HOME研究室(第2次世界大戦編)自走砲自走砲(アメリカ)>M7 105mm自走榴弾砲

M7 105mm自走榴弾砲





M7 105mm自走榴弾砲は、アメリカ陸軍兵器局が機甲部隊を支援する機械化野戦砲兵の主要装備として1941年6月より開発を計画したもので、同時期に前後して企図された対戦車自走砲計画や、M12 155mm自走加農砲と同様にM3中戦車の車台をベースとするものであった。
1941年10月、BLW社(Baldwin Locomotive Works:ボールドウィン機関車製作所)に対して「T32」の名称で試作車2両の製作が指示され、1942年初頭に完成した試作車はアバディーン車両試験場でアメリカ陸軍の試験を受けた。

試験の結果は良好であったが、砲の仰角があまり取れないことと対空火器の無いことだけが懸念された。
この結果、戦闘室前方右側へ12.7mm対空機関銃を取り付ける円筒形のマウントが設けられた。
このマウントの形状が教会の説教台に似ていたことから、M7自走榴弾砲を供与されたイギリス軍は本車に「プリースト」(Priest:司祭)という愛称を付けている。

T32自走榴弾砲は、M3中戦車の砲塔および車体右前面に配置された75mm戦車砲を取り払って、機関室より前方の車体上部に新たにオープントップ式の単純な戦闘室を設け、その前部右寄りに牽引式の105mm榴弾砲M2A1の砲架を戦闘室のスペースに合うように切り詰めて固定具とするなどの改修を加えて、ほぼそのままの形で搭載していた。
105mm榴弾砲は限定旋回式で旋回角は左が15度、右が30度となっていた。

105mm榴弾砲を搭載する車台としてはM3中戦車は充分に余裕があり、また戦闘室が単純な箱型だったこともあって戦闘室内の容積はかなり広く、7名の乗員と69発の105mm砲弾を搭載することが可能であった。
105mm砲弾は通常の榴弾の他に対戦車榴弾、発煙弾が用意されていた。
主砲の22.5口径105mm榴弾砲M2は、それまでの75mm加農砲に代わる野砲として1938年に開発された105mm榴弾砲M1の改良型で1939年に制式化、翌40年に生産が開始されたものである。

弾頭重量14.98kgの榴弾を用いて発射速度は8発/分、最大射程は11,438mと当時としては優秀な火砲であり、第2次世界大戦後も西側各国で使用され日本の陸上自衛隊にも装備されていた。
T32自走榴弾砲の生産型もあっさりと最初の試作車のスタイルを踏襲した形でまとめ上げられ、1942年4月には「M7 105mm自走榴弾砲」(105mm Howitzer Motor Carriage M7)として制式採用されている。

M7自走榴弾砲は制式化後、すぐにALCO社(American Locomotive Company:アメリカ機関車製作所)で生産が開始され、1942年中に2,028両が完成した。
その後生産ペースはダウンしたが、1944年10月までに同社で合計3,314両が完成している。
後期生産車ではM4中戦車と同じタイプのサスペンション・ボギーが用いられるようになり、小数にはM4中戦車と同じワンピース型のノウズ・カバーが使用されている。

1944年3月からはM4A3中戦車の車台を使ったM7B1自走榴弾砲の生産が開始され、1945年2月までにPSC社(Pressed Steel Car:圧延鋼板・自動車製作所)で826両が完成している。
続いて105mm榴弾砲の搭載位置を一段高くして仰角を+65度まで取れるよう改修したM7B2自走榴弾砲が、FMW社(Federal Machine and Welder:連邦機械・溶接会社)で1945年7月までに127両生産された。

これら3社合計のM7自走榴弾砲シリーズの総生産台数は、4,267両である。
M7自走榴弾砲は、既存のM3中戦車の上部構造にほとんどそのまま野砲を搭載するような仕組みだったため生産は容易で、生産開始後わずか5カ月後の1942年9月に北アフリカのイギリス第8軍に90両が供与され、同年10月の第2次エル・アラメイン戦に投入されている。

その後も数百両が供与され、これらのM7自走榴弾砲は引き続きイギリス第8軍の自走野砲連隊に装備されてイタリア戦線でも戦っている。
しかしイギリス軍の装備体系には105mm榴弾砲が存在しないため、M7自走榴弾砲の105mm砲弾の供給はアメリカに頼らなければならず、弾薬の補給に支障が生じることがあった。

これを解決するため、イギリスはカナダのラム巡航戦車の車台を用いて自軍の装備である25ポンド(87.6mm)榴弾砲を搭載する、M7自走榴弾砲と同様な自走榴弾砲「セクストン」(Sexton:寺男)を開発した。
1944年6月のノルマンディー戦以降は、イギリス軍は自走榴弾砲をセクストンに換装したためM7自走榴弾砲は余剰となり、105mm榴弾砲を撤去してカンガルー装甲兵員輸送車等に改造された。
アメリカ軍におけるM7自走榴弾砲の部隊配備は、チュニジアの機甲師団に配備されたのが最初である。

本格的な実戦投入はノルマンディー戦以後で、アメリカ陸軍機甲師団の自走野砲大隊に配属され活躍した。
なお同師団にはM7自走榴弾砲を18両持つ自走野砲大隊が3個含まれ、合計54両が配属されていた。
M7自走榴弾砲は使い勝手も良くて機械的信頼性も高かったが、ベースになったM3中戦車と同様にフロント・ドライブ/リア・エンジン型式を採ったため戦闘室床下にプロペラ・シャフトを通さねばならず、105mm榴弾砲の仰角が+35度までしか取れないことが難点だった。

そのため榴弾を用いた場合の最大射程は10,400mに留まり、特にイタリア戦以降は斜面を使って車体そのものを傾けて仰角を増大させる方法が採られた。
車体下部はM3またはM4中戦車そのままなので装甲厚も最大で4.25インチ(107.95mm)あり強力であったが、戦闘室の装甲厚はわずか0.5インチ(12.7mm)しかなかった。

しかも初期生産車では戦闘室から砲弾ケースがはみ出しており誘爆の危険が高く、このため生産途中から左右側面に砲弾ケースを保護するための起倒式装甲板が取り付けられた。
整備上は主力戦車と部品が共通のため、また補給上は主力野砲と砲弾が共通のために便利な自走砲であった。

しかし105mm榴弾砲では軍団、軍レベルの大規模な作戦の主力野砲としては力不足であった。
その役割はより大口径の砲を搭載するM12、M40、M43自走砲が担うことになる。
M7自走榴弾砲は第2次世界大戦終了後もアメリカ陸軍機甲師団に装備され、1950年6月に勃発した朝鮮戦争に投入されている。


<M7 105mm自走榴弾砲>

全長:    6.02m
全幅:    2.87m
全高:    2.946m
全備重量: 22.952t
乗員:    7名
エンジン:  コンティネンタルR-975-C1 4ストローク星型9気筒空冷ガソリン
最大出力: 400hp/2,400rpm
最大速度: 38.62km/h
航続距離: 193km
武装:    22.5口径105mm榴弾砲M2A1×1 (69発)
        12.7mm重機関銃M2×1 (300発)
装甲厚:   12.7〜107.95mm


<M7B1 105mm自走榴弾砲>

全長:    6.02m
全幅:    2.87m
全高:    2.946m
全備重量: 22.68t
乗員:    7名
エンジン:  フォードGAA 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン
最大出力: 500hp/2,600rpm
最大速度: 38.62km/h
航続距離: 193km
武装:    22.5口径105mm榴弾砲M2A1×1 (69発)
        12.7mm重機関銃M2×1 (300発)
装甲厚:   12.7〜107.95mm


<参考文献>

・「パンツァー2013年6月号 チャフィー+プリースト 105mm自走砲M37」 柘植優介 著  アルゴノート社
・「パンツァー2016年12月号 アメリカ装甲砲兵の主力 M7自走榴弾砲」 橘哲嗣 著  アルゴノート社
・「パンツァー1999年12月号 アメリカの自走砲 インアクション」 白石光 著  アルゴノート社
・「パンツァー2002年4月号 AFV比較論 ベスペ & M7自走砲」 白石光 著  アルゴノート社
・「パンツァー2010年10月号 M3中戦車リー/グラント」 荒木雅也 著  アルゴノート社
・「パンツァー2005年2月号 M7プリースト自走砲」 城島健二 著  アルゴノート社
・「パンツァー2006年6月号 M7プリースト自走砲」 白石光 著  アルゴノート社
・「グランドパワー2005年9月号 105mm自走榴弾砲 M7”PRIEST”」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2013年5月号 25ポンド自走砲セクストン」 箙浩一 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2005年10月号 M7”PRIEST” AT WAR」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「世界の軍用車輌(1) 装軌式自走砲:1917〜1945」  デルタ出版
・「第2次大戦 イギリス・アメリカ軍戦車」  デルタ出版
・「異形戦車ものしり大百科 ビジュアル戦車発達史」 斎木伸生 著  光人社
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著  グランプリ出版
・「戦車名鑑 1939〜45」  コーエー


兵器諸元(M7 105mm自走榴弾砲)
兵器諸元(M7B1 105mm自走榴弾砲)


HOME研究室(第2次世界大戦編)自走砲自走砲(アメリカ)>M7 105mm自走榴弾砲