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社製の46口径7.5cm対戦車砲PaK40を搭載する対戦車自走砲と、同社製の11.4口径15cm重歩兵砲sIG33を搭載する歩兵支援自走砲の2車種であった。
38(t)戦車は、BMM社(当時はČKD社)が1938年にチェコスロヴァキア軍向けに開発したLTvz.38軽戦車のドイツ軍向け仕様で、火力、防御力、機動力のバランスが取れた優秀な軽戦車であったが、1941年6月に開始された独ソ戦では、T-34中戦車やKV-1重戦車などの強力なソ連軍戦車に対して全く歯が立たないことが明らかになった。
しかし、それまで自走砲のベース車体として多用されてきたI号戦車やII号戦車より車体サイズが大きく、大口径砲も比較的無理なく搭載することが可能だったため、新型自走砲のベース車体として選ばれたわけである。
この要求を受けて、BMM社では直ちに新型自走砲の開発作業に取り組んだが、開発は前線で強く求められていた7.5cm対戦車砲PaK40を搭載する対戦車型が優先され、こちらは「ジグマー」のコードネームが与えられ1942年7月に試作車が完成し、「7.5cm対戦車砲PaK40/3搭載38(t)対戦車自走砲H型
マルダーIII」(Sd.Kfz.138)として制式化されて、1942年10月末から量産が開始された。
一方、15cm重歩兵砲sIG33を搭載する歩兵支援型の方は、「ディトマー」のコードネームが与えられた。
ディトマーのベース車体には、マルダーIII対戦車自走砲H型と同じく38(t)戦車H型車台が用いられた。
このH型車台は、38(t)戦車の最終生産型であるG型の車台と基本的に同規格であったが、エンジンが従来のプラガ社製のEPA 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(125hp/2,200rpm)から、出力増大型のAC
直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(150hp/2,600rpm)に換装されていた。
ディトマーの車体は戦車型と違って上部構造が無く、車体中央部に大きく開口された戦闘区画に、架台を設けて15cm重歩兵砲sIG33/1を搭載したが、本車はI号15cm自走重歩兵砲やII号15cm自走重歩兵砲とは異なり、砲を車体から降ろして通常の牽引砲として運用することは想定しておらず、そのため脚や車輪などは取り外してあり、砲と砲架、そして揺架のみが載せられた。
開口部の周囲には前面25mm、側/後面15mm厚の装甲板をリベット止めしてオープントップ式の戦闘室が形成されたが、側面と後面の装甲板は内部容積の拡大を図って3枚で構成され、中央部が外側に張り出していたのが目立つ。
前面装甲板の右側には操縦手用ヴァイザーが設けられ、その後方にあたる側面装甲板にもヴァイザーが設けられていた。
また戦車型で装備されていた、左側無線手席のボールマウント式機関銃と無線手用ヴァイザーは廃止され、車体側面から外に張り出した形となっている戦闘室側面と車体の間は、10mm厚の鋼板を溶接して開口部を埋めていた。
また、戦闘室後面左右の装甲板は側面装甲板とヒンジで固定されており、戦闘時には外側に開いて乗員の作業の便を図っていた。
戦闘室の前面装甲板は、主砲を俯仰させるために中央部が上から2/3程度切り欠かれていたが、この部分をカバーするため、砲の俯仰に合わせて上下にスライドする装甲板が駐退レールの下に設けられていた。
本車に搭載された15cm重歩兵砲sIG33/1の性能は牽引型のsIG33と同様で、弾頭重量38kgの榴弾を用いて砲口初速240m/秒、最大射程は4,650mであった。
ディトマーに搭載した場合、砲の旋回角は左右各5度ずつ、俯仰角は-3~+72度となっていた。
車体後部の機関室の上には弾薬庫が新設され、戦闘室右側装甲板の内側には前部にFu.16無線機を収めるラックが、中央には弾薬ケース4本がそれぞれ設けられており、戦闘室内には前部右側に操縦手、その後方に無線手を兼ねる車長、さらにその後方に装填手が位置し、砲の左側に砲手、そしてその後ろにはもう1名の装填手が配されていた。
車長には、機関室左上面に背もたれ付きの座席が用意されていた。
また雨天時などには大きく開いた戦闘室上面を、前/側/後面に長方形の覗き窓が設けられたキャンバスで覆うことができた。
なお、15cm砲弾は機関室上部の弾薬庫と、戦闘室内右側の弾薬ケースに合計15発を収めていた。
本車は副武装として車内に、オベルンドルフ・アム・ネッカーのマウザー製作所製の7.92mm機関銃MG34を1挺搭載していたとされているが、その搭載位置は不明である。
これらの変更により、ディトマーの戦闘重量は戦車型よりも1t以上増えて11.5tとなり、それに伴って路上最大速度は戦車型の42km/hから35km/hに、路上航続距離は戦車型の210kmから185kmにそれぞれ低下した。
ディトマーの試作車(車体製造番号1767)は1943年2月初めに完成し、「15cm重歩兵砲sIG33/1(自走式)搭載38(t)戦車H型 グリレ」(Sd.Kfz.138/1)として制式化され、直ちに量産が開始された。
1943年2月中に最初の25両のグリレH型がドイツ陸軍に引き渡され、続いて3月に40両、4月と5月にそれぞれ52両、6月に31両の合計200両が完成した。
この時点で一旦生産は終了したが、前線での歩兵支援自走砲の必要性は高く、1943年11月に再び生産が開始され同月に1両、12月に14両、さらに1944年1~9月にかけて154両が完成しているので、グリレH型の総生産数は試作車1両を含めて370両となる。
なおグリレH型の後継として、自走砲専用の38(t)戦車K型車台を用いたグリレK型が開発され、1943年12月~1944年9月にかけて164両が生産されており、1943年12月からの生産はグリレH型とK型が並行する形で行われたことが分かる。
また従来の説では、前線から引き上げられた38(t)戦車からも多数のグリレH型が改造生産されたとされていたが、チェコ側の資料ではそれを裏付けるものは無い。
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