+概要
本車は、少数生産に終わったII号戦車G型(VK.9.01)の唯一の派生型として開発された対戦車自走砲である。
本車の主砲に採用されたのは、デュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社が開発した牽引型の60口径5cm対戦車砲PaK38を車載用に改造したもので、砲尾と砲架はIII号戦車の主砲として同社が開発した42口径5cm戦車砲KwKから流用されていた。
主砲には防盾が取り付けられ、その後方にはオープントップ式の簡易砲塔らしきものが構築されていた。
戦闘室は前面装甲板以外は再設計されて、上部の主砲搭載位置は開口していた。
ただし、開口部の前方から側面にかけて山形断面の跳弾板が取り付けられていたので、主砲は簡易砲塔ごと限定旋回したものと推測される。
操縦手用の左側視察ヴァイザーは、I号戦車の操縦手用前方視察ヴァイザーと同じく、視察口が横に2つ並んだ細長いものを装備していた。
本車の開発は1940年7月5日にドイツ陸軍兵器局第6検査部の許可を得て、第6兵器試験部がラインメタル社に発注を行い始められた。
これによりラインメタル社は、ニュルンベルクのMAN社(Maschinenfabrik Augsburg-Nürnberg:アウクスブルク・ニュルンベルク機械製作所)が設計したVK.9.01シャシーに、5cm対戦車砲PaK38の改造型を搭載する対戦車自走砲を設計した。
ドイツ陸軍の1941年5月30日付の1941年度戦車生産計画では、5cm対戦車自走砲を1,200両生産するとしており、この他に装甲砲兵と偵察大隊のために828両が必要であるとされた。
ただし、具体的な生産計画は組まれていなかった。
当時はまだソ連侵攻作戦(Unternehmen Barbarossa:バルバロッサ作戦)を開始する前だったので、計画は急がれなかった。
VK.9.01シャシーの5cm対戦車自走砲は1941年9月に試作車2両が完成予定とされたが、実際の完成時期は不明である。
本車は後に、「I号c型対戦車自走砲」として公式文書に記録された。
1942年3月10日にドイツ陸軍兵器局は、I号c型対戦車自走砲を第601戦車駆逐中隊第3小隊に2両配備させる指示を出した。
1942年4月21日に第601戦車駆逐中隊から改称された第559戦車駆逐大隊第3中隊には、2両のI号c型対戦車自走砲が配備されていた。
実際に同隊の1942年8月の戦闘記録に、これらの車両の存在が記録されている。
しかし、ソ連侵攻で遭遇したT-34中戦車やKV-1重戦車などに対しては5cm砲では力不足との判断から、I号c型対戦車自走砲は結局試作のみに終わった。
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