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セモヴェンテM40/M41/M42 da 75/18





イタリア軍初の量産自走砲となるセモヴェンテL40 da 47/32の開発が始められたのと時を同じくして、より強力な75mm榴弾砲を装備し、歩兵と行動を共にして火力支援を行う自走砲の開発が決定された。
開発はフィアット・アンサルド社によって1939年末に始まり、翌40年12月にモックアップ審査が行われたが、試作車が完成しないうちに「セモヴェンテM40 da 75/18」として制式化されて30両が発注されており、本車に賭ける期待が大きかったことを示している。

1941年2月10日には試作第1号車が完成し、試験の結果も良好であったためさらに30両が追加発注された。
大型の砲を搭載するために、ベース車体には当時開発中であったM13/40中戦車が選択されたが、開発にあたってはドイツ軍が開発したIII号突撃砲に多大な影響を受け、良く似た背の低い密閉式戦闘室が採用され、イタリア版III号突撃砲と呼んで何ら差し支えない形状にまとめ上げられていた。

ドイツ軍のIII号突撃砲と比較するとIII号突撃砲の全高が1.95mなのに対して、セモヴェンテM40 da 75/18の全高は1.80mと15cmも低く被弾確率の点では優れていたが、反面避弾経始という点では、M13/40中戦車をベースとしたセモヴェンテM40 da 75/18の前面がほとんど垂直面で構成されていたのに対して、III号突撃砲の方が傾斜面が多く勝っていた。

ベースとなったM13/40中戦車の車体は機関室から前方の上部構造が取り外されて、18口径75mm榴弾砲M35を限定旋回式に装備する背の低い密閉式の固定戦闘室が搭載された。
この75mm榴弾砲M35はアンサルド社製の75mm山砲M34をベースに開発されたもので、P40重戦車の試作第1号車にも搭載され榴弾と徹甲弾のどちらも発射することができた。

短砲身砲であるため砲口初速は遅かったが、直径75mmの徹甲弾ともなれば質量が大きいため打撃力も相応に強く、クルセイダー巡航戦車やM3中戦車などには充分対抗できた。
セモヴェンテM40 da 75/18への搭載にあたっては、戦闘室前面やや右寄りに内防盾を有するジンバル式砲架を介して限定旋回式に搭載された。

砲の旋回角は左が18度、右が20度で俯仰角は−12〜+22度となっていたが、剥き出しの内防盾の隙間に小火器弾や榴弾の破片がはまり込むと操砲不能になるという欠点があった。
75mm砲弾の搭載数は44発となっていたが、実戦では無理をして2〜3発余計に積んでいたと伝えられる。
副武装としては6.5mmブレダM30機関銃か8mmブレダM38機関銃を車内に搭載しており、必要に応じて戦闘室上に銃架を介して据えることができた。

本格的な溶接技術が無かったために、セモヴェンテM40 da 75/18の車体、戦闘室は共にリベット接合が用いられており、小口径弾の直撃によりリベットが破損して車内に破片が飛び込むという問題点があった。
装甲厚は車体が前面30mm、側/後面25mm、上面9mm、下面14mmで、戦闘室は前面50mm、側/後面25mm、上面9mmとなっていた。

面白いことに戦闘室前面は50mm厚の一枚板ではなく、25mm厚の装甲板を2枚重ねにしていた。
乗員は3名で戦闘室左前部に操縦手、主砲を挟んだ右前部に砲手、そして操縦手の後ろに車長が搭乗するが、車長は装填手と無線手を兼ねるという忙しさではあるものの、基本的には隠蔽陣地から隠蔽陣地へと動き回り、射撃時には停止する本車の運用特性から判断する限り、甚だしい手不足というわけではなかったようである。

戦闘室上面には左右並列で後ろにヒンジが付いた巨大なハッチが設けられており、片側づつでも両方一緒にでも開放することができた。
このハッチはペリスコープなども設けられていないシンプルな一枚板で、左右同時に開放すると車長はもちろんのこと、砲手から操縦手までがほとんどオープントップになってしまうぐらいに大きかった。

なぜこれほど大きなハッチが必要だったのかといえば、実はセモヴェンテM40 da 75/18は戦闘室の換気が極めて不備だったので、装薬の燃焼ガスによる乗員の中毒を防止するべく、主砲の発射時にはハッチを開放して換気をすると同時に、車体に比べて大きな75mm砲弾の空薬莢を速やかに車外に投棄するためでもあった。
セモヴェンテM40 da 75/18は早速北アフリカ戦線に投入され、当時のイタリア軍が装備する最強の戦闘車両として評価された。

この結果M14/41、M15/42中戦車の車体を用いて同様の自走砲が作られることになった。
M14/41中戦車の車体を用い、セモヴェンテM40 da 75/18と同じ車体上部と戦闘室を持つ車両が「セモヴェンテM41 da 75/18」として、車体が大型化されたM15/42中戦車の車体を用い、併せて戦闘室もわずかに拡大された車両が「セモヴェンテM42 da 75/18」としてそれぞれ生産されている。

各型の生産数については資料によってまちまちな数字が挙げられており、若干混乱しているようだがアンサルド社の記録によるとセモヴェンテM40 da 75/18が60両、セモヴェンテM41 da 75/18が162両、セモヴェンテM42 da 75/18が190両生産されたことになっている。

セモヴェンテ da 75/18シリーズはIII号突撃砲と同様に前線の将兵からは高い評価を受け、北アフリカ戦線において多用され一部は東部戦線でソ連軍とも砲火を交え、ドイツ軍も北アフリカ戦線で現地供与されたセモヴェンテM40 da 75/18を一部で使用している。
1943年9月のイタリア降伏後ドイツ軍はセモヴェンテ da 75/18シリーズを接収し、「シュトゥルムゲシュッツM42 mit 75/18 850(i)」の捕獲兵器名称を付与してイタリア本土防衛戦で大いに活用した。


<セモヴェンテM40 da 75/18>

全長:    4.92m
全幅:    2.20m
全高:    1.80m
全備重量: 14.4t
乗員:    3名
エンジン:  フィアットSPA 8T-M40 4ストロークV型8気筒液冷ディーゼル
最大出力: 125hp/1,800rpm
最大速度: 30km/h
航続距離: 210km
武装:    18口径75mm榴弾砲M35×1 (44発)
        6.5mmブレダM30機関銃または8mmブレダM38機関銃×1 (1,104発)
装甲厚:   9〜50mm


<参考文献>

・「パンツァー2014年6月号 第二次大戦のイタリア軍を支えた自走砲たち セモベンテ・シリーズ」 久米幸雄 著
 アルゴノート社
・「パンツァー2002年11月号 第2次大戦のイタリア軍戦車(7) セモベンテM40・M41・M42」 白石光 著  アルゴノ
 ート社
・「パンツァー2020年5月号 イタリア戦車 その誕生と苦難の歩み」 吉川和篤 著  アルゴノート社
・「パンツァー2000年9月号 北アフリカにおけるイタリア軍AFV」 白石光 著  アルゴノート社
・「パンツァー2005年5月号 イタリア軍セモベンテ・シリーズ」 稲田美秋 著  アルゴノート社
・「パンツァー2023年5月号 イタリア軍写真集(16)」 吉川和篤 著  アルゴノート社
・「パンツァー2023年7月号 イタリア軍写真集(18)」 吉川和篤 著  アルゴノート社
・「グランドパワー2020年9月号 博物館の九五式軽戦車とイタリア軍戦車」 齋木伸生 著  ガリレオ出版
・「第2次大戦 イタリア軍用車輌」 嶋田魁 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2000年6月号 イタリア陸軍(3) イタリア軍の火砲」 稲田美秋 著  デルタ出版
・「世界の軍用車輌(1) 装軌式自走砲:1917〜1945」  デルタ出版
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著  グランプリ出版
・「世界の戦車・装甲車」 竹内昭 著  学研
・「戦車名鑑 1939〜45」  コーエー


兵器諸元(セモヴェンテM40 da 75/18 初期型)
兵器諸元(セモヴェンテM40 da 75/18 後期型)
兵器諸元(セモヴェンテM41 da 75/18)


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