I号指揮戦車
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+I号指揮戦車A型
I号戦車の派生型の中で最も有名で、また最も数多く生産されたのがこのI号指揮戦車である。
こうした車両が作られた背景には、無線指揮に対するドイツ軍の考え方がある。
無線を利用した指揮・統制は、ドイツ軍の編み出した機動戦術にとって死活的に重要だったのである。
一般的にはI号戦車に装備される無線機はFu.5送受信機であったが、通常はFu.2受信機が戦闘室内の右前部に装備されていた。
この場合、操縦手が無線手を兼ねなければならなかった。
操縦しながら無線を操作できるわけもなく、その上全般的な戦闘指揮など全く不可能だった。
このため、戦闘指揮を専門とするために開発されたのがI号指揮戦車というわけである。
I号指揮戦車で最初に登場したのはI号戦車A型をベースにしたタイプで、新規生産ではなくI号戦車A型の最初の生産ロットであるLaS 2ゼーリエの車両を改造して製作された。
改造の要領であるがまずI号戦車A型の砲塔を取り外し、ほぼ同じ位置に8角形の背の高い車長用キューポラが設けられた。
車長用キューポラは戦闘室の右半分をそのまま上に延長したような形状に成型されており、上面には右開き式の半円形のハッチが、前面と後面にはスリットのある視察クラッペが設けられていた。
武装は装備されておらず車長用キューポラの右側後方に通常のロッドアンテナ、車体右側前部のフェンダー上にコの字型をしたフレームアンテナが取り付けられていた。
戦闘室内部には通常型I号戦車の標準装備であるFu.2受信機に加えて、Fu.6送受信機と専用の無線手が追加されていた。
このI号指揮戦車A型は、1934年3月2日に行われたドイツ陸軍兵器局第6課とエッセンのクルップ社の代表による会合において開発が決定され、当初は10両の製作が発注されたが後に15両に増やされた。
完成したI号指揮戦車A型は1935年8月18〜30日にかけてミュンスターの試験場において試験に供され、その後ツォッセン自動車化教導コマンドの第I、第II大隊本部と、オールドルフ自動車化教導コマンドの第I大隊本部に配備された。
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+I号指揮戦車B型
しかしI号指揮戦車の一般的なタイプは、より大型のI号戦車B型をベースにしたタイプであった。
この車両は1935年11月29日に行われた討論で開発が決定し、当初は「小型指揮戦車」の公式呼称が与えられたが、1936年半ばに「小型装甲指揮車両」の制式呼称と「Sd.Kfz.265」の特殊車両番号が与えられている。
I号指揮戦車B型の生産はクルップ社の子会社であるマクデブルクのグルゾン製作所の他、ベルリン・マリーエンフェルデのダイムラー・ベンツ社、カッセルのヘンシェル社の計3社で行われ、下表のように1937年末までに合計184両が生産された。
I号指揮戦車B型の生産数 |
生産メーカー |
1ゼーリエ |
2ゼーリエ |
3ゼーリエ |
合 計 |
グルゾン製作所 |
25 |
16 |
0 |
41 |
ダイムラー・ベンツ社 |
0 |
30 |
44 |
74 |
ヘンシェル社 |
0 |
1 |
68 |
69 |
合 計 |
25 |
47 |
112 |
184 |
I号指揮戦車B型はA型のように既存の戦車型からの改造ではなく、完全に新規に製作された。
ベースとなった車台は、I号指揮戦車B型の第1生産ロットである1ゼーリエがLaS 5aゼーリエ車台、2ゼーリエがLaS 6aゼーリエ車台、3ゼーリエがLaS
7aゼーリエ車台であった。
LaS 5aおよび6aゼーリエ車台はI号戦車B型と共用の車台であったが、LaS 7aゼーリエ車台はI号指揮戦車B型用に追加生産された車台であり、ラジエイターの容量が従来の3.9リットルから5.5リットルに増大されていた。
この改良は、I号戦車B型でも生産半ば頃の車両から導入されている。
I号指揮戦車B型は車体の上部設計が戦車型から大きく変更されており、戦闘室上部の砲塔は撤去され、元々は砲塔基部であった戦闘室はそのまま上へ延長されて内部容積が拡大され、無線手が搭乗するスペースが確保された。
戦闘室には多くの視察クラッペが設けられており、戦車型にもあった戦闘室前面左側と左右側面前部の視察クラッペの他、前面の中央部と右側面の中央部にスリット付きの視察クラッペ、後面右側にスリット無しの視察クラッペがあった。
戦闘室左側には乗降用の観音開き式の大型ハッチがあり、このハッチには外部視察用に防弾ガラスのはめ込まれたスリットが設けられていた。
また戦闘室上面右側には8角形の車長用キューポラが設けられており、キューポラの周囲には防弾ガラスの入ったスリットが開口していた。
車長用キューポラ上面のハッチは左右開き式の長方形のハッチ2枚となり、I号指揮戦車A型よりもスムーズに乗降できるようになった。
なお、この車長用キューポラは初期の一部車両には装備されておらず、おそらく戦訓によって追加されたものと思われる。
また戦訓により、戦闘室とその前方にあたる車体上面に15mm厚の追加装甲板を装着した車両も多かった。
武装は7.92mm機関銃1挺が戦闘室前面右側にマウントされており、通常は車長が操作した。
車内には、900発の7.92mm機関銃弾を携行していた。
なお7.92mm機関銃は初期には、デュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社製のMG13k(MG13の短銃身タイプ)を円形防盾付きのマウントに装備していたが、生産途中からオベルンドルフ・アム・ネッカーのマウザー製作所製のMG34に換装され、併せて装備方法もボールマウント式銃架に装備するように改められている。
大型化した戦闘室内には地図用テーブルが設けられ、Fu.2とFu.6の2台の無線機が搭載されていた。
Fu.6は出力20Wの送受信機で、通常型I号戦車に搭載されているFu.5送受信機のおよそ2倍の通信距離(Fu.5の6〜10kmに対して13〜16km)を持っていた。
また無線機用のバッテリーに充電するため、専用の小型発電機も装備されていた。
アンテナは戦闘室の右後部から横に張り出して装備し、使用時以外はフェンダーに斜めに取り付けられたケースに収納した。
この他、後期の一部車両には大型の2mフレームアンテナが戦闘室周囲に取り付けられたものもあり、この車両にはFu.6よりもさらに通信距離の長いFu.8送受信機が搭載されていたものと考えられる。
これらの車両は一般に、大隊本部付車両として使用されていた。
I号指揮戦車は1935年後期から使用が開始されていたが、大規模に使用されるようになったのは1940年5月10日のフランス侵攻作戦開始時からであった。
それ以後も北アフリカや東部戦線などで使用されたが、I号戦車そのものの退役に伴って指揮戦車もより大型のIII号指揮戦車などに更新されていった。
大戦中期以降は戦車修理部隊、砲兵部隊などで観測車両や連絡車両として使用され、珍しい例としては装甲救急車として使用されたものもあった。
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<I号指揮戦車B型>
全長: 4.42m
全幅: 2.06m
全高: 1.99m
全備重量: 5.9t
乗員: 3名
エンジン: マイバッハNL38TR 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 100hp/3,000rpm
最大速度: 40km/h
航続距離: 140km
武装: 7.92mm機関銃MG13kまたはMG34×1 (900発)
装甲厚: 6〜28mm
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<参考文献>
・「パンツァー2015年6月号 ドイツ軍電撃戦の神経中枢を担ったI号指揮戦車」 久米幸雄 著 アルゴノート社
・「パンツァー2004年11月号 ドイツI号戦車とそのバリエーション」 稲田美秋 著 アルゴノート社
・「パンツァー2016年2月号 ドイツ陸軍の指揮戦車」 後藤仁 著 アルゴノート社
・「ピクトリアル ドイツ軽戦車」 アルゴノート社
・「グランドパワー2000年4月号 ドイツI号軽戦車の開発/構造/戦歴」 佐藤光一 著 デルタ出版
・「グランドパワー2012年8月号 ドイツ戦車の装甲と武装」 国本康文 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2011年1月号 ドイツI号戦車シリーズ」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2020年2月号 ドイツI号戦車(2)」 寺田光男 著 ガリレオ出版
・「世界の戦車 1915〜1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画
・「戦車ものしり大百科 ドイツ戦車発達史」 齋木伸生 著 光人社
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著 グランプリ出版
・「図解・ドイツ装甲師団」 高貫布士 著 並木書房
・「戦車名鑑 1939〜45」 コーエー
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