+概要
1940年6月にドイツ陸軍兵器局第6兵器試験部は、第6検査部の指示でVK.9.01(II号戦車G型)を改良した車両の開発を「VK.9.03」の呼称で、ニュルンベルクのMAN社(Maschinenfabrik
Augsburg-Nürnberg:アウクスブルク・ニュルンベルク機械製作所)に依頼した。
そして試作シャシー5両の製造契約を締結し、同時にベルリン・マリーエンフェルデのダイムラー・ベンツ社とその上部車体と砲塔の製造契約を結んだ。
この車両は1941年9月までに「新型II号戦車」(VK.9.03)と呼ばれるようになり、1941年12月13日付の兵器試験局の記録書類には「II号戦車H型」(VK.9.03)と表記されていた。
VK.9.03は実質的に、VK.9.01の装甲強化と高出力エンジン搭載を目的とした改良型であった。
乗員は3名のままで、砲塔も武装もそのままであった。
VK.9.01のシャシー側面は14.5mm+5.5mm厚の装甲板で構成されていたが、VK.9.03では20mm厚の1枚装甲板になったようである。
またVK.9.03では、後面装甲板がVK.9.01の14.5mmから20mm厚に強化された。
走行装置は基本的にVK.9.01と同様であったが、履帯は後にピンを含む履帯幅が360mmに広げられたKgs.63/360/90型となり、履帯間距離は2,000mmから2,080mmに拡大された。
VK.9.01に搭載されたフリードリヒスハーフェンのマイバッハ発動機製作所製のHL45P 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(出力150hp)は、高出力を得るために回転数を強引に3,800rpmまで高くして対応させたものであった。
このエンジンはI号戦車C型とI号戦車F型にも搭載されていたが、ドイツ軍戦車の中でもこれらは特殊な例であった。
VK.9.03は、その後マイバッハ社が開発した最大出力200hp(定格出力180hp)のHL66P 液冷ガソリン・エンジンを搭載するものとされた。
このエンジンは定格回転数3,200rpmで、シリンダーは直列6気筒、ボア×ストロークは102×130mm、排気量は6,754ccであった。
一方変速機は、VK.9.01に搭載されていたマイバッハ社製のVG15319変速機を、高出力エンジンの高トルクに対応するようにマイナーチェンジさせたVG20417変速機がVK.9.03のために開発された。
そして変速機の先には、LG45(後にLGL15319に改称)操向機が接続されていた。
変速機は前進8段/後進1段で、8段目の走行速度はエンジン回転数300rpm換算で54.5km/hと算出されていた。
1941年1月8日、MAN社は第6兵器試験部と500両のVK.9.03を生産する契約を結んだ。
同時にダイムラー・ベンツ社も、500両分の上部車体と砲塔の生産契約を締結した。
そしてVK.9.03の設計図は、1941年2月頃に完成した。
この時点での兵器局の長期生産計画では、全ての装甲部隊に配備する偵察装甲車両としてVK.9.03を4,000両以上生産する予定であった。
しかしその後、VK.9.03をさらに進化させたVK.13.03(後のII号戦車L型ルクス)の開発が進行したため、1941年8月1日までに500両としていたVK.9.03の発注数は250両に減じられ、残りの250両はVK.13.03とする改訂が第6兵器試験部から通知された。
1941年9月11日、アドルフ・ヒトラー総統の命令により、当時「ゲレート8202」(8202兵器機材)の呼称で開発が進められていた2.8cm戦車砲をVK.9.03に搭載することが決定された。
この砲は、タングステン弾芯を軟質ケースに収めた2.8cm Pz.Gr.41弾薬を使用した口径漸減砲で、後に「2.8cm KwK42」として制式化された。
この砲は小口径であるが近距離では装甲貫徹力が高く、射距離100mで30度傾斜した60mm厚のRHA(均質圧延装甲板)を貫徹できた。
また、ガス圧力により弾薬は自動装填式であったので、発射速度は15~20発/分を達成できた。
2.8cm口径漸減砲KwK42は1942年秋までに10門が確保され、2cm機関砲KwK38の代わりにVK.9.03の試作車に装備されることになっていたが、実際に搭載されたかについては記録が残っていない。
ドイツのタングステン備蓄量は限られていたので、いずれにせよこの砲の搭載計画は破棄に至るのも時間の問題であったと思われる。
VK.9.03の試作車は最初の1両が1942年1月に完成し、2月末までに3両が完成する予定とされた。
そして、生産型の最初の1両は1942年8月1日に完成するものとされた。
しかし変速機と操向機の仕様がなかなか決定に至らず、ヒトラーの決断に委ねられた。
ヒトラーは一旦MAN社の設計を支持したが、1942年3月末に結局VK.9.03の生産型500両の生産契約は、新しいVK.13.03の生産契約に置き換えられてしまった。
従って、VK.9.03の生産型は1両も製作されなかった。
|