M13/M14対空自走砲に搭載されたマクソン社製のM33機関銃架は12.7mm重機関銃M2を連装で装備するものであったが、やや火力不足が指摘されたため新たに12.7mm重機関銃M2を4連装で装備するT60機関銃架が開発され、これをM2ハーフトラックの車体に搭載したT37対空自走砲が製作されて試験に供された。 しかしアメリカ陸軍当局を満足させる性能を発揮できず、改良型のT60E1機関銃架を搭載したT37E1対空自走砲も製作されたもののやはり性能不足であった。 一方T37およびT37E1対空自走砲の開発と並行して、M33機関銃架をベースにこれを4連装としたT61機関銃架がマクソン社で開発され、T61機関銃架をM3ハーフトラックの車体に搭載したT58対空自走砲が1942年8月に製作されて試験に供された。 試験の結果は極めて良好で、T61機関銃架に小改良を加えたものが1942年12月にM45機関銃架として制式化された。 同時にM45機関銃架をM3ハーフトラックの車体に搭載したものが「M16多連装自走砲」(Multiple Gun Motor Carriage M16)、レンドリース向けのM5ハーフトラックの車体に搭載したものが「M17多連装自走砲」(Multiple Gun Motor Carriage M17)としてそれぞれ制式化された。 またM45機関銃架を2輪トレイラーに架装したM51牽引対空砲も制式化され、これは歩兵師団に配備された。 1944年9月にはM45機関銃架の後部にプラットフォームが追加され、これはM45D機関銃架として制式化された。 M45機関銃架の俯仰角は−11.5〜+90度で、全周旋回に要する時間は約5秒という高速旋回性能を有していた。 また12.7mm重機関銃M2は1挺当たりの最大発射速度が550発/分なので、4挺合計で最大2,200発/分の弾幕を張ることができた。 M16対空自走砲の生産は1943年5月からホワイト・モーター社で開始され、1943年に2,323両、1944年に554両の合計2,877両が完成した。 また既存のM13対空自走砲から628両がM16対空自走砲に改造され、総生産数は3,505両に及んだ。 さらに1944年6月のノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)直前、在英のアメリカ第1軍の要請でM51牽引対空砲から取り外したM45機関銃架をM2またはM3ハーフトラックに搭載したM16B(別名M16「ワスプ」(Wasp:スズメバチ))対空自走砲も321両生産されている。 一方、レンドリース向けのM17対空自走砲の方は1943年12月からインターナショナル・ハーヴェスター社で生産が開始され、1943年に400両、1944年に600両の合計1,000両が完成した。 完成したM17対空自走砲は、全てソ連への供与に回された。 M16対空自走砲はM15対空自走砲と共にアメリカ機甲師団の対空砲兵中隊に各8両ずつ配備され、アメリカ陸軍の対空火器の中核となった。 もっとも第2次世界大戦においては終始アメリカ軍が制空権を掌握していたため、対空攻撃より対地攻撃に威力を発揮した。 弾道低伸性に優れた巨大な12.7mm重機関銃弾にはたった1発で人体を上下に分断するほどの威力があったが、それを最大で2,200発/分も発射するM16対空自走砲の水平弾幕射撃は敵歩兵にとって悪夢以外の何者でもなく、「ミート・チョッパー」(Meat Chopper:肉切り包丁)の仇名で畏怖された。 M16対空自走砲が対空戦闘に華々しく活躍した数少ない戦例には、1945年のレマーゲン鉄橋を巡る防御戦闘がある。 M16対空自走砲はM15A1対空自走砲と共に第2次世界大戦終了後もアメリカ陸軍に残り、さらに既存のM3ハーフトラックの車体にM45機関銃架を搭載したM16A1対空自走砲も1,662両生産された。 M16A1対空自走砲はM16対空自走砲と違って戦闘室の側面と後面の上部装甲板を折り畳むことができないため、装甲板と干渉しないようにM45機関銃架は一段高い位置に設置された。 また戦後仕様のM16/M16A1対空自走砲には、弾薬装填手を防護するための「バットウィング」(Bat Wing:コウモリの翼)型の装甲板がM45機関銃架の左右に追加された。 1950年6月に勃発した朝鮮戦争では、アメリカ軍は共産軍の人海戦術に対して突撃破砕用にM16対空自走砲を投入し多大な戦果を挙げた。 1953年12月からM41ウォーカー・ブルドッグ軽戦車の車体をベースとし、40mm対空機関砲M2A1を連装で装備するM42ダスター対空自走砲の生産が開始されたことによりM16対空自走砲は第一線を退くこととなったが、1960年代に入っても州兵部隊で使われ続けていた。 1967年7月にニュージャージー州ニューアークで起こったニューアーク暴動でも、州兵装備のM16対空自走砲が数両出動している。 第2次世界大戦中M16対空自走砲は海外供与が制限されており、わずかに研究用として2両がイギリスに送られた他70両が自由フランス軍に引き渡されたのみである。 しかし戦後はその多くが余剰兵器となったために、徐々にNATO諸国その他のアメリカの友好国に譲り渡されていった。 日本の陸上自衛隊にも、168両のM16対空自走砲が供与されている。 イスラエルでは供与されたM16対空自走砲の武装をフランスのイスパノ・スイザ社製の20mm対空機関砲HS404に換装し、「TCM-20」の名称で使用した。 1973年の第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)では、TCM-20対空自走砲はイスラエル軍の野戦防空部隊が挙げた撃墜戦果の6割に当たる26機を撃墜している。 イスラエル軍がM113装甲兵員輸送車の車体に20mm6砲身ヴァルカン砲M168を搭載したM163対空自走砲をアメリカから導入した後も、TCM-20対空自走砲は1980年代を通じて予備役部隊に残っていた。 |
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<M16対空自走砲> 全長: 6.502m 全幅: 1.979m 全高: 2.616m 全備重量: 8.618t 乗員: 5名 エンジン: ホワイト・モーター160AX 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン 最大出力: 147hp/3,000rpm 最大速度: 72.42km/h 航続距離: 322km 武装: 12.7mm重機関銃M2×4 (5,000発) 装甲厚: 6.35〜12.7mm |
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<M16A1対空自走砲> 全長: 6.502m 全幅: 1.979m 全高: 2.616m 全備重量: 9.072t 乗員: 5名 エンジン: ホワイト・モーター160AX 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン 最大出力: 147hp/3,000rpm 最大速度: 72.42km/h 航続距離: 322km 武装: 12.7mm重機関銃M2×4 (5,000発) 装甲厚: 6.35〜12.7mm |
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<M17対空自走砲> 全長: 6.49m 全幅: 2.175m 全高: 2.286m 全備重量: 8.936t 乗員: 5名 エンジン: インターナショナル・ハーヴェスターRED-450-B 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン 最大出力: 143hp/2,700rpm 最大速度: 67.59km/h 航続距離: 322km 武装: 12.7mm重機関銃M2×4 (5,000発) 装甲厚: 6.35〜15.88mm |
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<参考文献> ・「パンツァー2007年3月号 イスラエル軍が独自に改良したワークホース M3系ハーフトラック」 大竹勝美 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2002年2月号 陸自の車輌・装備シリーズ M15A1/M16対空自走砲」 田村尚也 著 アルゴノート 社 ・「パンツァー2005年11月号 M3ハーフトラック・シリーズ(2) そのバリエーション」 吉田直也 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2003年2月号 M3ハーフトラック改造の対空車輌」 水梨豊 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2008年7月号 陸上自衛隊の対空車輌の変遷」 柘植優介 著 アルゴノート社 ・「パンツァー1999年8月号 ハーフトラック改造の対空自走砲」 白石光 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2012年12月号 ハーフトラック改造の対空車輌」 平田辰 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2013年7月号 懐かしの自衛隊車輌」 前河原雄太 著 アルゴノート社 ・「陸自車輌50年史」 アルゴノート社 ・「第2次大戦 米英軍戦闘兵器カタログ Vol.2 火砲/ロケット兵器」 稲田美秋/箙浩一 共著 ガリレオ出版 ・「グランドパワー2006年11月号 M2/M3ハーフトラック(3)」 後藤仁 著 ガリレオ出版 ・「第2次大戦 イギリス・アメリカ軍戦車」 デルタ出版 ・「世界の戦車イラストレイテッド32 M3ハーフトラック 1940〜1973」 スティーヴン・ザロガ 著 大日本絵画 ・「自衛隊歴代最強兵器 BEST200」 成美堂出版 ・「世界の戦車・装甲車」 竹内昭 著 学研 |
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