38D駆逐戦車
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+開発
1944年3月19日にドイツ陸軍機甲兵総監ハインツ・W・グデーリアン上級大将が、ガソリン不足を背景としてヘッツァー駆逐戦車のエンジンをガソリンからディーゼルに変更することを強く求めたため、ヘッツァー駆逐戦車へのディーゼル・エンジンの導入について検討が行われた。
しかし、エンジン換装型の基本案は従来のヘッツァー駆逐戦車と車体前部、転輪、誘導輪しか共通部分がなく、生産に大きく影響することから結局エンジンの変更は行われないことになった。
その代わり、当時開発が進められていたシュタール搭載型ヘッツァーのエンジンを、ディーゼル・エンジンに変更することが決定された。
これに応じて、チェコ・プラハのBMM社(Böhmisch-Mährische Maschinenfabrik:ボヘミア・モラヴィア機械製作所、旧ČKD社)は1944年3月22日付でチェコ・コプジブニツェのタトラ社に対し、ヘッツァー駆逐戦車用の新型ディーゼル・エンジンの開発を要請した。
BMM社はシュタール搭載型ヘッツァーの先行生産型10両のエンジンを、同社の要請に応じてタトラ社が開発を進めていた928型 V型8気筒空冷ディーゼル・エンジン(出力180hp)に換装することを計画していたが、このエンジンの開発が先行生産型の生産開始に間に合わないことが判明したため止む無く、通常型のヘッツァー駆逐戦車と同じプラハのプラガ社製のAC2800 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(出力160hp)を搭載して、1944年12月に5両、45年1月に5両をそれぞれドイツ陸軍に引き渡した。
そして1945年3月22日には待望の、928型ディーゼル・エンジンに換装したシュタール搭載型ヘッツァーの先行生産型1両(車体製造番号322971)が完成した。
この車両は、ヒトラーの誕生日を記念して4月20日に開催予定の新型兵器展示会へ参加することも計画されたが、これは戦局の悪化により実現せずに終わった。
一方、これとは別にドイツ陸軍兵器局は1944年初めに、戦車の生産効率を高めることを背景として将来型戦車の統一化の検討に着手した。
検討の結果、最終的に重戦車はティーガーII、中戦車はパンター、そしてIII号、IV号戦車の後継としてはヘッツァー駆逐戦車の発展型を開発することが決定された。
なお、ヘッツァー駆逐戦車の場合は開発・生産共にチェコ国内のメーカーが担当したが、兵器局はこの新型駆逐戦車をドイツ国内で開発することを決め、ベルリンのアルケット社(Altmärkische Kettenwerke:アルトメルキシェ装軌車両製作所)が開発メーカーに選定された。
国産化ということを受けて、この新型駆逐戦車の呼称はヘッツァー駆逐戦車の公式呼称である「38式駆逐戦車」(Jagdpanzer 38)に、「ドイツ製」(Deutsche)の頭文字「D」を加えて「38D駆逐戦車」(Jagdpanzer 38D)とされた。
38D駆逐戦車がドイツ国内で開発されることになった理由は、前作のヘッツァー駆逐戦車がチェコ国内で開発された車両であったため、生産に必要な工具の規格がドイツと異なっており、ドイツ国内のメーカーで生産することが不可能だったことへの反省による。
38D駆逐戦車のエンジンについては、先のグデーリアンの要求に従って大出力の新型ディーゼル・エンジンを搭載することが決定された。
また主砲については、生産当初はヘッツァー駆逐戦車と同様、デュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社製の48口径7.5cm対戦車砲PaK39を搭載するが、早い段階でより強力な同社製の70口径7.5cm対戦車砲PaK42に換装することが予定された。
38D駆逐戦車の開発は1944年5月から開始され、ヘッツァー駆逐戦車の開発を手掛けたBMM社の設計チームをアルケット社に派遣する形で共同して作業が進められたが、後にチェコ・プルゼニのシュコダ製作所からも技術者15名がアルケット社に派遣されて開発に参加している。
1945年に入るとほぼ開発作業は完了したようで、3月には38D駆逐戦車の第1次発注分として1,250両が生産発注された。
そして38D駆逐戦車の車体はそれまでIII号、IV号戦車の車体をベースとして開発・生産された各種自走砲の後継のベースとしても用いられることとされ、最終的にドイツ陸軍の第一線戦闘車両はティーガーII戦車とパンター戦車、そして38D駆逐戦車とその車体をベースとした各種派生型とするという方針がまとめられ、38D駆逐戦車は3,000両の量産が計画された。
しかし、時期を考えれば分かるようにこれは夢物語に終わり、実際には製作が進められた38D駆逐戦車の試作車1両が、前述の1945年4月20日に開催予定だった新型兵器展示会に、シュタール搭載型ヘッツァーのディーゼル・エンジン搭載車と共に参加する予定が立てられたものの、結局これも実現しなかった。
第2次世界大戦中に38D駆逐戦車の試作車が完成したか否かは不明であるが、戦後プラハ郊外のミロヴァイスの鹵獲車両集積場に、70口径7.5cm砲を搭載したヘッツァー駆逐戦車が保管されていたという、チェコスロヴァキア陸軍の記録が残されている。
ただしこれが38D駆逐戦車の試作車なのか、それとも試験的にヘッツァー駆逐戦車の主砲を70口径7.5cm砲に換装した車両なのかは不明のままである。
常識的に考えれば、ベルリンからチェコに38D駆逐戦車の試作車を運ぶことは当時の状況では不可能と思われ、また試作車の写真も残されていないことから、38D駆逐戦車の試作車は完成しなかった可能性が高いと思われる。
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+構造
38D駆逐戦車は基本的にはヘッツァー駆逐戦車のレイアウトを踏襲していたが、より長大な70口径7.5cm対戦車砲PaK42の搭載を考慮して車体は延長され、その結果として前後のサスペンションの間隔が広がり、それに伴って車体側面に装着されるシュルツェンの数もヘッツァーの片側3枚から4枚に増えた。
しかし転輪やサスペンション・ユニット、履帯などの走行装置はヘッツァー駆逐戦車のものがそのまま用いられた。
ただし、後に1945年1月になって38D駆逐戦車のサスペンションと車体に改良を加えることが求められ、それに伴う重量の増加に対処するため、履帯もヘッツァー駆逐戦車用の幅350mmのKgs.64/350/104履帯から、幅460mmの新型履帯に換装して接地圧の低減を図ることになった。
また38D駆逐戦車に搭載される新型ディーゼル・エンジンは、ヘッツァー駆逐戦車に搭載されたAC2800ガソリン・エンジンエンジンよりもサイズが大きかったため、38D駆逐戦車の戦闘室と機関室の側面装甲板は内部容積の拡大を図って、ヘッツァー駆逐戦車の傾斜装甲板から垂直に改められた。
38D駆逐戦車のエンジンは、タトラ社が開発した103型 V型12気筒空冷ディーゼル・エンジン(出力207hp)を搭載することとされ、併せて変速機もヘッツァー駆逐戦車に用いられたプラガ・ウィルソン手動変速機に代えて、大出力エンジン用に開発されたZF社(Zahnradfabrik Friedrichshafen:フリードリヒスハーフェン歯車製作所)製のAK5-80半自動変速機(前進5段/後進1段)が採用された。
この機関系の変更により本来ならば機動性能の向上が見られるのだが、車体の延長などによって38D駆逐戦車の戦闘重量はヘッツァー駆逐戦車より2t重い18tと試算されたため、実際の機動性能はヘッツァーと同程度の路上最大速度40km/hに留まると考えられた。
しかしディーゼル・エンジンの採用に伴い、38D駆逐戦車の燃費はヘッツァー駆逐戦車に比べて半分以下になり(0.56km/lから1.32km/lへ)、また燃料搭載量もヘッツァーの320リットルから390リットルに増加したため、路上航続距離はヘッツァーの180kmから510kmへと大きく延伸した。
38D駆逐戦車の装甲厚については基本的にヘッツァー駆逐戦車と同様で、車体と戦闘室の前面は良好な傾斜角が与えられた60mm厚の装甲板で構成されていたため高い防御力を備えていた半面、それ以外の部分の基本装甲厚は20mmと薄く、小火器弾の直撃や榴弾の破片に耐える程度の防御力しか備えていなかった。
各部の具体的な装甲厚は車体が前面60mm、側面20mm、後/下面10mm、戦闘室が前面60mm、側/後面20mm、上面8mmとなっており、ヘッツァー駆逐戦車に比べて車体後面の装甲厚が半分になっていた。
38D駆逐戦車の主砲に採用することが予定された70口径7.5cm対戦車砲PaK42は、ドイツ陸軍の新型主力戦車パンターの主砲としてラインメタル社が開発した70口径7.5cm戦車砲KwK42を原型としており、元々はIV号駆逐戦車の新しい主砲として開発されたものであった。
KwK42では、砲身先端に射撃時の反動を低減するための砲口制退機が装着されていたが、PaK42は後座量を変えることによって砲口制退機を必要としない構造に改修された。
これは、砲口制退機付きの48口径7.5cm対戦車砲PaK39を装備したIV号駆逐戦車を運用した結果、射撃の際に砲口制退機から排出されるガスが土埃を舞い上げて視界を極端に妨げることが判明したためで、このためにPaK39搭載型のIV号駆逐戦車は、前線部隊ではほとんど砲口制退機を取り外して運用されていた。
このIV号駆逐戦車の戦訓から、ヘッツァー駆逐戦車の場合は生産最初からPaK39の砲口制退機は未装備とされ、さらにIV号駆逐戦車の火力を強化するためにPaK42を開発することになった際、砲口制退機を必要としない構造に改修されることに繋がった。
7.5cm対戦車砲PaK42は、原型のKwK42と共に第2次世界大戦中にドイツが開発した対戦車兵器の中では傑出した存在であり、電気撃発装置付き半自動機構を採用し装甲目標用のAPCBC-HE(風帽付被帽徹甲榴弾)、APCR(硬芯徹甲弾)および非装甲目標用のHE(榴弾)を発射可能であった。
ヘッツァー駆逐戦車の主砲であるPaK39とPaK42の性能を比較すると、PaK39はPz.Gr.39 APCBC-HEを使用した場合砲口初速750m/秒、射距離1,000mにおける装甲貫徹力が82mmだったのに対し、PaK42はPz.Gr.39/42 APCBC-HEを使用した場合砲口初速925m/秒、射距離1,000mにおける装甲貫徹力は99mmと約20%も向上していた。
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<38D駆逐戦車>
全長: 6.85m
車体長:
全幅: 2.60m
全高: 2.40m
全備重量: 16.7t
乗員: 4名
エンジン: タトラ103 4ストロークV型12気筒空冷ディーゼル
最大出力: 207hp/2,250rpm
最大速度: 40km/h
航続距離: 510km
武装: 70口径7.5cm対戦車砲PaK42×1 (62発)
7.92mm機関銃MG42×2
装甲厚: 8~60mm
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<参考文献>
・「世界の戦車イラストレイテッド14 38式軽駆逐戦車ヘッツァー 1944~1945」 ヒラリー・ドイル/トム・イェンツ 共著 大日本絵画
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画
・「軽駆逐戦車」 ヴァルター・J・シュピールベルガー 著 大日本絵画
・「グランドパワー2001年11月号 駆逐戦車ヘッツァー(2) ヘッツァーのバリエーション」 箙浩一 著 デルタ出版
・「ドイツ陸軍兵器集 Vol.4 突撃砲/駆逐戦車/自走砲」 後藤仁/箙浩一 共著 ガリレオ出版
・「第2次大戦 ドイツ戦闘兵器カタログ Vol.2 AFV:1943~45」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「ドイツ試作/計画戦闘車輌」 箙浩一/後藤仁 共著 ガリレオ出版
・「第2次大戦 ドイツ試作軍用車輌」 ガリレオ出版
・「グランドパワー2013年6月号 駆逐戦車ヘッツァー」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2010年8月号 ドイツ計画戦車」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「パンツァー2015年5月号 第二次大戦で模索されたドイツの戦車武装強化計画」 久米幸雄 著 アルゴノート 社
・「パンツァー2000年12月号 ヘッツァー駆逐戦車の派生型」 後藤仁 著 アルゴノート社
・「パンツァー2011年8月号 ドイツ駆逐戦車ヘッツァー」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「ドイツ駆逐戦車ヘッツァー」 ゲンブンマガジン
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