HOME研究室(第2次世界大戦後〜現代編)戦車戦車(国際共同)>MBT-70/KPz.70戦車


MBT-70/KPz.70戦車





●開発

戦後第2世代MBTであるM60スーパー・パットン戦車を実戦化した1960年代の初めに、アメリカ陸軍は次期MBTの開発計画をスタートさせようとしていた。
この計画に対して当時のアメリカ国防長官であったロバート・S・マクナマラは、開発コストの低減を目的として他国との共同開発を指示し、この結果アメリカ政府と西ドイツ政府との間で1963年8月1日に次期MBTの共同開発協定が締結された。

この協定に基づきアメリカ/西ドイツ合同で次期MBTの開発作業がスタートしたが、まず最初に行われたのは両国間の開発に関する組織新編であった。
その組織の最上部となるのは計画統制委員会(PMB)であり、アメリカ側からはウェルボーン・G・ドルビン准将、西ドイツ側からはフリッツ・エンゲルマン工学博士がそれぞれ長として選出され、その下部組織として統合工学技術局(JEA)と統合設計チーム(JDT)が両国でそれぞれ編まれた。

JEAは政府で働く民間人と軍人、JDTは実際の設計と製作を行う各メーカーにより構成された。
そしてJDTは1964年7月にアメリカ側はジェネラル・モーターズ(GM)が、西ドイツ側はシュタール、ライニッシュ、ラインシュタール・ヘンシェル、クラウス・マッファイ、ユング、ルター、MaKといった主要各社により構成された企業共同体であるドイツ開発団体(DEG)が担当することが決定された。

そしてこの新型MBTは1970年からの生産開始が予定され、それを受けてアメリカ側は「MBT-70」(Main Battle Tank 70)、西ドイツ側は「KPz.70」(Kampfpanzer 70)(いずれも「70年代型主力戦車」を意味する)の呼称を与え、まずJEAとJDTは1964年9月から西ドイツのアウクスブルクに本拠地を置いて本格的な作業に着手した。
その後両組織は本拠地をアメリカのデトロイトに移し、1966年9月にはMBT-70/KPz.70の基本設計を完了した。
しかし、この時点で既に問題が生じていた。

それは両国による基本仕様などの違いに因むものだったのだが、この問題は最初から危惧されていたことであった。
まず最初に問題となったのは12進法、すなわちヤード・ポンド法を採用しているアメリカと、10進法、つまりメートル法を用いる西ドイツ間の寸法表示を統一することであった。
そして最終的に、より合理的なメートル法が用いられることになった。

その後も両国で異なる要求仕様により開発作業はしばしば遅延をきたし、当初の計画では6週間で設計を完了する予定であったのが、何と2年間も要してしまったのである。
そして当然ながらこの遅延により、生産の開始も予定通りには進められないことが明らかとなった。
その根底には、西ドイツ側があくまでもヨーロッパにおける運用を考えていたのに対して、アメリカ側は世界規模での運用を念頭に置いていたという基本思想の違いがあった。

期日は定かではないが、MBT-70/KPz.70の最終的な仕様として以下の基本要求が決定した。
・コンピューターを介して、走行間射撃が可能なこと
・安定化装置付き主照準装置、およびそれに連動する武装
・安定化装置付き直接照準機、もしくはTV夜間視察機材の導入
・車体内に収めた動力により駆動する油圧操作式砲塔
・戦闘区画内への対NBC機材導入
・乗員は3名で、砲塔内に収まる操縦手は旋回式ステイションに配す
・出力/重量比30hp/t以上の機関搭載
・車高調整装置付き懸架装置の装備
・戦闘区画内への空調装備
・車体、砲塔共に溶接式空間装甲の採用

これらの要求を背景としてMBT-70/KPz.70の開発に際しアメリカ側は、主砲として長距離射撃が可能な通常弾と対戦車誘導ミサイルを射撃できるガン・ランチャーの装備を望んだが、西ドイツ側は高初速により大きな貫徹力を備える通常砲を望んでおり、最初からその基本要求に隔たりがあったことは間違いない。
主砲の装備方法についても様々な砲塔形式と無砲塔形式が考えられ、いずれも自動装填装置を導入して装填手を省くことで乗員を3名とし、20mm機関砲を副武装として装備することになっていた。

また西ドイツ側がまとめたとされるMBT-70/KPz.70の概念図では、砲塔全体を半球状のカプセル形式として左側に乗員3名を、右側に主砲弾をそれぞれ収め、3軸の砲塔安定化装置を介して砲塔全体が、車体動と関係なく目標を指向するというものがあった。

このような数多い試行錯誤の中で、アメリカのロッキード・ミサイル&スペース社がMBT-70/KPz.70の主契約者として選定され、本格的な開発へと移行した。
開発に際しては装甲厚と重量、様々な要素により異なる戦闘状況など多くのデータがコンピューターにより解析されたが、これは戦車開発における初めてのコンピューター多用例でもあった。

そして時を同じくして提出された概念案からまず5案を選び出し、さらなる検討を加えた上で、最終的に2案がMBT-70/KPz.70の候補として選択された。
ただし、この中から1つが選ばれたというわけではなく、アメリカ側と西ドイツ側で異なる要求を統合することができなかったため、両国で異なる装備の案を選択したということである。

アメリカ側の案では、M60A2戦車とM551シェリダン空挺軽戦車に搭載された17.5口径152mmガン・ランチャーXM81を母体として、通常弾のさらなる打撃力強化を図って長砲身化した152mmガン・ランチャーXM150を搭載すると共に、発射されるMGM-51「シレイラ」(Shillelagh:棍棒)対戦車誘導ミサイルの射程の延伸と信頼性向上も計画に盛り込まれ、3名の乗員全てを砲塔内に収容することも決定した。

一方西ドイツ側は、乗員全てを砲塔内に収めるという基本レイアウトは車体共々そのまま受け入れたが、主砲はガン・ランチャーではなく「デルタLASH」と呼ばれるシステムの一環として、通常弾である装弾筒付翼安定徹甲弾(APFSDS)に加え、レーザー・セミアクティブ誘導弾(LASH)の射撃も可能な120mmデルタ砲の搭載を求めた。
すでにこの時点で、共用性の破綻が生じていたことが分かる。

しかし、この主砲に関しては同一の砲塔で2種類の主砲に対応することは無理で、計画自体を大きく揺るがすことになるため、結局西ドイツ側が折れる形でアメリカ側の要求通り152mmガン・ランチャーを装備することになった。
なお複数の文献で、西ドイツ側のKPz.70戦車はアメリカ側のMBT-70戦車と異なり120mm滑腔砲を装備していたとする記述が見られるが、MBT-70/KPz.70の公式資料にはそのような記述は一切無く、残されている西ドイツ製試作車の写真を見ても152mmガン・ランチャーを搭載していたことは間違いない。

いずれにせよMBT-70/KPz.70の基本概念が決定し、JEAとJDTは本拠地をアウクスブルクからデトロイトに移し、アメリカ/西ドイツ両国でそれぞれ8両ずつの試作車を製作することも決定したが、これはその後間もなく6両ずつに減じられている。
このような生みの苦しみを経て、MBT-70/KPz.70は1967年7月にまずアメリカ側の試作第1号車が完成し、9月にはその存在が公表された。

これと時を同じくして、西ドイツ側の試作第1号車も完成した。
ただし、この両国で製作された試作第1号車はあくまでも走行試験を目的としたものであり、主砲なども搭載されていたがFCS(射撃統制システム)などは装備されていなかった。
しかし、車体と砲塔の前面には成形炸薬弾対策として空間装甲が導入されており、加えて放射性降下物への対処として車内にシールドが装着され、その減少率は20:1と伝えられている。

乗員は当初の計画通り車長、砲手、操縦手の3名で、全て砲塔内に配置された。
そして砲塔後部バスルには自動装填装置と主砲弾が収容されることになっていたが、試作車ではFCSと同様に未装備であった。
自動装填装置の導入は乗員を3名に抑えることを目的としたものだが、反面自動装填装置による故障発生率の増大と、コスト高という問題も有していた。

3名の乗員は全て砲塔に設けられている独立したハッチから搭乗し、主砲を挟む形で左側に操縦手が、右側に砲手がそれぞれ配され、砲手の後方には車長が位置した。
砲塔内は完全に空調されていたが、これは二義的に居住性の向上も生んだものの、その目的はNBC対策であったことは明らかである。

この空調装置は西ドイツ側の手になるもので、車体中央部の左側にあたる袖板の上に置かれ、西ドイツ製の試作車ではこの部分に外気導入用のグリルが設けられていたが、アメリカ側の試作車には開口部は無く、車外装備品であるハンマーとバールを装着していたので果たして実際に装備したかは疑問である。
また砲塔直下にあたる床板には脱出用のハッチが設けられており、軽量化を目的にチタニウムの鍛造製とされた。

様々な問題を抱えながらも完成したMBT-70/KPz.70の試作第1号車は、1969年末からアメリカのアバディーン車両試験場での試験を開始した。
試作車の完成から試験開始までに2年以上を経ていたが、これは各部で生じた問題を解決するため社内でも試験と改良が続けられたことを意味している。

改良されたとはいえ、元々問題がある152mmガン・ランチャーや西ドイツのラインメタル社製の自動装填装置、油気圧式懸架装置、アメリカのコンティネンタル社製の可変圧縮式ディーゼル・エンジンAVCR-1100など多くのコンポーネントに様々な問題を抱えており、とても軍による試験を行える状態ではなかったことを示唆している。
もっともこれらの問題は、当時の技術の粋を結集して開発された戦車だけに、これもまた致し方なかったのであろう。

こうした苦労を経てようやく完成したMBT70/KPz.70の試作第1号車であったが、完成した車両は当初の制限戦闘重量を4tほど上回ってしまった。
アメリカ側は防御の面からこれはやむを得ないこととしたが、西ドイツ側はこれを問題視して重量軽減のため設計を改めるべきだと主張した。

そして、放射性降下物への対策として車内に装着されているシールドの廃止を求めたが、その場合は新たな対策を講じなければならず、砲塔駆動装置などのコンポーネントの関係から全く設計自体を改める必要があるため、アメリカ側の同意を得ることはできなかった。
こうして両国で大きく異なる要求仕様の整合や、新機軸の導入に伴う様々な問題解決などによりMBT-70/KPz.
70の開発作業は大きく遅延し、当初計画されていた1970年からの生産開始はもはや不可能になってしまった。

さらに大きな問題となったのが、開発費と単体価格の増大であった。
このため1969年9月に計画の再検討が行われ、それまでの開発に要した費用は5億4千400万ドルにも達し、単価も120万ドルと極めて高額な戦車となってしまうことが判明した。
これは当時のM60A1戦車の単価22万ドルと比べると、あまりにも桁違いの数字である。

もちろん西ドイツでもコストは問題視されており、西ドイツ側の数字を挙げると要した開発費は8億3千万マルク、このうち西ドイツ側の負担は3億1千万マルクで、金額的にはアメリカ側の半分以下ではあるが、国力の差を考えるとこれは極めて大きなものであったのは間違いない。
結局最終的にはこのコスト問題がアメリカとて許容範囲を超えてしまい、1970年1月20日に両国の国防省が共同開発計画の中止にサインしてMBT-70/KPz.70計画は終焉を迎えた。

そしてアメリカ側では、MBT-70戦車の各部にコストダウンを図った廉価版のXM803戦車を開発することになり、西ドイツ側もKPz.70戦車の開発で得たノウハウを活かし、以前から装備を検討していたラインメタル社製の120mm滑腔砲を装備する新型MBT(後のレオパルト2戦車)をそれぞれ開発することになったのである。
しかし西ドイツ側がすんなりと新型MBTの開発を進めたのに対し、アメリカ側のXM803戦車は試作車が作られたもののこれまた計画中止となり、再び新たなMBT(後のM1エイブラムズ戦車)の開発計画に着手した。


●車体の構造

MBT-70/KPz.70は当時における技術の粋を集めて開発された新世代MBTではあったが、その基本レイアウトは車体後部に機関室を配し、車体中央部に全周旋回式の砲塔を搭載するという、第1次世界大戦時のルノーFT軽戦車が確立した近代型戦車の基本レイアウトを受け継いでいた。
従来型の戦車では操縦室が設けられる車体前部は、MBT-70/KPz.70の場合3名の乗員全てを砲塔内に収めたため単なる空間とされ、各種機材が置かれていた。

また装甲厚などの詳細に関しては明らかにはされていないが、車体前面は2枚のRHA(均質圧延装甲板)を間隔を空けて溶接した、いわゆる空間装甲(スペースド・アーマー)が導入されていた。
また装甲板の内側には放射性降下物への対処としてシールドが設けられていたが、その詳細についても不明である。

加えて車体中央部の戦闘区画内の防御力向上を図って、砲塔バスケット直前にあたる車体前部内側には装甲厚は不明だが隔壁が溶接された。
これも、アメリカ戦車としては初の試みである。
車体前面左右には前照灯が装着されていたが、その形状はアメリカ/西ドイツ両国で異なる独自のものが用いられていた。

アメリカ製の試作車では第1号車以外、前面右側に操縦手用の装甲カバー付きTVカメラを備えていたが、反対に西ドイツ製試作車でこのTVカメラを装着したのは第1号車のみで、第2号車以後では姿を消している。
車体中央部は砲塔バスケットが収まる戦闘区画とされ、各種機材および一部の主砲弾は全てバスケット内に配置され、戦闘区画の車内側には可変油気圧式懸架装置に関する各種コンポーネント以外は、何ら戦闘や走行に関する機材を置いていなかったが、唯一砲塔バスケットの直下にあたる床板には脱出用ハッチが設けられていた。

戦闘区画、砲塔バスケット直後には防火壁が設けられ、車体後部に機関室が配された。
機関室内には中央部にエンジンと変速機を一体化したパワーパックが置かれ、左側前方に緊急時用の予備燃料タンクが、その後方に左側燃料タンクが収まり、右側には主燃料タンクが置かれていた。
燃料タンクはいずれもアルミニウム製で単独での燃料収容量は不明だが、合わせて1,514リットルのDF-1もしくはDF-2ディーゼル燃料、いわゆる軽油が収められていた。

MBT-70/KPz.70は両国で搭載するエンジンが異なるため、機関室上面のレイアウトも全くの別物で、アメリカ製の試作車では砲塔バスルの直下にあたる部分に左右分かれる形で、前後に長い長方形の空気導入グリルを設け、機関室後面に設けられた細長い開口部から機関室内の熱気を車外に排出した。
このため開口部の上方には赤外線対策として、熱い空気の排出を抑えて下方に流すための整風板が装着されていた。

これに対して西ドイツ製の試作車では、砲塔バスルの直下に多角形の空気吸入グリルを配し、機関室後方には左右の冷却ファン直上部分に円形の空気導入用グリルを設けていた。
さらに機関室後面には機関室内の空気排出用として、ほぼ車幅いっぱいの細長いスリットを用いた長方形のグリルを備えていたので、この部分を見れば識別は容易である。

またアメリカ製の試作車では、機関室上面後端の中央部に主砲の起倒式トラベルクランプを装着していたが、西ドイツ製試作車では車体前面中央部に配していた。
さらに機関室後部左右には、後方を支点として起倒する渡渉深度増大のためのスノーケル・パイプが設けられており、起倒に際してはパイプ前面に装着された上下動式の補助支柱により行われた。

パイプ後方には開口部と同サイズのカバーが装着され、収容時には機関室上面と面一になるためその存在は窺えない。
なおこのスノーケル・パイプは、全く同じものが両国で採用されていた。
スノーケル・パイプを立てた場合は、最大5.49mまでの水深なら渡河が可能だった。

この場合は完全に水没するが、アメリカ側が機関室内に水が浸入することを全く気にしていなかったのに対し、西ドイツ側は機関室各部に水密シールを装着することで水の侵入を防いでいた。
また車体後面の装備品も、両国で全く異なっていた。
MBT-70/KPz.70が搭載した機関は、車体後部にエンジンと変速機などを一体化したパワーパック形式であることは両国とも変わらないが、搭載された機関自体はそれぞれ独自のものが搭載された。

アメリカ製の試作車のエンジンは、初期の試作車ではコンティネンタル社製の可変圧縮式V型12気筒空冷ディーゼル・エンジンAVCR-1100-2が、後期の試作車ではその改良型であるAVCR-1100-3エンジンが装備された。
基本的にはいずれもエンジン本体上部に2基の冷却ファンを前後に配し、左側にこれまた前後2基のオイルクーラーを備えるという同一のスタイルにまとめられていたが、AVCR-1100-2のボア直径が124mmであったのに対し、AVCR-1100-3では直径が137mmに拡大されて出力の増大が図られた。

このボア直径増大により排気量は、AVCR-1100-2の18,354ccに対してAVCR-1100-3では22,286ccと増大した。
にも関わらず、資料ではいずれのエンジンも最大出力は1,475hp/2,800rpmとしている。
また可変圧縮式機構の導入は、高出力を得ながら重量を軽減することを目的としたもので、エンジン始動時などの高出力を必要とする際には圧縮比を22:1としたが、シリンダー内部圧力の制限により、整地における通常走行に際しては圧縮比は最大10:1とすることとされた。

続いてコンティネンタル社はさらなる排気量の増大を図った改良型AVCR-1100-3エンジンを開発し、完成したエンジンは後に呼称をAVCR-1360と改めたものの様々な問題を解決することはかなわず、実車に搭載されること無く終わっている。

一方西ドイツ側の試作車のエンジンは、アメリカ側が採用した軽量型可変圧縮式ディーゼル・エンジンAVCR-1100の装備も選択肢の1つとして残されたが、実際に搭載されたのはダイムラー・ベンツ社の手になるMB873Ka-500 V型12気筒多燃料液冷ディーゼル・エンジンであった。
このエンジンは総排気量47,700cc、最大出力1,500hp/2,600rpmで、出力はAVCR-1100エンジンに勝るものの重量はわずかに重く、相殺されたのか試作車による試験では走行性能に大差無かったようである。

ただしその詳細は、明らかにはされていない。
試作車の変速機に関しては、両国とも西ドイツのレンク社製でトルク変換機付きの油圧機械式遊星型変速機HSWL354が、エンジン後部に直結された。
変速は前進4段/後進4段で、操縦手による初期設定範囲内での自動変速も可能であった。

なおこのMB873Ka-500エンジンとHSWL354変速機は、後に一部に変更を加えた上でレオパルト2戦車にも採用されている。
MBT-70/KPz.70は、エンジンから動力を抽出して電気系統と油圧装置を駆動した。
まず電気系統だが、これは直接エンジンから動力を得る28Vで20kWの発電能力を備えた交流発電機を介して24Vの電力が供給されたが、戦闘などでエンジンが停止した場合への対処として8個の12Vバッテリーを備えていた。

また砲塔旋回や自動装填装置の駆動に供される圧力1,500psiの油圧装置と、可変油気圧式懸架装置に用いられる圧力3,000psiの油圧装置に対しても、発電機と同様にエンジンから動力を抽出することで供給されていた。
MBT-70/KPz.70はそれまでのコイル・スプリングやトーションバーなどを用いた懸架装置に別れを告げて、油圧により転輪アームが独立して上下動を行う画期的な油気圧式懸架装置を採用したことでも知られている。

この油気圧式懸架装置もアメリカ側と西ドイツ側ではそれぞれ異なるものが独自に開発され、アメリカ側の装置は国立ウォーター・リフト(NW)社の手で開発され、一方西ドイツ側はフリーゼケ&ホープフナー(F&H)社が開発を担当した。
いずれも車内に収められた油気圧装置から動力を得て駆動するのだが、そのレイアウトは全く異なっていた。

ただし、アメリカ側の手になる装置はアメリカ製の試作第1号車と第2号車のみに搭載され、以後の試作車では全て西ドイツ製の装置が搭載された。
またアルミニウム製の転輪自体は両国とも同じものが用いられ、そのサイズは直径66cm、幅15.2cmであり、このサイズは誘導輪も同一、というより同じものが用いられた。

また転輪の上方には片側3個の上部支持輪を備え、後部配置の起動輪直径は65.1cmと転輪より若干小径であった。
懸架装置1組につき転輪2個を懸架し、片側3組の懸架装置が配されて合計6個の転輪が装着された。

それぞれの懸架装置はレイアウトこそ異なるものの、前方と後方のそれぞれ左右に搭載された3,000psiの油圧装置により、それぞれの懸架装置に動力が送られる方式は同一だった。
合わせて4基の油圧装置は前方と後方の転輪アーム3本ずつに動力を供給し、車体地上高の上下や前後、および左右の傾斜を任意に行うことができた。

NW社製油気圧懸架装置は砲手席に収められたレバー4本により操作が行われ、通常時の床板と地上との間隔は45cmだが、懸架装置を最低に下げた場合には14cmに、反対に最大とした場合には74cmとなった。
また制御パネルの回転スイッチの操作により、主砲射撃時は振動を抑え次弾照準の便を図って、最前部と最後部のアームがロックされる機構が採られていた。

これに対してF&H社製の油気圧懸架装置では、制御パネルに設けられている回転スイッチにより自動と手動を選択でき、その操作も砲手ではなく操縦手により行われた。
その可動量もNW社製とは異なり、床板と地上の間隔は通常位置では44.4cm、最低位置では25.4cm、最大位置では61cmで、いずれの数値もNW社製と比べるとやや低く抑えられていた。

またいずれの装置の場合も、懸架装置が稼働している際は自動的に誘導輪のアームが前後に移動して、履帯の張度を合わせるという機構が組み込まれていた。
MBT-70/KPz.70の履帯は幅635mm、ピッチ長183mmで、表面に取り外しが可能なゴムパッドを装着するダブルピン方式の、西ドイツのディール社製のT170履帯が使用され、その枚数は片側78枚が標準とされた。


●砲塔の構造

MBT-70/KPz.70の砲塔はリング径256.5cmで前後で分割された形を採り、防弾鋼の鋳造製で乗員3名を収める基本砲塔を前部に、バスケット部より後方にあたる後部砲塔はRHAを用いて左右と後面を基本形とし、内部に自動装填装置と主砲弾が収められ、この外側から砲塔の周囲を囲む形でRHAを基本砲塔と間隔を空けて溶接した。
すなわち、空間装甲(スペースド・アーマー)方式である。

ただし車体と同様、その装甲厚に関しては明らかにはされていない。
砲塔内にはアルミニウム製のバスケットが設けられており、このバスケット内に主砲を挟む形で右側に砲手が、左側に操縦手が位置し、砲手の後方には車長が配された。
車長と砲手にはそれぞれペリスコープを備えるキューポラが用意され、車長には周囲合わせて6基、操縦手には前方3基のペリスコープが装着された。

またいずれもハッチは後ろ開き式の横長楕円形で、共通部品とされていた。
さらに操縦手のキューポラは、内部に設けられた座席と操縦装置を収めるステイション共々旋回式とされたが、その指向角度を任意に選べるのは前方と後方、そして前方中央のペリスコープが戦闘などで破損した場合、左右それぞれ50度ずつに振ることで、前方の視界を確保する場合に限定されていた。

つまり、全周を自由に回すことができるわけではないということである。
また車長用キューポラの前方には、同じく横長楕円形だがやや小ぶりで共用性の無い砲手用ハッチが配され、その中間にあたる部分には左側にパノラマ式照準機が、右側には夜間照準機がそれぞれ装着され、いずれも車長が使用した。

さらに、砲手席の前方にあたる砲塔前面には砲手用の主照準機を備えており、操縦手用キューポラの左側にあたる砲塔側面にはシレイラ対戦車誘導ミサイルの操縦用電波の送信装置が設けられた。
さらに操縦手用キューポラの左後方には、側面に三角錐の張り出しを設けて起倒式の副武装である20mm機関砲を装備していた。

操縦手の操縦装置と主計器類はステイション前方と左右に収められ、加えてその左側にあたる砲塔壁面には緊急用の操縦装置が設けられていた。
座席の前方にある操縦装置は、それまでの戦車における操縦装置の概念を一新するものであり、従来の機械式伝達装置に換えて電気配線による伝達、すなわちムーブ・バイ・ワイアー方式を導入した最初の戦車となった。

もっとも、電源が落ちた場合の緊急時に備えてブレーキと変速装置、そして操向装置にはバックアップとして機械式伝達装置も備えられていた。
操縦は下向きに2本のグリップが設けられているハンドルを用いて行い、右のグリップを反時計回りに、左のグリップを時計回りに回すことで速度を増大し、反対に右のグリップを時計回りに、左のグリップを反時計回りに回すことで速度を減少した。

またグリップ自体を前方に傾けることで、ブレーキが掛かった。
そして左右の操向は、グリップを持ちハンドルを左右に回すことで任意に行うことができた。
操縦手席の反対側に位置する砲手席は砲塔バスケットの右壁面にボルトで固定され、座席の着座部分は任意に前後の間隔を調整することが可能だった。

そして砲手席の前方には砲塔前面に突出した照準機を中心に、拡大および縮小機能を備えるその照準機の視察部と、ハンドル式の主砲操作装置、兵装選択装置、対戦車誘導ミサイル発射装置、測距管制装置、レーザー測遠機が配され、砲手席の右側にあたる砲塔壁面には対戦車誘導ミサイル試験チェックパネルと、補助管制装置が設けられていた。

また電気的な故障が発生した場合の補助機材として、主砲の右側に配された同軸機関銃の上方に従来と同様の直接照準機が装着されていた。
加えて砲手用の照準機には、夜間戦闘に際しても支障なく用いることを可能とするため、赤外線サーチライトで照射された目標を視認できる夜間視察機能を備えていた。

砲手席の後方に位置する車長席は砲塔バスケットの床板に固定され、油圧装置により任意に着座部分を昇降することが可能だった。
また車長用キューポラの周囲に設けられた6基のペリスコープにより、車外に身を乗り出すこと無く全周の視界を得ることができ、前述のようにキューポラに装着された後ろ開き式ハッチは操縦手のものと共通で、交換も問題無く行えた。

車長用キューポラの前方にはパノラマ式照準機(左)と夜間用照準機(右)がそれぞれ装着されており、その直下にあたる砲塔の天井板にその視察装置を備えていた。
またその搭載位置は不明だが、車長席部分には地上との連絡用としてAN/VRC-12もしくはAN/VRC-46無線機と、航空機との連絡用のAN/VRC-24無線機がそれぞれ搭載され、砲塔の左側面後部と後面左側にそれぞれアンテナが装着された。

また砲塔の後面には、やや左にオフセットして右開き式の薬莢排出用の蓋が設けられ、さらに金属製の支柱を用いた雑具を収めるラックが装着されていた。
さらにMBT-70/KPz.70の特徴として、砲手や操縦手が負傷して戦闘の継続が不可能となった場合を想定し、車長席にその操作装置も備えていた。
ただしこれはあくまでも補助にしか過ぎず、操縦に関しては前進と停止のみに限られた不完全なものであった。


●武装の構造

MBT-70/KPz.70が主砲として装備した152mmガン・ランチャーは、アメリカ陸軍がM60A2戦車とM551空挺軽戦車向けとして開発した17.5口径152mmガン・ランチャーXM81を原型として、砲身長を延長することで通常弾の射撃に際しその初速を高め、貫徹力向上を図ったXM150E5が用いられた。

その砲身長比は30.7口径で、砲塔後部に収められた自動装填装置を介してXM13(後のMGM-51シレイラ)対戦車誘導ミサイルと、XM578E1 APFSDSやM409 HEAT-MP(多目的対戦車榴弾)、XM617フレシェット弾(対人攻撃に用いられる小さな矢を多数内蔵した砲弾)、M625E1クラスター弾、XM411E1訓練弾といった通常弾を発射することができた。

全ての装備を施した状態での重量は1,232kgで、砲身長は4.09m、尾栓長は25.7cmと尾栓部分の短さが際立っていたが、これは自動装填装置の導入によるものである。
主力砲弾であるシレイラ対戦車誘導ミサイルは、アメリカのフォード自動車の一部門である航空ニュートロニクスにより開発されたもので、本体重量28kgでその砲口初速は79.3m/秒と極めて遅いが、弾頭の後方に収められた固定ロケットの推力増大に従って速度が上がり、最終的には323m/秒に達した。

もっとも通常の砲弾に比べればその速度は1/3程度に過ぎず、この飛翔速度の遅さが対戦車誘導ミサイルの大きな欠点の1つであった。
ミサイルの誘導自体は砲手が主照準機を目標に向け、ミサイルの後端に収められた赤外線発生装置を目視しながら、砲塔前面左側に備えられた赤外線伝達装置から誘導用の赤外線が照射され、同じくミサイル後端に収められた受信装置により目標に指向された。

なおM60A2戦車やM551空挺軽戦車が実戦化された後でも、これらの車両が装備する152mmガン・ランチャーは燃焼式薬莢の残滓に伴う数多くの問題が発生しており、これに応じて圧縮空気で主砲内部の残留物を取り除く尾栓残留物除去装置(CBSS)が急遽開発されて改修により装備されたが、このCBSSはMBT-70/KPz.70のガン・ランチャーにも後日追加されている。

152mmガン・ランチャーXM150E5は自動装填装置の使用を前提として開発が進められた砲なので、砲弾を装填する尾栓部は通常の戦車砲とは異なり円筒形で、尾栓が右側に60度回転して砲尾を開き、自動装填装置により砲弾が装填されると自動的に左に60度戻って閉鎖するという構造を採っていた。
また尾栓自体は自動装填装置が故障した場合に備えて、手動式の開閉機構も用意されていた。
このため、砲手席の後方にあたるバスルとの隔壁部分左側にはスライド式の扉が設けられていた。

主砲用の152mm砲弾は、砲塔後部バスル内にやや左にオフセットして配された自動装填装置を挟む形で、シレイラ対戦車誘導ミサイルもしくは通常砲弾合わせて26発が収められており、加えて砲塔バスケット内の左前方、つまり操縦手席の前方にあたる部分に全体重量27.6kg、弾頭重量19.5kgで砲口初速754m/秒のM409 HEAT-MPを4発、全体重量18.2kg、弾頭重量9.1kgで砲口初速754m/秒のXM578E1 APFSDS 1発を立てた状態で収め、その反対側にあたる砲手席の後方にHEAT-MP 6発とAPFSDS 5発が立てられていた。

さらに砲塔バスケット後方にもHEAT-MP 8発が立てられており、その搭載数は合わせて50発となる。
ただし、MBT-70/KPz.70の取扱説明図では主砲弾の搭載数を48発としており、実際の搭載数はどちらが正しいのかはっきりしない。
また必要に応じて、全体重量22.6kgで弾頭重量19.5kg、砲口初速754m/秒のXM410E1白燐弾(WP)や、全体重量21.8kgで弾頭重量19kg、砲口初速754m/秒のM625クラスター弾も射撃することができた。

これとは別に全体重量22.6kg、弾頭重量19kgで砲口初速754m/秒のM411A1訓練弾が訓練の際に用いられた。
ただしいずれの場合もその最大および有効射程と、装甲貫徹力に関しては公表されていない。
MBT-70/KPz.70の自動装填装置は当初ラインメタル社製のものが用いられていたが、後にアメリカ製の試作車ではGM社が独自に開発したものに換装された。
ただしこれが、アメリカ側の全ての試作車に搭載改修されたかは不明である。

さらに、ラインメタル社製の自動装填装置はGM社製の自動装填装置より搭載弾数が2発少ないとしており、前述の搭載弾数50発説と48発説の誤差はここから来ているのかも知れない。
またバスル内の主砲弾を全て消費した場合は、砲塔を軸線から左右いずれかに90度旋回させ、車長が車外に降りバスル下面に設けられている再装填用の蓋を開けて、砲塔内から主砲弾を取り出して収めなければならないという、結構面倒な手間を必要とした。

砲手はバスル内に収められている5種類の通常弾とシレイラ対戦車誘導ミサイルを状況に応じて選択し、コントロールパネルにより電気信号で自動装填装置に伝え、選んだ砲弾を装填するというのがその主任務であった。
主砲は全自動安定化装置により高い精度で走行間射撃を行うことができ、射撃後は自動的に水平位置に戻って、尾栓後方に配された自動装填装置による装填を可能としていた。
そして装填後は再び、水平位置へと戻る前に与えられていた俯仰角に戻されるという機構を備えていた。

主砲の発射速度はラインメタル社製の自動装填装置を用いた場合では、通常弾を使用して停止中という状況下において10発/分で射撃できた。
また後にアメリカ側の試作車で導入されたGM社製の自動装填装置を用いた場合は、発射速度は6発/分とされた。

なお、先ほどのラインメタル社製自動装填装置による発射速度は設計値であり、実際の速度は10発/分を下回ったはずである。
これに対して、GM社製自動装填装置の発射速度は実測値である。
また主砲の俯仰角は−10〜+20度で、砲塔の全周旋回に要する時間は10秒、俯仰速度は25度/秒であった。

主砲弾の搭載に際しては、操縦手席の横にあたる砲塔左側面に設けられた円形蓋を外して行うようになっていたが、これは砲塔バスケットへの搭載のみに用いられ、砲塔後部バスルへの収容は前述のように砲塔を回してから、下面の蓋を開けて行う必要があった。

MBT-70/KPz.70の副武装としては、操縦手席後方に車内操作式の20mm機関砲を装備したが、本車は安定化装置付きの全周旋回式銃塔に機関砲を載せ、その使用に際しては銃塔の上端に設けられている左右開き式のカバーを開いて銃架部分を上方に上げ、射撃終了後は再び銃架を下げてカバーを閉じて密閉状態とした上で、後方に旋回させ砲塔の軸線と同じ角度の位置に戻すという、極めてユニークな機構が採られていた。

また射撃操作は砲手もしくは車長が担当し、銃塔内には徹甲弾と榴弾合わせて20mm機関砲弾720発が収められていた。
その俯仰角は−10〜+65度で対空、対地戦闘のいずれにも用いることができた。
加えて、他の多くの戦車と同様に主砲の右側に7.62mm機関銃を同軸装備しており、給弾は200発を結合したベルトにより行われ、砲塔バスケット内に配された2個の機関銃用弾薬箱にそれぞれ15本、計6,000発が収容された。

なお、アメリカ側の試作車と西ドイツ側の試作車では搭載する副武装が異なっており、20mm機関砲に関してはアメリカ側はフランスのイスパノ・スイザ社製のHS820(M139)を、西ドイツ側はラインメタル社製のMK20 Rh202を採用した。
一方同軸機関銃に関しては、アメリカ側はM48/M60戦車シリーズと同様7.62mm機関銃M73を、西ドイツ側はレオパルト1戦車と同様7.62mm機関銃MG3をそれぞれ装備した。

さらに西ドイツ側の試作車では、砲塔後部左右に発煙弾発射機がそれぞれ8基ずつ斜め上方、外側に傾いた状態で装着されていたが、アメリカ側の試作車では左右4基ずつに減じていた。
ただし、アメリカ側の試作車が装備した発煙弾発射機は西ドイツのものより筒が長く、それぞれの筒内には発煙弾と榴弾が縦に並んだ形で収容されていたのでその総数は同一であった。

アメリカ側の試作車が装備したXM176発煙弾発射機の性能は最低射程30.5m、標準射程38.1m、最大射程45.7mとなっていた。
MBT-70/KPz.70は当時の技術の粋を集約して開発されただけに、FCSもまた当時では他に類を見ない極めて高度なものが搭載されていた。

当然ながら主砲は自動安定化装置を備えていたが、装置と連動する弾道計算コンピューターを搭載し、緊急時を考慮してその電源は直流と交流、バッテリーのいずれからも供給を行うことができ、砲手席に設けられた操作ハンドルの表示装置に電気信号を用いて様々な情報が伝達された。

照準自体は砲手席の前方に備えられた主照準機が用いられ、これに照準機の右側に装着されたレーザー測遠機からのデータも伝達されたが、このレーザー測遠機から伝達される電気信号は、前述の操作装置に設けられたスイッチにより任意にオン/オフを切り替えることができた。
また戦闘時以外の不要な損傷を避けるため、主照準機は左開きの開閉式装甲カバーを備えていた。

さらに弾道計算機には各部に備える多くのセンサーからの情報、すなわち装薬の温度、主砲砲身の温度変化による歪み、外気状況、そして横風などのデータが電気信号で伝達され、命中精度の向上を図っていた。
また車長には、それぞれ単独で全周旋回が可能なパノラマ式照準機と夜間視察照準機が用意され、全ての兵器の射撃を行うことも可能だった。

また夜間視察用の照準機は、光量増幅装置を備えた双眼式ペリスコープと低光量TVから構成されており、ペリスコープの場合は直接視認、低光量TVからの情報は車長席前方の天井に取り付けられたモニターに表示された。
なお砲手用の主照準機にも、車長用の夜間視察照準機と同じ機材が収められていた。
砲手用の主照準機の反対側にあたる砲塔前面には、シレイラ対戦車誘導ミサイルに対する誘導用の赤外線を伝達する送信装置が装着されており、上開きの開閉式装甲カバーを備えていた。

MBT-70/KPz.70は赤外線ライトを備えていたが、両国で異なるものが用いられた。
アメリカ側の試作車では、主砲基部の左側に長方形で前方に左右開き式の鋼製蓋を備えるキセノン赤外線ライトを備えたが、西ドイツ側の試作車ではレオバルト1戦車向けとして開発されたものがそのまま流用された。
なお、いずれの場合も赤外線と白色灯を照射することができ、加えて指揮車両向けとして地上航法装置の装備も考えられた。

これは、車内に収められたモニターに自車の位置と目的位置を表示するものだが、実際に装備されたか否かは不明である。
さらに操縦手向けの装備として、車体前面に前方の近距離視界を取得することを目的として、TVカメラが装着された。
ただしアメリカ側の試作第1号車は未装備で、逆に西ドイツ側は試作第1号車のみが装備していた。


<MBT-70戦車>

全長:    9.30m
車体長:   7.19m
全幅:    3.51m
全高:    2.96m
全備重量: 51.7t
乗員:    3名
エンジン:  コンティネンタルAVCR-1100-3 4ストロークV型12気筒空冷ターボチャージド・ディーゼル
最大出力: 1,475hp/2,800rpm
最大速度: 64.4km/h
航続距離: 644km
武装:    30.7口径152mmガン・ランチャーXM150E5×1 (48発)
        100口径20mm機関砲M139×1 (720発)
        7.62mm機関銃M73×1 (6,000発)
装甲厚:


<KPz.70戦車>

全長:    9.30m
車体長:   7.19m
全幅:    3.51m
全高:    2.96m
全備重量: 51.7t
乗員:    3名
エンジン:  MTU MB873Ka-500 4ストロークV型12気筒液冷ターボチャージド・ディーゼル
最大出力: 1,500hp/2,600rpm
最大速度: 64.4km/h
航続距離: 644km
武装:    30.7口径152mmガン・ランチャーXM150E5×1 (48発)
        100口径20mm機関砲MK20 Rh202×1 (720発)
        7.62mm機関銃MG3×1 (6,000発)
装甲厚:


<参考文献>

・「世界の戦車イラストレイテッド24 レオパルト2主力戦車 1979〜1998」 ウーヴェ・シネルバッハー/ミヒャエル・
 イェルヒェル 共著  大日本絵画
・「パンツァー2011年2月号 レオパルト2 その30年に渡る発展の軌跡(1)」 竹内修 著  アルゴノート社
・「パンツァー2000年2月号 最初の第3世代MBT レオパルト2」 小林直樹 著  アルゴノート社
・「パンツァー2015年7月号 進化するM1戦車の徹底解剖」 荒木雅也 著  アルゴノート社
・「パンツァー2005年2月号 MBT70/Kpz.70の再評価」 白石光 著  アルゴノート社
・「グランドパワー2014年8月号 MBT70の開発と構造」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2018年7月号 M1エイブラムス(1)」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2005年1月号 レオパルト2 (1)」 一戸崇雄 著  ガリレオ出版
・「世界の戦車(2) 第2次世界大戦後〜現代編」  デルタ出版
・「戦車ものしり大百科 ドイツ戦車発達史」 斎木伸生 著  光人社
・「徹底解説 世界最強7大戦車」 斎木伸生 著  三修社
・「新・世界の主力戦車カタログ」  三修社
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著  グランプリ出版
・「戦車名鑑 1946〜2002 現用編」  コーエー
・「世界の戦車・装甲車」 竹内昭 著  学研


HOME研究室(第2次世界大戦後〜現代編)戦車戦車(国際共同)>MBT-70/KPz.70戦車