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V号戦車パンターG型





●パンター戦車G型

パンター戦車G型はA型に続く生産型であり、量産された最後の型式である。
G型は、1943年5月にニュルンベルクのMAN社(Maschinenfabrik Augsburg-Nürnberg:アウクスブルク・ニュルンベルク機械製作所)で開かれた会議で生産が決まったもので、パンター戦車の発展型として開発が進められていたパンターII戦車の生産延期によってパンター戦車の生産が継続されることとなったため、パンターII戦車の開発過程で得たノウハウをパンター戦車に盛り込んで作られたものであり、装甲の合理的強化と生産性の向上が図られている。

パンター戦車G型の生産は1944年3月から開始され、1945年4月の生産中止までにMAN社が1,143両、ベルリン・マリーエンフェルデのダイムラー・ベンツ社が1,004両、ハノーファーのMNH社(Maschinenfabrik Niedersachsen-Hannover:ニーダーザクセン・ハノーファー機械製作所)が806両生産し合計で2,953両が完成した。
これは、パンター戦車シリーズで最多の生産数である。

パンター戦車G型の車体製造番号は残念ながら生産開始第1号車しか判明しておらず、MAN社が120301、ダイムラー・ベンツ社が124301、MNH社が128301を与えられた。
G型での最大の変化はD、A型の場合、車体側面の装甲板が燃料タンクの部分で2段となっていたのを改めて単純な1枚板とし、そのままだと後方に行くほど左右が広がり過ぎてしまうので、装甲板の傾斜角を40度から29度(これは計画時の値で生産型では30度となっている)に変更したことで、併せて装甲厚も40mmから50mmに改められた。

この装甲強化などで戦闘重量が約305kg増加するものと計算されたため、車体前面下部の装甲厚を60mmから50mmに減じ、さらに車体下面前部も30mmから25mmとして合わせて250kgの重量を減らすことで、重量の増加を55kgに抑えることとした。
加えて操縦室から前方の車体上面の装甲厚も16mmから40mmに強化されたが、これによる重量増加量は不明である。

いずれにせよ、パンター戦車G型の装甲防御力がD、A型と比べて大きく向上したことは間違いない。
車体側面装甲板の形状の変更は袖部底板と履帯との間隔を狭めることになり、履帯が袖部底面を叩く可能性が増した。
このためこの部分にあったシュルツェン取り付け部のパーツは廃止され、シュルツェン取り付け具は車体側面装甲板に設けられることになった。

それに合わせて、シュルツェンの形状も変更されている。
さらにパンターII戦車で採用された、前後の幅を減じた機関室上面吸気口のデザインがそのまま用いられた。
これは火炎瓶攻撃や弾片防御として開口部の縮小を目的としたのは明らかで、このままではラジエイターへの空気導入量が減ってしまうが、これはラジエイターの能力向上等を中心とした改良を行うことで、冷却能力の向上が図られたために問題無しとなった。

またこの改良によりA型で採用された追加吸気管は必要が無くなり、再び以前の単純なものに戻されている。
さらに操縦室上面の操縦手および無線手用ハッチは、それまでの上方に持ち上げてから旋回させるという方式を改めて、外側にヒンジを持つ跳ね上げ式に変わった。
これは従来のハッチが弾片等による損傷や詰まりにより開閉不能になるという、前線からの報告を基に改善が行われたもので、脱出もより素早く行うことができるようになった。

またこの変更に合わせ、耐弾性の面から問題となっていた操縦手用のヴァイザーが廃止され、新たに旋回式望遠ペリスコープが操縦手席の上面に装備されたが、これもまたパンターII戦車において採用されたものであった。
この他、A型からの細かい変更点としては前照灯の位置移動やジャッキ台の大型化、牽引用ワイアーを32mm径・8.2m長のものに交換、戦闘室内の弾薬庫形状等を改めて弾薬搭載量を82発に増加し、袖板の上に配された弾薬庫に4mm厚のスライド式カバーを設ける等の改良が行われた。

もっとも、これらの細部の変更がG型の生産時より導入されたとは断言できず、段階的に実施されたものと見る方が実状に即しているものと思われる。
当初、その形状から「直線車体」と呼ばれたパンター戦車G型の試作車は1944年3月に2両が完成し、4月から生産が開始された。

1944年10月26日付で出された生産計画では、当時開発が進められていたパンター戦車F型に生産が切り替わるまで2,650両のG型を生産する予定が立てられたが、結局F型が本格的な生産に入ることは無く、これに代わる形でG型を前述のように2,953両と生産計画を上回る数量を送り出している。
パンター戦車G型も他の型式と同様に、生産中に多くの改良が実施されている。
以下、生産時期による改良点を列記する。

1944年5月からの生産車は、排気管の付け根カバーがそれまでの鋳造製から単純な溶接式に改められ、続いて6月からは夜間に灼熱した排気管により存在が発見されることを防ぐための、排気管を囲むカバーを新設した。
また、2t簡易クレーンを装着するためのピルツの装備もこの月から開始されている。
7月生産車では車長用キューポラに装備されているペリスコープの固定具を改良型に改め、操縦室上面のヴェンチレイターへ装甲カバーを新設した。

さらにドイツ陸軍兵器局第6課は、車長用キューポラから上方に突き出して使用する視察用TSR.1ペリスコープのマウント廃止や、操縦手用の旋回式ペリスコープの上に雨除けの追加を要求し、この雨除けは8月の生産車から導入されることになる。
8月からは操縦手および無線手用ハッチが、車内からヒンジのボルトを緩めることでそのまま外すことが可能となり、主砲防盾上面の後部には弾片防御を目的とした鋼板が新設された。

また8月19日付で、工場において迷彩塗装を施して完成させる旨通達が出されている。
この時定められた迷彩がいわゆる「光と影」と呼ばれるもので、通常の3色迷彩の上からその地色とは異なる色を用いた細かい斑点を打ったものであり、前線でこれを見た搭乗員たちに車種を問わず広くコピーされることになったため、工場で施された車両をはるかに上回る例を見ることができる。
迷彩の変更にわずかに遅れて車内の多色塗装が中止され、錆止めのプライマーのみとすることも決まった。

さらに9月からは磁気吸着地雷対策のツィンメリット・コーティングが廃止され、併せて錆止めとして最初に塗装されている酸化防止プライマーを、ロートブラウンの代わりに用いてもかまわないことが決まった。
また、主砲照準機の開口部上方に備えられていた雨除けが日除けを目的として前方に延長されたのも、9月の生産車からである。

9月の生産車からの最も大きな変更点は、赤外線暗視装置の導入である。
これは1936年から開発に着手し1943年に実用化の域に達していたものの、あまり必要性は感じていなかったようで実用化は行われなかった機材だが、1944年6月のノルマンディー戦において夜間に作戦行動する必要性が高くなったために導入が決まったものである。

車長用キューポラと主砲照準機、そして操縦手にそれぞれ独立して赤外線ライトとスコープを装備するのが標準とされ、スコープ装備車は車体後面右側の雑具箱が角形の装甲箱に換装され、昼間時にはここに暗視装置を収容するようになっていた。
また戦闘室内右後方に備えられていた3発入りの主砲弾薬庫を外し、この部分に暗視装置への電力供給を行うGG400発電機とバッテリーが新設される等、各部に変更が見られる。

この暗視装置は当初のスケジュールでは1944年9月に50基が引き渡されるのを皮切りとして、10月に70基、11月に80基、12月に100基がそれぞれ引き渡される予定であったが、実際には生産に手間取り車両自体は装備改修を施して完成したものの、装置を装備できた車両は少数に過ぎなかった。

このため11月には以前の仕様に戻す車両も現れる始末で、最終的に暗視装置を装備したパンター戦車G型は113両と伝えられている。
同じく9月の生産車では、パンター戦車の欠点とされていたショットトラップ(砲塔防盾下部に弾丸が命中した際、下に滑って装甲の薄い車体上面を直撃することを指す)への対処として、防盾の下部に張り出しが設けられることとなった。

またMAN社の生産車の一部(車体製造番号121032~121055のみが判明している)では、従来のゴム縁付き転輪が不足したため、代わりにティーガーI/II戦車で用いられていたゴム内蔵式の鋼製転輪が装着されたが、その後さらに転輪が不足したために、1945年3~4月にかけて同社で生産された車両の一部にもやはり鋼製転輪が用いられている。

この鋼製転輪は、パンターII戦車で用いられたティーガーI/II戦車と同じ直径800mm(通常の転輪は860mm)のものがそのまま用いられたが、サスペンションアームの軸径に合わせるため、中央のハブは新型に替わっていたのが相違点である。
またラジエイターの排気ファンが強化型に替わり、袖板の上に備えられていた弾薬庫のスライド式カバーも廃止されることになった。

10月の生産車では、誘導輪が新型に換装された。
これは泥等が詰まり易かった従来のものの対策として登場したもので、リブの形状を一新しサイズも直径650mmに大型化されており、識別は容易である。
排気管への消炎機装着が指示されたのもこの月で、消炎機の採用に伴い排気管を覆っていたカバーが廃止されることになったが、実際に消炎機の装着が開始されたのは12月に入ってからのことであった。

この装備は以前の生産車に対しても行うよう指示が出されたが、新規生産車に装備することさえ難しかったことを考えると、この指示は実行自体が不可能に近かったものと思われる。
さらに、戦闘室ヒーターがより簡易なものに変更されたのも10月の生産車からである。

これは機関室内左側に設けられていた冷却ファンの上に被せる形で載せる箱型の装置で、冷却ファンの開口部に蓋をして暖かい空気を外部に出さず、新設されたダクトに流すことで戦闘室に暖かい空気を導入するというものであった。
この場合、右側の吸気グリルの上には開閉式のシャッターが装着され、ラジエイターの水温を上げパイプで結合されている左側のラジエイター水温をさらに高めるという小技が盛り込まれていた。

もっとも水温計が80℃を超えた場合には、シャッターを開いて水温を下げるように指示が出されていた。
MNH社の記録ではこのヒーターが装備された最初の生産車は、1944年11月22日に完成した車体製造番号128827の車両とされており、また右側のシャッターは12月9日に完成した車体製造番号128862の車両から装備が開始されたとしている。

また同時期に後部のショック・アブソーバーの廃止が決まり、操縦手席のシートもハッチを開放して直接外部を見ながら操縦できるように、2段階に高さを調節することが可能となった。
これに併せて変速機の操作レバーが延長され、計器盤にも変更が加えられている。

さらに、この月の生産車から毒ガス防護が盛り込まれることになった。
これは第2次世界大戦末期にドイツ軍が毒ガスを用いることを考えていた証で、砲塔上面3カ所に毒ガス検知パネルの装着具が溶接され、併せて戦闘室内に検知パネル収容箱を新設し、ガスマスクの収容ケースやブレスチューブ2本の追加などが実施された。

この装備と並行して本格的な毒ガス対策も研究されており、変速機から動力を抽出して駆動する吸塵用フィルターと2基の炭素フィルターを、車体製造番号120303のパンター戦車G型に装備して試験を行ったが、幸いにも試験の域を出ること無く終わっている。

1944年10月31日には車内塗装の廃止(もちろん錆止めは塗られるが)が決まり、さらに12月20日付で基本色をそれまでのドゥンケルゲルプからドゥンケルグリューンに改め、迷彩色としてロートブラウンとドゥンケルゲルプを用い、各色とも境界線はぼかさずに明瞭なものとせよという指示が出された。
また時期は不明だが、砲塔上面中央にペリスコープ・ガードと酷似した形状のアンテナ基部の装備が始められたが、これはごく一部の車両が装備しただけに留まっている。

1945年1月20日には機関室のボルト数を半分に減らすように指示が出され、1月24日には車長用キューポラに装着されていた対空機関銃架装着用レールの廃止が決まり、2月15日には砲塔内に限って車内色であるエルフェンバイン(アイボリー)の塗装が再び行われることになった。

1945年3月には、車長用キューポラのペリスコープ・ガードに対空機関銃のマウントを固定するポストが溶接されることが決まり、砲塔側面に擬装用の小枝などを固定する際に用いるU字型フックを溶接することになった。
生産中に公式な形で実施されたパンター戦車G型の改良は以上の通りだが、車体側面に設けられていたクリーニングロッドのケースを車体後部に移したり、砲塔側面に予備履帯止めを設ける等前線での独自の改良も多く見られる。


●部隊配備

1944年にパンター戦車を配属された主な機甲師団はSS第3機甲師団トーテンコプフ、SS第5機甲師団ヴィーキング、第3、第4、第5、第8、第14、第19機甲師団などである。
1943年7月のクールスク戦当時の機甲師団の編制では、パンター戦車の配備数は4個戦車中隊に各22両(中隊本部に2両、戦車小隊4個に各5両)に本部車両を加えて99両のはずであるが、そんな例はほとんど見られない。
1944年4月に変更された編制では、各戦車中隊が3個小隊編制でパンター戦車は合計79両になっている。

1944年6月のノルマンディー戦で見ると第12SS機甲師団は66両、教導機甲師団は89両のパンター戦車を装備していた。
その後増派された第9機甲師団、第116機甲師団では79両のパンター戦車を装備していた。
また1944年半ばには東部戦線での大敗北の穴埋めのため、多数の独立機甲旅団も編制されている(ただしすぐに機甲師団または機甲擲弾兵師団に吸収されてしまった)。

独立機甲旅団編制では3個戦車中隊に各11両(中隊本部に2両、戦車小隊3個に各3両)で、大隊では36両のパンター戦車が配備されていた。
1944年末の編制では、師団は3個戦車中隊に各17両(中隊本部に2両、戦車小隊3個に各5両)で合計60両となるが、各小隊を4両(中隊で14両)としたもの、3両(中隊でわずか10両)にしたような編制例も見られる。

戦車定数は減らされるばかりで、師団の戦力は名前に見合うものでは無くなっていった。
1944年12月16日に始まるラインの守り作戦に参加する部隊には、優先的にパンター戦車が配備された。
参加師団のパンター保有数はSS第1機甲師団が42両、SS第12機甲師団が41両、教導機甲師団が30両といったところである。

一方東部戦線については、1945年1月の段階で707両のパンター戦車が使用されていた。
1945年2月1日時点のパンター戦車の全登録数は、2,133両であった。
パンター戦車は、ダイムラー・ベンツ社のマリーエンフェルデ工場で戦争最後の日まで生産が続けられた。
1945年4月6日に編制されたドイツ陸軍最後の機甲師団クラウゼヴィッツには、2106戦車大隊とプトロス戦車大隊に22両のパンター戦車が配備されていた。


<パンター戦車G型>

全長:    8.86m
車体長:   6.88m
全幅:    3.43m
全高:    2.98m
全備重量: 44.8t
乗員:    5名
エンジン:  マイバッハHL230P30 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 700hp/3,000rpm
最大速度: 55km/h
航続距離: 177km
武装:    70口径7.5cm戦車砲KwK42×1 (82発)
        7.92mm機関銃MG34×2 (4,200発)
装甲厚:   16~110mm


兵器諸元(パンター戦車G初期型)
兵器諸元(パンター戦車G後期型)



<参考文献>

・「世界の戦車イラストレイテッド11 パンター戦車と派生型 1942~1945」 ヒラリー・ドイル/トム・イェンツ 共著
 大日本絵画
・「世界の戦車 1915~1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著  大日本絵画
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著  大日本絵画
・「パンター戦車」 W.J.シュピールベルガー 著  大日本絵画
・「パンツァー2014年11月号 歴代戦車砲ベストテン」 荒木雅也/久米幸雄/三鷹聡 共著  アルゴノート社
・「パンツァー1999年9月号 ドイツ・パンター戦車(1) その開発とバリエーション」 後藤仁 著  アルゴノート社
・「パンツァー1999年10月号 ドイツ・パンター戦車(2) パンターの構造」 後藤仁 著  アルゴノート社
・「パンツァー2014年2月号 誌上対決 パンター vs T-44戦車」 久米幸雄 著  アルゴノート社
・「パンツァー2000年10月号 五式中戦車 vs パンターG戦車」 斎木伸生 著  アルゴノート社
・「ピクトリアル パンター/ティーガー」  アルゴノート社
・「ピクトリアル パンター戦車」  アルゴノート社
・「グランドパワー2017年3月号 パンター戦車G型」 寺田光男 著  ガリレオ出版
・「世界の戦車(1) 第1次~第2次世界大戦編」  ガリレオ出版
・「戦車ものしり大百科 ドイツ戦車発達史」 斎木伸生 著  光人社
・「戦車名鑑 1939~45」  コーエー


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