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2A3コンデンサートル2P 406mm自走加農砲





1950年代初期にアメリカが最初の原子砲である280mm野戦加農砲M65を実用化したのに対抗し、ソ連は50年代半ばに2種類の自走式原子砲の開発に着手した。
ソ連が開発した2種類の自走式原子砲の内、レニングラード(現サンクトペテルブルク)のキーロフ工場設計局がグラービン砲兵設計局と共に短期間にまとめ上げたのが、かつて西側から「SU-310」のNATOコードネームで呼ばれていた406mm自走加農砲2A3「コンデンサートル」(Kondensator:コンデンサー)2Pである。

本車を「SU-310」(310mm自走砲)と西側が呼んだのは搭載火砲の口径が310mmではないかとの推測によるもので、実際はグラービン砲兵設計局が開発した長砲身の406mm加農砲SM-54だったのである。
この406mm加農砲SM-54は、重量570kgの核砲弾RDS-41を最大有効射程25,600mまで飛ばすことができた。
つまり一種の戦術核兵器といえるもので、敵戦線後方地域や敵部隊集結地に向けて発射することを企図していた。

2A3自走加農砲の車体は、同時期にキーロフ工場設計局で開発が進められたT-10M重戦車のコンポーネントが多く用いられており、エンジンも同じものを搭載していた。
1955年4月18日付のソ連閣僚会議決定で開発が発令された本車は「オブイェークト271」の開発番号が与えられ、1957年に試作車が完成し1959年まで工場における試験に供された後、国家試験を経て1960年にソ連軍に制式採用された。

2A3自走加農砲は4両が製作され、ほぼ同一の車体に420mm後装式迫撃砲SM-58を搭載した2B1「オカ」(Oka:ヴォルガ川の支流の河川名)自走迫撃砲と共に最高司令部予備特別重砲連隊を構成し、1957年11月7日の革命記念日パレードで公開された。
しかし、通常型兵器を嫌ったミサイル兵器万能論者であるN.フルシチョフ首相が、「貧困な軍事感性の産物」と酷評したことから、両自走砲は1960年代の中頃にはお蔵入りしてしまった。

おまけに、2A3自走加農砲の開発で不評を買うことになったグラービン砲兵設計局は閉鎖されるという不幸な運命を辿ったのである。
その後ソ連軍ではこれら原子砲に代わって、R-11(NATOコードネーム「スカッド」(Scud:ちぎれ雲))や、9K52「ルナー」(Luna:月、NATOコードネーム「FROG7」)等の師団レベル短距離弾道ミサイル・システムが開発され、大量に装備されていった。


<2A3 406mm自走加農砲>

全長:    20.00m
車体長:   9.30m
全幅:    3.08m
全高:    5.75m
全備重量: 64.0t
乗員:    8名
エンジン:  V-12-6B 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル
最大出力: 750hp/2,100rpm
最大速度: 30km/h
航続距離: 200〜220km
武装:    406mm加農砲SM-54×1
装甲厚:  


<参考文献>

・「パンツァー2001年7月号 ソ連・ロシア自走砲史(10) 機甲部隊支援用自走砲の開発」 古是三春 著  アルゴ
 ノート社
・「グランドパワー2020年3月号 赤の広場のソ連戦闘車輌写真集(3)」 山本敬一 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2018年12月号 ソ連軍重戦車 T-10」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「ソビエト・ロシア戦闘車輌大系(下)」 古是三春 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2001年12月号 ソ連軍自走砲(1)」 古是三春 著  デルタ出版
・「世界の軍用車輌(2) 装軌式自走砲:1946〜2000」  デルタ出版
・「ソ連・ロシア軍 装甲戦闘車両クロニクル」  ホビージャパン
・「本当にあった! 特殊兵器大図鑑」 横山雅司 著  彩図社
・「世界の戦車パーフェクトBOOK」  コスミック出版

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