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38(t)対空戦車





1942年の北アフリカ、1943年の夏季攻勢失敗後の東部戦線と制空権を連合軍に奪取されるにつれ、装甲化された自走対空火器の要望が高まったため、1943年6月にIV号戦車の車台をベースとして65口径2cm対空機関砲FlaK38を4連装で搭載する対空戦車(後のIV号対空自走砲メーベルヴァーゲン)の開発がエッセンのクルップ社の手で開始され、同年10月にはヒトラーに試作車が展示された。

しかし、ヒトラーはこの車両を威力不足として武装を57口径3.7cm対空機関砲に換装することを命じると共に、この対空戦車が実戦化されるまでの繋ぎとして、38(t)戦車の車台をベースとした対空戦車を早急に開発することを命じた。
38(t)戦車の車台をベースとする対空戦車は、38(t)戦車の開発元であるチェコのBMM社(Böhmisch-Mährische Maschinenfabrik:ボヘミア・モラヴィア機械製作所)で開発が開始された。

本車のベース車台には、46口径7.5cm対戦車砲PaK40/3を搭載するマルダーIII対戦車自走砲M型に用いられたミッド・エンジンの38(t)戦車M型車台が流用されたが、本車の場合は「L型車台」と呼称された。
戦闘室はマルダーIII対戦車自走砲M型と同様に車体後部にオープントップ式に構築され、上部から見ると8角形になっていた。

装甲厚は車体が前面10~20mm、側面10~15mm、後面10mm、上面8mm、下面10mm、戦闘室は全て10mmであった。
車体および戦闘室の装甲板は基本的にリベットで止められていたが、戦闘室上部の装甲板はヒンジにより外側に展開できるようになっていた。

このため、この部分を展開して対空砲で地上目標を射撃することも可能であった。
なお戦闘時に砲に俯角を掛け過ぎて自車を撃ってしまわないように、機関室の上面にはコの字形フレームが2個並んで取り付けられていた。
武装は、牽引型の2cm対空機関砲FlaK38がそのまま円形砲架ごと8角形の台座にボルトで固定された。

この台座は前後に十字型のフレームがあり、これは戦闘室内のほぼ中央にフェンダーの高さで固定されていた。
十字フレームと台座との角は弾薬ケースの設置場所になっており、この他戦闘室の左右にも弾薬ケースを2個ずつ置くラックがあった。
また、戦闘室前面装甲板の後ろには予備砲身のケースが装備されていた。

乗員は車長兼砲手、装填手、無線手、操縦手の計4名で、無線機はFu.5が搭載された。
規定の携行弾数はBr.Sp.Gr.(高性能榴弾)が720発、Pz.Gr.(徹甲弾)が320発の計1,040発であった。
2cm対空機関砲FlaK38は全周旋回が可能で、これは戦闘室上部装甲板を展開しなくても可能であった。
また、砲の俯仰角は-10~+90度であった。

砲の最大射程は水平で4,800m、垂直で3,670mであったが、実質的にはこの半分以下の距離で目標を捕捉した。
本車は「2cm対空機関砲FlaK38搭載38(t)戦車L型」(特殊車両番号:Sd.Kfz.140)として制式化され、1943年11月から生産が開始された。
生産は1944年2月まで続けられ1943年11月に50両、12月に37両(51両説有り)、1944年1月に41両(27両説有り)、2月に13両の合計141両が完成している。

クルップ社が開発を行っていたIV号戦車ベースの対空戦車が「メーベルヴァーゲン」の名称で1944年2月から生産が開始されたため、38(t)対空戦車の最後の発注分はキャンセルされ、完成した車台は11.4口径15cm重歩兵砲sIG33/1を搭載するグリレ自走重歩兵砲K型に転用された。
1944年2月1日の指令書に基づき、2月10日から4月12日までに以下の師団に38(t)対空戦車を12両ずつ装備する対空部隊が創設された。

それは第2機甲師団、教導機甲師団、第21機甲師団、第90機甲擲弾兵師団、第26機甲師団、SS第9機甲師団、SS第10機甲師団、第29機甲擲弾兵師団、機甲師団ヘルマン・ゲーリング、SS第12機甲師団である。
これらの内元々SS第9および第10機甲師団向けに発送された車両は、1944年5月にSS第1および第2機甲師団へと移されている。

そして、最後の38(t)対空戦車部隊が1944年6月19日にSS第17機甲擲弾兵師団に作られた。
1944年9月8日、8両の38(t)対空戦車がSS第10機甲師団に向けて鉄道輸送されたが、9月18日にこれはSS第17機甲擲弾兵師団の手に渡ったことが記録されている。
38(t)対空戦車の配属先は、ほとんどが西部戦線の部隊であった。

この内84両が1944年6月のノルマンディー戦に投入され、8月末までにほぼ失われている。
ただし第2機甲師団に2両、SS第17機甲師団に6両が生き残り、同年12月に残存していたことが明らかとなっている。
またイタリア戦線には48両の38(t)対空戦車が投入され、1945年3月15日においてもなお21両が部隊に保有されていた。


<38(t)対空戦車>

全長:    4.61m
全幅:    2.15m
全高:    2.25m
全備重量: 9.7t
乗員:    4名
エンジン:  プラガAC 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 150hp/2,600rpm
最大速度: 48km/h
航続距離: 200km
武装:    65口径2cm対空機関砲FlaK38×1 (1,040発)
装甲厚:   8~20mm


<参考文献>

・「パンツァー2009年3月号 ドイツ対空戦車の系譜(軽戦車編)」 久米幸雄 著  アルゴノート社
・「ピクトリアル 第2次大戦ドイツ自走砲」  アルゴノート社
・「ピクトリアル ドイツ軍自走砲」  アルゴノート社
・「グランドパワー2010年11月号 ドイツ装軌式対空車輌」 後藤仁 著  ガリレオ出版
・「グランドパワー2006年4月号 ドイツ2cm高射機関砲Flak38」  ガリレオ出版
・「グランドパワー1999年10月号 ドイツ対空戦車」 佐藤光一 著  デルタ出版
・「世界の軍用車輌(1) 装軌式自走砲:1917~1945」  デルタ出版
・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著  大日本絵画
・「異形戦車ものしり大百科 ビジュアル戦車発達史」 斎木伸生 著  光人社
・「戦車メカニズム図鑑」 上田信 著  グランプリ出版
・「図解・ドイツ装甲師団」 高貫布士 著  並木書房


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