試製一号戦車/試製二号戦車
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試製一号戦車
試製二号戦車
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+開発
1925年5月1日にいわゆる「宇垣軍縮」が実行され、日本陸軍は4個師団が廃止される代わりに、千葉と久留米に各1個中隊の戦車隊が新設された。
しかし当時の日本はまだ戦車の国産化に着手していなかったため、これらの部隊に配備された戦車は1919〜20年に研究用に購入した旧式なフランス製のルノーFT軽戦車と、イギリス製の中戦車Mk.Aホイペットだけであった。
そこで陸軍省は、1925年2月から科学研究所長の緒方勝一少将(同年5月に中将に昇進)を団長とする戦車購買団を欧米各国に派遣し、欧米の最新鋭戦車を輸入しようと目論んだ。
しかし購買団の目論みは外れ、アメリカでクリスティー戦車の設計者であるジョン・W・クリスティー氏と、イギリスでヴィッカーズ・アームストロング社と交渉するも商談は成立せず、フランスから第1次世界大戦の余剰在庫である中古のルノーFT軽戦車の購入を持ち掛けられたのみであった。
他に購入する当ても無いので、購買団はルノーFT軽戦車を大量購入しても良いか本国に打診した。
一方、1923年10月に日本初の装軌式車両である三屯牽引車を完成させた陸軍技術本部車両班は、戦車の国産化に自信を持っていた。
そして陸軍大臣に要望を出した結果、初の国産戦車開発が認可されることとなり、ルノーFT軽戦車の大量購入は見送られた。
ただし、戦車の開発に時間を掛けて陸軍の近代化を遅らせるわけにいかないため、陸軍省は1927年3月末までに試作車を完成させるよう厳命した。
1925年2月から設計要領が検討され、翌26年2月には技術本部に開発すべき戦車の具体的性能・諸元が指示された。
・車体重量は12t、路上最大速度は25km/h。
・装甲は主要部は37mm砲弾に抗堪し、その他の部分は小銃弾に抗堪すること。
・武装は、57mm短加農砲を装備すること。
・幅員は、内地の鉄道輸送を考慮すること(幅2.2m)
等であった。
厳しいスケジュールの中で、技術本部車両班のメンバーは原乙未生大尉(後の中将)が中心となって不眠不休で戦車の開発に没頭した。
1925年6月に設計を開始し、およそ1年で1万点以上にも昇る設計図を書き上げ、翌26年5月から大阪工廠で試作車の製作が開始された。
当時の大阪工廠は日本最大の兵器工場であったが、戦車を作るためには既存の工作機械では能力が足りず、神戸製鋼所など阪神地区の民間工場の力を借りながら部品を1つ1つ作り、問題があればその都度解決していきながら作業を進めた。
しかし日本の技術者たちにとって戦車の開発は初めての経験だったため、試製一号戦車の開発は試行錯誤の連続であったようである。
要求仕様は車体重量12tであったが、武装を強化したため設計重量で16tとなり、さらに各部の強度に安全を見たために試作車の車体重量は18tに増加してしまった。
試作車は1927年2月に概ね完成し、工廠内で運行できる状態となった。
この間、1年9カ月という短期間であった。
同年6月には試製一号戦車の運行試験が行われたが、重量が大幅に計画値を超過したため、路上最大速度は20km/h程度に留まった。
しかし、当時戦車隊が保有していた旧式なルノーFT軽戦車(路上最大速度8km/h)や中戦車Mk.Aホイペット(路上最大速度14km/h)と見比べれば、画期的な機動力であった。
登坂、超壕、超堤能力に問題は無く、実用に適すると判定された。
この頃、日本陸軍はヴィッカーズ社から最新鋭の中戦車Mk.Cを購入し、主力戦車として装備することを前提に各種試験を行っていたが、試製一号戦車が予想外の高性能を発揮したことから陸軍は外国製戦車の導入方針を撤回し、国産戦車の整備方針が定められることとなった。
ただし、試製一号戦車は主力戦車として採用するには重量が重過ぎるとして、より軽量な主力戦車(後の八九式中戦車)を「イ号車」の秘匿呼称で開発することになった。
しかし試製一号戦車もまだまだ捨て難い利点も持っていたので、これを改良して支援用重戦車とすることに方針が決定し、その技術的要件が技術本部研究方針に追加された。
この改良型戦車(試製二号戦車)は、57mm短加農砲を主砲とする路上最大速度22km/hの歩兵支援戦車であるのは試製一号戦車と変わらなかったが、備考として熱帯地での使用を考慮し、また船舶輸送を考慮して、簡単に分解できる主砲塔や副砲塔を除いた本体重量を16t以内に収めるよう強調されていたのが注目される。
試製二号戦車は、1930年4月に改造が終了した。
各部の重量を削って16tに減量し、アルミピストンの採用とバルブタイミングの変更でエンジン出力を増大することで、機動力の向上と操縦の容易さを達成した。
主砲は当初、試製一号戦車と同じく57mm短加農砲を装備していたが、後に70mm砲に換装された。
試製一号戦車からの外見上の変更点は、主砲塔の車長用キューポラの高さが低くなり、排気管のマフラーが車体後面からフェンダー上に移動、超堤能力を向上させるため誘導輪の位置が高くなった等が挙げられる。
この改造によって試製二号戦車は、当初計画された目標を概ね達成していた。
しかし技術本部としては、将来的に量産することがあれば全面的な新設計を行うつもりだったといわれる。
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+攻撃力
試製一号戦車の武装は、車体中央部の戦闘室上に搭載された主砲塔に試製五十七粍戦車砲を1門、戦闘室の前方と後方に搭載された副砲塔に7.7mm重機関銃を各1挺ずつ装備した。
この武装の口径および配置は、当時のイギリス戦車に倣ったものであった。
主砲の試製五十七粍戦車砲の設計は1926年3月に着手され、同年10月に完成した。
その後改修を行い1927年7月に試製一号戦車に搭載され、1930年に制式化されて「九〇式五糎七戦車砲」となった。
この砲は、八九式中戦車の主砲にも採用された。
砲の性能は砲口初速350m/秒、最大射程5,700mとなっていた。
試製二号戦車も当初は主砲塔に九〇式五糎七戦車砲を装備していたが、後に18.2口径長の7cm戦車砲(型式不明)に換装している。
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+防御力
試製一号戦車の装甲厚は主要部で17mm、それ以外は8〜10mmとなっており、車体下面は6mmであった。
これは37mm砲弾に抗堪できるぎりぎりの装甲厚であったが、計画値より大幅に重量が増加してしまったためこれ以上装甲を強化することは不可能であった。
なお、当時の日本には戦車用防弾鋼板の製造技術が無かったため、試製一号戦車は防弾鋼板ではなく軟鋼板で製作されていた。
試製二号戦車では軽量化を図るために主要部の装甲厚が15mmに減じられ、そのおかげで当初の計画値である16tに重量を収めることができ、機動力がやや改善された。
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+機動力
試製一号戦車のエンジンは、1923年に国産の155mm自走加農砲用に設計されたものであったが、自走砲の計画が上の都合で沙汰止みになったため本車に流用されたと伝えられている。
エンジンは車体中央部に搭載され、前後の副砲塔の連絡用通路を兼ねたエンジン点検用スペースが設けられていた。
操向方式は、遊星歯車式変速・操向機とクラッチ・ブレーキの併用式であった。
試製一号戦車のサスペンション方式は、リーフ・スプリング(板ばね)を平行四辺形に組み合わせたもので、走行間射撃時の安定を狙っていたが、重量が大きく緩衝性能が乏しかったという。
転輪は小直径のものが片側32個も用いられており、前方に誘導輪、後方に起動輪を配していた。
試製二号戦車ではアルミピストンの採用とバルブタイミングの変更でエンジン出力を増大することで、機動力が向上し操縦性が改善された。
また試製一号戦車より誘導輪の位置を高くすることで、超堤能力も向上した。
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<試製一号戦車>
全長: 6.03m
全幅: 2.40m
全高: 2.43m
全備重量: 18.0t
乗員: 5名
エンジン: 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン
最大出力: 140hp
最大速度: 20km/h
航続距離: 10時間
武装: 九〇式18.4口径5.7cm戦車砲×1 (110発)
7.7mm重機関銃×2 (5,000発)
装甲厚: 6〜17mm
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<試製二号戦車>
全長: 6.22m
全幅: 2.45m
全高: 2.53m
全備重量: 16.0t
乗員: 5名
エンジン: 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン
最大出力: 150hp
最大速度: 21km/h
航続距離: 10時間
武装: 九〇式18.4口径5.7cm戦車砲(後に18.2口径7cm戦車砲)×1
7.7mm重機関銃×2
装甲厚: 6〜15mm
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<参考文献>
・「パンツァー2013年8月号 帝国陸軍の戦車武装 戦車砲と車載機銃(上)」 高橋昇 著 アルゴノート社
・「パンツァー2020年10月号 特集 八九式中戦車」 吉川和篤 著 アルゴノート社
・「パンツァー2005年12月号 国産試製一号戦車」 高橋昇 著 アルゴノート社
・「日本の戦車 1927〜1945」 アルゴノート社
・「日本の戦車と装甲車輌」 アルゴノート社
・「グランドパワー2001年2月号 日本軍機甲部隊の編成・装備(1)」 敷浪迪 著 デルタ出版
・「帝国陸海軍の戦闘用車両」 デルタ出版
・「グランドパワー2007年4月号 日本陸軍 八九式中戦車(1)」 古是三春 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2003年12月号 日本陸軍 九五式軽戦車」 真出好一 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2013年8月号 日本陸軍 八九式中戦車」 国本康文 著 ガリレオ出版
・「日本軍戦闘車両大全 装軌および装甲車両のすべて」 大日本絵画
・「日本陸軍兵器 将兵と行動をともにした陸戦火器のすべて」 新人物往来社
・「戦車機甲部隊 栄光と挫折を味わった戦車隊の真実」 新人物往来社
・「日本陸軍の戦車 完全国産による鉄獅子、その栄光の開発史」 カマド
・「日本の戦車と軍用車両」 高橋昇 著 文林堂
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