+概要
I号戦車B型の車体をベースに製作されたI号4.7cm対戦車自走砲が、応急的に作られた兵器としては高い評価を受けたことを踏まえてドイツ陸軍兵器局は、フランスの降伏により入手したルノーR35軽戦車(鹵獲兵器呼称:35R
731(f)戦車)の車体をベースとし、同様の対戦車自走砲を開発することを決め、1940年12月にベルリンのアルケット社(Altmärkische
Kettenwerke:アルトメルキシェ装軌車両製作所)に対し開発要求を出した。
これを受けて同社は早速作業に着手し、翌41年2月には試作車が完成した。
35R(f)対戦車自走砲のベースとなったR35軽戦車は、フランス陸軍の新しい構想に従って1930年代に開発、実戦化されたもので、第2次世界大戦勃発時においてフランス陸軍が最も多く保有していた戦車でもあった。
主砲はI号対戦車自走砲と同じく、チェコ・プルゼニのシュコダ製作所製の43.4口径47mm対戦車砲KPUVvz36(ドイツ軍呼称:4.7cm PaK(t))が用いられ、I号対戦車自走砲とは反対に砲がシュコダ社より送られて、アルケット社において車体の改造作業が行われた。
兵器局は当初35R(f)対戦車自走砲を130両発注したが、1941年7月に70両が追加発注されており、この追加分を含んで1941年10月までに200両のR35軽戦車の改造作業を終えた。
基本的な改造要領はI号対戦車自走砲の場合と同様であり、まずR35軽戦車の砲塔を取り外し、車体上面をオープントップとした上で4.7cm対戦車砲を載せたが、本車の場合は車体上面を強化して簡単な架台を設けただけで砲を搭載していた。
I号対戦車自走砲と同様に砲の周囲を装甲板で囲んで戦闘室としていたが、I号対戦車自走砲の戦闘室が砲架部分だけを小さな装甲板で覆う簡単なものだったのに対し、35R(f)対戦車自走砲の戦闘室は砲の操作員を完全に防護できるように大型化されており、本格的な改造が行われたことが分かる。
戦闘室の装甲厚も、I号対戦車自走砲の14.5mmから20mmに強化されていた。
この戦闘室は機関室の上部まで延長されており、この部分は弾薬庫として利用していた。
戦闘室の左右側面中央部の装甲板は乗降のため開閉式となっていたが、防御の面では有利とはいえないものの、元々小口径弾に対する耐弾性しか求められていなかったので特に問題とはならなかった。
前述のように200両のR35軽戦車が35R(f)対戦車自走砲の車台に改造されたものの、実際に砲を装備して完成した車両は174両で、残る26両は全く同じ改造を受けながらも主砲は搭載されず、オベルンドルフ・アム・ネッカーのマウザー製作所製の7.92mm空冷機関銃MG34を1挺装備しただけで完成した。
この理由は明らかにされていないがおそらく、改造は行ったものの4.7cm対戦車砲のストックが無くなったので、専用の弾薬運搬車として用いられたものと考えるのが妥当であろう。
完成した35R(f)対戦車自走砲は主にフランスに展開していた対戦車部隊に配備されたが、これは本車が実戦化された1942年の時点では、4.7cm対戦車砲では東部戦線の強力なソ連軍戦車を撃破することが難しかったからに過ぎない。
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