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マウス超重戦車





●開発

1941年6月22日、ドイツ軍のソ連侵攻作戦(Unternehmen Barbarossa:バルバロッサ作戦)発動により独ソ戦が開始されたが、アドルフ・ヒトラー総統は開戦当初から1943年にはソ連軍がより強力な戦車を実戦化させ、ドイツ軍戦車の優位性が失われるのではないかと危惧していた。

この対策としてヒトラーはいかなる戦車砲も弾き返す強力な装甲と、あらゆる敵戦車を遠距離から一撃で撃破できる強力な主砲を備えた超重戦車を実用化することを構想し、1941年11月29日に総統官邸で開かれた会議において、シュトゥットガルトのポルシェ社の社長であるフェルディナント・ポルシェ工学博士に超重戦車の開発を持ち掛けた。

これに続いて1942年3月5~6日に開かれた会議において、ヒトラーはエッセンのクルップ社に対して100t級の超重戦車の開発を求めた。
この100t戦車については、遅くとも1943年の春前には最初の試作車を完成させることが要求された。
さらにヒトラーはポルシェ社に対しても100t戦車を独自に開発するように要請し、この2社による超重戦車の開発が本格的にスタートした。

100t戦車は車体についてはポルシェ社とクルップ社の競作とされたが、砲塔についてはクルップ社が開発を担当することになった。
1942年4月14~15日の会議では100t戦車は100発の主砲弾を携行し、副武装として砲塔内から操作できる遠隔操作式の機関銃を装備することが決められた。

これを受けてクルップ社では4月18日に社内会議を開き、100t戦車に搭載する砲塔の基本仕様について検討が行われた。
この会議でまとめられた100t戦車の砲塔の基本仕様は、以下のようなものである。

・主砲は40口径15cm戦車砲(砲口初速845m/秒)を搭載する
・主砲弾は弾丸と薬莢が分離した分離薬莢式とする
・主砲の発射速度を4~5発/分とするため、主砲弾の重量は34~43kgに抑える
・砲塔は全周旋回式とし、主砲弾は砲塔後部に収容する
・主砲の俯仰角は-8~+15度とし、仰角はできれば+40度まで取れることが望ましい
・砲塔内部に主砲のロック機構を備える

1942年6月8日の会議において、ポルシェ博士は100t戦車にディーゼル・エンジンと電気モーターを組み合わせたハイブリッド機関を採用することと、そのための専用の空冷ディーゼル・エンジンの開発を強く主張した。
しかしドイツ陸軍兵器局は、電気モーターの採用に対して重要な軍需物資である銅を大量に使用するとして反対し、専用の新型ディーゼル・エンジンの開発に対しては、アルベルト・シュペーア軍需大臣が時間が掛かるとして反対の意を表した。

1942年6月23日にはポルシェ社から「205型」と呼ばれる超重戦車の基本仕様書がヒトラーに届けられたが、205型の基本仕様は以下のようなものであった。
・武装は、砲塔防盾に15cm戦車砲と7.5cm戦車砲を左右並列に同軸装備する
・パワープラントは、ディーゼル・エンジンと電気モーターを用いたハイブリッド機関を採用する
・サスペンションは、縦置きの外装式トーションバーを用いる

205型の車体と砲塔のデザインは後のマウス重戦車と良く似ており、主砲やサスペンションの構造など細部は異なるものの、この時点でマウス戦車の基本コンセプトが確立していたことが窺える。
ヒトラーは205型の基本案に同意したものの、地雷対策として車体下面の装甲厚を100mmに増加させ、高い発射速度を備える70口径10.5cm戦車砲の装備も検討するように要求を出した。
これに対してポルシェ博士は、1943年3月12日までに205型の試作車を完成させると約束した。

ポルシェ社はベルリン・マリーエンフェルデのダイムラー・ベンツ社に対し、すでに量産が行われているディーゼル・エンジンで205型の機関室に収めることができ、1,500~1,800hpの出力を発揮できるものを供給するように依頼したが、ダイムラー・ベンツ社は1942年末に205型の要求仕様を満たせるディーゼル・エンジンは存在しないとポルシェ博士に通知し、代わりに同社製の航空機用ガソリン・エンジンであるDB603 V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力1,375hp)を、車載用に改修して搭載することを提案した。

DB603ガソリン・エンジンは容易に低オクタン化することができ、車載用に改修したエンジンの性能も良好であったため、車載型エンジンには「MB509」の呼称が与えられて後にマウス戦車に搭載されることになった。
ポルシェ博士は1943年1月4日の会議の際にヒトラーに205型の縮小模型を提示し、これを見たヒトラーは大変な興味と満足の意を表している。

なお、この頃には100t戦車は「モイシェン」(Mäuschen:小ネズミ)という愛称で呼ばれるようになっており、1943年2月13日付で「マウス」(Maus:ネズミ)の制式呼称が採用されている。
超重戦車に小さな動物である「ネズミ」と名付けるのはちょっと変な気がするが、ドイツ軍は全長1.5mの遠隔操作式の軽爆薬運搬車Sd.Kfz.302/303には「ゴリアテ」(Goliath:旧約聖書に登場する巨人兵士)と名付けていることから、兵器の呼称が敵に漏れた場合の対策としてわざとミスマッチな呼称を付けたとも考えられる。

クルップ社とポルシェ社から提出されたマウス戦車の設計案はヒトラーらによって詳細に比較検討され、1943年1月にはクルップ社の案を退けてポルシェ社の205型が採用されることが決定した。
同年2月5日に行われた兵器局第4課とクルップ社との会議において、マウス戦車の生産型では砲塔防盾に主砲の55口径12.8cm戦車砲KwK44と、副砲の36.5口径7.5cm戦車砲KwK44を左右並列に同軸装備することが決定された。

マウス戦車の砲塔と車体の生産はクルップ社で行い、完成した砲塔と車体をベルリンのアルケット社(Altmärkische Kettenwerke:アルトメルキシェ装軌車両製作所)に送って最終組み立てを行うこととされた。
1943年2月11日には兵器局第6課からクルップ社に対して、マウス戦車の試作車6両の製作が発注された。
6両の試作車の内、同年6月15日までに試作第1号車の車体をアルケット社に送ることとされており、第2号車は7月15日、第3、第4号車は8月15日、第5、第6号車は9月15日にアルケット社に送ることになっていた。

各試作車の砲塔については、車体の完成後2カ月でそれぞれアルケット社に送ることとされていた。
続いて2月13日には、兵器局第4課からクルップ社に対してマウス戦車に搭載する武装の製作が発注された。
これは先に決定された12.8cm戦車砲KwK44と7.5cm戦車砲KwK44以外に、38口径15cm戦車砲KwK44も加えられていた。

この時の契約では、12.8cm戦車砲KwK44と7.5cm戦車砲KwK44をそれぞれ3門ずつと尾栓を備える砲身を2門ずつ、尾栓と砲口制退機を装着した15cm戦車砲KwK44を2門と砲身のみを5門製作することになっており、完成後にヒラースレーベン試験場に送るように指示されていた。
また前述のように、同日付で「マウス」の制式呼称が採用されている。

1943年2月22日にはクルップ社に対してマウス戦車120両の生産が発注され、完成した砲塔と車体をアルケット社に送るスケジュールが定められた。
この時の契約ではマウス戦車の車体については同年11月に2両、12月に4両、1944年1月に6両、2月に8両、4月以降は毎月10両を引き渡すこととされ、砲塔については1943年12月に2基、1944年1月に4基、2月に6基、3月に8基、4月以降は毎月10基を引き渡すことになっていた。

1943年5月1日には、マウス戦車の実物大モックアップがヒトラーに展示された。
ヒトラーはマウス戦車の砲塔前面の形状がパンター戦車と同様に曲面で構成されていることに対して、パンター戦車で問題となったショットトラップ(砲塔前面に当たった敵弾が下方向に跳ねて装甲の薄い車体上面を貫徹してしまう現象)を招くのではないかと危惧し、砲塔前面の形状を改良することを求めた。

さらに主砲弾の搭載数を予定された50発から80発に増やすことも求めたため、副砲弾の搭載数を予定された200発から100発に減らすことで主砲弾80発の搭載を可能とした。
1943年5月5日にはマウス戦車の発注数が135両に増やされたが、これは当時ドイツ軍がロシア南西部のクールスク方面で大規模な反抗作戦「城塞作戦」(Unternehmen Zitadelle)を計画していたことが影響しており、その後の戦局維持にマウス戦車が重要な役目を果たすと考えられていたためである。

しかし城塞作戦は結局失敗に終わり、マウス戦車の開発も予定通り進まなかったため、シュペーア軍需大臣は1943年10月27日にポルシェ社に対して、マウス戦車は試作車のみ製作を継続し量産は行わないことを通告した。
続いて11月5日には、クルップ社に対してもマウス戦車の量産キャンセルと試作車のみの製作継続が通告され、さらに予備部品1両分と潜水装置一式、牽引セット一式の製作が要求された。

11月9日にはマウス戦車の試作第3~第6号車の4両の発注がキャンセルされ、すでに最終組み立てのためにアルケット社に車体が送られていた試作第1、第2号車のみを完成させることとされた。
この時点でクルップ社の工場では、マウス戦車の試作第3~第6号車の4両の車体と6基の砲塔がすでに溶接作業を終えており、車体4両分と砲塔2基分の装甲板切断作業が終わっていたが、発注がキャンセルされたことを受けてクルップ社はこれらを解体処理した。

ただし、1945年2月7日に兵器局第6課よりマウス戦車の試作第3号車を製作再開するよう求められたため、イギリス軍がクルップ社の工場を占拠した時には第3号車の車体がほぼ完成状態で残されていた。
マウス戦車の試作第1号車は1943年9月半ばに、第2号車は同年11月に入って最終組み立てのためにアルケット社に送られている。

しかし当時、アルケット社はIII号突撃砲を始めとする各種戦闘車両の生産に追われていたためマウス戦車の作業は後回しにされ、試作第1号車の組み立て作業が開始されたのは1943年12月初めになってからであった。
12月22日には第1号車の組み立てが完了し、1944年1月10日に試験のためにベーブリンゲンの第7戦車補充大隊駐屯地に向けて貨車で発送され、1月14日に到着して走行試験が開始された。

実物の砲塔がまだ完成していなかったため、マウス戦車の試作第1号車は代わりに同重量のオープントップ式のダミー砲塔を搭載して走行試験に臨んだ。
このダミー砲塔はコンクリート製であったと解説されることが多いが、コンクリートで実物の砲塔と同じ55tの重量を達成することは不可能なので実際は鋳鋼製であったと思われる。

一方、マウス戦車の試作第2号車は1944年1月8日からアルケット社で組み立てが開始されたものの、他の車両の生産が優先されたため作業はなかなか進まず、ついにはベーブリンゲンの試験場に送ってから最終組み立てを行うこととされて、同年3月7日に足周りと機械式ブレーキを備えただけの半完成状態で発送されている。
第2号車は3月10日にベーブリンゲンに到着したものの、エンジンが未搭載で自走することができないため、すでに試験に供されていた第1号車を用いて第7戦車補充大隊の整備工場まで牽引して運ばれた。

1944年5月4日にはマウス戦車の砲塔がようやくベーブリンゲンに到着したものの、しばらくの間カバーが掛けられた状態のまま屋外に放置され、同年6月9日にようやく試作第2号車への搭載が完了した。
この砲塔には武装として12.8cm戦車砲KwK44と7.5cm戦車砲KwK44が左右並列に同軸装備されており、今までに無い重武装の戦車になった。

その後マウス戦車は試作第1号車が1944年6月に、第2号車が同年9月にツォッセンのクンマースドルフ車両試験場に貨車で運ばれ、射撃試験を含む本格的な試験が開始された。
クンマースドルフでの試験の内容は明らかになっていないが、1944年11月1日にヒトラーがマウス戦車を含む当時計画されていた全ての超重戦車の開発を中止することを決定したため、同年末には試験は中止されたといわれている。

マウス戦車の試作第1号車には、ダイムラー・ベンツ社製のDB603A2航空機用ガソリン・エンジンを車載用に改修した、同社製のMB509 V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力1,080hp)が搭載されていた。
試作第2号車も当初、第1号車と同様にMB509ガソリン・エンジンを搭載していたが、クンマースドルフで試験を開始して間もなくエンジンを破損したため、1945年2月22日よりダイムラー・ベンツ社製のMB517 V型12気筒液冷ターボチャージド・ディーゼル・エンジン(出力1,200hp)への換装作業が開始された。

このMB517ディーゼル・エンジンは、ドイツ海軍の快速艇に搭載された同社製のMB507ディーゼル・エンジン(出力900hp)にターボチャージャーを追加したものであった。
1945年5月の終戦直前には、武装を備えているマウス戦車の試作第2号車がソ連軍との戦闘に参加するためクンマースドルフから前線に向かって進撃した。

しかしツォッセンのシュタンプラーガー広場まで移動したところで行動不能となったため、ソ連軍の手に渡るのを避けるために第2号車は乗員の手で爆破されてしまった。
一方、武装を持たない試作第1号車はクンマースドルフの射撃試験場に放置されており、ほぼ完全な状態のまま侵攻してきたソ連軍に接収された。

2両のマウス戦車を接収したソ連軍は、自爆により車体が大きく損傷した試作第2号車の砲塔を第1号車の車体に搭載して走行可能なマウス戦車を製作し、1945年4月末もしくは5月初めにソ連本国に向けて貨車で発送した。
このマウス戦車は同年5月4日にモスクワに到着して本格的な試験に供され、現在はクビンカの兵器試験所博物館の展示品となっている。


●車体の構造

マウス戦車の車内レイアウトは前から順に操縦室、エンジンや冷却装置を収めた機関室、全周旋回式砲塔を搭載した戦闘室、電気モーターの収納室となっていた。
車体は圧延防弾鋼板の溶接構造で、装甲厚は前面が200mm(上部が傾斜角55度、下部が35度)、側面上部が180mm、側面下部が80mm、後面が150mm(上部が傾斜角37度、下部が30度)、上面の操縦室部分が100mm、その後方が60mm、下面の操縦室部分が100mm、その後方が50mmとなっていた。

側面上部の装甲板は下方に張り出して、足周りの保護とサスペンションの支持を兼務する装甲スカートとなっており、このスカート部分と前部フェンダーの装甲厚は100mmとなっていた。
車体サイズは全長9.034m、全幅3.67mと非常に大柄であったが、188tに達する戦闘重量を支えるために幅1,100mmという巨大な履帯が装着されたため、車体下部の幅は1mにも満たなかった。

車体最前部の操縦室内には左側に操縦手、右側後方に無線手が位置したが、前述のように巨大な車体サイズとは裏腹に操縦室内のスペースは非常に狭く、ハッチも上面中央に楕円形の後ろ開き式のものが1枚あるだけで、これを2名で共有するようになっていた。
ハッチの前方には左側に操縦手用の固定式ペリスコープ、右側に無線手用の旋回式ペリスコープが設けられていた。

操縦室左右の袖板の上には容量800リットルの燃料タンクが各1個ずつ設けられており、その後方の機関室内には中央にMB509ガソリン・エンジン、左右の袖板の上にラジエイターと片側2個の強制冷却ファンから成る冷却装置が収められていた。

前述のようにマウス戦車の試作第2号車は途中でMB517ディーゼル・エンジンに換装されているが、その際に強制冷却ファンが片側1個に減らされている。
エンジンの真上にあたる機関室上面中央には吸気用グリルが設けられていたが、グリルの前方には砲塔のショットトラップ対策とグリルの保護を兼ねた大きな跳弾板が設けられていた。

機関室の後方は砲塔を搭載した戦闘室となっており、戦闘室の床には発電機と補助発電機、減速機が設置されていた。
エンジンからの動力はまず減速機に送られ、発電機に伝達されて車体最後部に左右独立して設置された電気モーターを駆動するようになっていた。

このようにマウス戦車はガソリン・エンジンと電気モーターを組み合わせたハイブリッド機関を採用していたが、これは本車の188tという戦闘重量に対応できる機械式変速機が存在しなかったためである。
戦闘室左右の袖板の上には弾薬ケースが設けられており、副砲の7.5cm戦車砲KwK44の弾薬が収められていた。

車体最後部の電気モーター収納室の上面には3分割されたグリルが設けられており、モーターから発生した熱を車外に放出するようになっていた。
車体後面上部には容量1,000リットルの円筒形の追加燃料タンクを装着できるようになっており、車体後面に追加燃料タンクを固定する金属ベルトの装着用小穴と燃料採り入れ口が設けられていた。


●足周りの構造

マウス戦車の足周りは当初の設計案では、ポルシェ社がティーガーI戦車の試作車として開発したVK.45.01(P)に用いたものと同じ外装式の縦置きトーションバー・サスペンションを採用することになっていたが、このサスペンションでは戦闘重量188tに達するマウス戦車を支えるのは無理なことが判明したため、新しい方式のサスペンションが開発されることになった。

新しく開発されたサスペンションは、片側に垂直渦巻スプリングを装着したアームの前後に転輪をオーバーラップ式に2個取り付け、これを2組取り付けた支持架を車体側面下部と装甲スカートの間に固定するようになっており、このサスペンションを片側6セット用いて計24個の転輪で支えるようになっていた。
大重量を支えるために転輪は通常のゴム縁付きのものではなく、内部にゴムを収めた直径550mmの鋼製転輪が使用された。

マウス戦車の試作第2号車では、ベーブリンゲンでの最終組み立ての際に12個の肉抜き穴が開けられた新型の軽量型転輪に換装されているが、走行試験においてこの軽量型転輪は信頼性の低さが露呈したため、クンマースドルフに送られる前に従来の転輪に再換装されている。
サスペンション支持架の上部には上部支持輪がオーバーラップ式に2個取り付けられており、上部支持輪の数は片側12個となっていた。

マウス戦車の足周りに採用された垂直渦巻スプリングは、アメリカ軍のM3/M4中戦車シリーズの足周りにも用いられており、トーションバーに比べると緩衝能力は劣っていたものの、車体に穴開け加工をしなくて済むため生産効率を上げることができ、車内のスペースを取らないという利点もあった。
履帯は幅1,100mmという巨大な履板を片側112枚用いて構成されていたが、この履板は鋳造製の一体式のものと3分割式のものが交互に組み合わされており、それぞれ片側56枚ずつ用いられていた。

しかしマウス戦車は188tという戦闘重量と巨大な車体サイズが災いし、ベーブリンゲンにおける走行試験において最大速度20km/hしか出せず、最小旋回半径も14.5mと極めて大きいことが判明し、機動性能が低過ぎて実戦では使い物にならないことが明らかになってしまった。
マウス戦車の開発が中止されたのは、この機動性能の低さが最大の原因であったと思われる。


●砲塔の構造

マウス戦車の砲塔は、圧延防弾鋼板と鋳造防弾鋼を組み合わせた溶接構造となっていた。
砲塔の装甲厚は前面が220~240mm、側面と後面が200mm、上面が60mmとなっており、鋳造製の防盾の装甲厚は250mmとなっていた。
防盾には主砲の12.8cm戦車砲KwK44と副砲の7.5cm戦車砲KwK44が左右並列に同軸装備されており、防盾左側の砲塔前面には縦長のスリットを設けて7.92mm機関銃MG34が独立装備されていた。

また砲塔の左右側面にボールマウント式銃架を設けて9mm機関短銃を装備する予定であったが、試作車では未装備とされ開口部は後に装甲栓を溶接して塞がれた。
砲塔後面には内部に鎖で固定された装甲栓が取り付けられており、ここから空薬莢を排出するようになっていた。
また、この装甲栓の中央部には円形のガンポートが設けられていた。

砲塔内には車長、砲手、装填手2名の計4名が搭乗するようになっており、前方右側に車長、前方左側に砲手、それぞれの後方に装填手2名が位置していた。
砲塔上面中央部には2枚の円形ハッチが左右並列に設けられており、右側が車長用、左側が砲手用となっていた。

装填手用のハッチは無かったので、このハッチを共用していた。
それぞれのハッチの前方には旋回式ペリスコープを装備することになっていたが、試作車では右側の車長用ペリスコープのみ装備され、左側の砲手用ペリスコープは未装備とされて開口部は装甲板を溶接して塞がれた。
砲塔上面前部左側にはTW.ZF.1照準機を収めた小塔が設けられていたが、マウス戦車の生産型ではTRbl.F3照準機に変更する予定であった。

マウス戦車の主砲である55口径12.8cm戦車砲KwK44は、ヤークトティーガー重駆逐戦車に搭載された55口径12.8cm対戦車砲PaK44と同系列のものであり、Pz.Gr.43徹甲弾を使用した場合砲口初速920m/秒、射距離1,000mで200mm、2,000mで178mmのRHA(均質圧延装甲板)を貫徹することができた。
この砲は射距離3,500m以上でソ連軍のIS-2重戦車の前面装甲を貫徹することが可能で、当時の全ての連合軍戦車を撃破できる性能を備えていた。

副砲の36.5口径7.5cm戦車砲KwK44は本車に搭載するために新たに開発されたもので、榴弾を用いて機関銃座や対戦車砲陣地を攻撃するのが主用途であったが、Gr.38HL/C成形炸薬弾を用いて装甲目標を攻撃することも可能であった。
Gr.38HL/C成形炸薬弾を使用した場合砲口初速450m/秒、装甲穿孔力は射距離に関わらず100mm、有効射程距離は1,500mとなっていた。

ただし初速が遅いため、射距離1,500mにおける命中精度は18%程度といわれており実用性は高くなかった。
砲塔内後部は主砲弾薬の搭載スペースとなっており、弾丸と薬莢をそれぞれ12発ずつ収めるラックが設けられていた。
砲塔内前部右側には副砲の弾薬ラックが設けられており、25発の7.5cm砲弾が収められていた。

砲塔の旋回は電気モーターによる動力旋回式であったが、砲手席に備えられた補助旋回ハンドルを用いて人力で旋回させることも可能であった。
電気モーターによる旋回時には、15秒で砲塔を360度旋回させることができた。


<マウス戦車 試作第1号車>

全長:    12.659m
車体長:   9.034m
全幅:    3.67m
全高:    3.63m
全備重量: 187.998t
乗員:    6名
エンジン:  ダイムラー・ベンツMB509 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 1,080hp/2,300rpm
最大速度: 22km/h
航続距離: 186km
武装:    55口径12.8cm戦車砲KwK44×1 (68発)
        36.5口径7.5cm戦車砲KwK44×1 (200発)
        7.92mm機関銃MG34×1 (1,000発)
装甲厚:   50~240mm


<マウス戦車 試作第2号車>

全長:    12.659m
車体長:   9.034m
全幅:    3.67m
全高:    3.63m
全備重量: 187.998t
乗員:    6名
エンジン:  ダイムラー・ベンツMB517 4ストロークV型12気筒液冷ターボチャージド・ディーゼル
最大出力: 1,200hp
最大速度: 22km/h
航続距離: 186km
武装:    55口径12.8cm戦車砲KwK44×1 (68発)
        36.5口径7.5cm戦車砲KwK44×1 (200発)
        7.92mm機関銃MG34×1 (1,000発)
装甲厚:   50~240mm


兵器諸元(マウス戦車 試作第1号車)


<参考文献>

・「パンツァー2010年1月号 マウスとE100 ドイツ超重戦車始末記」 佐藤慎ノ亮 著  アルゴノート社
・「ピクトリアル ドイツ軍戦車」  アルゴノート社
・「第2次大戦 ドイツ戦闘兵器カタログ Vol.2 AFV:1943~45」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2003年8月号 超重戦車マウス/E100」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2010年5月号 超重戦車マウス/E100」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2019年6月号 超重戦車マウス写真集」 箙浩一 著  ガリレオ出版
・「世界の戦車(1) 第1次~第2次世界大戦編」  ガリレオ出版
・「第2次大戦 ドイツ試作軍用車輌」  ガリレオ出版
・「世界の戦車 1915~1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著  大日本絵画
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著  大日本絵画
・「特殊戦闘車両」 W.J.シュピールベルガー 著  大日本絵画
・「異形戦車ものしり大百科 ビジュアル戦車発達史」 斎木伸生 著  光人社
・「図説・ドイツ戦車パーフェクトバイブルII」  学研
・「戦車パーフェクトBOOK」  コスミック出版
・「戦車名鑑 1939~45」  コーエー


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