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V号戦車パンターD型





●パンター戦車の開発

1939年9月1日、ドイツ軍のポーランド侵攻作戦(Unternehmen Weiß:白作戦)の発動により第2次世界大戦の幕が開いたが、ドイツ軍はこれに先立つ1938年に、主力戦車であるIII号戦車と火力支援を任務とするIV号戦車を一本化した20t級後継中戦車の開発を、「VK.20.01」の計画名称で着手していた。
戦車の開発を担当するドイツ陸軍兵器局第6課は当初、VK.20.01の開発メーカーとしてベルリン・マリーエンフェルデのダイムラー・ベンツ社を選定し、1939年10月に開発要求を出している。

これとは別にエッセンのクルップ社も独自にIV号戦車の発展型を研究していたが、電撃戦における戦訓を加味してこの計画を放棄し、新たに20t級中戦車の開発を「VK.20.01(K)」の名称で行うことになった。
この両社に続き、1940年初めにニュルンベルクのMAN社(Maschinenfabrik Augsburg-Nürnberg:アウクスブルク・ニュルンベルク機械製作所)もVK.20.01の開発を行うことになったが、他の2社と異なりトーションバー(捩り棒)式サスペンションを採用していたのが大きな特徴である。
ちなみに、この20t級中戦車VK.20.01の開発に際して要求されたことは

・大直径転輪を用いて上部支持輪を廃止する
・トーションバー式サスペンションの採用
・大出力かつ小型の最新型エンジンを使用する
・動力補助付き半自動変速機の採用
・新型操向機の導入

等であった。
III号戦車、IV号戦車をそれぞれ開発して経験の深いダイムラー・ベンツ、クルップ両社が要求されていたトーションバー式サスペンションを採り入れなかったのは、それぞれの経験に基づくものであった。
ダイムラー・ベンツ社では、トーションバー式サスペンション(すでにIII号戦車で採用済み)は車内スペースを占有する上に交換に手間取り、さらに射撃のために停止した際微妙な振動が残り、照準をやり難いことをその反対理由としている。

一方クルップ社も、車内スペースの問題や砲塔旋回用エンジンと弾薬庫のスペース確保という点から、VK.20.01(K)にIV号戦車と同じリーフ・スプリング(板ばね)式サスペンションを採用していた。
1941年6月22日にソ連侵攻作戦(Unternehmen Barbarossa:バルバロッサ作戦)が開始されると、T-34中戦車やKV-1重戦車などのソ連軍新型戦車に対してドイツ陸軍の主力であったIII号、IV号戦車は厳しい戦いを強いられることになった。

特にT-34中戦車はそれまでの戦車とは全く異なるコンセプトで設計されており、その全体に傾斜装甲を採り入れた斬新なデザインと、強力な火力・防御力はドイツ軍に大きな衝撃を与えた。
独ソ開戦でT-34中戦車を目の当たりにしたドイツ軍首脳の内、特に戦車の専門家であったハインツ・グデーリアン上級大将はその脅威を軍集団司令官に報告すると共に、T-34中戦車に対抗できる新型戦車の開発を早急に進めることとそのために軍、軍需省、軍需産業代表による調査団を送ってT-34中戦車を調査することを要請した。

この要請に応じて1941年11月20日、アルベルト・シュペーア軍需大臣を長とする調査団が東部戦線に派遣され、鹵獲したT-34中戦車を徹底的に検証した結果、より強力な装甲と火力を備えなければT-34中戦車に対して優位に立つことはできず、このため20t級の新型中戦車VK.20.01ではこの要求に応えることはできないと判断され、新型中戦車計画は30t級に移行して「VK.30.02」に名称も変更された。

すでに1941年7月18日には、デュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社に対して新型の長砲身7.5cm戦車砲の開発要求が出されており、同時にこの砲を装備する砲塔の開発も要求されていた。
この30t級中戦車VK.30.02の開発はダイムラー・ベンツ社とMAN社の2社が担当することとなったが、以前よりも要求は具体的で基本仕様は以下のようになっていた。

・全幅3,150mm、全高2,990mm、最小地上高500mm、戦闘重量35t。
・前面装甲は60mmで55度の傾斜角、側面装甲は40mmで40度の傾斜角で全体に傾斜装甲を採用すること、車体
 上面と下面は16mmの装甲厚で可。
・エンジン出力650~700hp、外気温42℃まで対応できる良好な冷却システムを備えること、登坂力35度、超堤高
 80cm、路上最大速度55km/h、1速での速度4km/h、航続距離は作戦時で最大5時間とする。

1942年1月22日、設計見積りの結果VK.30.02の戦闘重量は当初の見積りの32.5tから36tに引き上げられた。
そして、MAN社とダイムラー・ベンツ社それぞれの設計案に基づくモックアップが展示された。
両社の設計案はいずれも従来のドイツ戦車と異なる傾斜装甲を多用したデザインになっており、明らかにソ連軍のT-34中戦車の影響を受けていたが、より斬新なのはダイムラー・ベンツ案のVK.30.02(DB)の方だった。
そのデザインはMAN案のVK.30.02(MAN)と比較して、よりT-34中戦車に酷似していた。

VK.30.02(MAN)の車体後面が上部が突き出した1枚板で形成されたのに対して、VK.30.02(DB)ではT-34中戦車同様の上下別となっており、中央部が突き出したテイパーを持っていた。
VK.30.02(DB)は、T-34中戦車と同じリアドライブ方式を採用した関係で砲塔位置もT-34中戦車と同様に前寄りで、エンジンにもT-34中戦車と同じくディーゼル・エンジンを採用することになっていた。

ただしサスペンションはIV号戦車と同じリーフ・スプリング式で、ティーガー戦車と同様にオーバーラップ式の転輪配置を採用していた。
砲塔の形状は後のパンター戦車F型で採用されるシュマールトゥルム(小砲塔)に似ており、防盾はいわゆるザウコプフ(豚の頭)型をしていた。

これに対してVK.30.02(MAN)はやはりT-34中戦車に似ていたものの、従来のドイツ戦車の設計要領も採り入れられていた。
車体デザインこそT-34中戦車と同様に傾斜装甲を多用していたが、車内レイアウトはこれまで通り後部にエンジンを置き、駆動軸を介して前部の変速・操向機を通じて起動輪を駆動するようになっていた。

その結果砲塔は他のドイツ戦車と同じく車体の中央に位置し、これは長砲身砲を搭載したことによるノウズヘビーの傾向を弱めてくれた。
エンジンも、ドイツ戦車共通のガソリン・エンジンのままであった。
足周りはティーガー戦車と同様に、トーションバー式サスペンションとオーバーラップ式転輪配置を組み合わせていた。

主砲については両案ともラインメタル社が開発した70口径という長砲身の7.5cm戦車砲KwK42を装備していたが、このKwK42は徹甲弾を使用した場合砲口初速925m/秒、射距離100mで138mm、500mで124mm、1,000mで111mm、2,000mで89mmの均質圧延装甲板(傾斜角30度)を貫徹することが可能であった。
この性能は、ティーガー戦車の主砲であるクルップ社製の56口径8.8cm戦車砲KwK36をも上回っていた。
1942年2月、ダイムラー・ベンツ社はVK.30.02(DB)の試作車を同年5月までに完成することを求められた。

一方MAN社も、同じ時期までにVK.30.02(MAN)の試作車を完成できるよう急ぎ作業を進めた。
アドルフ・ヒトラー総統は両案の内、より進歩的なVK.30.02(DB)に惹かれていた。
その結果シュペーアの勧めもあり1942年3月6日にVK.30.02(DB) 200両の量産発注を行い、量産化に必要な処置を取るよう命じると共に1週間以内に完全な報告書を提出することを求めた。
両案の設計図面は、5月初めまでには完成した。

これらの案を検討するため、兵器局第6課の監督下に戦車委員会が設立された。
同委員会は、ダイムラー・ベンツ社とMAN社に対して2つの点を要求した。
その1つは部隊には優れた武器を備えたこの車両が、少なくとも1943年夏までには大量に装備されることが必要であること。
そしてもう1つは、数量的に勝る敵に対抗するためには質的に優越した兵器が必要ということだった。

VK.30.02(DB)とVK.30.02(MAN)を比較すると、機動力については両案とも要求を満たしていた。
出力/重量比22hp/tという値は満足させなかったものの、路上での巡航速度は40km/hで最大速度は55km/hであった。
航続距離についてはVK.30.02(DB)がディーゼル・エンジンではあったものの、燃料搭載量が550リットルだったのに対して、VK.30.02(MAN)は燃料搭載量が750リットルもあって少し有利だった。

主砲については両案とも同じ70口径7.5cm戦車砲KwK42を装備しており弾薬搭載数も同じだったが、VK.30.02(DB)は締め切りまでに実際の砲塔を完成させられなかった。
しかも、VK.30.02(DB)の砲塔は実用化までにかなりの改良が必要だった。
ただしそのザウコプフ型防盾は、VK.30.02(MAN)のものより被弾に際して有利であることが認められていた。
砲塔リングの直径はVK.30.02(DB)の方が50mm小さかったが、これは別の意味で問題となった。

つまりVK.30.02(MAN)の車体であれば、VK.30.02(DB)とVK.30.02(MAN)のどちらの砲塔も選択次第で搭載することが可能だったのに対して、VK.30.02(DB)の車体ではVK.30.02(DB)の砲塔しか搭載できなかったのである。
その上、それが締め切りに間に合わなかったのである。
装甲防御力については両案とも同じ厚さ同じ角度となっており、要求を満たしていた。

車内スペースについては、車体後部にエンジンと変速・操向機をまとめたVK.30.02(DB)の方が特に操縦手と無線手スペースについて有利だった。
VK.30.02(DB)はサスペンションにリーフ・スプリングを使っていたが、これによって車高を100mm低くすることができた。
ただこのことが車体を小型化させ、砲塔リング径を50mm小さくさせた原因となったのは不運であった。

一方VK.30.02(MAN)は、ダブルトーションバーという新しいトーションバー式サスペンションを採用していた。
これは2本のバーを束ねて1本の軸の緩衝をすることで、それぞれのバーに掛かる力を減少させる仕組みであった。
VK.30.02(DB)とVK.30.02(MAN)の大きな違いに、フロントドライブとリアドライブという駆動方式の違いがあった。
当時、一般的に戦車はフロントドライブの方が有利だと考えられていた。

1942年5月11日、検討の結果最終的に戦車委員会はMAN案のVK.30.02(MAN)を支持する結論を出した。
その決定の理由となったのは、何よりもダイムラー・ベンツ案のVK.30.02(DB)の砲塔が完成しておらず、代わりにVK.30.02(MAN)の砲塔を搭載する代替策も採れなかったからである。
またVK.30.02(DB)が搭載を予定したダイムラー・ベンツ社製のMB507ディーゼル・エンジンは、必要数の生産ができそうになかった。

そしてVK.30.02(DB)は履帯幅が狭く不整地での機動力が劣ると考えられること、そしてそのリーフ・スプリング式サスペンションはVK.30.02(MAN)のトーションバー式サスペンションより緩衝性能が劣っていたからであった。
5月13日、ヒトラーに対する説明が行われた。
ヒトラーはまだダイムラー・ベンツ案のVK.30.02(DB)を推していたが、決定打となったのはダイムラー・ベンツ案ではスケジュールが遅れるばかりで、必要な新型中戦車が期日までに取得できないという事実であった。

さすがに、2種類の新型中戦車を作り続けることも非現実的だった。
翌日ヒトラーは決断し、MAN案のVK.30.02(MAN)を後のV号戦車「パンター」(Panther:豹)として製作することが決定された。
VK.30.02(DB)の生産はキャンセルされ、結局1両も完成しなかった。

パンター戦車は、1943年5月までに最低250両が必要とされた。
生産の緊急性から、MAN社による試作車の製作は大急ぎで進められた。
軟鋼製の試作第1号車(V1)は、1942年9月終わりに完成した。
その時点ではまだラインメタル社製の砲塔は完成しておらず、試作車体にはダミー砲塔が搭載されていた。
続いて完全な試作第2号車(V2)が完成して、同年11月初めにベルカ試験場でデモンストレイションが行われた。


●パンター戦車D型

パンター戦車の量産にあたってはMAN社だけでなくダイムラー・ベンツ社、ハノーファーのMNH社(Maschinenfabrik Niedersachsen-Hannover:ニーダーザクセン・ハノーファー機械製作所)、カッセルのヘンシェル社なども生産に加わることとされた。
各社の生産予定数は1943年4月までにMAN社が84両、ダイムラー・ベンツ社が91両、MNH社が61両、ヘンシェル社が36両の合計254両となっていた。

当初パンター戦車の発注数は1,000両とされていたが、生産中に発展型のA型が完成したことで850両に減らされた。
パンター戦車の生産型は、試作車と比較して数多くの変更点が盛り込まれていた。
最大の変更点は、砲塔デザインと最終減速機である。

砲塔は試作車では車長用キューポラが砲塔左側面からはみ出してバルジが設けられていたが、生産型では砲塔形状を変更して車長用キューポラが内側に入るようにし、バルジは省略された。
また主砲先端の砲口制退機は試作車ではIV号戦車F2型と同じ単作動式のものだったのが、生産型では二重作動式のものに改められている。

最終減速機に関しては、実は生産型でも問題は解決されなかった。
大重量化した車体に比して強度が不足しており、金属疲労によってすぐにクラックが入る傾向があった。
この問題に関しては、継続的に解決法の検討が続けられた。
またヒトラーの要求で、車体前面装甲厚は80mmに増厚された(最初の20両は変更が間に合わず60mmのまま生産されたともいわれる)。

パンター戦車の生産スケジュールは、技術者たちの努力にも関わらず全体に遅れ気味であった。
MAN社は1942年12月までに4両の生産型を完成させるはずであったが、生産型第1号車が完成したのは1943年1月11日であった。
生産型第1、第2号車は1月24日にグラフェンヴェール訓練場の第51戦車大隊に送られ、部隊訓練に使用された。

1月26日には第3号車が完成したが、これは会社側の試験に使用された。
第4号車は、軍の試験のためツォッセンのクンマースドルフ車両試験場に送られた。
なおVK.30.02(MAN)の生産型は、「V号戦車パンターD型」(特殊車両番号:Sd.Kfz.171)と命名されている。
なぜ最初の型式名がD型なのかは、今に至るも分からないパンター戦車最大の謎である。

VK.30.02(MAN)原型がA型で、エンジン、変速・操向機の改良が図られたペーパープランに終わったB、C型があったとする説や、パンター戦車を連合軍の攻勢からドイツの四方を守る守護者としてふさわしくあるよう、北欧神話に由来する四体の守護者(東の竜、西の雄牛、南の巨人、北の鷲)に因んだD、A、G、Fの順に型式名を付けたとする説などがあるが、最近の資料でも証明されていない。

パンター戦車D型は、1943年1~9月にかけて842両が生産された。
当初の発注数より少ないのは、一部車体が回収型のベルゲパンターに流用されたためである。
車体製造番号はMAN社が210001~210254(242両)、ダイムラー・ベンツ社が211001~211250(250両)、ヘンシェル社が210254~212130(130両)、そしてMNH社が213001~213220(220両)で、車体製造番号と生産数が見事に一致していることが良く分かる。

様々な紆余曲折を乗り越えて生産に入ったパンター戦車D型であったが、1943年1月末にそれまでに完成した3両を用いて運用試験を行った結果様々な問題点が判明した。
まず、砲塔を旋回すると砲塔前面左右の角が操縦手と無線手のハッチと干渉することが分かり、これは左右の角を斜めに3cmカットすることでクリアした。

さらに主砲の俯角を-7.5度以上とした場合、照準機が砲塔内の主砲マウントに当たってしまうため、砲塔前部に三角形の鋼板を溶接し、これ以上砲身の俯角を取ろうとしても防盾の後端がこの鋼板により止められるという、いかにも応急的な処置で切り抜けている。

また俯角をかけるとリコイル・ガードが車長席にぶつかるために車長席を後方に移動させ、車長用キューポラのハッチも開閉レバーと旋回ハンドルの位置関係が悪くて開け難かったため改修が必要となったが、これはすぐに行うことはできず1943年4月以降の生産車から改められることになった。

これは、4月以前に生産されたパンター戦車D型に対しても後に改修作業が行われている。
また時期は不明だがエンジン点検用ハッチの上に設けられたインテイク・カバーは、潜水時には回して閉めるため角のような把手が取り付けられていたが、折損し易いためにコの字型に形状を改めた。

この他合わせて45カ所以上にも及ぶ改修が必要とされたが、生産の遅延を防ぐためにパンター戦車D型の生産を続行させ、1943年4月からそれまでの生産車をデュースブルクのデマーク社(Deutsche Maschinenbau-Aktiengesellschaft:ドイツ機械製作所)において兵器局第6課の指示による改修作業を実施し、生産中の車両はこの時点で改修を採り入れて完成させるという方式が採られた。
以下、パンター戦車D型の主要な改修点について列記する。

☆車体
・燃料タンクの再溶接
・燃料タンクへの換気孔新設
・3段階式燃料マニフォールドを無段階式に換装
・変速機と操向機の遊星ギアの新型化
・ブレーキ取り付け部の強化
・第2、第7サスペンションのショック・アブソーバーのレバーを強化型に換装

☆砲塔
・車長用キューポラにTSR1ペリスコープを新設
・主砲のリコイル・ガードに金属板装着
・砲塔内へのトラヴェリング・ロック新設
・主砲照準機マウントの強化
・同軸機関銃の薬莢排出チューブの位置変更
・同軸機関銃の発射ケーブルを2.5mm径に強化し、発射ペダルの位置を変更
・左側面の連絡用ハッチと後面の脱出用ハッチのヒンジ強化と、雨除けの新設
・脱出用ハッチの開状態位置での固定ラッチ新設
・砲塔バスケットの強化

また潜水装置の廃止に伴い、各部に施された防水シールは簡易タイプに改められた(これは1943年8月からの生産車で採られたもので、以前の潜水装備未装備の状態で完成した車両では金属製の蓋をスノーケル・パイプ収容部にボルト止めしていたが、この蓋を外して金網が張られている)。
これらの改修とは別に、生産中に段階的に改良が行われることになるのは他国の戦車と同じだが、パンター戦車の場合は実用試験に供する時間が極端に少なかったことが災いして、生産中の改良が極端に多くなった。

以下、簡単にこれらの改良点を列記する。
生産当初は砲塔の左右側面に発煙弾発射機が備えられていたが、実戦で使用してみると小口径銃弾により簡単に破壊されてしまうことと、再装填にあたって乗員が車外に出なければならないことが問題となり、1943年7月生産分から廃止されることになり、砲塔左側面の連絡用ハッチも防御上の問題により8月生産分から廃止が決まった。

1943年4月からの生産車では、対戦車銃に対する防御策として「シュルツェン」(Schürzen:エプロン)と呼ばれる8mm厚の取り外しが可能な装甲板が装着され、これに加えて前述の車長用キューポラのハッチ開閉装置の新型化や、圧搾空気を用いた主砲砲身内の発射ガス排出装置も導入されている。
また砲塔の連絡用ハッチと脱出用ハッチの上に雨除けが新設されたのも、4月生産車からの特徴である。

5月生産分からはエンジンを、フリードリヒスハーフェンのマイバッハ発動機製作所製のHL210P30 V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力650hp)から、出力強化型のHL230P30 V型12気筒液冷ガソリン・エンジンに換装したのが最大の相違点で、生産型第251号車がエンジン換装第1号車に相当している。
この変更に併せて、それまでエンジン点検用ハッチの裏側に装着されていたエンジン工具類が位置を変えた(どこに移動したかは不明)。

このエンジン換装により出力は50hp増加して700hpとなったが、HL210エンジンがブロックに軽合金を用いることで軽量化を図っていたのに対して、HL230エンジンでは保有量が限られている軽合金の使用を避け通常の鋳鉄としたために、エンジンの重量は350kgほど増えている。
前述のデマーク社で改修を施した車両は、東部戦線で1943年夏に計画されていた反攻作戦への投入を控えて機動訓練等を行っていたグラフェンヴェール訓練場近くの、ヴァイデン社において最終改修が施された。

ここで盛り込まれた改修はパンター戦車D型の訓練中に判明した問題点を反映したもので、まず走行中に転輪のゴム縁が外れ易いとの報告を受けて転輪ハブの継ぎ目をV字型に改め、転輪の結合ボルトの間にリベットを追加してゴム縁の締め付けを強化した。

続いて起動輪後方に装着されているダンパーを強化し取り付け部は溶接、また不具合が判明したAK7-200半自動変速機(前進7段/後進1段)を取り外してメーカーのZF社(Zahnradfabrik Friedrichshafen:フリードリヒスハーフェン歯車製作所)に送り、改修を行った後に再び搭載するという作業を行い、さらに燃料タンクのカバーに換気用のパイプを追加する等の改修が実施された。

1943年7月からの生産車では、砲塔の左右側面に装備されていた発煙弾発射機と車体左側の前照灯が廃止され、8月からの生産車では砲塔左側面の連絡用ハッチの廃止、燃料給油口とエンジンの空気取り入れ口周囲への雨除け新設、車長用キューポラへの対空機関銃架装着リングの追加等が行われた。
8月生産車からは転輪のゴム縁をより強固に締め付けるため、それまで16本のボルトで固定されていた内外の転輪を24本のボルトで固定する方式に改めている。

また、主砲防盾の照準機用開口部の上にも雨除けが追加された。
採用時期は明らかではないが、1943年6月25日に行われた会議で砲塔内の発射ガスを速やかに車外に排出するため、発射ガスが噴出する部分にあたる空薬莢収容箱の下部にフレキシブル・パイプを装着し、これを直接ヴェンチレイターに導くという方式が採られることになった。
おそらく、7~8月の生産車から装備が始まったものと見られる。

パンター戦車の生産がA型に切り替わる1943年9月の生産車では、磁気吸着地雷防止策であるツィンメリット・コーティングの塗布が開始されたが9月以降におけるD型の生産数は少なく、さらにコーティング材料も充分用意されたわけではなかったため、コーティングを施されて完成したD型は非常に少なかった。
また履帯に防滑用のハの字型シェブロンのモールドが追加されるようになったのも、9月分生産車からである。


●部隊配備

最初に生産されたパンター戦車D型は、第51および第52戦車大隊に配属された。
両大隊は司令部予備の第10機甲旅団を編制し、機甲擲弾兵師団グロースドイッチュラントに配属されて、ロシア南西部のクールスク市周辺突出部の奪回を目指した1943年7月の「城塞作戦」(Unternehmen Zitadelle)に投入された。

クールスク戦では独ソ両軍合計6,000両以上に及ぶ史上最大の戦車戦が展開され、この戦いがパンター戦車の初陣となったが、期待の新型中戦車の初陣は残念ながら機械故障の続出で散々なものとなった。
城塞作戦に投入されたパンター戦車D型はエンジンに起因する故障が多発し、さらには燃料パイプから漏れた燃料が過熱しているエンジン等に触れて発火するといった事故が後を絶たなかったのである。

第10機甲旅団は第51、第52の各戦車大隊に96両ずつ合計192両のパンター戦車D型を装備していたが、作戦第1日目の終了後稼働できたパンター戦車はわずか40両に過ぎなかった。


<パンター戦車D初期型>

全長:    8.86m
車体長:   6.88m
全幅:    3.43m
全高:    2.95m
全備重量: 43.0t
乗員:    5名
エンジン:  マイバッハHL210P30 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 650hp/3,000rpm
最大速度: 55km/h
航続距離: 169km
武装:    70口径7.5cm戦車砲KwK42×1 (79発)
        7.92mm機関銃MG34×1 (2,500発)
装甲厚:   16~100mm


<パンター戦車D後期型>

全長:    8.86m
車体長:   6.88m
全幅:    3.43m
全高:    2.95m
全備重量: 43.0t
乗員:    5名
エンジン:  マイバッハHL230P30 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 700hp/3,000rpm
最大速度: 55km/h
航続距離: 169km
武装:    70口径7.5cm戦車砲KwK42×1 (79発)
        7.92mm機関銃MG34×2 (4,200発)
装甲厚:   16~100mm


兵器諸元(VK.30.02(DB)中戦車)
兵器諸元(パンター戦車D後期型)



<参考文献>

・「世界の戦車イラストレイテッド11 パンター戦車と派生型 1942~1945」 ヒラリー・ドイル/トム・イェンツ 共著
 大日本絵画
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著  大日本絵画
・「パンター戦車」 W.J.シュピールベルガー 著  大日本絵画
・「パンツァー1999年9月号 ドイツ・パンター戦車(1) その開発とバリエーション」 後藤仁 著  アルゴノート社
・「パンツァー1999年10月号 ドイツ・パンター戦車(2) パンターの構造」 後藤仁 著  アルゴノート社
・「パンツァー2005年3月号 パンター vs シャーマン・ファイアフライ」 白石光 著  アルゴノート社
・「パンツァー2014年2月号 誌上対決 パンター vs T-44戦車」 久米幸雄 著  アルゴノート社
・「ピクトリアル パンター/ティーガー」  アルゴノート社
・「ピクトリアル パンター戦車」  アルゴノート社
・「グランドパワー2012年8月号 ドイツ戦車の装甲と武装」 国本康文 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2016年11月号 パンター戦車D型」 寺田光男 著  ガリレオ出版
・「世界の戦車(1) 第1次~第2次世界大戦編」  ガリレオ出版
・「戦車ものしり大百科 ドイツ戦車発達史」 斎木伸生 著  光人社
・「世界の無名戦車」 斎木伸生 著  三修社
・「戦車名鑑 1939~45」  コーエー


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