+概要
ヴェスペは、1942年1月に計画された対戦車・火力支援車両計画から誕生した自走榴弾砲である。
この計画により、10.5cm軽榴弾砲leFH18を搭載する自走榴弾砲が開発されることになったが、IV号戦車の車台にleFH18を搭載したものと、II号戦車の車台に搭載したものの2車種が開発され、1942年末には試作車が完成した。
それぞれの試作車を用いて試験を行った結果、II号戦車車台の方がコストパフォーマンスに優れているという判断が下され、1943年2月にII号自走榴弾砲「ヴェスペ」(Wespe:スズメバチ)として生産が開始された。
当初は1942年夏から開発が始められた、III/IV号車台に15cm重榴弾砲sFH18を搭載する自走榴弾砲(後のフンメル)が実戦化するまでの繋ぎとして生産が進められたものの、実戦に投入してみると期待以上の能力を発揮したため、ポーランド・ヴロツワフのFAMO社(Fahrzeug
und Motoren Werke:車両・発動機製作所)において予定を上回る大量生産が行われることになり、1942年7月以降に生産されたII号戦車F型の車台は、全てヴェスペ自走榴弾砲に転用せよという命令が出ているほどである。
ヴェスペ自走榴弾砲の開発は、上部構造物をベルリンのアルケット社(Altmärkische Kettenwerke:アルトマルク履帯製作所)、車台をニュルンベルクのMAN社(Maschinenfabrik
Augsburg-Nürnberg:アウクスブルク・ニュルンベルク機械製作所)が担当した。
車台は当時生産されていたII号戦車F型のものが用いられているが、車体後部に10.5cm砲を搭載する関係から、エンジンやラジエイターなどは車体の中央部に移動し、車体前部に独立した形で操縦室が設けられた。
また、そのままでは後部の戦闘区画の容積が少ないため車体後部が延長されており、II号戦車F型の車台を用いているといっても、実際には本車専用の車台といって何ら差し支えないものであった。
また車重の増加に伴い、各転輪のスプリングにはダンパーが追加され、上部支持輪が片側4個から3個に減っているのも本車の特徴である。
車体中央部の機関室上面が砲の台座を兼ねており、この上に砲架が載せられ、周囲に10mm厚の装甲板で構成されたオープントップ式戦闘室を配したそのスタイルは、フンメル自走榴弾砲に酷似していた。
ヴェスペ自走榴弾砲の主砲に採用された28口径10.5cm軽榴弾砲leFH18は、デュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社が開発し、1935年に制式化された軽榴弾砲で、第2次世界大戦を通じてドイツ軍野戦砲の主力として活躍したものである。
弾頭重量14.81kgの榴弾を用いた場合、最大射程は12,325m、発射速度は4~6発/分となっていた。
ヴェスペ自走榴弾砲に搭載した場合、砲の旋回角は左右各17度ずつ、俯仰角は-5~+42度となっていた。
ヴェスペ自走榴弾砲の車内には、32発の10.5cm砲弾が搭載された。
主砲の防盾は、砲を左右に振った場合でも隙間が生じないように半円形の大きなものが採用されており、戦闘室の後面には、作業用プラットフォームを兼ねた起倒式の横長ハッチが設けられていた。
機関室の左右には、吸気用と排気用のグリルがそれぞれ独立して設けられており、操縦室は車体左前部に突出して設けられ、上面には前後開き式の操縦手用ハッチが備えられていた。
ヴェスペ自走榴弾砲は、機甲師団および機甲擲弾兵師団の機甲砲兵連隊の第1大隊に配備され、最初に大量投入されたのは1943年7月の「城塞作戦」(Unternehmen
Zitadelle)時である。
ヴェスペ自走榴弾砲の生産は1944年7月まで続き、676両が完成したが、これに加えて全く同じ構造を用いながら主砲を搭載せずに、車内に10.5cm砲弾90発を収容した専用の弾薬運搬車が159両生産されている。
ヴェスペ自走榴弾砲の生産終了の理由はFAMO社のあるヴロツワフが陥落したためで、暫定的に作られた自走砲としては非常に評価が高く、終戦まで全ての戦線で活躍している。
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