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IS-4重戦車





1944年初め、チェリャビンスク・キーロフ工場第2特別設計局(SKB-2)の主任技師Zh.Ya.コーチンはIS-2重戦車の量産が軌道に乗ったことを踏まえ、引き続く後継重戦車の開発を配下のSKB-2の技師たちに命じた。
当初「オブイェークト701」と命名された新型重戦車プランは、複数のチームが別々の企画で進めることになった。
その内の1つがM.F.バルジ技師が進めた「キーロヴェツ1」であり、これは後にIS-3重戦車に発展することになる。

もう1つが、L.S.トロヤーノフ技師が中心になって進めた「オブイェークト701-1〜6」である。
オブイェークト701は、砲塔や車体のデザインの基本部分においてIS-2重戦車のものを踏襲するものだったが、武装面や戦闘室での操作性の面で新たな試みや工夫を展開しようとしていた。
オブイェークト701は1947年までの間に6種類のプランが検討され、その内の3種が試作された。
オブイェークト701-2は56口径100mm戦車砲S-34を装備し、100mm砲弾30発を搭載できた。

装甲厚は車体前面で160mmもあり、圧延防弾鋼板の溶接構造による傾斜装甲であるためIS-2重戦車に比べてはるかに高い防御力を期待できた。
またエンジンには従来のV型ディーゼル・エンジンを750hpまでパワーアップしたV-12 V型12気筒液冷ディーゼル・エンジンを採用し、面白いことに機関室と冷却機構のデザインをドイツ軍のパンター戦車と同様なものとしたため、機関室上面グリルがパンター戦車とそっくりなものとなった。

またこうした機構を採用したために車体が延長され、転輪数もIS-2重戦車の片側6個から7個に増やされた。
戦闘重量は55.9tと、IS-2重戦車より約10tも重くなった。
オブイェークト701-5は、主砲をIS-2重戦車と同じ43口径122mm戦車砲D-25Tとしたものである。
これは、1944年後期の戦いを通じてソ連軍戦車隊の中に122mm戦車砲の質量効果に対する絶大な信頼があったため、100mm戦車砲は重戦車の武装としては放逐されることになったためである。

また副武装として対空用の他に主砲防盾の同軸機関銃も、威力の高い12.7mm重機関銃DShKとされた。
これは、歩兵などの防御陣地に大口径機関銃弾が大変有効だった独ソ戦での戦訓によって採られた措置である。
また装甲厚を砲塔周りを中心にさらに増加させたため(砲塔前面で250mmに達した)、戦闘重量は58.5tまで増加した。

それでも、出力750hpのV-12ディーゼル・エンジンのおかげで路上最大速度43km/hの機動性能を発揮できた。
結局、オブイェークト701-5をベースに一層リファインしたオブイェークト701-6が「IS-4重戦車」としてソ連軍に制式採用されることになったが、IS-4重戦車の戦闘重量はIS-2重戦車より14tも重い60tに達した。
これは、KV重戦車以降の新型重戦車開発にあたってスターリンや運用者側が提示してきた重量上限46t(それを超えると兵站路を破壊するなど運用上の問題が多いと指摘されていた)を大きく超えるものであった。

しかしこの制限値を超えることを承知であえてオブイェークト701の開発が続けられたのは、このプランに戦車工業人民委員のV.A.マールィシェフと、その配下にあったソ連共産党チェリャビンスク州委員会第一書記のN.S.パトリチェフの後押しがあったからである。
それでも重い戦車を導入することに対して運用者側の反発があったようで、IS-4重戦車のソ連軍への制式採用は1947年までずれ込んだ。

こうして運用者側の反発を押し切る形でソ連軍に導入されたIS-4重戦車は、重量上限などの制限をあえて超えることによって得られた設計上の余裕を活かして、戦闘室内配置に充分な考慮が払われたものとなった。
例えば砲塔はIS-2重戦車のものをさらに大型化したようなデザインとなり、搭載弾頭は全て後部バスルに配置されていた。

各弾頭は水平方向に向いた収納ケースに収められ、止め金を外すと底部のバネの力で押し出されてくるよう工夫された。
また発射装薬が収められた薬莢も、砲塔リング径よりも広げられた車体袖部(履帯の上に掛かった部分)の取り出し易い位置や、広い戦闘室床部の中央(砲塔がどちらを向いても砲尾部の真下にあたり操作上邪魔にならない)に配置された。

恐らくソ連軍戦車でこのように操作性の改善を追求したのは初めてのことで、これはトロヤーノフがドイツ軍戦車の構造を充分研究した結果だと思われる。
IS-4重戦車は1947年から量産が開始されたが、重い戦車に対する運用者側の不満は払拭できなかったようで、1949年までに250両が完成した時点で生産は中止されてしまった。

生産中止のもう1つの理由はIS-4重戦車の生産コストがあまりに高過ぎたことで、IS-3重戦車が1両当たり35万ルーブルであったのに対しIS-4重戦車は1両当たり99万4千ルーブルであったという。
しかし、朝鮮戦争が勃発した1950年の時点においてソ連軍MBTの中で最強の存在であったIS-4重戦車は、国連軍の反攻で共産側に敗北の危機が迫った同年11月、本車を装備する重戦車連隊のほぼ全てが極東方面に送られた。

これらの部隊は、朝鮮戦争への参戦に備えてスターリンが組織した1個戦車軍の打撃部隊として配備された。
しかし中国から強烈な参戦要求の圧力があったにも関わらず、結局スターリンは朝鮮戦争への不干渉を決意した。
これは、核兵器を保有するアメリカ軍との全面戦争の勃発という結末を恐れたからである。

IS-4重戦車は極東軍管区に1950年代後半まで残され、IS-3M重戦車のように近代化改修が施されて1960年代いっぱいまで部隊に留まった後、スクラップや標的にされてしまったようである。
IS-4重戦車は栄光の場の無いまま消え去った、不幸な運命の重戦車であったといえよう。


<IS-4重戦車>

全長:    9.79m
車体長:   6.60m
全幅:    3.26m
全高:    2.48m
全備重量: 60.0t
乗員:    4名
エンジン:  V-12 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル
最大出力: 750hp/2,100rpm
最大速度: 43km/h
航続距離: 320km
武装:    43口径122mmライフル砲D-25T×1 (30発)
        12.7mm重機関銃DShK×2 (1,000発)
装甲厚:   20〜250mm


<参考文献>

・「世界の戦車イラストレイテッド2 IS-2スターリン重戦車 1944〜1973」 スティーヴン・ザロガ 著  大日本絵画
・「パンツァー2014年11月号 歴代戦車砲ベストテン」 荒木雅也/久米幸雄/三鷹聡 共著  アルゴノート社
・「パンツァー2019年3月号 IS-3と第二次大戦後のソ連重戦車」 古是三春 著  アルゴノート社
・「パンツァー2013年10月号 スターリン3戦車の構造と性能」 鹿内誠 著  アルゴノート社
・「パンツァー2006年10月号 謎のソ連重戦車 IS-4 (1)」 佐藤慎ノ亮 著  アルゴノート社
・「パンツァー2006年11月号 謎のソ連重戦車 IS-4 (2)」 佐藤慎ノ亮 著  アルゴノート社
・「グランドパワー2018年12月号 ソ連軍重戦車 T-10」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「ソビエト・ロシア戦闘車輌大系(上)」 古是三春 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2000年10月号 ソ連軍重戦車(3)」 古是三春 著  デルタ出版


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