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Sd.Kfz.222装甲偵察車





●開発

Sd.Kfz.222装甲偵察車は、Sd.Kfz.221装甲偵察車の武装強化を目的として開発された直接の後継車両である。
シャシーはSd.Kfz.221装甲偵察車と同様に統制I型を使用したが、Sd.Kfz.221装甲偵察車の生産開始から間もなくしてシャシーに改良が加えられ、それまでのものを「IA型」、改良型を「IB型」と分類した。

変更点はエンジンの強化が主で、型式は同じもののシリンダーのボアアップが施され、出力が75hpから81hp、排気量が3,517ccから3,823ccに増加していた。
またブレーキシステムもIA型では機械式であったが、IB型では油圧作動式に変更されている。
もっとも、これらの変更は外見からは判別不可能である。

タイアホイールから三角おむすび型の装甲板装備が廃止されたりもしているが、これがシャシー変更と関係しているとは考え難い。
重兵員輸送車用のII型シャシーも同様な改良が施されており(ただし、こちらはA/Bの分類はされていない)、両シャシー共に最後はエンジン出力が90hpに向上している。

IB型シャシーはSd.Kfz.221装甲偵察車の生産中の1939年から製造され出したが、なぜかSd.Kfz.221装甲偵察車は全てIA型シャシーを用いて組み立てられた。
Sd.Kfz.222装甲偵察車も当初はIA型シャシーを使用していたが、後期においてはIB型シャシーが用いられていくようになる。


●車体および砲塔

装甲車体の製造は、Sd.Kfz.221装甲偵察車に続いてヴェーザー精錬所により行われた。
全体のデザインコンセプトはSd.Kfz.221装甲偵察車と同じであったが、形状は微妙に異なっている。
特に、機関室上部前方に段が付けられた点が特徴的である。

装甲板は表面硬化型で、厚さは車体前面14.5mm(当初は8mmに設定されていたが、最終的には30mmとなった)、中間部上面6mm、後部および側面8mm、上面6mm、床5mm、砲塔は全体的に8mm(前面のみ後期に10mmとなった)であった。
Sd.Kfz.221装甲偵察車では車体前面のヴィジョン・ヴァイザーは1つであったが、Sd.Kfz.222装甲偵察車ではこれが同型2個を配置するように変更された。

ヴァイザーは、やはり当初は圧延装甲板製であったが後期には鋳造製が使用され、前面右側のヴァイザーは開閉不可能なヴィジョン・ブロックに変更されている。
ライトはSd.Kfz.221装甲偵察車と同型だが、前面にワイアーメッシュが張られたりしている。
生産が進むにつれて方向指示器やノテックライト等にガードが装備されるようになり、方向指示器をフロント・フェンダー上に装備する車両も出現した。

スコップの装備位置もSd.Kfz.221装甲偵察車と同じであったがそうでない車両も多く、OVMの装備位置についてはかなりヴァリエーションが存在した。
機関室周辺のデザインもSd.Kfz.221装甲偵察車と基本的に類似していたが、装甲板が機関室の直前で分割されているものと、そうでなく前と一体のものの2種類の車体が存在したことが確認できる。

車体後部は、ラジエイター用通気グリル後部に装甲カバーが装備されるようになった。
これは開口部が下部にあり、2個のヒンジによるシャッタードアが装備されていた。
砲塔は2cm機関砲を搭載するため大型となり、形状も10角形型となった。
ただし、旋回用の動力は相変わらず手動であった。

砲塔の側面には左右にスリット付きのヴィジョン・ヴァイザーがあり、これらは当初圧延装甲板で作られていたが、後期においては鋳造製のヴィジョン・ブロックに変更されてしまった。
また左側後部にはスリット無しのヴァイザーが装備されていたが、これも後期型では厚みが増したものに変えられた。

さらに最後期型では、これらのヴァイザーおよびブロックは一切砲塔から廃止されてしまった。
砲塔上部の手榴弾避けワイアーメッシュカバードアは、Sd.Kfz.221装甲偵察車のように平面的ではなく高さのあるものとなっていた。
側面および前面にもメッシュが張られていたが、照準用に一部はメッシュが取り付けられていなかった。

ヒンジにて両側に開く点や、砲塔前方部にしか無いところはSd.Kfz.221装甲偵察車と同様であったが、ドア上部にシートカバーを掛ける時の可動式ロッドフレームが装備されているところは違っていた。
このワイアーメッシュカバードアは生産初期においては背が低かったが、後期になると居住性を向上させた背の高いタイプが出現した。
もっとも、後期型の全てが背の高いタイプを装備したわけではなかったようである。


●武装および車内装備

主武装の2cm機関砲は112.5口径2cm対空機関砲FlaK30を車載用に変更したKwK30で、砲身長も55口径と短くなっている。
後期型ではこれがFlaK38を車載用に変更したKwK38になったが、後期型の一部にはFlaK38用の砲身を装備した車両もあった。

2cm機関砲の搭載方法は基本的にSd.Kfz.221装甲偵察車と変わっておらず、床に回転台座を設置する方式であった。
ただし中央配置の2cm機関砲に対し、左側に同軸機関銃として7.92mm機関銃MG34(後期型の一部はMG42)が装備されていた。

砲手(車長)は右側のサドルに座り、その前方にある望遠鏡式照準機TZF3a型で照準を行った。
また、十字照星により肉眼で照準を行うこともできた。
射撃は足元にある2つのペダルを使うことにより、KwKとMGを別々に操作することができた。

2cm砲弾はカートリッジホルダーに収められ、機関部の左側に装着された。
また射撃後の空薬莢は、右側の円弧状シュートを通って下にある布バッグに収まる仕組みになっていた。
MG34も同様に右側にシュートがあり、空薬莢とベルトリンクが下のバッグへと導かれた。
副武装は、Sd.Kfz.221装甲偵察車と全く変わっていない。

車内の携行弾数は2cm砲弾が180発(220発説もある。その場合の内訳はAP弾100、HE弾120)、MG用の7.92mm弾が1,050発(1,100〜2,000発説もある)であった。
なお、MP用9mm弾についてはデータが欠落している。
乗員は操縦手と車長兼砲手、それに無線手の3名となっている。
無線機はFu.Spr.Ger.aが搭載され、それ用のアンテナが砲塔後部に標準装備されていた。


●性能データ

全長は4.80m、全幅は1.95mで、これはSd.Kfz.221装甲偵察車と全く同じである。
全高はさすがに2.00mと大きくなっているが、武装が大型となったのでこれは当然といえよう。
戦闘重量も4.8tと増大しており、最大走行速度こそ変わっていないが最大航続距離は路上で300km、不整地で180kmと若干低下している。
2cm機関砲の射界は360度旋回、および俯仰角は−4〜+87度であった。


●生産

Sd.Kfz.222装甲偵察車は、1936年から1943年6月までに989両が生産された。
この後、本車の後継として半装軌式のSd.Kfz.250/9装甲偵察車が同一任務に使用された。
車体の生産は前述のようにヴェーザー精錬所が担当し、シャシーはシッヒャウ社が供給した。

組み立ては、MNH社とビューシンクNAG社によって行われた。
シャシー番号は810001〜811000、8101001〜8101424、8110001〜8111000が用いられたが、もちろんこれには他の類似車両のシャシーも含まれている。


<Sd.Kfz.222装甲偵察車 初期型>

全長:    4.80m
全幅:    1.95m
全高:    2.00m
全備重量: 4.8t
乗員:    3名
エンジン:  ホルヒV8-108 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン
最大出力: 75hp/3,600rpm
最大速度: 80km/h
航続距離: 300km
武装:    55口径2cm機関砲KwK30×1 (180発)
        7.92mm機関銃MG34×1 (1,050発)
装甲厚:   5〜8mm


<Sd.Kfz.222装甲偵察車 後期型>

全長:    4.80m
全幅:    1.95m
全高:    2.00m
全備重量: 4.8t
乗員:    3名
エンジン:  ホルヒV8-108 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン
最大出力: 81hp/3,600rpm
最大速度: 80km/h
航続距離: 300km
武装:    55口径2cm機関砲KwK38×1 (180発)
        7.92mm機関銃MG34またはMG42×1 (1,050発)
装甲厚:   5〜14.5mm


<参考文献>

・「パンツァー2002年12月号 AFV比較論 Sdkfz.222 & AB41装甲偵察車」 斎木伸生 著  アルゴノート社
・「ピクトリアル ドイツ装輪装甲車」  アルゴノート社
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著  大日本絵画
・「グランドパワー2011年10月号 ドイツ4輪装甲車」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー1999年8月号 ドイツ4輪装甲車」 佐藤光一 著  デルタ出版
・「世界の軍用車輌(4) 装輪式装甲車輌:1904〜2000」  デルタ出版
・「図解・ドイツ装甲師団」 高貫布士 著  並木書房


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