一式七糎半自走砲(一式砲戦車) ホニI
|
|
+開発
1939年12月、九七式中戦車(チハ車)の車体に九〇式野砲(口径7.5cm)を搭載した自走砲の開発が、陸軍技術本部第一研究所で開始された。
「ホニI車」の秘匿呼称で1941年中頃には試作車が完成し、同年10月には陸軍野戦砲兵学校で実用試験が開始された。
ホニI車は元々砲兵科の管轄だったため「自走砲」に分類されていたが、後に機甲科(第四研究所)の管轄に変更された際に「砲戦車」と呼ばれるようになった。
しかし日本陸軍において「自走砲」と「砲戦車」は基本的に同じものであり、単に兵科間の権限争いから別な呼称が冠されたに過ぎない。
このような事例は他国の軍隊でも見られ、ドイツ陸軍の「駆逐戦車」と「突撃砲」も機甲科と砲兵科の権限争いによって同じような車両に別の呼称を与えた例である。
1941年末、ホニI車は「一式七糎半自走砲」として制式化され、日本陸軍の自走砲の第1号となった。
その頃南方戦線で、日本陸軍の戦車隊は対戦車火力の不足に悩んでいた。
九七式中戦車が搭載する短砲身の九七式五糎七戦車砲では、米英軍が装備する最大装甲厚2インチ(50.8mm)のM3軽戦車には全く歯が立たなかったのである。
長砲身の一式四十七粍戦車砲を搭載する九七式中戦車改(新砲塔チハ)が登場するのは1942年の半ばで、後継の一式中戦車(チヘ車)に至っては1944年の春であった。
そこで7.5cm級野砲を搭載する一式七糎半自走砲が注目されることとなり、戦闘法を工夫すれば戦車隊での使用も可能と判断され、「一式砲戦車」としても制式化された。
本車は日本陸軍の自走砲としては強力な装甲が施されており、7.5cmという主砲口径も1943年に登場した戦闘車両としては列強と比べるとやや見劣りがするものの、小口径砲が大半を占めていた日本陸軍の戦闘車両の中ではトップクラスのものであった。
|
+生産と部隊配備
一式七糎半自走砲の量産開始はかなり遅れ、1943〜44年ごろ主に日立製作所の亀有工場で始まった。
資料により1943年5月から日立だけで124両を生産したとするもの、1943年11月から一式十糎自走砲(ホニII車)と合計で138両が生産されたとするもの、1944年7月から55両が生産されたとするもの等色々である。
一式七糎半自走砲は本来の目的である機動砲兵用自走野砲として、戦車師団の機動砲兵連隊に装備された。
さらに、一部の戦車連隊にも砲戦車として配備された。
日本陸軍の自走砲としては珍しくフィリピン(戦車第二師団)、ビルマ(戦車第十四連隊)等で実戦に使用されている。
1944年10月にレイテ戦場にアメリカ軍のM4中戦車が出現すると、これの対策として野戦砲兵学校、千葉戦車学校から自走砲が集められ、独立自走砲大隊を編制してフィリピンに派遣された。
1個中隊の自走砲数は3両であったが、一式七糎半自走砲の配属先ははっきりしない。
この独立自走砲大隊は1944年11月1日に編制が下令され、8日に千葉を出発、10日に佐世保を出港した。
しかし、この部隊はマニラ湾で爆撃により海没してしまった。
少数は上陸できたともいわれ、アメリカ軍がルソン島で撮った写真に1両が写っている。
一式七糎半自走砲で現存する車両は1両のみで、現在メリーランド州アバディーンのアメリカ陸軍兵器博物館に展示されている。
|
+攻撃力
一式七糎半自走砲の主砲は、九〇式野砲を車載用に改修したものが搭載された。
照準装置は牽引型の九〇式野砲と全く同じものを装備し、旋回ハンドルによる砲の旋回範囲は左右各200mmずつとなっていた。
車載化にあたって九〇式野砲は閉鎖機が小型化されると共に、後座長も短縮された。
また牽引型では砲身先端に砲口制退機が装着されていたが、これは長さ70mm、外径160mmの砲口補強リング(砲口環)に改められた。
砲口制退機が取り外されたのは、砲口制退機によって砲身を制動するのに利用される発射ガスのエネルギーが後方に向かって拡散作用するため、砂塵を飛ばすばかりか連続射撃の場合は砲手が鼻血を出すなどの影響が出たためである。
九〇式野砲は口径7.5cm、砲身長2,883mm(38.4口径長)で、弾薬は九〇式尖鋭弾、九四式榴弾、九五式破甲榴弾、一式破甲榴弾を使用した。
一式七糎半自走砲の車内には、3発ずつ収容されるトランク型ケースに入れて8ケース(24発)の7.5cm砲弾が搭載され、戦闘間の弾薬補充は牽引車に引かれた弾薬車によって行われた。
九〇式野砲は一式破甲榴弾を使用した場合、砲口初速680m/秒、射距離450mで100mm、900mで75mmのRHA(均質圧延装甲板)を貫徹することができ、対戦車戦闘にも威力を発揮した。
しかし元来が野砲で敏速な操砲を考慮した設計ではなく、照準装置も間接射撃用が主だったので部隊では測遠機を使用した実用的射撃法を工夫したという。
フィリピンの戦闘では、アメリカ軍のM4中戦車を前面から射距離500mで撃破したという証言もある。
|
+防御力
一式七糎半自走砲の車体は九七式中戦車の車体をベースとしており、旋回砲塔部を取り去ってその部分をオープントップの戦闘室とし、九〇式野砲の揺架以上を搭載した。
車体前面には16mm厚の追加装甲板がリベット止めされて装甲の強化が図られ、車体機関銃は撤去されている。
乗員を防護するために、九〇式野砲には前面と左右側面を囲む防盾が設けられた。
後面と上面はオープンとなっていたが、本車は近接戦闘を想定しない自走砲であるため特に問題とは考えられなかった。
装甲厚は車体が前面41mm、側面25mm、後面20mm、上面16mm、下面8mm、防盾部が前面50mm、側面12mmとなっており、日本陸軍の戦闘車両としては比較的強力な防御力を備えていた。
|
+機動力
一式七糎半自走砲の主砲として採用された九〇式野砲は元々、戦車団または戦車師団の機動砲兵連隊に配備されていた牽引砲である。
40km/hの高速で牽引されても破損しないように設計されていたが、低出力の牽引車では不整地で戦車に追い付けないことがあり、また陣地進入から効力射開始までに時間が掛かった。
一式七糎半自走砲に搭載して自走化したことにより砲列布置時間は大幅に短縮され、また弾力的な対戦車遅滞戦闘を計画できるようになった。
一式七糎半自走砲の機動性能はベースとなった九七式中戦車とほぼ同等であり、最大速度は路上で38km/hとなっていた。
|
<一式七糎半自走砲>
全長: 5.90m
車体長: 5.55m
全幅: 2.33m
全高: 2.39m
全備重量: 15.9t
乗員: 5名
エンジン: 三菱SA12200VD 4ストロークV型12気筒空冷ディーゼル
最大出力: 170hp/2,000rpm
最大速度: 38km/h
航続距離: 10時間
武装: 九〇式38.4口径7.5cm野砲×1 (24発)
装甲厚: 8〜50mm
|
兵器諸元
|
<参考文献>
・「パンツァー2004年12月号 日本陸海軍の自走砲/砲戦車(1) 中戦車々体改造車」 高橋昇 著 アルゴノート
社
・「パンツァー2002年2月号 AFV比較論 一式自走砲 & マルダーII」 斎木伸生 著 アルゴノート社
・「パンツァー2008年11月号 日本陸軍の対戦車自走砲」 高橋昇 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2018年7月号 九七式中戦車 チハ」 吉川和篤 著 アルゴノート社
・「日本の戦車と装甲車輌」 アルゴノート社
・「日本陸軍兵器 将兵と行動をともにした陸戦火器のすべて」 新人物往来社
・「日本軍兵器総覧(一) 帝国陸軍編 昭和十二年〜二十年」 デルタ出版
・「世界の軍用車輌(1) 装軌式自走砲:1917〜1945」 デルタ出版
・「帝国陸海軍の戦闘用車両」 デルタ出版
・「機甲入門 機械化部隊徹底研究」 佐山二郎 著 光人社
・「大砲入門 陸軍兵器徹底研究」 佐山二郎 著 光人社
・「決定版 世界の最強兵器FILE」 おちあい熊一 著 学研
・「帝国陸軍 戦車と砲戦車」 学研
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著 グランプリ出版
・「戦車名鑑 1939〜45」 コーエー
|
関連商品 |
タミヤ 1/35 ミリタリーミニチュアシリーズ No.331 日本陸軍 一式砲戦車 人形6体付 35331 |