BT-5快速戦車
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+概要
アメリカのジョン・ウォルター・クリスティー技師が設計したクリスティー戦車を、ハリコフ機関車工場(KhPZ)が国産化したBT-2快速戦車は、クリスティー式サスペンションや装軌/装輪併用の走行システム、傾斜装甲を多用した車体デザインなど様々な新機軸を盛り込んだ画期的な戦車であったが、ソ連軍首脳部や機甲部隊関係者はBT-2快速戦車の引き渡し以前から性能の更なる向上を強く求めていた。
彼らが特に強く要望したのは火力の強化で、BT-2快速戦車に搭載された45口径37mm戦車砲B-3(5K)に代わる新型戦車砲として、当時第8砲兵工場で開発が進められていた46口径45mm戦車砲20Kを搭載することが検討された。
BT-2快速戦車に20K戦車砲を搭載する研究はKhPZのO.A.フィルソフ、A.A.モロゾフ、N.A.クチェレンコ、V.M.ドロシェンコの各技師によって1932年1月から着手された。
ようやく、BT-2快速戦車の量産開始の目処が立った頃のことである。
そしてBT-2快速戦車の量産がちょうど300両の大台に乗った頃、既存の砲塔にB-3戦車砲に代えて20K戦車砲を搭載することが試みられた。
しかし37mm戦車砲用に設計されたBT-2快速戦車の砲塔は、45mm戦車砲を搭載するには内部スペースが狭過ぎることが明らかになった。
またBT-2快速戦車の砲塔は1名用で、砲塔内に位置する車長が砲弾の装填と主砲の射撃を両方こなさなければならなかったが、運用側からは操砲作業の効率化のために2名が砲塔内に搭乗することが望ましいという声が寄せられていた。
このためBT快速戦車に45mm戦車砲20Kを搭載するにあたって、新規に大型化した2名用砲塔が製作されることとなった。
またレニングラード(現サンクトペテルブルク)の第232ボリシェヴィーク工場に設けられた試作機械設計部(OKMO)が、イギリス製のヴィッカーズ6t戦車を国産化したT-26軽戦車にも、火力強化策として20K戦車砲を搭載することが決定されたため、この20K戦車砲用の新型砲塔はBT快速戦車とT-26軽戦車に共用するものとして開発されることになった。
1932年にソ連軍機械化自動車化局(UMM)は、KhPZとOKMOに対して20K戦車砲用の新型砲塔を協力して開発するよう命じている。
この新型砲塔は、当時OKMOで開発が進められていた多砲塔重戦車T-35にも搭載することが予定された。
直ちにKhPZでは、T-26軽戦車の原型となったヴィッカーズ6t戦車タイプB(47mm速射砲搭載型)の砲塔を参考に、20K戦車砲を搭載する円筒形の2名用砲塔を設計した。
この砲塔はBT-2快速戦車の砲塔と同様に、曲げ加工された13mm厚の圧延防弾鋼板をリベット接合して組み立てられていた。
砲塔後部には小形の箱型バスルを備えており、砲塔防盾は第8砲兵工場で開発された溶接組み立て式の内装式防盾が用いられた。
主砲の右横には、副武装として7.62mm機関銃DTが1挺同軸に装備された。
砲塔内には主砲を挟んで右側に車長、左側に砲手が位置し、車長は主砲と同軸機関銃の弾薬の装填も担当した。
砲塔上面には後部中央に前開き式の長方形ハッチが1枚設けられており、前方左側には砲手用のペリスコープ式照準視察装置(TOP(M1930)またはPT-1(M1932))が装備されていた。
45mm戦車砲20K搭載型のBT快速戦車は、1932年秋頃にUMMから「BT-5」の呼称を与えられた。
KhPZ製の新型砲塔を搭載したBT-5快速戦車の最初の試作車が完成したのは、同年10月21日のことである。
完成した試作車は砲塔以外の基本構造こそBT-2快速戦車とほぼ同一であったが、機関室ルーヴァー上には異物侵入防止用の金属製メッシュカバーが取り付けられていた。
BT-5快速戦車に搭載された46口径45mm戦車砲20Kは、第8砲兵工場が37mm対戦車砲M1930(1K)の口径拡大型として開発した45mm対戦車砲M1932(19K)を戦車砲に改修したもので、BR-240被帽徹甲弾(弾頭重量1.43kg)を使用した場合発射速度7〜12発/分、砲口初速757m/秒、射距離500mで38mm、1,000mで35mmの均質圧延装甲板(傾斜角0度)を貫徹することができた。
20K戦車砲は1934年、1938年の2回に渡って砲尾機構の改良(半自動化等)が行われており、M1932、M1934、M1938の3つのバージョンが存在する。
一方OKMOはKhPZが開発した新型砲塔に不満を持ち、独自に20K戦車砲用の新型砲塔を設計した。
このOKMO製砲塔は従来のKhPZ製砲塔より優秀であると評価されたため、KhPZ製砲塔に代えて1934年からBT-5快速戦車とT-26軽戦車に搭載されることとなった。
OKMOが設計した新型砲塔はKhPZ製砲塔と同じサイズの円筒形を基本としていたが、後部バスルが大型化され砲塔と一体化した馬蹄形のデザインになっていた点が異なっていた。
また砲塔上面のハッチも、車長と砲手にそれぞれ専用の前開き式の長方形ハッチが備えられていた。
砲塔は15mm厚の圧延防弾鋼板を溶接とリベット接合を併用して組み立てられており、主砲防盾の最厚部のみ装甲厚が25mmとなっていた。
このOKMO製砲塔は、レニングラードのイジョラ冶金工場で開発された6輪装甲車BA-3/BA-6シリーズにも採用されている。
一般にKhPZ製砲塔を搭載したBT-5快速戦車の初期生産車は1933年型、OKMO製砲塔を搭載した後期生産車は1934年型と分類されることが多い。
火力の強化の他、BT-5快速戦車の開発にあたってはBT-2快速戦車の運用経験から新たに要求された仕様や改良点が盛り込まれた。
主な改良点は以下のとおりである。
●無線機の搭載
BT-5快速戦車の指揮官車両には71-TK-1無線機が砲塔バスルに搭載され、砲塔の周囲にはフレームアンテナが装着された。
71-TK-1無線機は、I.G.クリャツキン技師が率いるチームによって1932年に開発された車両用の無線送受信機で、セット全体の重量は60kgであった。
通信会話可能距離は停止時30km、走行時15kmとなっておりモールス信号での交信の場合、交信距離は50kmまで延伸できた。
以後、この71-TK-1無線機はソ連軍の偵察戦車や重戦車にも装備化が進められた。
●装甲板の質の改良
当時のソ連はまだ工業技術が未成熟だったため戦車用の良質な圧延鋼板を製造できず、溶接すると強度が落ちたり被弾した衝撃で割れ易いといった症状が見られた。
このため圧延鋼板の質の改良がイジョラ冶金工場において取り組まれ、BT-5快速戦車の量産時にはこの改良型鋼板が用いられて防御力が強化された。
●構造の簡易化・軽量化
BT-5快速戦車は砲塔の大型化と主砲の強化によって、BT-2快速戦車より重量が増加することが見込まれたが、重量の増加による機動力の低下を最小限に抑えるため、構造の簡易化や余分なところの肉抜きを行うことで軽量化が図られた。
また起動輪が8個の肉抜き穴が開けられたタイプに変更され、転輪も薄い鋼板をプレス成形して製作された軽量タイプが全面的に用いられた。
これらの結果、BT-5快速戦車はBT-2快速戦車に比べて火力が大幅に強化されたにも関わらず、重量はさほど増加せずに済んでいる。
●信頼性の向上
BT-5快速戦車の機械的信頼性を向上させるためモスクワ〜ハリコフ間の長時間運航試験、特に装軌走行モードのテストが繰り返され、破損・故障箇所のチェックと補強、エンジンと変速・操向機の改良が図られた。
1933年の後半期からBT-2快速戦車に代わって量産が開始されたBT-5快速戦車は、その年の内に781両が完成し、1934年にはさらに1,103両が量産され合計で1,883両が造られた。
この内、指揮官用として71-TK-1無線機(一部は改良型の71-TK-3無線機)を装備した車両は263両である。
BT-5快速戦車は当初、BT-2快速戦車と同じピッチの長い履帯を装着していたが、この履帯は積雪地や凍結した地面では滑り易いという欠点があったため、後にBT-7快速戦車と同じピッチの短い履帯に換装されている。
また当初、BT-5快速戦車は車体後部に大型の円筒形マフラーを2基装備していたが、この外付け式マフラーは防御面での弱点(赤く灼熱するため外部に随伴した兵員が火傷を負うとか、火炎瓶をここに投げ付けられて発火し易い等)を形成したため、1939年以降はBT-5快速戦車の多くが機関室内配置のマフラーに換えられ、エンジン排気管はルーヴァー上から出されるように改修された。
また一部の車両では、機関室上面の吸気筒がより大型のものに変更されていた。
BT-5快速戦車はBT快速戦車シリーズの標準型というべき要素を全て備えており、当時としては第一級の火力と機動力を備えた実用戦車であった。
また、先に量産されたBT-2快速戦車が主砲の37mm戦車砲B-3の生産中止の影響で、多くの車両が7.62mm連装機関銃という貧弱な武装しか装備していなかったため、全車が45mm戦車砲を装備するBT-5快速戦車がBT快速戦車シリーズの中で最初に実戦に投入されることになった。
1936年7月に勃発したスペイン内戦において、ソ連は1937年にビェトロフ少佐を指揮官とする選抜戦車兵から成る義勇特別戦車連隊(51両編制)を派遣し、フランコ将軍の反乱軍および同盟するドイツから派遣されたコンドル軍団の地上部隊と戦闘を繰り広げたのである。
スペイン内戦には、補充用を含めて約100両のBT-5快速戦車が派遣されたといわれている。
その後、1939年5〜9月のハルハ川戦役(ノモンハン事件)では、BT-7快速戦車と共に日本軍に対して投入されて死闘を演じた他、同年9月17日からの東部ポーランド侵攻、同年11月から翌年春にかけての対フィンランド戦争(冬戦争)、そして1941年6月からの独ソ戦(大祖国戦争)ではすでに旧式化していたにも関わらず、ほとんど消耗しきるまでBT-5快速戦車は戦線で戦い続けた。
BT-5快速戦車の派生型としては、46口径45mm戦車砲20Kに代えて16.5口径76.2mm戦車砲KT-28を装備したBT-5A砲兵戦車と、火焔放射機を装備した火焔放射戦車(化学戦車)が開発されたが、いずれも1両のみの試作に終わっている。
またBT-5快速戦車にスノーケルなどを装備した潜水戦車も試作され、1935年頃に生産された。
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<BT-5快速戦車 1933年型>
全長: 5.50m
全幅: 2.23m
全高: 2.20m
全備重量: 11.5t
乗員: 3名
エンジン: M-5 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 400hp/2,000rpm
最大速度: 52km/h(装輪 72km/h)
航続距離: 150km(装輪 250km)
武装: 46口径45mm戦車砲20K×1 (115発)
7.62mm機関銃DT×1 (2,709発)
装甲厚: 6〜13mm
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<BT-5快速戦車 1934年型>
全長: 5.50m
全幅: 2.23m
全高: 2.20m
全備重量: 11.5t
乗員: 3名
エンジン: M-5 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 400hp/2,000rpm
最大速度: 52km/h(装輪 72km/h)
航続距離: 150km(装輪 250km)
武装: 46口径45mm戦車砲20K×1 (115発)
7.62mm機関銃DT×1 (2,709発)
装甲厚: 6〜25mm
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兵器諸元(BT-5快速戦車 1933年型)
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<参考文献>
・「パンツァー2008年9月号 クリスティーの忠実な後継車 BT-5/-7(前)」 佐藤慎ノ亮 著 アルゴノート社
・「パンツァー2008年11月号 クリスティーの忠実な後継車 BT-5/-7(後)」 佐藤慎ノ亮 著 アルゴノート社
・「パンツァー2004年2月号 ソビエト陸軍のBT高速戦車シリーズ」 城島健二 著 アルゴノート社
・「パンツァー2008年3月号 J.W.クリスティーとその時代(4)」 佐藤慎ノ亮 著 アルゴノート社
・「パンツァー2013年5月号 旧ソ連のBT-5/BT-7高速戦車」 平田辰 著 アルゴノート社
・「パンツァー2010年7月号 BT-7快速戦車」 荒木雅也 著 アルゴノート社
・「世界の戦車 1915〜1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画
・「グランドパワー2002年10月号 BT快速戦車シリーズ(1)」 古是三春 著 デルタ出版
・「グランドパワー2010年9月号 ソ連BT戦車シリーズ」 斎木伸生 著 ガリレオ出版
・「ソビエト・ロシア戦闘車輌大系(上)」 古是三春 著 ガリレオ出版
・「世界の戦車(1) 第1次〜第2次世界大戦編」 ガリレオ出版
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著 グランプリ出版
・「図解・ソ連戦車軍団」 斎木伸生 著 並木書房
・「第二次大戦 戦車大全集」 双葉社
・「戦車名鑑
1939〜45」 コーエー
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