T29重戦車
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+概要
ドイツ陸軍は1942年11月から、戦雲急を告げる北アフリカ戦線(チュニジア)に、新型重戦車ティーガーIを実戦投入した。
ティーガーI重戦車は、8.8cm高射砲FlaK36を原型とする強力な56口径8.8cm戦車砲KwK36を搭載し、最大装甲厚100mm以上という、出現当時紛れも無く世界最強の戦車であった。
アメリカ陸軍はこのティーガーI重戦車に対抗するために、1943年半ばから新型重戦車T26(後のM26パーシング重戦車)の開発に着手した。
M26重戦車の開発は順調に進み、1944年中に量産に着手できる見込みとなった。
しかし同年半ばになって、ドイツ陸軍の新型重戦車ティーガーIIに関する情報がヨーロッパから届けられた。
このティーガーII重戦車は、ティーガーI重戦車の主砲よりはるかに強力な71口径8.8cm戦車砲KwK43を搭載し、装甲厚も砲塔前面で180mmという重装甲で、ティーガーI重戦車への対処を目的に開発されたM26重戦車では分が悪いことは明白であった。
しかも1944年6月のノルマンディー上陸後、少数ではあるがすでにティーガーII重戦車が実戦に投入されており、まだ戦場に到着しない前にM26重戦車が旧式化してしまった感さえあった。
このため1944年9月14日、M26重戦車のさらなる強化を図った新型重戦車の開発要求が出された。
この新型重戦車は、対装甲威力に優れる65口径105mm戦車砲T5E1を搭載するT29重戦車と、大口径榴弾を発射可能な40口径155mm戦車砲T7を備える、火力支援型のT30重戦車の2本立てで開発が進められることになり、それぞれ2両の試作車が発注された。
1945年3月には、まだ試作車の完成も見ないまま1,200両の生産も要求されており、アメリカ陸軍当局がティーガーII重戦車の脅威を痛感していたことを感じさせる。
開発期間の短縮とコストの削減を図るため、T29重戦車は履帯など一部のコンポーネントがM26重戦車から流用されており、そのこともあってT29重戦車の外観は、M26重戦車の拡大版ともいうべきものであった。
T29重戦車の車体は、M26重戦車と同様に防弾鋳鋼と圧延防弾鋼板が用いられ、前面上部の装甲厚もM26重戦車と同じ4インチ(101.6mm)とされていたが、避弾経始を考慮して54度の傾斜が与えられていた。
前面下部の装甲厚は2.75インチ(69.85mm)/58度、側面は前部が3インチ(76.2mm)、後部が2インチ(50.8mm)、後面は上部が2インチ、下部が0.75インチ(19.05mm)で、上面は1インチ(25.4mm)と装甲厚ではティーガーII重戦車に水を開けられていた。
車体前部は操縦室となっており、前部左側に操縦手、前部右側に車体前面のボールマウント式銃架に装備された、ユタ州オグデンのブラウニング火器製作所製の7.62mm機関銃M1919A4を操作する機関銃手が配された。
それぞれの頭上には、M13ペリスコープ1基を備えるハッチが設けられていた。
T29重戦車の砲塔は、M26重戦車と同じく防弾鋼の鋳造であったが、M26重戦車の砲塔よりもサイズが大きく、砲塔リングの直径は80インチ(2,032mm)に拡大されていた。
装甲厚は前面が7インチ(177.8mm)、側面が5インチ(127mm)、後面が4インチ、上面が1.5インチ(38.1mm)、防盾が8インチ(203.2mm)〜11インチ(279.4mm)と、砲塔の装甲厚ではティーガーII重戦車を上回っていた。
砲塔内には4名の乗員が位置し、後部中央に車長が、右側前部に砲手がそれぞれ収まり、車長と砲手の間には主砲を挟む形で装填手2名が配されていた。
装填手2名の頭上にはそれぞれハッチが設けられており、車長には、防弾ガラスを内蔵したM15ペリスコープをハッチに備えたキューポラが用意されていた。
砲手の前方にはT143E1直接照準機が設けられており、頭上にはM10E5照準ペリスコープが装備されていた。
砲塔の右側面には円形の射撃用ハッチが設けられており、空薬莢を外に排出する際にも用いられた。
主砲の65口径105mm戦車砲T5E1は、沿岸防空部隊用の60口径105mm高射砲M1を車載用に改造したもので、T32徹甲弾を使用した場合、砲口初速3,000フィート(914m)/秒、射距離1,000ヤード(914m)で135mm、2,000ヤードで119mmのRHA(均質圧延装甲板、傾斜角30度)を貫徹することが可能であった。
なお、この砲を搭載したのはT29重戦車が初めてではなく、1944年から開発が続けられていた要塞線突破用の超重戦車T28の主砲にも採用されている。
T28重戦車は、ドイツ陸軍のあらゆる対戦車砲に耐えられるよう、最大厚12インチ(304.8mm)の重装甲を施しており、戦闘重量が86tにも達する超重戦車であった。
ただし、T28重戦車は固定式戦闘室にT40砲架を介して、105mm戦車砲T5E1を限定旋回式に搭載していたため、主砲の射界が限られるという欠点があった。
これに対し、T29重戦車では全周旋回式砲塔に主砲が搭載されたため、戦闘能力は大きく向上していた。
砲塔搭載ということで砲架はT123が用いられ、105mm砲弾は砲塔内と車内合わせて63発が収容された。
主砲の後座量が大きいため、M26重戦車に比べて砲塔後部は大きく延長されていた。
主砲の左側には同軸機関銃として上下に、ブラウニング火器製作所製の12.7mm重機関銃M2が装着されており、左側の装填手用ハッチの前にも、対空用の12.7mm重機関銃M2を装着するマウントが設けられていた。
左側の装填手用ハッチ後方と、操縦室中央部上面にはヴェンチレイターがそれぞれ設けられており、主砲や機関銃の発射ガスを速やかに車外に排出するようになっていた。
T29重戦車のエンジンは、ミシガン州ディアボーンのフォード自動車製のGAC V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力770hp)が用いられ、これに、インディアナ州インディアナポリスのGM(ジェネラル・モータース)社アリソン変速機部門が開発した、新型のクロスドライブ式自動変速・操向機EX-120が組み合わされた。
M26重戦車と同じくエンジンと変速機、操向機、ブレーキはパワーパックとして一体化されていた。
T29重戦車には、新たに開発された電気式操縦装置が備えられており、通常はこれを用いて操縦を行うようになっていたが、緊急時を考慮して手動式操縦レバーも設けられていた。
しかしこの電気式操縦装置は信頼性が低く、このため後に機械式操縦装置に変更された。
また操縦装置は、操縦手だけでなく機関銃手にも用意されており、それぞれ独立して操縦を行うことができた。
T29重戦車はM26重戦車に比べて車体が延長されたため、転輪はM26重戦車より2個増えて片側8個とされ、上部支持輪も2個増えて片側7個となった。
車体後部の機関室にパワーパックを搭載する関係から、起動輪はM26重戦車と同じ後方配置とされた。
T29重戦車の試作第1号車は1945年4月12日に、ペンシルヴェニア州ピッツバーグのPSC社(Pressed Steel Car:圧延鋼板・自動車製作所)に製作が発注されたが、すでに戦争も先が見えていたため、生産型の発注数は1,152両に減らされた。
4月末までにさらに4両の試作車が追加発注されたが、その後2両は、主砲を60口径120mm戦車砲T53に強化したT34重戦車に切り替えられている。
しかし第2次世界大戦が終了したことを受けて、1945年8月23日にPSC社で完成状態にあった試作第1号車と、製作がほぼ終了していた第2号車、および全ての資材はミシガン州ウォーレンのデトロイト工廠に引き渡すよう通達が出され、同工廠で戦後の戦車開発のベースとするために、試作車10両を完成させることが決定された。
1947年7月10日にはこの試作車は8両に減らされ、同年10月に、試作第1号車がメリーランド州のアバディーン車両試験場に送られた。
この車両は変速・操向機が、アリソン社製のCD-850-1クロスドライブ式自動変速・操向機に換装されており、トルク変換機を介して前進2速/後進1速を選択できた。
しかし、すでにアメリカ陸軍はT29重戦車に対する興味を失っており、研究を目的として様々な機関系の試験に供されることが決まり、1948年4月と5月にそれぞれ1両ずつの試作車が試験に加わった。
その後試作第1号車はGM社に送られて、アリソン社製の航空機用エンジンを車載用に改修した、V-1710-E32 V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力870hp)に換装され、呼称も1947年12月に「T29E1」と改められた。
このV-1710エンジンはP-40ウォーホーク、P-39エアラコブラ、P-38ライトニングなどのアメリカ軍戦闘機に用いられていたものである。
またこのエンジン換装に併せて、T29E1重戦車は車体長が30mmほど延長された。
一方試作第2号車には、新たに重戦車用に開発されたT5砲塔が搭載された。
この砲塔には、マサチューセッツ州ケンブリッジのマサチューセッツ工科大学の手になる油圧式砲塔旋回・俯仰装置と、コンピューターを用いたFCS(射撃統制装置)が備えられており、主砲はこれに併せて105mm戦車砲T5E2に変更され、砲架もT123E2に替わった。
105mm戦車砲T5E1では、砲架の上部に3本の駐退復座機が設けられていたが、T5E2では2本に減り、配置も上下1本ずつに改められていた。
この改良を受けた後、試作第2号車の呼称は「T29E2」に変更され、製作が進められていたT29重戦車の試作第3、4、5、6、7号車は、105mm戦車砲T5E2とT123E1砲架が用いられることになった。
また時期は不明だが、試験中に変速・操向機は改良型のCD-850-2に換装されている。
また試作第8号車は、第1号車と同様に105mm戦車砲T5E1とT123砲架の組み合わせが用いられ、T31E1測遠機とT93E2望遠照準機が装備された。
さらに、砲手のペリスコープはT141とT144展望式ペリスコープに変更され、砲塔上面にはM10E5照準ペリスコープに替えて、T145展望式望遠ペリスコープが装着された。
これらは、より効果的な射撃を可能とするFCSに関する研究を目的としたもので、T25E1中戦車で用いられたものを一部改良して使用したものである。
試作第8号車の呼称は「T29E3」と改められたが、砲塔の左右側面に測遠機のレンズを収める大きなフェアリングが突出していたので、他の試作車とは容易に識別できる。
なお、フェアリングの前面には内開き式の装甲カバーが設けられており、射撃時のみに開くことで不用意な破損を避けていた。
T29E3重戦車に装備されたT31E1測遠機は基線長2.7mのステレオ式で、FCSと連動されてはいないが、砲手の照準機とフレキシブル・シャフトで結合されており、目標までの距離を表示することができ、アバディーンでの試験では射距離1,000ヤード以上で初弾を命中させている。
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<T29重戦車>
全長: 11.57m
車体長: 7.62m
全幅: 3.81m
全高: 3.226m
全備重量: 64.183t
乗員: 6名
エンジン: フォードGAC 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 770hp/2,800rpm
最大速度: 35.4km/h
航続距離: 161km
武装: 65口径105mmライフル砲T5E1×1 (63発)
12.7mm重機関銃M2×3 (2,420発)
7.62mm機関銃M1919A4×1 (2,500発)
装甲厚: 12.7〜279.4mm
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<T29E1重戦車>
全長: 11.60m
車体長: 7.65m
全幅: 3.81m
全高: 3.226m
全備重量: 63.956t
乗員: 6名
エンジン: アリソンV-1710-E32 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 870hp/2,800rpm
最大速度: 35.4km/h
航続距離: 121km
武装: 65口径105mmライフル砲T5E1×1 (63発)
12.7mm重機関銃M2×3 (2,420発)
7.62mm機関銃M1919A4×1 (2,500発)
装甲厚: 12.7〜279.4mm
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<T29E3重戦車>
全長: 11.57m
車体長: 7.62m
全幅: 3.81m
全高: 3.226m
全備重量: 65.317t
乗員: 6名
エンジン: フォードGAC 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 770hp/2,800rpm
最大速度: 35.4km/h
航続距離: 121km
武装: 65口径105mmライフル砲T5E1×1 (63発)
12.7mm重機関銃M2×3 (2,420発)
7.62mm機関銃M1919A4×1 (2,500発)
装甲厚: 12.7〜279.4mm
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兵器諸元(T29E3重戦車)
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<参考文献>
・「パンツァー2013年5月号 アメリカのTシリーズ試作戦車(15) T29/30/32重戦車シリーズ、T34重戦車、T31デ
モリション戦車、T33火焔放射戦車」 大佐貴美彦 著 アルゴノート社
・「パンツァー2004年4月号 アメリカ陸軍 T29/T30試作重戦車」 白石光 著 アルゴノート社
・「グランドパワー2014年5月号 最後のアメリカ重戦車 M103シリーズ」 箙浩一 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2005年3月号 第2次大戦後のアメリカ軍重戦車」 箙浩一 著 ガリレオ出版
・「第2次大戦 米英軍戦闘兵器カタログ Vol.3 戦車」 ガリレオ出版
・「世界の戦車 1915〜1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画
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