+構造
II号戦車G型は、シャシーと戦闘室それに砲塔の前面装甲厚が30mmに強化されていたが、その他の基本装甲厚は以前のII号戦車と同じく14.5mmのままであった。
ただし、シャシー側面は14.5mm厚装甲板では不足と判断され、5.5mm厚の増加装甲板を溶接する仕様が採用されていた。
全体の形状はほぼ左右対称形で類似企画のI号戦車C型によく似ており、後のII号戦車L型「ルクス」(Luchs:ヤマネコ)の源流になったものと思われる。
II号戦車G型にはシャシー前上面にハッチは無く、中央の奥に変速・操向機用の通気口があった。
これには円筒形を組み合わせた装甲カバーが上部に取り付けられており、開口部は後ろ側にあった。
また、シャシーの前面と上面の接合ライン上の左右には、牽引用フックがボルト止めされていた。
シャシー側面の上端部には、フェンダーが取り付けられていた。
上部車体との接合方法は、一般的なアングル材によるフランジ合わせのボルト接合式であった。
戦闘室はシャシーよりも幅が広くなっており、両側とも若干外側に飛び出していた。
乗員の配置はII号戦車D/E型と同じで、車長兼砲手が砲塔内、操縦手が戦闘室内の前方左側、無線手がその右側に位置した。
このため、戦闘室前面装甲板には操縦手用と同じ装甲視察ヴァイザーが無線手用にも装備されていた。
これは30mm厚装甲板に対応した30型装甲視察ヴァイザーで、III号戦車G型用に類似した回転式であった。
そして2つの装甲視察ヴァイザーの間には、欺瞞のためにアルミ合金製のダミーの装甲視察ヴァイザーがボルト止めされていた。
また操縦手用の装甲視察ヴァイザーの上には、ヴァイザーを閉じた時に車内に装備された双眼式のK.F.F.2ペリスコープを使用するための穴が2つ開けられていた。
この他、操縦手用として戦闘室の左側面前方にも視察ヴァイザーが備えられており、これはII号戦車C型用と同型であった。
戦闘室右側面の中央には2mの無線機アンテナ取り付け基部があり、これは円筒形の装甲カバーで保護された旋回式起倒装置に装備されていた。
無線機自体は、操縦手と無線手の間に吊り下げられたラックに装備されたものと思われる。
搭載無線機は、Fu.2もしくはFu.5であった。
戦闘室上面の操縦手と無線手の頭上には、それぞれのための長方形の乗降用ハッチが設けられていた。
この位置にハッチを設けたのは、II号戦車シリーズではG型が初めてである。
これらのハッチは砲塔との干渉を避けるために、内側に開く構造であった。
そして2つのハッチ前方には、山形断面の跳弾板が戦闘室の幅一杯に取り付けられていた。
これは、車体と砲塔とのギャップを前方から保護する目的のものであった。
車体後部の機関室はシャシーと同じ幅で、左右側面の前方にラジエイター用の吸気口用張り出しがあった。
この張り出し部は、戦闘室の幅に合わせた位置まで出ていた。
吸気口はその上部にあり、開口部は仕切りにより6つの区画に分かれていた。
機関室上面は5度傾斜した1枚装甲板で、中央に両側に開く大きなエンジン点検用ハッチがあり、そのすぐ後ろに横に細長い長方形のハッチが1つあった。
これはおそらく、ラジエイター・ファン点検用であったものと推測される。
機関室の後部はシャシーよりも張り出しており、下側が開口してそこからラジエイター・ファンからの排気を行うようになっていた。
開口部のすぐ下中央にはシャシー後面に幅の短い排気マフラーが取り付けられていたため、排気はその左右から出されたが、排出空気が地面の砂塵を巻き上げないように、左右の排出部には空気の流れを後方に向ける偏向ダクトが取り付けられていた。
機関室の後面には中央に5連式の発煙弾発射機が装備されており、これにはエッセンのクルップ社製の装甲カバーが装備されていた。
戦闘室と防火隔壁で仕切られた機関室内には、マイバッハ社製のHL45P 直列6気筒液冷ガソリン・エンジンが中央に設置されていた。
このエンジンはコンパクトで高出力を狙って開発されたもので、シリンダーのボア×ストロークは95×110mm、回転速度は非常に高く3,800rpm、出力150hp、排気量4,678ccであった。
エンジンの出力軸は推進軸を介して、戦闘室内前方に設置されたマイバッハ社製のVG15319変速機に接続された(これは後に同社製のOG20417変速機、もしくはZF社製のSMG50変速機に変更された)。
この変速機は左側の操縦手席スペースを確保するために、右側に張り出した形状をしていた。
これは、マイバッハ社の特許による湿式マルチプレート・クラッチを介して爪接続する形式で、8段変速式(前進8段/後進1段)のものであった。
8段目における最大走行速度は67km/hであったが、これは履帯や転輪の損傷を招くために65km/h(3,200rpm)に制限されていた。
残念ながら燃料タンクの容量が不明であるが、航続距離は路上で200km、路外で125kmであった。
変速機に接続する操向機は、マイバッハ社とミュンヘンのクラウス・マッファイ社の共同開発による3重半径のLGR15319操向機であった。
これは油圧でクラッチ操作を行うもので、操向操作にはホイールハンドルが使用された。
この操作による旋回半径は24種類から選択でき、最少はAポジションの1段ギアシフトで4m、最大はCポジションの8段ギアシフトで332mであった。
そして、車両は停止位置を変えること無く方向転換することができた(超信地旋回)。
LGR15319操向機は後に改良型のLGL15319操向機に変更されたが、こちらについての詳細は不明である。
起動輪はフロントドライブで直径674mm、19枚歯の複列式であった。
起動輪の表側には薄いアーチ状のスポークが8本あり、中央の円錐台形型ハブ周囲には16個のボルトがあり、ハブカバーは2個の大きなボルトで固定されていた。
転輪はゴム縁付きの大型のもので、直径は650mmであった。
転輪は複列式で第1、第3、第5転輪を第2、第4転輪が外側から挟み込むように取り付けられたオーバーラップ式の複合配置とされていた。
このため上部支持輪は省略され、従来のII号戦車シリーズよりも履帯接地長が短くなり、車体を小型化することができたが、接地圧の上昇は避けられなかった。
転輪のデザインは、I号戦車C型とよく似ていた。
第1、第3、第5転輪は7本スポーク型で、第2、第4転輪は放射状に波形のあるディッシュ型であった。
しかし第2、第4転輪は生産中にデザインが変更され、ディッシュに三角形の穴が開けられたため、幅の広いプレススポークが6本あるタイプとなった。
転輪のサスペンションはトーションバーとスウィングアームで構成され、第1、第5転輪にはヘムシャイト社製のHT50油圧ショック・アブソーバーがシャシー側面に装備されていた。
履帯はドライピン式のセンターガイド型で、台形のガイドプレートには穴が開けられていた。
型式はKgs.61/300/110で、これはピンを含んだ幅が300mmで、ピッチが110mm(正確には111mm)であることを意味していた。
履板のリンク数は片側で77枚であった。
シャシー上部に水平に取り付けられたフェンダーは、上面に滑り止めのパターンが無い鋼板製であった。
フェンダーの前端は下に向けてカーブしており、その先に取り付けられた前部泥除けもその形状を維持していた。
前部泥除けは脱着式で、通常はフェンダー先端部にクリップ金具2個で固定されていた。
後部泥除けはフェンダーの後部を斜め下側に折り曲げただけのものだったので、必然的に固定式であった。
右側フェンダー上には前方ステイの直後に前照灯が設けられており、その後ろにシャベルが取り付けられていた。
その後ろの外側には、後部まで届くアンテナ受け台が取り付けられていた。
アンテナ受け台内側の戦闘室横には、消火器が備えられていた。
そして、後部泥除けのステイ位置に円形尾灯が取り付けられていた。
左側フェンダー上には前方ステイ位置に前照灯があり、その外側にノーテク社製の防空型前照灯があった。
さらに、フェンダーの右側面にはホーンが横向きに取り付けられていた。
前照灯の後ろにはバール(大)、その外側にバール(小)があった。
そして機関室の横に工具箱が、後部泥除け上部にジャッキ台が装備されていた。
後部泥除けのステイ位置には、角型の間隔表示灯が取り付けられていた。
II号戦車G型の砲塔は従来のII号戦車シリーズに似ていたが、後部が上下2枚の装甲板を組み合わせ、中央が後方へ楔形に出っ張るという独特なデザインが採用されていた。
周囲に視察ヴァイザーは無く、吊り上げ用フックが左右側面前方と後面中央上部の3カ所にあるだけであった。
砲塔上面後部には、II号戦車F型と同様な周囲8カ所にペリスコープがある車長用キューポラが装備されていたが、これは砲塔の右側にオフセットされていた。
主砲防盾は横長の外装式で、砲塔前面装甲板の長方形開口部に内側からボルト止めされた左右の砲耳にセットされた。
この構造は、III号戦車の5cm戦車砲用防盾に類似していた。
主砲防盾には右側に7.92mm機関銃MG34(装甲バレルジャケット型)1挺、左側に2cm機関砲KwK38を1門同軸装備していた。
これらの取り付け基部には安定化装置が装備され、走行中であっても照準射撃が可能になっていた。
防盾中央にはヴェッツラーのエルンスト・ライツ社製の間接式双眼光学望遠照準機T.Z.F.10(倍率2.5倍、視野角25度)が装備され、そのための2つの穴が開けられていた。
武装の上下動は防盾の動きに依存し、その俯仰角は-10~+20度であった。
旋回角は砲塔の動きに依存するため、360度であった。
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