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M8装甲車





●開発

アメリカ陸軍に新設された駆逐戦車軍団本部は、イギリス連邦軍の北アフリカ戦線における戦訓を基に火砲を装備する装輪式装甲車の開発を計画し、1941年7月に要求仕様を定めた。
これは高速走行が可能な高い不整地走行性能を有した6×6型装甲車で、低車高、かつ軽量な上、当時の主力対戦車/戦車砲であった37mm砲を装備し、もちろん相応の装甲も備えたいわば「高速戦車駆逐車」とでも呼ぶべき車両であった。

また車体を流用した派生型として自走迫撃砲型、対空型、汎用型なども簡単に用意できることが要求の中に含まれていた。
この要求仕様に対して名乗りを挙げたのはフォード自動車とクライスラー社ファーゴ事業部の2社だったが、他に車体規模こそ要求仕様にほぼ準じていたものの、民需用トラックをベースとした6×4型装甲車を自主開発していたスチュードベイカー社もエントリーすることになり、3社による競合試作となった。

そしてフォード社の試作車には「T22」、クライスラー社の試作車には「T23」の試作番号が付与された。
またスチュードベイカー社の試作車は、自主開発ということで当初は「T43」の試作番号が与えられていたが、後に試作番号の系統的な整理が行なわれ、競合2社と並びの番号である「T21」へと変更された。
さらにフォード社とクライスラー社には6×6型装甲車の開発計画と並行して、同一部品をできるだけ流用した4×4型装甲車の開発も委託された。

というのも駆逐戦車軍団本部の要求とは別に、当時のアメリカ陸軍兵器局が「軽」「中」「重」の3タイプの装輪式装甲車の同時開発と同時装備を提唱していたからである。
フォード社の4×4型試作車には「T22E1」、クライスラー社の4×4型試作車には「T23E1」の試作番号が与えられたが、T22E1もT23E1も共に試作車が1両作られたのみで開発計画は放棄された。

一方、肝心の6×6型装甲車の方ではフォード社のT22の評価が高く、軍の要望を採り入れたり細部の不具合を是正したT22E2へとステージを進めた。
しかしこの頃になると、T22装甲車と同じ37mm砲を搭載するM3軽戦車を装備したイギリス連邦軍の北アフリカでの戦訓に基づき、駆逐戦車軍団本部では37mm砲の威力不足が取りざたされるようになり、T22装甲車を高速戦車駆逐車の主力とする案はご破算となってしまった。

しかし、イギリス連邦軍の騎兵連隊が装備する装輪式装甲車が北アフリカで偵察や奇襲攻撃にかなりの活躍を示していたこともあって、T22装甲車は騎兵偵察大隊の主力装備として採用されることになり、駆逐戦車大隊にも偵察用として少数が装備されることとなった。
そして1942年5月19日、T22E2は晴れて「M8装甲車」として制式採用となった。

M8装甲車の最初の生産契約は1942年7月に結ばれているが、この時期は戦車等より優先度の高い装備が目白押しであったため、実際にM8装甲車の生産が開始されたのは1943年3月からで、1945年4月までに8,523両が生産されている。
またM8装甲車はレンドリースによってイギリス連邦軍や自由フランス軍にも供与されており、イギリス連邦軍では本車を「グレイハウンド」(Greyhound:エジプト原産の猟犬・競争犬)と称していた。

ちなみに当時のイギリス連邦軍はアメリカ製の装輪式装甲車に対して猟犬の名称を冠しており、フォード社の6輪装甲車T17を「ディアハウンド」(Deerhound:青みがかった被毛の大型の猟犬)、シボレー社の4輪装甲車T17E1を「スタッグハウンド」(Staghound:大型の猟犬の1種)、ジェネラル・モータース社の8輪装甲車T18E2を「ボーアハウンド」(Boarhound:猪狩りに用いる大型猟犬)と称していた。


●構造

M8装甲車の車体は基本的には圧延防弾鋼板を溶接接合したモノコック構造だが、整備上の可分解個所、例えば前輪と後輪を覆う装甲サイドスカート部等にはボルト結合が用いられていた。
車内レイアウトは一般的なもので車体前部が操縦室、車体中央部が砲塔を搭載した戦闘室、車体後部が機関室となっていた。

以前フォード社がアメリカ陸軍の要請を受けて開発した同じ6×6型のT17装甲車は、サイズと重量が大き過ぎたことが原因で不採用となったが、M8装甲車ではその反省として全長をT17装甲車より約66cm短縮し、ホイールベースに至っては106cmも短くされた。
車体の装甲厚は前面上部が0.625インチ(15.88mm)、前面下部が0.75インチ(19.05mm)と、車体前面はT17装甲車と同等であったが、側/後面は0.375インチ(9.53mm)とT17装甲車の半分に落として軽量化を図っていた。

これによりM8装甲車の戦闘重量は7.893tと、T17装甲車(14.515t)の約半分にまで減少した。
車体上面はどこも0.25インチ(6.35mm)と均一だったが、車体下面の装甲厚は操縦室と戦闘室の下面が0.25インチ、機関室の下面が0.125インチ(3.18mm)となっていた。
砲塔は駆逐戦車軍団本部の当初の要求仕様に従ったオープントップ式で、砲尾の直上部分だけにわずかに張り出した装甲厚0.75インチのルーフが掛かっていた。

砲塔も車体と同じく圧延防弾鋼板の溶接構造で、装甲厚は全周に渡ってルーフと同じ0.75インチだったが、防盾部だけは防弾鋼の鋳造製で、1.375〜1.875インチ(34.93〜47.63mm)の装甲厚であった。
砲塔は手動により全周旋回が可能で、M8装甲車の初期生産型では1速式手動旋回制御輪が用いられていたが、微妙な旋回調整を可能とするために中期生産型以降では2速式に改められた。

この砲塔にM23A1砲架を介して53.5口径37mm戦車砲M6が取り付けられており、主砲の右側には同軸機関銃の7.62mm機関銃M1919A4が、左側にはM70D照準眼鏡が装備されていた。
M23A1砲架はM3/M5軽戦車シリーズに用いられたものと同型で、主砲を−10〜+20度の範囲で俯仰させることが可能な他、砲塔を固定したままでも主砲を左右に旋回できる機構を持っていた。
ただし、M3/M5軽戦車シリーズのようにジャイロ式安定化装置は装備されていなかった。

また取り外し式のピントルマウントを介して、対空/対地兼用の12.7mm重機関銃M2が砲塔後部に装着できたが、M8装甲車の後期生産型では、ちょうど砲塔上面の開口部を取り囲むような形状のM49リングマウントが装備され、そこにM2重機関銃が装着されていた。
なおこのM49リングマウントに関しては現地改修キットが用意され、未装備車に対する前線での改造も実施された。

その他の武装としては、標準型のM8装甲車では車体左右側面の専用ラックにM1A1対戦車地雷をそれぞれ3発ずつ搭載していたが、アメリカ軍が対戦車地雷を使用する機会はごく少なかったため、このラックをジェリカン用に作り替えたり、収納箱に変更したりする現地改修もちょくちょく行われていた。
M8装甲車の携行弾数は37mm砲弾が80発、12.7mm重機関銃弾が400発、7.62mm機関銃弾が1,500発となっていた。

車体後部の機関室には、T17装甲車にも採用されたハーキュリーズ社製のJXD 直列6気筒液冷ガソリン・エンジンが搭載された。
このJXDエンジンは6×6型の6tトラック4DTや、4×4型の牽引車2DTに搭載された同社製のRXC 直列6気筒液冷ガソリン・エンジンに小改良を施したもので、排気量は525cc、70オクタン・ガソリンを使用して最大出力は110hpとなっていた。

T17装甲車ではこのエンジンを2基並列に搭載していたが、M8装甲車は戦闘重量が約半分に減ったため、エンジンが1基であるにも関わらずT17装甲車とほぼ同じ機動性能を発揮することができた。
ラジエイターはチューブ・アンド・フィン方式で、6枚羽根のファン2基をゴムベルトで駆動させて外気を吸引した。
変速機は前進4段/後進1段で、1速6.499:1、2速3.543:1、3速1.752:1、4速1.000:1、後進6.987:1のギア比を有していた。

一方トランスファ・ケースのギア比は、ハイで1.000:1、ローで1.956:1となっていた。
なおクラッチはシングル・プレートの乾式で、ブレーキはハイドロマティックであった。
エンジンの前方には容量56ガロンの燃料タンクが配されており、満タンなら不整地で160〜402km、路上で320〜640kmの無給油走行が可能であった。

サスペンションにはリーフ・スプリングが使用されており、特に後ろの4輪は前後2輪が1セットでボギーに装着され、そのボギー全体を中央軸で支えていた。
なお、タイアには9.00×20で12積層のコンバット・タイプが用いられていた。
M8装甲車の路上最大速度は公式には55マイル(88.51km)/hとされていたが、実際には100km/hぐらい出せたという。

また登坂角30%の昇り斜面を約50km/hの速度で登坂することができ、最大登坂角は60%であった。
使用バッテリーは直流12Vで、通信機としてはSCR-506、508、510、608、610の内の1基ないし2基を搭載、インターフォン・ステイションは乗員数に準じて車内の4カ所に用意されていた。
ただし指揮官車仕様などで通信機を2基搭載した場合は、37mm砲弾の携行数がわずか16発に制限された。

本車の乗員は4名で、車体前部の操縦室には左側に操縦手、右側に副操縦手が搭乗した。
原型のT22装甲車では、副操縦手席の前面にボールマウント式銃架を設けて7.62mm機関銃M1919A4が装備されていたが、M8装甲車ではそれが無くなったため副操縦手の仕事は通信機の操作が中心となった。
操縦手/副操縦手席の上面には、それぞれ横開き式の四角いハッチが設けられていた。

また操縦手/副操縦手席の前面には、それぞれに防弾式視察スリットと開閉式シャッター付き視察スリットの両方が備えられた下開き式の防護パネルが設けられていた。
操縦手/副操縦手席には座高調節機能が備えられており、上部ハッチと前面パネルの両方の開放時には座高を上げて頭全体を車外に突き出すことができ、極めて良好な視界を得られた。

37mm戦車砲M6を装備する砲塔には、車長兼砲手と装填手の2名が搭乗した。
車長兼砲手は照準眼鏡が装備された砲塔内左側に座るが、そのため砲塔の手動旋回制御輪も左側に備えられていた。
車長兼砲手から見て砲尾を挟んだ向かい側、すなわち砲塔内右側には装填手が座る。
なお37mm砲弾は軽量なことから、熟練した装填手は片手での装填が可能だったという。


●第2次世界大戦中の派生型

☆M20装甲車

M20装甲車はM8装甲車から砲塔を取り外した汎用型で、M8装甲車の開発当初から企画されていた派生型である。
M20装甲車ではM8装甲車に搭載されていた37mm戦車砲装備の砲塔が取り外され、戦闘室上面の装甲を撤去した四角い開口部の上にわずかな高さの上部構造を装着し、さらにその直上にM49またはM66リングマウントを装備して12.7mm重機関銃M2を装着していた。

本車は試作段階では「T26」と呼ばれ、制式化に伴って当初は「M10」の制式番号を付与されたが、同時期に制式となったM10対戦車自走砲と紛らわしいことから、改めて「M20」の制式番号に変更されたという経緯を持つ。
M20装甲車には機種の異なる複数の通信機を搭載した観測指揮型と、場合によっては通信機は1基も搭載していない輸送型の2タイプが存在した。
乗員数は最大6名で基本性能は全てM8装甲車に準じており、第2次大戦中に総計で3,791両が生産された。

☆T69対空自走砲

T69対空自走砲は、M20装甲車と同様にM8装甲車の開発当初から企画されていた派生型の1つで、1943年7月から試作作業が開始された。
T69対空自走砲では、M8装甲車の37mm戦車砲M6を装備する手動旋回式砲塔に代えて、全周旋回が6秒で完了するオープントップ式の動力旋回式銃塔を装備し、そこに4連装12.7mm重機関銃M2を−10〜+90度の俯仰角で搭載していた。

T69対空自走砲は性能的には優れていたものの、本車より車内容積が大きくより多くの機関銃弾の積載が可能なM3ハーフトラックに同様の武装を施したM16対空自走砲の生産が1943年5月から開始されたため、1944年初頭に計画はキャンセルされてしまった。


●戦後の派生型

第2次世界大戦後、保守整備が容易で使い勝手の良いM8装甲車とM20装甲車は、NATO諸国を始めアメリカの同盟国に広く供与された。
そしてそれら供与先において、独自の改造を施された車両が色々と登場している。
1950年代初頭に西ドイツ国境警備隊に供与されたM8装甲車は、37mm戦車砲M6を砲塔から撤去した上で鉄パイプ製のダミー砲を装着し、武装を7.92mm機関銃MG42だけとしたものだった。

またベルギー陸軍はコンゴ動乱時に現地改修で、M8装甲車の砲塔上に巨大な全周防盾を増設し、主砲の真後ろの位置に12.7mm重機関銃M2を装着していた。
一方本格的な近代化改修型としては、アメリカのNAPCO社がコロンビア陸軍に24キットを納品した改修キットが挙げられる。

このキットはM8装甲車のエンジンをディーゼルに換装した上で、主武装としてTOW対戦車ミサイル発射機を搭載するというものであった。
エンジンのみの換装であればブラジル陸軍も1970年代の初頭に、ドイツのダイムラー・ベンツ社製の出力120hpのディーゼル・エンジンをM8装甲車に載せており、グァテマラ陸軍のM8装甲車も、NAPCO社の改修キットを利用してアリソン社製のディーゼル・エンジンに換装している。

またフランス陸軍ではM20装甲車の車体に、GIAT社製の33口径90mm低圧滑腔砲F1を装備するイスパノ・スイザ社製のH90砲塔を搭載しており、戦闘力が大幅に向上したことで最もバランスの取れた近代化改修型となった。
ちなみに、同車は1971年のサトリ兵器展示会にも出展された。


<M8装甲車>

全長:    5.004m
全幅:    2.54m
全高:    2.248m
全備重量: 7.893t
乗員:    4名
エンジン:  ハーキュリーズJXD 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 110hp/3,000rpm
最大速度: 88.51km/h
航続距離: 563km
武装:    53.5口径37mm戦車砲M6×1 (80発)
        12.7mm重機関銃M2×1 (400発)
        7.62mm機関銃M1919A4×1 (1,500発)
装甲厚:   3.18〜47.63mm


<参考文献>

・「第2次大戦 AFVファイル Vol.3 M3中戦車、巡航戦車クロムウェル&M8装甲車」 遠藤慧 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2014年1月号 第2次大戦 アメリカ装輪装甲車」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2019年2月号 米軍装輪装甲車開発史」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2021年9月号 M8/M20軽装甲車」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「世界の軍用車輌(4) 装輪式装甲車輌:1904〜2000」  デルタ出版
・「第2次大戦 イギリス・アメリカ軍戦車」  デルタ出版
・「パンツァー2001年1月号 M8装甲車の総て その開発から構造、派生車まで」 白石光 著  アルゴノート社
・「パンツァー2014年1月号 AFV比較論 M8 vs Sdkfz.231装甲偵察車」 久米幸雄 著  アルゴノート社
・「パンツァー2003年1月号 インドシナにおけるフランス軍の装甲偵察車」 白石光 著  アルゴノート社
・「パンツァー2013年7月号 懐かしの自衛隊車輌」 前河原雄太 著  アルゴノート社
・「パンツァー2002年11月号 スタッグハウンド装甲車」 白石光 著  アルゴノート社
・「パンツァー2014年5月号 台湾陸軍博物館の第二次大戦車輌」  アルゴノート社
・「世界の戦車・装甲車」 竹内昭 著  学研
・「戦車名鑑 1939〜45」  コーエー


兵器諸元

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