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T-34中戦車





●T-34中戦車の開発

1936年7月に勃発したスペイン内戦は、左派の人民戦線政府を支援するため義勇部隊を派遣したソ連に初めて本格的な戦車の実戦使用の機会を与えた。
そこで明らかになったのは充分な装甲防御力を持ち、堅陣を粉砕し得る搭載火砲の必要性であった。
ソ連戦車を含む当時の戦車はまだ本格的な対戦車戦闘を経験していなかったため、その装甲防御力は小口径弾の直撃や榴弾の破片程度に耐えることを考慮しており、通常の装甲厚は13〜15mm程度だった。

そのため、ナチス・ドイツが支援した右派の反乱軍が装備していたドイツ製の45口径3.7cm対戦車砲PaK36により、ソ連義勇部隊の装甲の薄いT-26軽戦車やBT-5快速戦車は容易に撃破されてしまった。
この経験は直ちにソ連軍装甲車両局(ABTU)に報告され、量産・配備中の戦車の装甲と火力を強化する策が採られた。

当時A.O.フィルソフ主任技師の統括下でBT快速戦車シリーズの生産と改良に従事していたウクライナの第183ハリコフ機関車工場では、BT-7快速戦車をベースに装甲防御力を強化したBT-SV-2快速戦車の開発に着手した。
このBT-SV-2快速戦車は重量の増加によって機動力を犠牲にすることを避けるために、車体と砲塔のデザインに徹底して避弾経始を導入することで、装甲厚を増やさずに装甲防御力を強化することを開発コンセプトにしていた。

BT-SV-2快速戦車の試作車は車体と砲塔の全周囲に渡り装甲が鋭い角度で傾斜するように設計されており、装甲厚の増加を最小限にして装甲防御力を大幅に向上させることに成功していた。
このBT-SV-2快速戦車の開発成果を踏まえ、ABTUは1937年8月15日付で第183工場に対して新型快速戦車の要求仕様を提示し、1939年までに試作車を完成させることを要求した。
この際に提示された要求仕様は、以下のようなものであった。

・戦闘重量13〜14t
・第75ハリコフ・ディーゼル工場で開発中の400hp以上の出力を持つディーゼル・エンジンを搭載
・全体を傾斜装甲とし車体装甲厚25mm、砲塔装甲厚20mm
・主砲は45mm戦車砲または76.2mm戦車砲
・副武装は7.62mm機関銃DTを2挺
・乗員3名
・装軌状態での航続距離300km

この要求仕様に基づいて第183工場の第190設計局は「A-20」の開発番号で、45mm戦車砲を装備する新型快速戦車の開発プランを企画した。
しかし当時、ソ連国内では独裁者I.V.スターリン共産党中央委員会書記長による粛清の嵐が吹き荒れており、A-20中戦車の開発に着手しようとしていた第183工場のフィルソフ主任技師も逮捕、処刑される事態となってしまった。

ちょうどこの時、第183工場からレニングラード(現サンクトペテルブルク)に出向してT-29中戦車の開発などに携わっていたM.I.コーシュキン技師が、T-29中戦車の開発中止のあおりで第183工場に戻ってくることになったため、彼がフィルソフの後を継いで第190設計局の主任技師に就任することになった。
コーシュキンはスペイン内戦の戦訓からA-20中戦車は能力的に不充分と判断し、76.2mm戦車砲を装備し車体装甲厚を30mmに強化したA-30中戦車を開発することを企画した。

また当時ソ連軍が装備していたBT快速戦車シリーズは、原型となったアメリカ製のクリスティー戦車と同じく、通常の装軌走行モードの他に履帯を外して装輪状態で路上を高速走行できることが特徴だったが、コーシュキンはT-29中戦車の開発経験から、重量の大きい車両では装輪走行モードはあまり効果が無いことを認識していた。
このため彼はA-30中戦車から装輪走行モードを廃止して、製造コストの低減を図ったA-32中戦車の開発も起案した。

コーシュキンがABTUに提案したA-20、A-30、A-32の3つの新型戦車プランはスターリン書記長、K.E.ヴォロシーロフ元帥ら主要な閣僚が集まった1938年5月8日の国防閣僚会議で検討され、その結果第183工場でA-20、A-32の2つの新型戦車を並行して開発することが決定され、性能比較試験を行って優れている方をソ連軍の装備として制式採用することになった。

両者の設計作業は1938年暮れにようやく完了し、1939年1月には実物大モックアップと縮小模型が完成した。
これらの審査の結果同年2月27日付で試作車の製造が許可され、日本軍との間にハルハ川戦役(ノモンハン事件)が勃発した時期と重なる1939年5月末頃に、ようやくA-20中戦車とA-32中戦車の試作車が完成した。
A-20中戦車は全長5.76m、全幅2.65m、戦闘重量18tで、主砲にはBT-7快速戦車と同じ46口径45mm戦車砲20Kを装備していた。

BT快速戦車シリーズと同様に装輪/装軌の2つの走行モードを備えており、転輪も同様に片側4個となっていた。
エンジンは、第75工場がフランスのイスパノ・スイザ社製の航空機用ガソリン・エンジンを基に開発したV-2 V型12気筒液冷ディーゼル・エンジン(出力500hp)を搭載しており、装軌状態で路上最大速度74.7km/hの機動性能を発揮できた。

一方A-32中戦車は全長5.76m、全幅2.73m、戦闘重量19tで、主砲にはT-28中戦車の後期型にも装備された23.7口径76.2mm戦車砲L-10を採用していた。
装輪走行モードは廃止されており、不整地での履帯の路面追随性を良くするためにA-20中戦車より転輪の間隔を詰めて転輪数を片側5個に増やしていた。
エンジンは、やはりV-2ディーゼル・エンジンを搭載していた。

なお当初の計画ではA-32中戦車の最大装甲厚は30mmにする予定であったが、製作上の都合で試作車の最大装甲厚はA-20中戦車と同等の25mmに抑えられていた。
A-20中戦車の工場試験は1939年5月26日から、A-32中戦車の工場試験は6月中旬から開始され、7月中旬からはクビンカの装甲車・戦車科学技術研究所(NIIBT)に場所を移して運用試験が開始された。

この試験においてコーシュキンの予想通り、A-20中戦車の装輪モードでの走行性能がBT快速戦車シリーズに劣っていることが明らかになった。
一方、装輪モードを廃止したA-32中戦車は転輪の間隔を詰めて転輪数を増やしたことが功を奏し、不整地ではA-20中戦車を上回る機動性能を発揮した。
また主砲の威力においてもA-32中戦車はA-20中戦車を上回っており、A-32中戦車の採用が濃厚になった。

ABTU局長D.G.パブロフ、ヴォロシーロフ元帥らが列席して1939年9月23日に実施された公開比較試験の結果、参加したほぼ全員がA-32中戦車の優位性を認め、報告を受けたスターリンは直ちにA-32中戦車の採用を決定している。
ただしハルハ川戦役やソ連軍の東部ポーランド侵攻における経験を踏まえ、A-32中戦車の装甲防御力を強化するよう要求が出された。

この要求の結果、第183工場ではA-32中戦車の主要部装甲厚を45mmに強化したA-34中戦車を改めて製作した。
A-34中戦車は1940年2月までに2両が試作され、試験に供された。
装甲厚を強化したことでA-34中戦車の戦闘重量はA-32中戦車に比べて6.83t増加したが、機動性能は中戦車として充分に満足できる水準を維持できた。

また主砲もA-32中戦車に装備された23.7口径76.2mm戦車砲L-10に替えて、より強力な30.5口径76.2mm戦車砲L-11が装備された。
折りしも1939年11月30日にソ連がフィンランドとの開戦に踏み切ったため、新型戦車の早急な実戦化が求められ、A-34中戦車の試作車が完成する前の1939年12月19日付で、A-34中戦車を「T-34中戦車」(Sredniy Tank T-34)の制式名称でソ連軍に採用することが早くも決定した。

また同じ日に、KV重戦車とT-40水陸両用軽戦車のソ連軍への採用も決定されている。
T-34中戦車の2両の試作車は1940年3月18日にモスクワのクレムリン宮殿でスターリンに供覧された後、第1号車はNIIBTで耐弾試験やドイツ軍のIII号戦車との比較試験に供され、第2号車は対フィンランド戦の前線に送られて対陣地射撃試験が行われた。

III号戦車との比較試験においてT-34中戦車は火力、防御力、機動力の全ての面でIII号戦車を凌駕する性能を示し、耐弾試験でもドイツ軍の3.7cm対戦車砲PaK36の近距離からの射撃にビクともしなかった。
この結果を受けて1940年3月31日にT-34中戦車を第183工場で急ぎ量産開始すると共に、スターリングラード(現ヴォルゴグラード)のスターリングラード・トラクター工場(STZ)でも量産準備に入ることが決定された。

T-34中戦車の生産数は1940年こそ117両に留まったものの、1941年に3,014両、1942年に12,527両と次第に拡大していき、1943年には最大の15,833両が生産されている。
1944年には主砲を85mm戦車砲に換装した改良型のT-34-85中戦車に生産が切り替えられたため、76.2mm戦車砲装備のT-34中戦車の生産は3,976両で終了している。

T-34中戦車(76.2mm戦車砲搭載型)の生産数
1940年 1941年 1942年 1943年 1944年 合 計
第183工場※ 117 1,585 5,684 7,466 1,838 16,690
スターリングラード・トラクター工場 ブランク 1,256 2,684 ブランク ブランク 3,776
第112クラースノエ・ソルモヴォ工場 ブランク 173 2,584 2,962 557 6,276
第100チェリャビンスク・キーロフ工場 ブランク ブランク 1,055 3,594 445 5,094
第9ウラル重機械工場 ブランク ブランク 267 464 ブランク 731
第174オムスク・レーニン工場 ブランク ブランク 417 1,347 1,136 2,900
合    計 117 3,014 12,527 15,833 3,976 35,467
※ハリコフ機関車工場、ニジニ・タギル移転後はウラル戦車工場

T-34中戦車は1941年6月22日の独ソ戦開始時までに1,225両が完成しており、その内967両がソ連軍に引き渡されていたが、緒戦では戦車兵の練度不足や稚拙な戦車運用によって大半が各個に撃破されてしまった。
しかしその後集中運用が確立され戦車兵の練度が向上すると、敗色濃厚だった1941年秋のモスクワ攻防戦の戦局を挽回し、1945年のベルリン攻防戦に至るまでソ連軍の主力戦車として活躍した。
その活躍ぶりから兵士たちには絶大な信頼を寄せられ、「ロジーナ」(祖国)のニックネームを与えられている。

T-34中戦車は車体と砲塔のデザインに避弾経始を徹底して採り入れ、機動力を犠牲にせずに高い装甲防御力を実現している点、他国に先駆けて高性能ディーゼル・エンジンを搭載し優れた速度性能、航続力を実現している点など当時としては非常に先進的な設計の戦車であり、ドイツ軍のパンター戦車と並んで第2次世界大戦における最優秀中戦車の評価を受けている。


●T-34中戦車 1940年型

T-34中戦車の最初の生産型である1940年型は、レニングラードの第100キーロフ工場で製造された30.5口径76.2mm戦車砲L-11を主砲に採用しており、最初の生産ロットは1940年9月15日に工場をロールアウトした。
T-34中戦車の生産は第183ハリコフ機関車工場とスターリングラード・トラクター工場(STZ)で行われることになっていたが、STZでの生産は1940年内に開始できず1940年中は第183工場のみで生産された。
T-34中戦車1940年型は1940年中に117両が完成し、1941年前半までに合計で約200両が生産された。


●T-34中戦車 1941年型

T-34中戦車1941年型は、主砲をゴーリキー(現ニジニ・ノヴゴロド)の第92スターリン砲兵工場にある中央砲兵設計局(TsAKB)が開発した41.5口径76.2mm戦車砲F-34に換装して火力の強化を図っており、1941年3月から第183工場で生産が開始された。
また生産開始が遅れていたSTZでもこの年からT-34中戦車の生産を開始したが、ゴム資材の不足から鋳造製の鋼製転輪を用いるなど、第183工場で生産された車両とは細部に違いがあった。

また同年7月からはゴーリキーの第112クラースノエ・ソルモヴォ造船工場もT-34中戦車の生産に参加することになったが、地理的な条件でV-2ディーゼル・エンジンが入手困難だったため代わりに、BT-7快速戦車にも使用された航空機用エンジンベースのM-17T V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力450hp)を搭載したT-34中戦車を173両生産している。

当初、T-34中戦車の砲塔は圧延鋼板の複雑な曲げ加工と溶接で組み立てられていたが、生産性を向上させるためにマリウポリ冶金工場で2分割式の鋳造製砲塔が開発され、1941年3月から供給が開始された。
しかしこれ以後もしばらくの間従来の溶接製砲塔の生産も継続されたため、T-34中戦車1941年型には溶接製砲塔と鋳造製砲塔の2種類の車両が存在した。

また、1940年型の1941年3月以降の生産車でも鋳造製砲塔の車両が見られる。
T-34中戦車は1941年6月22日の独ソ戦勃発までに、1940年型と1941年型合わせて1,225両が完成していた。
緒戦に投入されたT-34中戦車は、当時のドイツ軍機甲部隊の主力だったIII号戦車やIV号戦車短砲身型を凌駕する性能を持っていたものの、戦車兵の練度不足や稚拙な戦車運用によって大半が各個に撃破されてしまった。


●T-34中戦車 1942年型

独ソ戦の緒戦でソ連軍は敗北を重ね、ドイツ軍はソ連領内深くに侵攻した。
このためソ連は、西部にあった戦車工場のウラル山脈以東への疎開を進めた。
第183工場も1941年10月にウラル地方のニジニ・タギルに疎開し、同地にあったウラル貨車工場と統合されてハリコフ機関車工場からウラル戦車工場に改称された。

T-34中戦車1942年型はウラル疎開後の第183工場で開発されたもので、不足する戦車戦力を一刻も早く整備するために生産性の向上に重点が置かれ、各部の省略と簡素化が図られていた。
主砲の76.2mm戦車砲F-34は、従来は861個必要であったパーツを614個で構成できるように改設計された。
また操縦手用ハッチ、牽引フック、機関室上側面グリルの形状、機関室後面の点検用ハッチ、履帯などの形状に変化が見られる。

1942年に入るとチェリャビンスクに疎開した第100キーロフ工場や、第174オムスク・レーニン工場(元はレニングラードのK.E.ヴォロシーロフ工場)、スヴェルドロフスク(現エカテリンブルク)の第9ウラル重機械工場でもT-34中戦車の生産が行われるようになり、1942年型以降は生産性が大きく向上したこともあって、1942年中のT-34中戦車の生産数は12,527両に達している。


●T-34中戦車 1943年型

T-34中戦車1943年型は主に砲塔関係の改良が図られた型式で、1942年夏頃から前線に登場した。
従来のT-34中戦車の砲塔は小型過ぎて乗員の戦闘動作がやり難い上、砲塔後面に設けられていた主砲整備用開口部のボルト止め装甲板が防御上の弱点になっていた。
また砲塔上面に設けられていたハッチが大型の1枚開き式で、外部を視察するのに不便なことも戦車兵たちに不評であった。

1943年型では、第183工場の第520設計局が開発した「6角砲塔」または「改良型砲塔」と呼ばれる6角形の大型で背の高い新型砲塔が導入され、砲塔内スペースの増加により乗員の作業効率が向上した。
砲塔上面のハッチも車長用と砲手用にそれぞれ独立した小型円形ハッチが設けられ、外部視察がやり易くなった。

また1943年春以降に製造された砲塔では全周視察が可能な車長用キューポラが追加され、車長は安全に外部視察が行えるようになった。
1942年6月に始まったスターリングラード攻防戦においてSTZの設備は市街戦で徹底的に破壊されてしまい、1943年以降STZでのT-34中戦車の生産は途絶してしまった。

しかし他の工場における生産数が大幅に増加したために、1943年中のT-34中戦車の生産数は15,833両まで拡大した。
1944年に入ると主砲を85mm戦車砲に換装した改良型のT-34-85中戦車に生産が切り替えられたため、76.2mm戦車砲装備のT-34中戦車の生産は3,976両で打ち切られている。


<BT-SV-2快速戦車>

全長:    5.80m
全幅:    2.29m
全高:    2.29m
全備重量: 15.6t
乗員:    3名
エンジン:  V-2 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル
最大出力: 500hp/1,800rpm
最大速度: 64.3km/h
航続距離:
武装:    46口径45mm戦車砲20K×1 (132発)
        7.62mm機関銃DT×2 (2,394発)
装甲厚:   16〜30mm


<A-20中戦車>

全長:    5.76m
全幅:    2.65m
全高:    2.43m
全備重量: 18.0t
乗員:    4名
エンジン:  V-2 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル
最大出力: 500hp/1,800rpm
最大速度: 74.7km/h
航続距離:
武装:    46口径45mm戦車砲20K×1 (152発)
        7.62mm機関銃DT×2 (2,709発)
装甲厚:   16〜25mm


<A-32中戦車>

全長:    5.76m
全幅:    2.73m
全高:    2.43m
全備重量: 19.0t
乗員:    4名
エンジン:  V-2 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル
最大出力: 500hp/1,800rpm
最大速度: 74.7km/h
航続距離:
武装:    23.7口径76.2mm戦車砲L-10×1 (72発)
        7.62mm機関銃DT×2 (1,638発)
装甲厚:   16〜30mm


<T-34中戦車 1940年型>

全長:    5.92m
全幅:    3.00m
全高:    2.41m
全備重量: 26.0t
乗員:    4名
エンジン:  V-2-34 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル
最大出力: 500hp/1,800rpm
最大速度: 55km/h
航続距離: 300km
武装:    30.5口径76.2mm戦車砲L-11×1 (77発)
        7.62mm機関銃DT×2 (2,898発)
装甲厚:   16〜45mm


<T-34中戦車 1941年型>

全長:    6.68m
車体長:   5.92m
全幅:    3.00m
全高:    2.45m
全備重量: 28.0t
乗員:    4名
エンジン:  V-2-34 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル
最大出力: 500hp/1,800rpm
最大速度: 55km/h
航続距離: 300km
武装:    41.5口径76.2mm戦車砲F-34×1 (77発)
        7.62mm機関銃DT×2 (2,898発)
装甲厚:   16〜52mm


<T-34中戦車 1942年型>

全長:    6.75m
車体長:   5.92m
全幅:    3.00m
全高:    2.45m
全備重量: 30.0t
乗員:    4名
エンジン:  V-2-34 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル
最大出力: 500hp/1,800rpm
最大速度: 55km/h
航続距離: 280km
武装:    41.5口径76.2mm戦車砲F-34×1 (100発)
        7.62mm機関銃DT×2 (2,394発)
装甲厚:   16〜70mm


<T-34中戦車 1943年型>

全長:    6.75m
車体長:   5.92m
全幅:    3.00m
全高:    2.60m
全備重量: 30.9t
乗員:    4名
エンジン:  V-2-34 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル
最大出力: 500hp/1,800rpm
最大速度: 55km/h
航続距離: 350km
武装:    41.5口径76.2mm戦車砲F-34×1 (100発)
        7.62mm機関銃DT×2 (2,394発)
装甲厚:   16〜70mm


<参考文献>

・「グランドパワー2004年10月号 ソ連軍中戦車 T-34 (1)」 古是三春 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2004年11月号 ソ連軍中戦車 T-34 (2)」 古是三春/青木伸也 共著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2004年12月号 ソ連軍中戦車 T-34 (3)」 古是三春/青木伸也/一戸崇雄 共著  ガリレオ
 出版
・「第2次大戦 ソビエト軍戦車 Vol.1 軽戦車/中戦車」 高田裕久 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2017年4月号 ソ連軍 T34戦車(1)」 齋木伸生 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2017年11月号 ソ連軍 T34戦車(3)」 齋木伸生 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2018年11月号 ソ連軍 T34戦車(5)」 齋木伸生 著  ガリレオ出版
・「ソビエト・ロシア戦闘車輌大系(上)」 古是三春 著  ガリレオ出版
・「世界の戦車(1) 第1次〜第2次世界大戦編」  ガリレオ出版
・「世界の戦車イラストレイテッド7 T-34/76中戦車 1941〜1945」 スティーヴン・ザロガ 著  大日本絵画
・「パンツァー2000年4月号 T-34中戦車 その開発と構造(1)」 古是三春 著  アルゴノート社
・「パンツァー2000年5月号 T-34中戦車 その開発と構造(2)」 古是三春 著  アルゴノート社
・「パンツァー2018年5月号 特集 T-34再考」 古是三春 著  アルゴノート社
・「大祖国戦争のソ連戦車」 古是三春 著  カマド
・「戦車名鑑 1939〜45」  コーエー


兵器諸元(T-34中戦車 1940年型)
兵器諸元(T-34中戦車 1941年型)
兵器諸元(T-34中戦車 1942年型)
兵器諸元(T-34中戦車 1943年型)


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