イギリス戦争局は第2次世界大戦直前の1938年に、国内の各自動車メーカーに対してイギリス陸軍の次期装輪式軽戦車の要求仕様を提示し、砲塔を搭載する4輪の装輪式装甲車を開発するよう要請した。 イギリス陸軍としては、ドイツ陸軍のSd.Kfz.222装甲偵察車に匹敵する軽快な機動性能を持つ4輪装甲車を切望していた。 この要請に応えてトラックメーカーのガイ自動車は新型4輪装甲車の開発に取り組んだが、同社の設計陣は自社製のクオッド・アーント15cwt GS火砲牽引車をベース車台として用いることを選択した。 これならば開発期間が短縮できるばかりか、生産設備の変更も最小限で済むからである。 ただし、火砲牽引車のシャシーを装甲車用にそっくり転用することはできなかったため、シャシーの強度を高めると共にエンジンを後方に移動させる等の改修が行われた。 走行装置に関しても凝りに凝ったドイツ製装甲車とは対照的で、差動歯車やリーフ・スプリングなどの必要不可欠な部分しか見当たらないシンプルなものであった。 これは卓越した走行性能よりも、効率の良い生産性を重視する方針に沿ったからである。 車体上面には、12.7mmヴィッカーズ重機関銃と7.7mmヴィッカーズ機関銃を並列に装備する密閉式の全周旋回式砲塔を搭載していた。 イギリス陸軍の走行試験に供された5両の試作車は上々の成績を収め、1939年に「ガイ装輪式軽戦車」(Guy Light Tank Wheeled)として制式採用されたが、間もなく「ガイ装甲車」(Guy Armoured Car)に車種名が変更された。 本車は同世代の他の装甲車を凌駕するほどの性能ではなかったが、堅実な設計ゆえ実用性が高いと評価されたのである。 ガイ装甲車は試作車の段階では従来通りリベット接合工法で作られていたが、生産型では近代的な溶接工法が採用された。 本車の初陣となったのは1940年5月に始まったフランス戦であったが、現地で戦うBEF(British Expeditionary Force:イギリス海外派遣軍)に引き渡されたガイ装甲車はわずか6両に過ぎなかったという。 その後は北アフリカ戦線に送られて戦場を駆け巡っているが、同時にガイ装甲車は前線だけでなくイギリス本国でも重宝されていたようである。 数両が王室関係者や政府要人らの護衛車として使われた他、イギリスで編制されたベルギー、デンマーク、オランダなどの各義勇軍部隊にも貸与された。 なお、第2次世界大戦の勃発に伴ってガイ自動車は本業の輸送用トラックの大増産に追われ、ガイ装甲車を生産する余裕が無くなったため、途中で生産から手を引くことになった。 この結果、ガイ装甲車はわずか101両で生産を終了している。 そしてその後、後継車種として国内自動車大手のルーツ・グループが開発したハンバー装甲車へとバトンタッチされた。 ただし、ハンバー装甲車の装甲ボディは引き続きガイ自動車が生産を担当し、ハンバー社に納品していた。 ガイ装甲車には、砲塔前面に12.7mmヴィッカーズ重機関銃と7.7mmヴィッカーズ機関銃を並列に装備した初期型のMk.Iと、武装を15mmベサ重機関銃と7.92mmベサ機関銃に換装した後期型のMk.IAの2種類の型式が存在し、Mk.Iが50両、Mk.IAが51両生産されている。 |
<ガイMk.I装甲車> 全長: 4.11m 全幅: 2.05m 全高: 2.28m 全備重量: 5.3t 乗員: 3名 エンジン: メドウズ4ELA 直列4気筒液冷ガソリン 最大出力: 53hp/2,200rpm 最大速度: 65km/h 航続距離: 340km 武装: 12.7mmヴィッカーズ重機関銃×1 7.7mmヴィッカーズ機関銃×1 装甲厚: 最大15mm |
<ガイMk.IA装甲車> 全長: 4.11m 全幅: 2.05m 全高: 2.28m 全備重量: 5.3t 乗員: 3名 エンジン: メドウズ4ELA 直列4気筒液冷ガソリン 最大出力: 53hp/2,200rpm 最大速度: 65km/h 航続距離: 340km 武装: 15mmベサ重機関銃×1 7.92mmベサ機関銃×1 装甲厚: 最大15mm |
<参考文献> ・「パンツァー2012年10月号 第二次大戦におけるイギリス軍装甲車の系譜(1) 装甲戦闘車」 久米幸雄 著 アルゴノート社 ・「アメリカ・イギリス陸軍兵器集 Vol.2 装甲戦闘車輌」 ガリレオ出版 ・「世界の軍用車輌(4) 装輪式装甲車輌:1904〜2000」 デルタ出版 ・「第2次大戦 イギリス・アメリカ軍戦車」 デルタ出版 ・「世界の戦車パーフェクトBOOK」 コスミック出版 |