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III号突撃砲G型





●III号突撃砲G型

III号突撃砲G型は、III号戦車シャシー流用による突撃砲の最終生産型である。
G型は基本的にはF8型と同じシャシーを流用し、上部車体を拡大して車長用キューポラが設けられたものであり、この変更により全高が2,160mmと高くなった。
従来型に設置されていた戦闘室側面の箱状バルジは無くなり、戦闘室全体の幅が拡張されて側面装甲板はわずかに傾斜を持つものとなった。

レイアウトの変更に伴い戦闘室の後面は垂直形状となり、同時に戦闘室天蓋後部は嵩上げされた。
天蓋の電気駆動式ヴェンチレイターは従来の位置から後方に移設されたが、駆動部本体は戦闘室内部の天井へ取り付けられており、円形の薄い装甲板のみが天蓋上面に出ているフラットな設計となった。
ヴェンチレイターの収納場所を確保するため戦闘室天蓋後部は嵩上げされていたが、それでも装填手の任務の妨げとなることから、1943年1月から天蓋のヴェンチレイターは戦闘室後部垂直装甲板の中央に移設された。

砲手上方と反対側の天蓋はやや傾斜した段差が無い平面となり、照準機の防御性が改善された。
戦闘室前面装甲は30度の傾斜角を持つ増加装甲板で強化され、操縦手席の左方に取り付けられたヴァイザーブロックは従来と同じ型のものが用いられた。
フェンダーは上部車体側面に固定され、この結果中間点で段差を持つこととなった。

1943年10月までは車長用キューポラは全周旋回式構造となっていたが、ボールベアリングの欠乏によりそれ以降のキューポラは固定式となって天蓋にボルト止めされていた。
しかし1944年9月上旬から再びボールベアリングが供給されるようになり、生産終了時までキューポラは旋回式となった。

短期間で少量生産であった従来のIII号突撃砲各型とは対照的に、G型は1945年4月までの長期に渡り大量に生産されたが、報告書として提出された実戦部隊の戦訓を逐一反映した結果、生産期間中に生産効率性、装甲防御、製造方法の改善など実に多くの変更が導入された。


●防御力の改善

1.ガンポート
  すでに1942年12月に操縦手席の左側面に設置されていた視察用スリットは廃止され、代わりにガンポートが
  設けられた。
  開口部は以前の視察用スリットより前方に設置されたため、戦闘室前面用の増加装甲の角度を大きくするこ
  とが可能となり、この部分の防御力が改善された。
  (1943年1月から採用)

2.機関銃防弾板
  1942年の12月生産分から従来は車内に携行していた7.92mm機関銃MG34用に、戦闘室天蓋の装填手用ハッ
  チのすぐ前方に機関銃防弾板が設置された。
  ヒンジ式構造の防弾板は不要時には天蓋と水平に折り畳むことが可能であり、射撃手の前方のみ防御するも
  ので地上目標射撃用と対空射撃用の2つの銃架を有していた。
  この機関銃防弾板は全ての旧型突撃砲にも追加設置されることとなっており、修理作業中に設置されるか現
  地部隊が自ら改造した。

3.照準機の防御
  III号突撃砲C型より、照準望遠眼鏡のヘッド部分は戦闘室天蓋の開口部から突き出していたが、1943年1月か
  ら照準機の防御が改善され、大型化された開口部は増加装甲によって防御されることとなった。
  ヒンジによって可動する装甲板はアームによって砲架と連結されており、主砲の仰角や方向射界を妨げること
  は無かった。

4.操縦手用ヴァイザーブロック
  基本的に、III号突撃砲の各型全てに操縦手用ヴァイザーブロック50型が設置されており、操縦手の直接視界
  が確保できるようになっていた。
  ブロックを閉鎖している場合操縦手はKFF(操縦手用望遠眼鏡)、すなわち間接視認用の2個の二重屈折反射
  型望遠眼鏡を使用することができ、操縦手用ヴァイザーブロック上方には戦闘室前面装甲板をボーリング加
  工した視認用貫通孔があった。

  1943年2月上旬から3月下旬にかけてKFFが廃止され、この代わりに操縦手用ヴァイザーブロックが80mm厚と
  なった。
  また50mm厚の前面装甲板にボルト止め方式の30mm厚増加装甲板を強化した以降は、操縦手用ヴァイザー
  ブロックはペリスコープに代替される計画であった。

  このため、最初は操縦手用ヴァイザーブロック50型の両側に2枚の増加装甲板が装着され、その中間に視認
  用貫通孔のための隙間が残してあったが、KFFの廃止以降の増加装甲板は隙間の無い一枚構造となった。
  最終型に移行する前の暫定措置として1943年4月から一枚構造の増加装甲板を加工し、操縦手用ヴァイザー
  ブロックの部分を切り取って使用した。
  このボルト止め方式の増加装甲板は、1945年4月の生産終了まで継続して用いられた。

5.側面シュルツェン
  側面シュルツェンの装着については、1943年2月6~7日にかけての総統会議において早くも議題として挙がっ
  ており、ヒトラーは突撃砲、III号戦車、IV号戦車用の対戦車銃用エプロン式シュルツェンの装着を全面的に承
  認している。
  1943年2月20日、装甲カバー(金網式および鋼板式)を用いた射撃試験が行われた。

  ソ連製14.5mm対戦車銃による射距離100m(傾斜角0度)の射撃試験では、金網式と鋼板式を問わず30mm厚
  の側面装甲板には小規模の亀裂や貫徹部が確認された。
  第2種発射薬による野砲による7.5cm榴弾の射撃では、金網式と鋼板式共に車体への損傷は見られず、金網
  と鋼板は貫徹されて引き千切られていたが再使用が可能であった。

  金網式と鋼板式は両方共に有効であり、前者の方が軽量ではあったが調達が困難であり、懸架方式も新たに
  開発する必要があって時間が掛かることから、最終的には鋼板式シュルツェンが採用された。
  なお、シュルツェンは成形炸薬弾に対する防御を目的としたものではないため、この種の兵器での射撃試験
  は行われなかった。

  1943年3月6日にヒトラーは、側面シュルツェンに対する射撃試験の良好な結果を聞いて大いに満足し、これか
  ら生産される全ての突撃砲、IV号戦車、およびパンター戦車にシュルツェンを装備する他、短期間の内に前線
  で稼働状態にあるものや、修理中のものを含めた全戦車車両についても装備するよう命令した。
  また、装備時期の設定は可能な限り早くすることが要求された。

  組み立て工場における、新しいIII号突撃砲へのシュルツェンの装備は1943年4月から開始され、同年5月には
  330セットのIII号突撃砲用シュルツェンが、前線部隊ですでに使用されている車両への追設のため東部戦線へ
  供給された。
  1943年6月上旬に最初の前線部隊が追加装備を受領し、それと共にIII号突撃砲は城塞作戦(Unternehmen
  Zitadelle)開始のために配備された。

  その後、前線部隊からはシュルツェンは対戦車銃の命中弾に対しては効果的ではあるが、支持架の強度が
  不充分であり、これによって簡単にシュルツェンが脱落、喪失してしまうことになるとのクレームが殺到した。
  このため1944年3月から新型支持架を採用し、突撃砲側に三角形または四角形の支持架用ホルダーを設け
  て、シュルツェンをより内側に懸架して固定する方法となった。

6.車体装甲
  すでにIII号突撃砲F型において、車体前面の50mm厚装甲板に30mm厚の増加装甲板を溶接する方策が採ら
  れており、製造時間短縮のためF8型の生産期間中は基本装甲に増加装甲板をボルト止めしていた。
  この方策はG型生産期間中も継続して採用され、1943年2月までに装甲板の製造会社が車体前面を80mm厚
  に変更する検討を行い、同年5月には車体前面が80mm厚装甲である最初のIII号突撃砲が製造されている。

  当然のことながらすでに生産された車体があることや、裁断中の装甲板は3つの製造会社で生産されているこ
  とから、採用した日付はそれぞれ違ったものとなった。
  例えばブラウンシュヴァイクのMIAG社(Mühlenbau und Industrie AG:製粉・機械製作所)においては、1943年
  10月までボルト止めによって50mm厚車体装甲に30mm厚増加装甲板を装着していた。

  III号突撃砲の生産性を高めるため、1943年1月から2社の新しい車体製造会社が参入した。
  これらの製造会社にはIII号戦車シャシー用に生産された部品ストックが残っていたため、ストックを使い切るま
  での1943年1~3月の期間中、一枚式の点検用ハッチ(ハッチ後部のヒンジ付きとヒンジ無しの2種)を有する
  III号突撃砲を生産し、その後通常の突撃砲用の観音開き式点検用ハッチを装備するIII号突撃砲を生産した。

  III号突撃砲の生産性を早急に高めるため、ベルリンのアルケット社(Altmärkische Kettenwerke:アルトメルキ
  シェ装軌車両製作所)の生産台数を引き上げるだけでなく、MIAG社に対してもIII号戦車からIII号突撃砲への
  全面生産転換が要請され、3番目の製造会社としてニュルンベルクのMAN社(Maschinenfabrik
  Augsburg-Nürnberg:アウクスブルク・ニュルンベルク機械製作所)にも、III号突撃砲用シャシー142両分の生産
  が割り当てられた。

  このためMAN社はこのシャシーをIII号戦車用製造コンベア上で生産し、III号突撃砲生産用としてアルケット社
  またはMIAG社へ供給した。
  このMAN社仕様シャシーはIII号戦車M型の特徴をそのまま受け継いでおり、通常のIII号突撃砲と相違する仕
  様であることは注目に値するものである。

  MAN社仕様シャシーはIII号戦車車体と同様な位置に、8/ZW(III号戦車J~N型)仕様の操縦手用ヴァイザー
  ブロックと点検用ハッチ、前部と後部がヒンジで折り畳み可能な8/ZW仕様のフェンダーを有しており、通常で
  はボルト止めとなっている30mm厚増加装甲板は溶接で装着されていた。
  同様にシャシー後面には、III号戦車M型の渡渉装置が装備されていた。

  1944年3月から戦場で損傷し、修理のため後送されてきたIII号戦車の8/ZWシャシーはIII号突撃砲に改修され
  ることとなり、その時に生産中の戦闘室を受領し装着したが、シャシーは改修されず旧来のまま利用された。
  またIII号戦車は基本的には50mm厚の装甲であることから、車体前面には30mm厚の増加装甲板がボルト止
  めされた。

7.ツィンメリット・コーティング
  磁気吸着式成形炸薬弾の装甲車両への吸着に対する方策。
  1943年6月30日付テレタイプ
  吸着に対する防御措置について
  件名:1943年6月5日と8日に実施されたクンマースドルフでの公開試験結果
  
  吸着および爆発による衝撃に対する防御措置の効果を確認するため、ツィンマー社製の防護塗布剤を用いた
  前線部隊による実験が行われる予定であり、当該部隊としては南方軍集団の第7機甲師団と中央軍集団の第
  4機甲師団が選ばれる。
  陸軍装備長官兼補充軍司令官は、必要な機材と第7および第4機甲師団へ派遣する指定された人物を提供す
  る。

  1943年7月2日、陸軍参謀本部付戦車担当参謀要約上申メモ
  吸着式成形炸薬弾の対策について
  I.1943年1月の陸軍兵器局の研究により明らかになった吸着式成形炸薬弾の対策は、以下の通りである。

   1. 乳状セメントまたは3号セメントを細かい粉状の砕石と混合し、3~5mmの一様の厚さで装甲に塗布する。

   2. その上に、ビチューメンまたはタールを粉砕したものを追加して上塗りする(特に高温になる部分には用い
     ないこと)。

   3. 仮の処置として粘液状の油性物質(ビチューメン、タール、油など)を塗布する場合も、第2項と同様に高温
     になる部分への使用は制限される。

   4. 粘液状のカラーペイント(厚さ2~3mm)もまた有効であると考えられるが、確実な方法とはいえない。

   5. 冬季の厳寒時に水を散布して装甲上を厚く氷結させることにより、磁気吸着部分の固定を困難にさせる。

   この対策は機甲兵総監より前線部隊へ、1943年2月9日付の文書で告知されたものである。
   唯一、実際に有効と思われる対策は第1項に挙げた方法であるが、ビチューメンなどの上塗りについては、
   延焼の危険性があるとの理由から拒否されている。

  II.防護対策の開発のため、1943年6月5日と8日にクンマースドルフにおいてさらなる公開試験が行われた。

  全装軌式装甲車両用の防護塗布
  磁気吸着式成形炸薬弾の吸着を防ぐため、III号戦車とIV号戦車のシャシーを流用した装甲車両、パンター戦
  車およびティーガー戦車、突撃砲、ヘッツァー駆逐戦車とホルニッセ対戦車自走砲、並びにII号戦車、38(t)戦
  車、III/IV号戦車に対してツィンメリット防護塗布剤を塗布することとする。
  運用は、次のような概要指針に沿って行われる。

  a.防護塗布はシャシーと上部車体における全ての傾斜および垂直装甲板に施し、側面シュルツェンに覆われ
    た部分についても適用する。

  b.防護塗布を施さない場所
    上部車体の側面シュルツェンと砲塔シュルツェン、砲塔、上部車体および砲塔上面、車長用キューポラ、車
    体底面、フェンダー水平部分、取り外し可能な工具および装備品、排気管マフラー、前照灯とノテックランプ
    などの他、装甲面に構造物として装着されている装置や着脱可能なもの(例:走行装置、付属品)などは除
    外される。
    
  防護塗布作業は以下のように施すこと。

  1. 塗布対象の装甲面をよく清掃し、下塗りを行って充分に乾燥させる。

  2. パテナイフにより最初のツィンメリットを薄く塗る。

  3. パテ盛りは、タイルを貼る要領で行う。
    すなわち、間隔を1、2cm程度空けて小さな正方形を作っていく。

  4. 約4時間放置して乾燥させる。

  5. ブロウランプにより表面を固化させる。
    この時、ブロウランプを塗布材へ近付け過ぎて燃え出すことが無いよう注意し(表面から約1、2cm程度距離
    を空ける)、軽くあぶって固化させる。

  6. 厚さ約4mmの正方形の塗膜を、パテナイフにより第2項と同じ要領で塗布する。

  7. パテナイフにより細い溝を作る。
    すなわちごく狭い間隔でナイフを押し付けていき、ギザギザに波打った塗布面を作る。

  8. 防護塗布面を一晩乾燥させる。

  9. 次の日、ブロウランプにて表面を第5項と同じ要領で固化させる。

  ツィンメリット塗布剤の必要量の目安は以下の通り。

  ・突撃砲用       約70kg
  ・IV号戦車用      約100kg
  ・パンター戦車用    約160kg
  ・ティーガー戦車用   約200kg

  ツィンメリット塗布剤を凝固させるには付属する溶剤を加える必要があり、水で薄めて使用することはできない
  。
  パテ盛り終了後は通常の戦車用カラーペイントで吹き付け塗装可能であり、特別な塗装の必要は無い。
  またツィンメリット塗布剤を保管する容器の蓋はしっかり密閉する必要があり、それを怠ると材料は固化して粉
  末状になってしまい使用不能となる。

  このため一旦口を開けた容器は、濡れ雑巾か袋で覆う工夫が必要である。
  なおツィンメリット塗布剤はケーニヒスボルン/マクデブルクの陸軍装甲車両局、または所轄の戦車用予備パ
  ーツ集積所で調達可能である。
  MIAG社はツィンメリット防護塗布の対策を1943年9月末より開始したが、上記の指令とは違って塗装は小さな
  正方形状に塗られていた。

  また理由は不明であるが(恐らく時間的問題によると思われる)、アルケット社のツィンメリット防護塗布は
  1943年11月末~12月初めにかけて遅れて開始されており、ここでも公式指令とは違って車両の表面はヴァッ
  フェルパターンとなっていた。
  その後1944年9月9日に、全ての装甲車両における対吸着式成形炸薬弾の防護塗布については廃止すべしと
  いう命令が発せられた。

8.車長用キューポラの鋼鉄製跳弾ブロック
  車長用キューポラの防御力改善のため、キューポラ前方の戦闘室天蓋に跳弾ブロックが溶接された。
  この措置は1943年10月にアルケット社で採用され、1944年2月からは全てのIII号突撃砲に施された。
  また、この措置が受けられない車両については大きな修理作業が生じた際に、コンクリート製のキューポラ用
  跳弾ブロックを追設する旨の命令が出されていた。

9.主砲防盾
  全てのIII号突撃砲の基本装甲が厚さ80mmに引き上げられた後は、厚さ45~50mmの溶接構造の主砲防盾が
  ウィークポイントとして残されていた。
  1943年11月から鋳造製防盾が採用され、前線部隊からは「ザウコプフ」(豚の頭)型防盾と呼称された。
  同様に42式10.5cm突撃榴弾砲にも採用が計画されたが生産技術的な問題で、戦争終了までに全ての車両に
  この防盾を装備することは不可能であった。

10.戦闘室装甲
  III号突撃砲の防御力向上のため、戦闘室右方前面装甲が1944年4月1日より厚さ80mmとなり、厚さ50mmの
  基本装甲に厚さ30mmの増加装甲を装備した最後の戦闘室は1944年6月に生産された。
  なお操縦手用ヴァイザーブロック50型を取り付ける関係で、戦闘室左方前面装甲の厚さは50mmのままであり
  戦争終了まで30mm厚の増加装甲で強化されていた。

11.主砲の改良
  7.5cm突撃加農砲StuK40においては、1943年5月より二重作動式砲口制退機が改良型に変更された。
  砲口制退機の円形バッフルプレートは、埃が舞い上がって射撃直後の照準が妨げられるのを軽減していたが  1944年3月にさらに新しい改善が一部に採用され、大型の円形フランジによって制動力が強化された。
  1944年7月27日に砲口制退機に関して7.5cm突撃加農砲StuK40への装備は継続するが、次のものについて
  は廃止することが決定された。

  ・7.5cm突撃加農砲StuK40n.A.
  ・10.5cm突撃榴弾砲StuH42
  ・7.5cm対戦車砲PaK39

  この変更は再考されることは無く、生産コストと原料節約のため以後の全ての車両開発に際しては、最初から
  砲口制退機装備は考慮外とされた。
  走行中の砲身振動防止のためのトラヴェリング・ロックは、車両前面の砲身ホルダーにより砲身仰角を6度に
  固定するもので、1944年7月から採用された。

  III号突撃砲により長い射程と大きな貫徹力を持たせるべく長砲身砲の搭載が検討されたが、1944年5月の報
  告によれば、従来の70口径7.5cm突撃加農砲の搭載は現状のIII号突撃砲においては不可能であった。
  当時III/IV号戦車シャシーに搭載された試作車が存在したが、付属装置も未装備のままでまだ試験段階にも
  至っていなかった。

12.発煙弾発射機
  1943年2~5月にかけて、III号突撃砲に2基の発煙弾発射機が戦闘室の左右側面に装備された。
  装置は独立した発射筒3本から成り、車内から操作可能であった。
  その後、敵の小火器の射撃によって発射筒が貫徹されて煙幕弾が発火してしまい、乗員の視界を奪うという
  事例が前線部隊から報告されたため、陸軍兵器局はこの種の兵器の生産中止を指令した。

  しかし発煙弾発射機は1943年3月から正式採用されたにも関わらず、部品供給が困難なために1944年9月ま
  でに生産された大部分のIII号突撃砲はこれを装備しておらず、戦闘室側面の取り付け用開口部は装甲板で
  閉塞されていた。

13.旋回式機関銃
  1943年12月16、17日の総統会議において最初の議題として、車内から操作可能な旋回式機関銃を装甲車両
  の天蓋上へ装備するという懸案が審議され、ヒトラーの全面的賛同を得た。
  この旋回式機関銃は速やかにかつ大量に前線部隊へ配備し、少なくとも生産が軌道に乗るまでの当面の間、
  機関銃を装備していない突撃砲と戦車駆逐車へ搭載されることとなった。

  1944年4月3日に、旋回式機関銃(ベルリン・マリーエンフェルデのダイムラー・ベンツ社製)27基を用いた前線
  での部隊実験結果が報告され、この兵器の有効性が確認された。
  機関銃架は砲塔または戦闘室天蓋に設置され、倍率3倍で8度の視野角を持つ砲手用ペリスコープレンズが
  銃から50cm下の位置にあり、車内で操作可能となるよう設計されていた。

  この旋回式機関銃の搭載に伴い、装填手用の前後開き式ハッチのヒンジ配置が変更され、より車両側面に近
  い位置で開閉することとなった。

14.近接防御兵器
  この兵器はすでに1943年末に戦車と駆逐戦車へ採用となっていたが、突撃砲に近接防御兵器が装備される
  ようになったのは1944年5月になってからであり、しかも物資欠乏のために同年9月までは、大部分の突撃砲
  生産においては装備されなかった。
  このため戦闘室の取り付け用開口部は、装甲板をボルト止めすることにより閉塞されていた。

15.同軸機関銃
  1943年から前線部隊は砲手用副武装として機関銃の設置を要望していたが、1944年3月になってようやく防盾
  貫通部を通して射撃可能な機関銃が採用となった。
  同軸機関銃は装着が容易で、近距離の目標制圧に際しては砲弾の節約になるとの期待があり、1944年6月か
  ら溶接タイプの防盾へ最初に採用され、同年10月からは鋳造タイプのザウコプフ防盾にも取り付けられた。

  また突撃砲および突撃榴弾砲用として、投射距離600mの照準探照灯43/1が開発生産され、100W電球へは
  12Vバッテリーから電源が供給され、光源強度はスライダック(可変抵抗器)によって調整可能であった。


●機動性の改善

  東部戦線における1941~42年にかけての最初の冬季戦で得られた戦訓は、1942年秋から冬季装備品の改
  善に反映され、突撃砲大隊においても次のような冬季装備品が増強された。

  ・オイル粘度計 1個
  ・冷却水用温水交換器(突撃砲用) 1基
  ・突撃砲用戦闘室暖房システム 1基
  ・突撃砲用冷却水加温装置(フックス型) 1基

  ・III号戦車用冬季型履帯 1セット
  ・III号およびIV号戦車用手動スターター用予熱器 1基(大隊毎)
  ・注入口粘度計 1個
  ・戦車用冷却水加温装置42型 3基

  ・温風送風機H.B50型 2基
  ・クランク軸直結型スターター用エンジン 1基
  ・冬季用履板(右側) 800個
  ・冬季用履板(左側) 800個

  ・III号およびIV号戦車用雪上滑り止めアタッチメント 2,000個
  ・温風送風機(小型) 2基
  ・III号戦車用除雪器 4基
  ・予熱装置(テカレミット社製) 1基

1.履帯
  春になり、陸軍車両局へその他の冬季用装備と共に返還されてきた冬季用履帯とは別に、もう1つのタイプが
  突撃砲部隊の常用装備として配備された。
  これは圧雪やアイスバーンのスリップ防止能力向上のため、1943年12月から採用された鋳造の標準履帯
  (Kgs61/400/120型)に斜線トレッドパターン(各履板につき6本)を追加したものであり、大部分の突撃砲は
  古くなってトレッドパターンが磨耗した履帯をこのタイプへ交換した。
  さらに1944年春には幅広履帯が採用され、泥濘地や冬季期間においては不可欠な装備であることが実証され
  た。

  陸軍技術規定書 No.256 1944年5月
  装甲戦闘車両用オストケッテについて:
  III号およびIV号戦車シャシー流用の装甲車両向けに、「オストケッテ」(Ostkette:東部用履帯)と命名された東
  部戦線部隊用の幅広履帯が交付される。
  このオストケッテは雪および軟弱な野外での装甲車両の沈下を軽減するもので、主に東部戦線で用いられ西
  部戦線、イタリアまたはバルカン戦線への移動の際には通常型履帯に交換する必要がある。
  オストケッテ使用にあたっては、以下の留意点に注意されたい。

  1. 装甲車両のシュルツェンは垂直に装着する必要があると同時に、最初と最後の装甲板は外側に曲げて履
    帯ボルトに接触しないようにすること。

  2. 切り通しや切り株などがある地形の場合は片側に偏って走行輪から履帯がはみ出し、履帯が車体から脱落
    することが無いよう慎重に運転すること。

  3. 貨物列車積載の場合、常にシュルツェンと支持架は必ず取り外しておかなければならない。
    オストケッテ装備の装甲車両の輸送適用全幅は

    ・III号戦車およびその派生型 3,266mm
    ・IV号戦車およびその派生型 3,206mm

    であり一方、最大許容全幅は3,270mmである。
    このためオストケッテ付き装甲車両は、貨物車中央に正確に積載することが要求される。
    この中央位置は、積荷デッキの両側からはみ出した履帯部分を考慮してチェックする必要がある。

2.走行装置
  生産性と資源節約の見地から簡略化方策が実施され、1943年より基本シャシーについて改善が加えられた。
  最初の変更点は、1943年11月からゴム縁付き上部支持輪が鋼製リムを持つものに代替され、回転抵抗と振
  動騒音が強まったが、これによる不具合についての報告は今もって確認されていない。
  ゴム縁付き上部支持輪の供給はしばらく継続したが、1944年9月には使い尽くされた。

  III号戦車担当SE分課は1944年8月16日付の命令書No.3/44により、クンマースドルフの陸軍兵器局実験セン
  ターに対して、III号戦車用転輪および上部支持輪におけるジャーナルベアリングの試験を指令した。
  その内容は転輪の場合、ローラーベアリングをボールベアリングやジャーナルベアリングで代用し、上部支持
  輪の場合はローラーベアリングをジャーナルベアリングへ変更するというものであった。

  ゴム原料の欠乏と従来型転輪や上部支持輪の激しい消耗は、1943年に改造型転輪を生み出すこととなった
  が、これはソ連軍のKV-1重戦車の転輪にそっくりな構造を持ち、ゴムの節約と車両走行機構の寿命延長が可
  能であった。
  この開発はデュイスブルクのドイツ製鋼所が担当し、構造は2枚の硬い鋼製リムの間に2個のゴム部品を挟み
  込み、鋼製リムリングで高圧圧着する方式であった。

  クンマースドルフでの研究では回転抵抗が10%程度大きくなるとのことであり、鋼製走行機構を持つIII号突撃
  砲1両が1944年末に実験を開始した。
  しかしながら、III号突撃砲の生産においてはこの転輪の変更は結局実施されなかった。
  III号戦車シャシーの走行機構におけるもう1つの問題点は、車体との接触により履帯ボルトが激しく磨耗すると
  いうものであり、1944年12月から前線部隊でも装着可能な履帯ボルト避けが取り付けられた。

3.最終減速機
  基本的に最終減速機は、全装軌式車両の動力伝達機構におけるウィークポイントの1つであり、厳しい地形に
  おけるギアチェンジや変速操作は部分的な過大荷重を招き、すぐに能力の限界を露呈する結果となった。
  このことは、III号戦車用に設計された最終減速機を突撃砲へ流用する際にも同様に問題となった。
  1944年8月の戦車部隊ニュースは減速装置を根本的に強化し、次のような変更を行うことが報じられている。

  III号戦車シャシー流用の突撃砲用に、従来の変換比率9:36に対して変換比率9:35の新型最終減速機が計画
  されており、近日中に配備される。

  ・旧型は平歯車36個、ピニオンギアの外径115.88mm
  ・新型は平歯車35個、ピニオンギアの外径118.00mm

4.整備修理用装備品
  1944年6月6日に、全てのIII号およびIV号戦車車体に取り付けられていた従来のC字型フックが、S字型フック
  に代用されることが決定し、同月10日には2個のC字型フックが1個のS字型フックに代用されることが追加決
  定された。
  1944年7月15日付陸軍技術規定書No.422は戦車、突撃砲、戦車駆逐車用の2t補助クレーンに関して次のよう
  に触れている。

  近日中にIII号、IV号戦車、パンター戦車とティーガー戦車、III号突撃砲とヘッツァー駆逐戦車用の2t補助クレー
  ンが部隊配備される。
  補助クレーンの固定は、車体に溶接されたピルツ(短筒形のねじ切り取付金具)を用いてなされるが、いわゆ
  る装甲戦闘車両には未装備のものであり、次に述べる設計要領により溶接する必要がある。

  配備される補助クレーン用の設計図とピルツは、予備部品のストックに応じて請求されなければならない。
  取り付ける個々の突撃砲用ピルツはそれぞれ意味あるものであり、I型ピルツ1個とII型ピルツ2個を設計図面
  745-12-C1に従って戦闘室天蓋に溶接すること。
  またII型ピルツの取り付けの際には、天蓋に対して上部平面が水平になるよう注意すること。

  溶接する際は装甲材料に適した溶接棒を使用し、溶け込み溶接を充分に行うこと。
  溶接線はピルツの円周に沿って幅広く盛り、底面にはグリスや雨水が排出できるようドレン抜き孔を開け、発
  錆防止のためネジ穴にはグリスを満たしておくこと。

  1944年10月から突撃砲の上部車体天蓋には5個のピルツが溶接され、各コーナーに1個ずつと中央に位置し
  ていた。
  この配置は2t補助クレーンを組み立てた時、大きな自由度が得られるように考慮されており、このクレーンに
  よって他の車両からの構造物移動作業や、自分自身の後部装甲板とエンジンの着脱作業が可能となった。

  修理車両は車体に装備されたC字またはS字フックによって固定され、基本的にはワイアロープによって牽引
  された。
  しかしながら、この状態で修理車両側で牽引やブレーキの制御を行うことは不可能であり、この対策として
  1944年12月から、水平ボルト付き牽引装置を車体後部中央に溶接し、ジョイントバーが使用されることとなっ
  た。

III号突撃砲G型は、途中からIII号戦車の生産を止めて全て突撃砲に切り替えるなどの処置が取られた関係で、これまでより爆発的に生産数が増大した。
1942年12月から生産が開始され、1945年4月までに7,720両もの多数が生産され、他に修理工場に送られたIII号戦車からも173両が改造された。

III号突撃砲G型は前線の突撃砲部隊の補充の他、次々と新編制される突撃砲部隊のために引っ張りだことなった。
その上、戦車不足に悩む戦車部隊にまで配属されることもあった。
戦車不足が深刻になった大戦末期のドイツ軍において、III号突撃砲は東西両戦線で重要な戦力として連合軍の攻勢に立ち向かったのである。


<III号突撃砲G型>

全長:    6.77m
車体長:   5.40m
全幅:    2.95m
全高:    1.85m
全備重量: 23.9t
乗員:    4名
エンジン:  マイバッハHL120TRM 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 300hp/3,000rpm
最大速度: 40km/h
航続距離: 155km
武装:    48口径7.5cm突撃加農砲StuK40×1 (54発)
        7.92mm機関銃MG34×1 (600発)
装甲厚:   11~80mm


<参考文献>

・「グランドパワー2014年7月号 III号突撃砲長砲身型(1) F型~G初期型」 寺田光男 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2014年9月号 III号突撃砲長砲身型(2) G中期型~最後期型」 寺田光男 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2014年10月号 現存するIII号突撃砲G型」 寺田光男 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2006年3月号 III号突撃砲図面集 F~G型」  ガリレオ出版
・「グランドパワー2006年2月号 III号突撃砲(2)」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2000年2月号 フィンランド陸軍のAFV 1941~1944」 後藤仁 著  デルタ出版
・「世界の軍用車輌(1) 装軌式自走砲:1917~1945」  デルタ出版
・「パンツァー2006年7月号 III号突撃砲部隊の歴史と編成」 坂本雅之 著  アルゴノート社
・「パンツァー2006年7月号 ドイツIII号突撃砲の発展」 久米幸雄 著  アルゴノート社
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著  大日本絵画
・「突撃砲」 W.J.シュピールベルガー 著  大日本絵画
・「異形戦車ものしり大百科 ビジュアル戦車発達史」 斎木伸生 著  光人社
・「戦車名鑑 1939~45」  コーエー


兵器諸元(III号突撃砲G初期型)
兵器諸元(III号突撃砲G後期型)


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