II号戦車A/B/C型
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+II号戦車A/B/C型
I号戦車を開発した後、本格的な主力戦車として開発を行っていた車両(後にIII号戦車として制式化される)は実用化までにはまだ多大な時間を要し、しかも射撃訓練などの本格的訓練は機関銃しか装備していないI号戦車では難しいという問題に直面した。
1932年にこれらの問題を解決すべく導き出されたのが、より強力な砲を備え戦闘にも補助的に使用することが可能な戦車を開発するという、極めて簡単な結論であった。
これに従い、ドイツ陸軍兵器局第6課はこの折衷戦車ともいえる車両に対する検討作業に入り、1934年に基本要求をまとめ上げた。
この際の要求は戦闘重量10t以内で、2cm機関砲と7.92mm機関銃を砲塔防盾に同軸装備するというもので、同年7月にエッセンのクルップ社、カッセルのヘンシェル社、ニュルンベルクのMAN社(Maschinenfabrik
Augsburg-Nürnberg:アウクスブルク・ニュルンベルク機械製作所)の3社に対し開発設計書の提出を要求した。
この車両はその開発目的をごまかすため、「LaS100」(Landwirtschaftlicher Schlepper 100:農業用トラクター100)という秘匿呼称が与えられていた。
3社の試作車は、1935年春に相次いで完成した。
最初に原型を完成させたのは、クルップ社だった。
同社の案はI号戦車の車体を改修し、新設計の2cm機関砲を装備した砲塔を搭載するというものであった。
これに対してヘンシェル、MAN両社の試作車は車体のみで、砲塔は装備されていなかった。
ヘンシェル社の試作車は片側6個の小型転輪を持ち、2個ずつをペアとしてロッカーアームとリーフ・スプリング(板ばね)で挟み込んで車体に取り付けるという懸架方式が取られていた。
またMAN社の試作車はイギリスのカーデン・ロイド豆戦車の設計の影響を受けた足周りを持ち、構造としては片側6個の小型転輪を2個ずつペアとして、ロッカーアームとリーフ・スプリングを介して車体に取り付けるというヘンシェル社と同様の手法だが、それに加えてアームの3カ所を繋ぐ長いガータービームを持っていた。
兵器局第6課でこれらの設計案を比較検討した結果、車体長が一番長く将来の発展余裕があるとしてMAN社の設計案が選ばれた。
開発を進めるにあたってはI号戦車の時と同様技術習得のために発注先の分散が行われ、車体をMAN社、上部構造と砲塔をベルリン・マリーエンフェルデのダイムラー・ベンツ社が受け持つこととなった。
その他、ポーランド・ヴロツワフのFAMO社(Fahrzeug und Motoren Werke:車両・発動機製作所)およびカッセルのヴェクマン社、さらにブラウンシュヴァイクのMIAG社(Mühlenbau
und Industrie AG:製粉・機械製作所)など幾つかの企業も開発に参加している。
こうして開発は順調に進められ、1935年末にはMAN社のニュルンベルク工場でII号戦車の最初の増加試作型である「1/LaS100」10両が完成した。
この車両は後に「Sd.Kfz.121」の特殊車両番号と、「II号戦車a1型」(Panzerkampfwagen II Ausf. a1)の制式呼称が与えられている。
II号戦車a1型は車体、砲塔とも概ね後の生産型と類似していたが、MAN社製試作車の特徴だった2個ずつの小型転輪をロッカーアームとリーフ・スプリングで支え、ガータービームで挟み込むという懸架方式が採られていた。
戦闘重量は7.6tで、エンジンはフリードリヒスハーフェンのマイバッハ発動機製作所製のHL57TR 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(排気量5,698cc、出力130hp)が搭載されていた。
変速機はZF社(Zahnradfabrik Friedrichshafen:フリードリヒスハーフェン歯車製作所)製のSSG45で前進6段/後進1段、操向機はMAN社の開発による単板クラッチとブレーキシステムを採用していた。
武装は、デュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社製の65口径2cm対空機関砲FlaK30を車載用とした55口径2cm機関砲KwK30と、オベルンドルフ・アム・ネッカーのマウザー製作所製の7.92mm機関銃MG34を砲塔防盾に同軸装備しており、これはII号戦車F型まで変わらない。
乗員は操縦手、無線手、車長の3名となっていた。
続いて生産されたのが、II号戦車a2型15両である。
a2型はa1型に若干の改良を盛り込んで生産されたもので、冷却ファン・システムの点検用ハッチの追加、冷却能力を強化するため発電機を追加、ゴム縁無しの新しい溶接タイプの誘導輪を採用するなどの各点が改良されていた。
a型の3番目のグループがa3型で前期、後期の両タイプ合わせて50両が生産されている。
a3型の改修点としては、前期型では燃料ポンプとオイル・フィルターの点検用ハッチが追加された程度であるが、後期型の25両ではさらにエンジン部に大型のラジエイターが追加され、サスペンションが強化されていた。
なおII号戦車a型については最初の25両をa1型、次の25両をa2型、最後の25両をa3型とする説もある。
以上のa型3グループに続き、1937年2~3月に25両生産されたのがII号戦車b型である。
b型はa型の機動力不足を解消するため、主としてエンジンと足周りの強化が図られた。
エンジンはマイバッハ社製のHL62TR 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(排気量6,191cc、出力140hp)が採用されたが、機関室容積が不足したため車体後部が延長されていた。
機関室内の配置も変更され機関室右側後部に空気排出口が新設され、マフラーも若干細身のものに変更されている。
変速機は従来のSSG45がそのまま使用されたが、操向機は減速歯車を持つ新型のK230Kに変更されている。
これに伴い起動輪が新型に変更され転輪、誘導輪、上部支持輪も幅が広げられ、履帯も幅の広いものに変更されている。
なお上部支持輪は幅が広げられた代わりに、直径が小さくなっていた。
また、サスペンションにも支持アームが追加されて強化が図られている。
b型はこれらの改良の結果全長が4.76mになり、戦闘重量は7.9tに増加している。
1937年3月から生産が開始されたのが増加試作型の最終型であるII号戦車c型で、25両が生産された。
c型ではこれまでのタイプに大幅な設計変更が加えられて、ほぼII号戦車のデザインが決定された。
最大の変更点は足周りで転輪が片側5個ずつの中直径の円盤型となり、サスペンションが片持ち式のリーフ・スプリングに変更されガータービームは廃止された。
上部支持輪も片側3個から4個に増やされ、起動輪、誘導輪ともより大型のものに変更されている。
さらに、履帯も新型となった。
以後のII号戦車の標準的な足周りとなるこの新型サスペンションを採用したことにより、不整地走行能力は向上し生産もより容易になっている。
また、機関室のレイアウトも若干変更されている。
これらの改良の結果c型は全長4.81m、戦闘重量8.9tとなった。
上記したa1、a2、a3、b、c型までがII号戦車の増加試作型といえ、ようやく1937年7月から生産型としてII号戦車A型の量産がスタートした。
この時点でMAN社に加えてベルリンのアルケット社(Altmärkische Kettenwerke:アルトメルキシェ装軌車両製作所)、ヘンシェル社、ヴェクマン社、FAMO社、MIAG社も生産に参加するようになった。
A型は、改良されたHL62TRM 直列6気筒液冷ガソリン・エンジンとSSG46変速機が装備されるようになった以外はc型とほぼ同じである。
続いて1937年12月に生産が開始されたのがB型、1938年6月に生産開始され1940年3月まで生産されたのがC型である。
II号戦車A~C型は視察口や視察クラッペの形状が変更されたぐらいでほとんど違いは無く、生産数も全部で1,113両(1,008両の説もある)ということしか分からない。
1939年9月1日に始まるポーランド侵攻作戦(Unternehmen Weiß:白作戦)において本格的に戦闘に投入されたII号戦車は、しかし意外な脆さを露呈する。
それは非力と思われていたポーランド軍が保有する対戦車銃により、装甲が易々と貫徹されてしまうという問題であった。
このため装甲強化策として採用されたのが増加装甲であり、20mm厚の装甲板を車体と砲塔の前面にボルト止めするという極めて安易な手段であった。
ただし車体前面は湾曲しているためにこの部分のみ装甲板を箱型に溶接し、これを車体前面に装着していた。
この改修はフランス戦に先立つ1940年5月から実施され、A、B、C各型に加えc型の一部にも行われたが、その装着車は生産総数の70%程度とされている。
さらにポーランド、フランスでの電撃戦において車長が外を視察する際、戦闘中でも砲塔のハッチを大きく開いて身を乗り出さねばならず、このため負傷する例が多いとの報告が多数送られてきたため、新たにペリスコープを備えた新型の円形キューポラが開発された。
これは改修キットという形で配布され、国内の工場以外に前線において多くのII号戦車が改修作業を受けた。
改修は1941年10月から実施されたが、この改修を受けた車両の数は不明である。
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+部隊配備
II号戦車の機甲師団への配属は1937年から始まり、当初は司令部小隊および司令部中隊を中心に配備されていた。
また同年には約15両のII号戦車がスペインに送られ、実戦を経験している。
II号戦車は1938~39年のオーストリア併合、ズデーテン地方占領、チェコ併合などの無血占領作戦に参加し、さらにポーランド侵攻には1,223両もの多数が参加しており、まさに当時の機甲戦力の根幹であった。
ポーランド戦時でも、II号戦車は事実上の主力戦車の地位にあった。
本来主力となるべきIII号戦車はほとんど配備されておらず、ほとんどの戦車大隊で最も対戦車火力が高いのはII号戦車だったのである。
ポーランド戦に参加したII号戦車は1,223両だが、この数は全参加戦車の半数近かった。
ポーランド戦においてII号戦車が装備する2cm機関砲の威力はポーランド軍戦車、歩兵に対して充分であったが、わずか14.5mmの装甲防御力ではとてもポーランド軍の対戦車火力に耐えることはできなかった。
このためポーランド戦での損害は大きかったが、それに対して工場から送られてくるII号戦車は多くなかった。
工場では既存の車両の防御力を強化するため、増加装甲を取り付ける作業に追われていたのである。
II号戦車の生産はスローダウンし1939年9月は5両、10月は8両、11月は2両という有様だった。
II号戦車は1939年末までに通算で1,200両以上が生産されていたが、1940年5月10日のフランス侵攻開始時に使用可能な数は1,092両だった。
実際の侵攻作戦にはこの内の955両が使用され、残るII号戦車の一部はノルウェイ方面の作戦に投入されている。
1940年5月のフランス戦時の機甲師団の編制では、II号戦車の各師団への配属状況は以下のようであった。
第1機甲師団 |
100両 |
第2機甲師団 |
100両 |
第3機甲師団 |
110両 |
第4機甲師団 |
110両 |
第5機甲師団 |
110両 |
第6機甲師団 |
40両 |
第7機甲師団 |
40両 |
第8機甲師団 |
40両 |
第9機甲師団 |
75両 |
第10機甲師団 |
100両 |
しかし実際には本来の主力戦車であるIII号戦車の配備数が極端に不足していたため、多くの師団で定数以上のII号戦車が使用されていた。
それどころか各師団で引っ張りだこのII号戦車が不足して、その穴を非力なI号戦車で埋めている師団まであった。
これらの例からも、当時ドイツ陸軍の戦車不足がいかに深刻だったかが分かる。
いずれにせよII号戦車がこのフランス戦でも、機甲師団戦力の中心だったことは紛れも無い事実である。
まだドイツ陸軍の全戦車戦力の40%が、主力戦車と呼ぶには全く不適格なこのII号戦車で占められていたのである。
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<II号戦車a3型>
全長: 4.38m
全幅: 2.14m
全高: 1.95m
全備重量: 7.6t
乗員: 3名
エンジン: マイバッハHL57TR 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 130hp/2,600rpm
最大速度: 40km/h
航続距離: 200km
武装: 55口径2cm機関砲KwK30×1 (180発)
7.92mm機関銃MG34×1 (2,250発)
装甲厚: 5~15mm
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<II号戦車b型>
全長: 4.38m
全幅: 2.14m
全高: 1.95m
全備重量: 7.9t
乗員: 3名
エンジン: マイバッハHL57TR 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 130hp/2,600rpm
最大速度: 40km/h
航続距離: 200km
武装: 55口径2cm機関砲KwK30×1 (180発)
7.92mm機関銃MG34×1 (2,250発)
装甲厚: 5~15mm
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<II号戦車c型>
全長: 4.81m
全幅: 2.22m
全高: 1.99m
全備重量: 8.9t
乗員: 3名
エンジン: マイバッハHL62TRM 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 140hp/2,600rpm
最大速度: 40km/h
航続距離: 200km
武装: 55口径2cm機関砲KwK30×1 (180発)
7.92mm機関銃MG34×1 (2,250発)
装甲厚: 5~15mm
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<II号戦車A/B/C型>
全長: 4.81m
全幅: 2.22m
全高: 1.99m
全備重量: 8.9t
乗員: 3名
エンジン: マイバッハHL62TRM 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 140hp/2,600rpm
最大速度: 40km/h
航続距離: 200km
武装: 55口径2cm機関砲KwK30×1 (180発)
7.92mm機関銃MG34×1 (2,250発)
装甲厚: 5~15mm
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兵器諸元(II号戦車A型)
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<参考文献>
・「パンツァー2003年7月号 AFV比較論 II号戦車 & 九五式軽戦車」 小野山康弘 著 アルゴノート社
・「パンツァー2009年11月号 II号戦車の開発とバリエーション」 久米幸夫 著 アルゴノート社
・「ピクトリアル ドイツ軽戦車」 アルゴノート社
・「グランドパワー2005年12月号 Pz.Kpfw.II IN ACTION」 後藤仁/嶋田魁 共著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2012年8月号 ドイツ戦車の装甲と武装」 国本康文 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2011年6月号 ドイツII号戦車シリーズ」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2020年5月号 ドイツII号戦車(1)」 寺田光男 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2005年11月号 ドイツII号軽戦車」 大村晴 著 ガリレオ出版
・「世界の戦車(1) 第1次~第2次世界大戦編」 ガリレオ出版
・「世界の戦車 1915~1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画
・「戦車ものしり大百科 ドイツ戦車発達史」 齋木伸生 著 光人社
・「図解・ドイツ装甲師団」 高貫布士 著 並木書房
・「戦車名鑑 1939~45」 コーエー
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