+概要
イタリア軍は1941年にM14/41中戦車の車体を流用し、53口径90mm高射砲を搭載する自走砲セモヴェンテM41M da 90/53の開発に着手したが、この車両は期待通りの好成績を発揮し、これに意を強くしたイタリア軍は続いて1942年に、149mmという大口径の加農砲を搭載する自走砲の開発に着手した。
これがセモヴェンテ da 149/40で、イタリア軍が第2次世界大戦中に開発した唯一の野戦重砲を搭載した自走砲である。
類を見ない大口径砲の搭載により既存の戦車車体を流用することはできず、このためフィアット・アンサルド社の手によって全く新規の車体が製作されることになった。
この車体は全長6.5m、全幅2.9mと、イタリア軍の装軌式車両の中では最大のものであった。
重量バランスの関係で、149mm加農砲は車体後部に搭載するため機関室は車体中央部に設けられ、この機関室のみが突出した形で車体前部に配された操縦室と一体化された。
結果として大口径砲を採用しながらも、非常に背の低い偏平なスタイルにまとめられることになった。
足周りは、イタリア軍初の重戦車として開発を進めていたP40重戦車のものを一部に改良を加えて流用し、開発期間の短縮を図っているが、これは本車の計画車重とP40重戦車の車重がほぼ同じだったからである。
主砲として採用された40口径149mm加農砲M35は、アンサルド社が1935年に開発した近代的な野戦加農砲で、重量46kgの榴弾を用いた場合砲口初速は800m/秒で、最大射程は23.7kmにも達する強力な火砲であった。
砲架は牽引型のものをそのまま用いており、仰角は牽引型と同じ+45度まで取れたが、左右の旋回角は牽引型の60度に対し53度に限定されていた。
また車体後面には射撃時の車体の動揺を抑えるために、内側に折り畳むことができる脚が装着されていた。
この脚は長さこそ短いものの牽引砲の脚と同様のもので、先端部分にアンカーを打ち込んで固定するようになっていた。
アメリカ軍の大口径砲搭載自走砲が車体後面に駐鋤を装備していたのと発想は同じであるが、アプローチが異なるのは面白い。
エンジンはSPA社製のV型12気筒液冷ガソリン・エンジンが搭載されたが、車体重量が24tにもなるため、M15/42中戦車に搭載されたものよりさらに高出力の250hp級のものが使用された。
このサイズの車体でも150mmクラスの加農砲を搭載するとやはり余裕はあまり無くなり、車両に乗って移動できる乗員は2名のみで、砲弾も6発搭載するのがやっとであった。
他の操砲要員は、別の弾薬車や随伴車両で移動するようになっていた。
セモヴェンテ da 149/40は1943年に試作車1両が完成し、続いて生産型20両が発注されたものの、戦況の悪化からかついに量産には移されなかった。
試作車は実用試験のためにチュニジアへ送られており、そこでアメリカ軍に鹵獲されている。
1943年9月のイタリア降伏後は、一応ドイツ軍も北イタリアで本車の生産を画策し、10両分の資材を揃えたものの結局生産は行われずに終わっている。
アメリカ軍に鹵獲された試作車は、アメリカ・メリーランド州のアバディーン陸軍試験場に送られて試験に供され、現在は同地のアメリカ陸軍兵器博物館の展示車両として余生を送っている。
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