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M41 155mm自走榴弾砲





●開発

アメリカ陸軍野戦砲兵局は第2次世界大戦後期に、すでに戦車としては能力不足となっていたM5軽戦車の車台をベースに、4.5インチ(114mm)榴弾砲を車体後部に搭載する新型自走榴弾砲T16の開発を進めた。
M5軽戦車はそのままでは自走砲のベース車台としては小さ過ぎるため、T16自走榴弾砲ではM5A1軽戦車の車体を延長して転輪数も片側6個に増やしていたが、それでも自走砲のベース車台としてはサイズ的に難があると判断され、M5軽戦車の車台には見切りが付けられた。

当時アメリカ陸軍機甲科では重・中・軽の各コンバット・チーム構想が提唱されていたため、T16自走榴弾砲は新型軽戦車M24の車台をベースとする軽コンバット・チームのファミリーとして開発されることになった。
野戦砲兵局は4.5インチ榴弾砲をM24軽戦車の車体後部に搭載した新型自走榴弾砲に「T16E1」の開発番号を与えて開発を進めたが、上部組織である機甲局は4.5インチ榴弾の炸薬量が105mm榴弾より少ないことを理由に、4.5インチ榴弾砲のT16E1自走榴弾砲への搭載を却下し、より大口径の155mm榴弾砲の搭載を求めた。

このような紆余曲折を経ながらも1944年1月22日付のOCM22683により、M24軽戦車の車体後部に155mm榴弾砲を搭載した新型自走榴弾砲を「T64E1」の開発番号で開発することが承認され、同年5月にはキャディラック社と試作車1両の製作契約が結ばれて開発は本格化した。
この試作車は同年12月には完成してアバディーン車両試験場に運ばれ試験に供されたが、射撃試験の結果、主砲射撃の際に生じる爆風によって車体前部のフェンダーと車外装備品が破損してしまうことが判明した。

このためこの部分に改修を施したのに加えて、それまで戦闘室の右前面に備えられていた無線機のアンテナを、戦闘室の前方にあたる機関室上面右側に位置を改める変更も実施した上で、T64E1自走榴弾砲は1945年1月にフォート・バラッグに送られ、ここで野戦砲兵局による試験が実施された。
この試験は問題無く終了し制式化が求められたことを受け、1945年6月28日付のOCM28165により本車は「155mm自走榴弾砲M41」(155mm Howitzer Motor Carriage M41)としてアメリカ陸軍に制式採用された。

M41自走榴弾砲はカナダ・オンタリオ州ニューカースルのマッシー・ハリス社において、1945年9月までに85両(60両という説も)が生産されたが、その時期からも分かるように当然第2次世界大戦には参戦しておらず、同じくM24軽戦車の車台をベースとするM37 105mm自走榴弾砲と共に、その初陣は1950年6月に勃発した朝鮮戦争となった。
ここでは、火力支援自走砲としての特性を活かして大活躍した。

なお、1両のM41自走榴弾砲が評価用としてイギリス陸軍に提供されてボーヴィントン車両試験場で試験に供されたが、実戦部隊での試験は実施されずに終わったという。
M41自走榴弾砲は1950年代いっぱいはアメリカ陸軍の制式装備として活用され、1960年代に入っても予備兵器として維持され続けた。


●構造

M41自走榴弾砲の車体は、車体後部に155mm榴弾砲を搭載する関係から機関系を車体中央部に移し、M37自走榴弾砲と同様に車体長を延長した専用のものが開発された。
その結果としてM41自走榴弾砲の接地長は、M24軽戦車の2.85mから3.15mに増大していた。
オリジナルの機関室は主砲を搭載する戦闘区画とされ、車内壁面に固定された架台の上にやや左にオフセットして155mm榴弾砲M1をM14砲架に載せた状態で搭載した。

この配置に伴い主砲の旋回角は左側が20.5度、右側が17度と左右非対称になり、俯仰角は−5〜+45度であったが、これはM5軽戦車をベースとした前作のT16自走榴弾砲と比べ、それぞれ増大した数字であった。
戦闘区画の前/側方には13mm厚の装甲板を用いた極めて小さな戦闘室が設けられたが、実際には固定式防盾のイメージの方が強い。

主砲の後方には戦闘区画の幅一杯とされた砲弾ラックが設けられ、3段に分けられて合計22発の155mm砲弾が収められたが、これもT16自走榴弾砲の18発から増えている。
また照準には直接射撃用としてM69D照準望遠鏡が、間接射撃用としてM12パノラマ照準機がそれぞれ装備されたが、後にM69D照準機は廃止され直接・間接両用のM12A6パノラマ照準機に換わった。

M41自走榴弾砲の主砲に採用された24.5口径155mm榴弾砲M1は、アメリカ陸軍が第1次世界大戦時から運用を続けてきたフランスのシュナイダー社製の38.2口径155mm加農砲M1918の後継として、イリノイ州のロックアイランド工廠が1941年に開発したものである。
砲の性能は砲口初速563m/秒、最大射程14,600m、発射速度4発/分となっていた。

射撃時の反動が小さい105mm榴弾砲を装備するM37自走榴弾砲には必要無かったが、M41自走榴弾砲が装備する155mm榴弾砲は射撃時の反動が大きいため、これを受け止めるために本車は車体後部に起倒式の駐鋤を標準装備していた。
射撃に際して駐鋤を後方に倒した場合は車体後面装甲板もいっしょに倒れるため、この装甲板が砲操作員の作業用プラットフォームとして機能した。


<M41 155mm自走榴弾砲>

全長:    5.842m
全幅:    2.845m
全高:    2.388m
全備重量: 19.278t
乗員:    5名
エンジン:  キャディラック・シリーズ44T24 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン×2
最大出力: 296hp/3,200rpm
最大速度: 56.33km/h
航続距離: 161km
武装:    24.5口径155mm榴弾砲M1×1 (22発)
        12.7mm重機関銃M2×1 (300発)
装甲厚:   6.35〜12.7mm


兵器諸元


<参考文献>

・「パンツァー2000年3月号 朝鮮戦争における国連軍戦車」 水野靖夫 著  アルゴノート社
・「パンツァー2011年11月号 M24軽戦車のバリエーション」 橘哲嗣 著  アルゴノート社
・「グランドパワー2014年12月号 M24チャフィーの開発と構造」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「世界の軍用車輌(1) 装軌式自走砲:1917〜1945」  デルタ出版
・「世界の戦車パーフェクトBOOK」  コスミック出版


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