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BT-42突撃砲





1939〜40年にかけてフィンランドとソ連が戦った冬戦争において、フィンランド軍はソ連軍相手に大善戦を演じ、その結果戦争中に大量のソ連軍遺棄装備を鹵獲することができた。
そして、167両もの多数の各種装甲車両(T-26/T-37/T-38軽戦車、T-28中戦車、T-20コムソモーレツ装甲牽引車等)が修理されてフィンランド軍戦車部隊の装備となった。

この後ドイツ軍が1941年6月22日にバルバロッサ作戦を発動し、ソ連領内への侵攻を開始したのに伴いフィンランドも再び戦争に巻き込まれることになった。
緒戦でフィンランドは冬戦争でソ連に取られた旧フィンランド領土を回復し、さらにソ連領東カレリアに攻め込んだ。

その結果、フィンランド軍はさらに多数のソ連軍戦車を鹵獲した。
T-26/T-50軽戦車、BT-5/BT-7快速戦車などに加え、新鋭のT-34中戦車、KV-1重戦車までが鹵獲されたのである。
フィンランド軍では大量の鹵獲兵器によって機甲師団の編制を行ったが、それに合わせて突撃砲大隊の編制、配属が予定された。

そしてその装備車両として、鹵獲戦車をベースとした突撃砲が開発されることになった。
改造のベースとなったのは、ソ連軍のBT-7快速戦車1937年型であった。
1942年春、ユバスキュラにあるフィンランド国営砲工廠でBT-7快速戦車の改造作業が開始された。
突撃砲への改造要領は車体には手を付けず砲塔を大型化して、大口径の榴弾砲を搭載するというものであった。

元来装備していた45mm戦車砲に比べてかなり巨大な砲を搭載するため、砲塔は車体に不似合いに背が高かった。
砲塔前部はオリジナルのカーブのまま上部に延長され(簡略化のため最後の一部は平面板となっていた)、砲塔後部は左右および後方に不格好な張り出しが設けられていた。
差し詰めその雰囲気は、ソ連軍のKV-2重戦車を小型化したような感じであった。

新たに採用された主砲はイギリス製のQF4.5インチ榴弾砲Mk.II(フィンランド名称114H18)で、この砲は実は1918年に改設計された(原設計はさらに古い骨董品)古い砲であった。
その性能データは口径114.3mm、砲身長15.55口径、重量1,494kgで、重量15.66kgの榴弾を使用した場合砲口初速は306m/秒、最大射程は6,040mであった。

この砲をフィンランド軍は冬戦争中の1940年にイギリスから24門の援助供与を受け、さらにスペインから30門を購入していた。
なお砲身の先端には、フィンランドで多孔式の砲口制退機が追加されていた。
この突撃砲は「BT-42」と呼ばれたが、”BT”は原型がBT快速戦車だったからで、”42”は開発年度が1942年であることを表している。

BT-42突撃砲の砲以外の性能は、原型のBT-7快速戦車とほとんど変わらない。
車体のサイズは全長5.66m、全幅2.29m、全高2.695mで装甲厚は6〜22mm、戦闘重量は15tであった。
エンジンは、ドイツのBMW社製の航空機用ガソリン・エンジンを原型とする出力450hpのV型12気筒液冷ガソリン・エンジンを搭載し、路上最大速度は装軌走行時で53km/h、車輪走行時で73km/h、路上航続距離は装軌走行時で375km、車輪走行時で460km、乗員は3名である。

BT-42突撃砲の最初の試作車であるR-702は1942年夏には完成し、同年9月に試験のため部隊に引き渡された。
そして同月の末には、改良のためフィンランド国営砲工廠に戻されている。
その間、改造のために用意された鹵獲BT-7快速戦車は装甲センターとロコモ社で修理とオーバーホールが行われて、完全整備状態にされた。

砲塔の改修作業と砲の取り付け工事はフィンランド国営砲工廠で行われ、最終組み立てはバルカウスの装甲センターで実施された。
BT-42突撃砲の生産型第1号車は、1943年2月18日に突撃砲大隊に引き渡された。
全部で18両のBT-42突撃砲が改造生産され、最終号車が完成したのは1943年の秋であった。

当初の計画では1942年9月に生産型第1号車が完成し、1年以内に全車が完成することが予定されていたが、計画が遅延したことは工場の製作能力を空費させることとなった。
その上、BT-42突撃砲の設計はとても成功とはいえないものだった。
主砲の114mm榴弾砲は分離装薬式で、装填に時間がかかるため発射速度が低かった。

その上砲塔内部が狭いため、弾薬の取り扱いは非常に難しかった。
また榴弾砲であるため当然であるが装甲貫徹力が低く、対戦車能力が限られていた。
そして直接照準射撃の場合、砲の俯仰ハンドルと砲塔の旋回ハンドルが左右別々の操作員によって操作されるようになっていたため、素早く目標に照準することも困難だった。

このため、なおさら対戦車能力は限られたものとなった。
ちなみにフィンランド軍ではBT快速戦車シリーズを、原型となったクリスティー戦車にちなんで「クリスティー」と呼んでいたが、BT-42突撃砲も同様に「クリスティー突撃砲」と呼ばれていたようである。
フィンランド軍ではBT-42突撃砲は突撃砲大隊に配属され、東カレリアでの戦闘で使用されている。

もっとも当時東カレリアではフィンランド、ソ連両軍共に塹壕に入った睨み合いとなっており、大した戦闘は行われていないのでせいぜい歩兵支援の砲撃をした程度と思われる。
その後、フィンランド軍はドイツよりIII号突撃砲の輸入を行うことになった。
1943年9月からIII号突撃砲の受領が始まると、余剰となったBT-42突撃砲は同年12月から編制が開始された独立戦車中隊に配属されることになった。

1943年7月のクールスク戦以降、東部戦線の主導権はドイツ軍からソ連軍に完全に移動し、領土のほとんどでドイツ軍を駆逐することに成功したソ連軍は1944年6月9日、ついにフィンランドを戦争から排除すべく大攻勢を発動した。
ソ連軍は、オロネツからカレリア地峡にかけてのフィンランド-ソ連戦線に45万名の兵士、1万門の野砲・迫撃砲火力、800両の戦車・自走砲を集め、正面からフィンランド軍の前線突破を図った。

フィンランド軍の陣地は激しい砲爆撃と、戦車と歩兵の協調した突破攻撃で次々と沈黙し、戦線は崩壊の危機に瀕していた。
フィンランド軍は東カレリアの戦線で撤退を進め戦線を短縮すると共に、浮いた兵力を移動させカレリア地峡の防衛に集中した。

カレリア地峡へ移動した独立戦車中隊のBT-42突撃砲は、主要都市のヴィープリを防衛するため市の中心部や周辺に分散して布陣した。
しかしT-34-85中戦車やIS-2重戦車を装備するソ連軍に対して、BT-42突撃砲に勝ち目があるはずも無かった。
1944年6月17〜21日のヴィープリ防衛戦の中、8両のBT-42突撃砲が破壊され残りの10両は撤退した。

1両のBT-42突撃砲はソ連軍のKV-1S重戦車に15発もの命中弾を与えたにも関わらず、目立った損害を与えることができなかったという。
この戦闘でBT-42突撃砲が使い物にならないことが明らかになったため以後の戦闘には投入されず、残る10両は第2次世界大戦を生き延びることができた。

第2次世界大戦終了後、フィンランド軍の旧式戦車は多くがスクラップにされたが、生き残ったBT-42突撃砲(そのうち修理が不要だったもの)はスクラップ・ヤードから引き出され、しばらくフィンランド軍装備として使用が続けられた。
しかし1951年11月30日、BT-42突撃砲はついに除籍処分となり9両がスクラップとされた。
そしてただ1両のみが生存を許され、パロラ戦車博物館の展示品として余生を送っている。


<BT-42突撃砲>

全長:    5.66m
全幅:    2.29m
全高:    2.695m
全備重量: 15.0t
乗員:    3名
エンジン:  M-17T 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 450hp/1,750rpm
最大速度: 53km/h(装輪 73km/h)
航続距離: 375km(装輪 460km)
武装:    15.55口径114mm榴弾砲114H18×1
装甲厚:   6〜22mm


<参考文献>

・「グランドパワー2006年12月号 ドイツとともに戦った枢軸小国の戦車:3 スロバキア・フィンランド編」 齋木伸生
 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2010年7月号 フィンランドのBT-42突撃砲(1)」 齋木伸生 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2010年8月号 フィンランドのBT-42突撃砲(2)」 齋木伸生 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2019年10月号 フィンランド戦車発達史」 齋木伸生 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2011年9月号 フィンランド陸軍のBT-42突撃砲」  ガリレオ出版
・「グランドパワー2000年2月号 フィンランド陸軍のAFV 1941〜1944」 後藤仁 著  デルタ出版
・「パンツァー2020年10月号 AFV(アホデ・ファニーナ・ヴィークル)(20)」 M.WOLVERINE 著  アルゴノート社
・「パンツァー2000年7月号 BT-42 フィンランドが生んだ異色突撃砲」 水上眞澄 著  アルゴノート社
・「ビジュアルガイド WWII戦車(2) 東部戦線」 川畑英毅 著  コーエー
・「図解・ソ連戦車軍団」 齋木伸生 著  並木書房
・「世界の無名戦車」 齋木伸生 著  三修社


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