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M37 105mm自走榴弾砲





アメリカ陸軍機甲科で第2次世界大戦後期に提唱された重・中・軽の各コンバット・チーム構想に基づき、M24軽戦車を中心とする軽コンバット・チームのファミリーとしてM7 105mm自走榴弾砲の後継として開発されたのが、このM37 105mm自走榴弾砲である。

「T76」の開発番号を与えられた本自走砲のプランは、大きな改造無しにM24軽戦車の車体を用いて自走砲化することをコンセプトとしており、砲塔を除去した車体に機関室上部に至るまで、薄い装甲板で構成した箱型の広いオープントップ式戦闘室を設け、簡易な構造のマウントに22.5口径105mm榴弾砲M4を搭載した。
105mm榴弾砲の俯仰角は−10.5〜+42.8度で、旋回角は左が25.4度、右が26.3度となっていた。

使用弾薬は高性能榴弾、対戦車榴弾(HEAT)、白燐弾(WP)、煙幕弾が用意されており、搭載弾数は126発とM7自走榴弾砲の倍近くの搭載が可能だった。
榴弾を用いた場合の最大射程は11,160mで、これも仰角が取れる分だけM7自走榴弾砲より大きい。
副武装はM7自走榴弾砲と同じく12.7mm重機関銃M2を1挺装備しており、戦闘室の前方右側に機関銃を取り付けるための円筒形のマウントが設けられていたのもM7自走榴弾砲と同様である。

T76自走榴弾砲の試作車は1944年の半ば頃には完成し、同年7月にはアバディーン車両試験場で試験が実施され、1945年1月に「M37 105mm自走榴弾砲」(105mm Howitzer Motor Carriage M37)として制式採用された。
その後コンバット・チーム構想は中止されたものの、本車は1945年10月までに316両が生産された。
これらは第2次世界大戦には間に合わなかったが、1950年6月に勃発した朝鮮戦争に投入され、M7自走榴弾砲と共に自走野砲大隊に配属されて肩を並べて戦った。


<M37 105mm自走榴弾砲>

全長:    5.486m
全幅:    2.997m
全高:    2.845m
全備重量: 20.866t
乗員:    7名
エンジン:  キャディラック・シリーズ44T24 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン×2
最大出力: 296hp/3,200rpm
最大速度: 56.33km/h
航続距離: 161km
武装:    22.5口径105mm榴弾砲M4×1 (126発)
        12.7mm重機関銃M2×1 (990発)
装甲厚:   9.53〜12.7mm


<参考文献>

・「パンツァー2013年6月号 チャフィー+プリースト 105mm自走砲M37」 柘植優介 著  アルゴノート社
・「パンツァー1999年12月号 アメリカの自走砲 インアクション」 白石光 著  アルゴノート社
・「パンツァー2011年11月号 M24軽戦車のバリエーション」 橘哲嗣 著  アルゴノート社
・「パンツァー2006年4月号 M37自走105mm榴弾砲」 城島健二 著  アルゴノート社
・「グランドパワー2014年12月号 M24チャフィーの開発と構造」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「世界の軍用車輌(1) 装軌式自走砲:1917〜1945」  デルタ出版


兵器諸元

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