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VII号戦車レーヴェ (VK.70.01)





ドイツ陸軍兵器局第6課は1941年11月1日付で、70t級の新型重戦車「VK.70.01」の開発計画を公表した。
VK.70.01の基本仕様を見ると装甲厚は車体前面で140mm、車体側面で100mmとされており、当時の常識を破る重装甲が求められていた。
にも関わらず、VK.70.01は路上最大速度43.6km/hという中戦車並みの速度を達成することが要求されていた。

この要求をクリアするため、VK.70.01はベルリン・マリーエンフェルデのダイムラー・ベンツ社が開発した魚雷艇用のエンジン(出力1,000hp/2,400rpm)を搭載することが予定された。
この時点ではVK.70.01の搭載武装はまだ決まっていなかったが、砲塔は全周旋回が可能で車体に2名、砲塔に3名の乗員を配置することになっていた。
また貨車輸送の制限から、VK.70.01の重量上限は90tとされていた。

この頃、後のパンター戦車に繋がる30t級中戦車の開発計画から外されたエッセンのクルップ社はVK.70.01の開発に強い関心を持ち、1942年1月21日付で70口径の10.5cm砲を備える基本案を兵器局第6課に提出した。
この主砲は、射距離1,000mで傾斜角30度の160mm厚RHA(均質圧延装甲板)を貫徹可能という強力なものであった。

この案を受けて兵器局第6課は、当初計画していたVK.70.01への魚雷艇用エンジン搭載を取り止め、クルップ社に対して当時フリードリヒスハーフェンのマイバッハ発動機製作所が開発を進めていた、HL230 V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力800hp)の搭載を指示し、1943年1月までに生産を開始することを条件にVK.70.01の開発を発注した。

当時東部戦線において、ドイツ軍機甲部隊はT-34中戦車やKV-1重戦車といった強力なソ連軍戦車に苦戦を強いられており、前線からは一刻も早く強力な新型戦車を望む声が寄せられていた。
このため1942年2月に兵器局第6課は、VK.70.01を早期に実戦化するために機関系を当時カッセルのヘンシェル社が開発を進めていたVK.45.01(H)(後のティーガーI戦車)から流用し、装甲厚を車体前面100mm、側面80mmとした72t級戦車として開発のスピードアップを求め、試作車による試験無しで量産に入ることを決定した。

そして兵器局第6課はこの変更案を基に、1942年4月にクルップ社に対してVK.70.01の試作車2両の製作を発注したが、この内1両は砲塔を搭載した完全な試作車とし、もう1両は砲塔の代わりに同重量のダミー・ウェイトを搭載するものとした。
また4月中に、VK.70.01は名称が「レーヴェ」(Löwe:ライオン)へと変更された。

レーヴェ戦車は1942年2~5月にかけて様々な基本形が検討され、通常形式に加えて機関室を前方に配して砲塔を車体後部に搭載したものや、異なる機関系と武装、異なる装甲厚と重量など、判明しているだけで5種類の設計案が存在している。
レーヴェ戦車の車体は傾斜面で構成されたティーガーII戦車と同様のものであったが、機関室部分のみ一段高くすることで全高を抑えるよう工夫されていた。

砲塔は鋳造製で避弾経始を考慮した丸みの強いデザインとなっており、主砲の砲身基部は「ザウコプフ」(豚の頭)型の防盾でカバーされていた。
しかしこの頃、ヒトラーはより大型で大重量の超重戦車を望んでいたためレーヴェ戦車計画を認めず、開発と試作車製作の中止を指示した。
このため兵器局第6課は1942年7月20日付で、クルップ社に対しレーヴェ戦車の開発中止を通達した。


<VK.70.01>

全長:
全幅:    
全高:
全備重量: 72.0t
乗員:    5名
エンジン:  マイバッハHL210P45 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 650hp/3,000rpm
最大速度: 
航続距離:
武装:    70口径10.5cm戦車砲KwK×1
装甲厚:   最大100mm


<参考文献>

・「第2次大戦 ドイツ戦闘兵器カタログ Vol.2 AFV:1943~45」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2010年8月号 ドイツ計画戦車」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著  大日本絵画


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