II号戦車J型 |
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+開発
ドイツ陸軍兵器局は高速な新型偵察戦車としてII号戦車G型(VK.9.01)を開発したのに引き続いて、これとは対照的な重装甲の偵察用II号戦車を開発することを計画した。 兵器局第6検査部は想定重量16tの新型II号戦車「VK.16.01」の開発を承認し、第6兵器試験部はシャシーの設計をニュルンベルクのMAN社(Maschinenfabrik Augsburg-Nürnberg:アウクスブルク・ニュルンベルク機械製作所)、砲塔の設計をベルリン・マリーエンフェルデのダイムラー・ベンツ社にそれぞれ発注した。 VK.16.01は、ちょうど同時期に要塞攻略用車両としてミュンヘンのクラウス・マッファイ社が開発していたVK.18.01(後のI号戦車F型)と要求された仕様が似通っていたので、使用部品の共通化と開発分担化が第6兵器試験部によって指示された。 そして1939年11月15日の会議により、クラウス・マッファイ社とMAN社の代表はお互いの開発分担を取り決め、両社はまず各4両ずつの試作シャシーを製造することにした。 MAN社は起動輪と最終減速機、ブレーキを含む差動式操向機の開発と部品供給を担当した。 一方、転輪とスウィングアーム、履帯張度調節装置を兼ねる誘導輪はクラウス・マッファイ社が設計/製造を担当することになった。 またクラウス・マッファイ社は、VK.16.01とVK.18.01に必要な装甲鋳造部品の提供を担当した。 車両全体の基本装甲厚は50mmとされ、前面装甲板のみは80mm厚とされた。 乗員は操縦手と無線手、それに砲手兼任の車長の3名で、砲塔にはオベルンドルフ・アム・ネッカーのマウザー製作所製の65口径2cm対空機関砲FlaK38を車載用とした55口径2cm機関砲KwK38と、同社製の7.92mm機関銃MG34を同軸に装備するものとされた。 このVK.16.01は当初「新型II号戦車強化型」という呼称で開発されたが、1941年の段階で「II号戦車J型」という型式呼称が付加されている。 ドイツ軍の公式文書ではその後も本車の呼称は統一されず、どちらかの呼称で記載されていた。 |
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+生産
兵器局第6検査部は1939年12月22日にVK.16.01の先行生産型0ゼーリエを30両発注し、これは1940年12月~1941年3月にかけて納入するものとされた。 そして1940年末にはさらに100両の追加発注を行う予定で、これは生産型1ゼーリエとして後に生産契約が実際に行われた。 そして、1940年7~8月にかけて完成予定の3両の0ゼーリエ車両が成功すれば、合計で700両となるVK.16.01の大量発注を行う計画であった。 しかし1941年6月に独ソ戦が開始され、T-34中戦車やKV-1重戦車などの強力なソ連軍戦車と遭遇したことにより、生産すべき車両の優先順位が変わり、VK.16.01の生産は見直されて後回しにされてしまった。 なお当初、VK.16.01を火焔放射戦車としたものを1942年4月1日までに150両生産して戦車部隊に配備させる予定であったが、この予定はVK.16.01ではなくII号火焔放射戦車D型への追加生産分としての発注に変更されている。 VK.16.01の0ゼーリエ30両の生産のために、装甲部品の製造契約がドルトムント・ヘルダー精錬所と交わされた。 組み立て生産はシャシーをMAN社が、砲塔をダイムラー・ベンツ社が行う契約とされ、完成した砲塔をMAN社に搬送して最終組み立てを行うようになっていた。 VK.16.01に採用されたエンジンは、VK.18.01と共通としたフリードリヒスハーフェンのマイバッハ発動機製作所製のHL45Pガソリン・エンジンで、これはVK.9.01やVK.13.01の未完成分の製造契約から転用されたが、不足分は追加発注された。 そして変速機は、ZF社(Zahnradfabrik Friedrichshafen:フリードリヒスハーフェン歯車製作所)がSSG47変速機を製造する契約を得た。 この他、履帯はリッシャー社、照準機はヴェッツラーのエルンスト・ライツ社に発注された。 1941年8月18日のMAN社による報告書によると、VK.16.01試作シャシーは4両中3両を軍に納入し、VK.16.01の0ゼーリエは7月末までに3両、さらに8月には5両が完成予定であるとしている。 ただし、この時点でダイムラー・ベンツ社から完成した砲塔の納入は1基も行われていなかった。 ダイムラー・ベンツ社による砲塔の組み立て状況についての詳細な記録は残っていないが、VK.16.01は少なくとも1941年中に8両の0ゼーリエが完成しているので、その分の砲塔はMAN社に納入されたものと考えられる。 独ソ戦開始後の戦況の変化により戦闘力の高い主力戦車の製造が優先され、VK.16.01のような偵察戦車は生産計画の破棄が画策された。 しかし、すでに装甲部品をはじめエンジンや変速・操向機などの機器の製造作業がかなり進行していたため、VK.16.01の0ゼーリエ30両分はキャンセルするタイミングを過ぎており、そのまま納入させることにされた。 ただし、生産型1ゼーリエ100両の追加生産契約は少なくとも1942年7月1日までに取り消し扱いとされている。 1941年以降にVK.16.01の0ゼーリエが完成したのは1942年4月からで、これ以後月に数両ずつ細々と生産され、年末までに全30両が完成した。
VK.16.01 0ゼーリエの月次生産数は、上表の通りである。 なお1944年にVK.16.01の内の1両が、砲塔を撤去して代わりにジブクレーンを取り付けた簡易戦車回収車に改造されているが、この車両についての詳細は不明である。 |
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+車体の構造
VK.16.01の構造については製造記録やマニュアルが失われており、断片的な情報しかない。 開発段階での仕様では、車体に使用する基本装甲の50mm厚装甲板と前面に使用する80mm厚装甲板には表面硬化型が指定されており、おそらく0ゼーリエの生産にはその仕様が適用されていたと推測される。 VK.16.01の車体の構造や形状はVK.18.01と統一した構想で設計されたと思われ、両者は非常に良く似た外観となっている。 このため、通常の戦車ではシャシーと上部車体をボルト結合していたが、VK.16.01ではこれを一体とした溶接構造としていた。 特に側面は、上下で分割されていない垂直な1枚装甲板でできていた。 シャシーの前面上部装甲板はVK.18.01の場合60mm厚装甲板になっていたので、VK.16.01でも同じ厚さの装甲板であった可能性がある。 この位置には、ハッチや通気口は存在しない。 シャシー前面には牽引具は設けられておらず、代わりに50mm厚の側面装甲板を前方に突出させて牽引用アイプレートとしており、この構造はシャシー後部にも採用されていた。 車体後面は下部よりも上部が後方に突出しており、そのギャップ部分がエンジン冷却空気の排出口になっていた。 その開口部の下側には、排出空気が地面の砂塵を巻き上げないように後方へ偏向させる整流板が取り付けられていた。 そして、その直下には円筒形のエンジン用排気マフラーが横向きに装備されており、その排気口が左側に取り付けられていた。 戦闘室の前面装甲板は、左右が50mmほど側面に飛び出して取り付けられていた。 そして前面には左側に操縦手用、右側に無線手用の装甲視察ヴァイザーが装備されていた。 どちらもVK.18.01に装備されていたものと同型の80mm厚装甲板に対応した、ヴァイザーが上下にスライドするタイプであった。 さらに左側のヴァイザーの上には、操縦手のために装備されたK.F.F.2ペリスコープ用の段付き穴が2つ開いていた。 無線手側にはK.F.F.2ペリスコープの装備は無かったが、視察ヴァイザーの上におそらく欺瞞用のダミーの窪み穴が2つ加工されていた。 また操縦手の左側と無線手の右側には、視察ブロックが側面装甲板に装備されていた。 この視察ブロックは円盤形で、内側に防護ガラスを備えた横長の視察口があり、外側から6本の尖頭ボルトで固定されていた。 戦闘室前面装甲板を左右に飛び出させたのは、この視察ブロックの側面を防御するためであったと思われる。 この他、車体の左右側面にはVK.18.01と同様な円形の脱出用ハッチがそれぞれ設けられていた。 その位置は左右で異なっており右側は戦闘室中央部付近で、左側はそれよりも後ろ寄りにあった。 このハッチは車体より出っ張っており、おそらく開閉構造はVK.18.01のものと同一で、開閉アームによって外側に押し出すように前方にスライドさせて開けるものであったと思われる。 ただし、ハッチ前方の開閉アーム固定用尖頭ボルトはVK.18.01が3本であるのに対し、VK.16.01では2本になっているという違いが見受けられる。 またVK.18.01では、ハッチの上部や後方に取っ手やケーブルホルダーが取り付けられていたが、VK.16.01ではそのような装備は無く、至ってシンプルに仕上げられていた。 VK.16.01の戦闘室はシャシーと連続していたのでその上面は幅が狭く、砲塔リング以外の装備はほとんど無い。 このため、VK.9.01にはあった操縦手と無線手の乗降用ハッチも存在しない。 ただし、上面前端部には車体と砲塔との隙間を防御するために、台形断面の跳弾ブロックが横幅一杯に取り付けられていた。 また、この跳弾ブロックの中央部直前にブレーキ熱排出用と思われる四角い通気口があり、これらの点はVK.18.01と類似している。 機関室上面もVK.18.01と似ており、前方部には横幅一杯にエンジン点検用ハッチが設けられていた。 ただしこのハッチは左右に3列配置で、後方に取り付けられた大型ヒンジ1個により、それぞれが独立して開閉できるようになっていた。 ハッチは後ろ半分が冷却用空気の取り入れ口になっており、機関室上面から突出していたが、VK.18.01のように車体側面装甲板は、この突出した部分をカバーするように立ち上げられてはいなかった。 ハッチの冷却用空気取り入れ口は上面に開口しており、それぞれ仕切り板で前後3区画に分割され、上部には異物混入防止用の金属メッシュが張られていた。 ハッチ後ろ側の機関室上面は、点検や修理のために装甲パネルがボルト止めされており、その前方部には前方ハッチのヒンジを防御するために跳弾ブロックが横幅一杯に取り付けられていた。 また、パネルの右側には無線機用のアンテナ基部が装備されていた。 アンテナの取り付け部はゴム製のアンテナ基部1型と呼ばれるタイプで、この部分はすでにドイツ軍戦車の後期仕様になっていた。 ただし搭載していた無線機については不明で、Fu.2もしくはFu.5が候補としては有力だと思われる。 VK.16.01の車内機器や装備品の配置は今のところ明らかになっていないが、おそらくVK.18.01に準じたものであったと思われる。 少なくともエンジン、変速機、操向機、ブレーキ、最終減速機などのドライブトレインはVK.18.01と共通であった。 VK.16.01に搭載されたエンジンはマイバッハ社製のHL45P 直列6気筒液冷ガソリン・エンジン(150hp/3,800rpm)で、変速機はZF社製のSSG47変速機が採用された。 この変速機は前進6段/後進1段で、クラッチ付きの同期式変速機であった。 設計上の最大走行速度は31km/hに設定されていたが、実用的な巡航速度は23km/h程度であった。 変速機に接続される操向機は、MAN社設計によるシンプルなクラッチ・ブレーキ式であった。 最終減速機はVK.18.01と同様に、減速比を高と低の2段に選択できたはずである。 燃料タンクの容量は明らかになっていないが、第6兵器試験部はツォッセンのクンマースドルフ車両試験場での走行試験の結果、VK.16.01の航続距離を路上で175km、路外で100kmと記録している。 VK.16.01のOVM(車外装備品)のほとんどは、フェンダー上に取り付けられていた。 右側前部フェンダーでは、前方フェンダーステイの中央部後ろに前照灯が取り付けられていた。 前照灯の配線は真横に伸びて、シャシー前方上面装甲板に設けられた円錐台形型の引き込み部に接続されていた。 前照灯の後方にはワイアーカッターがあり、その内側には消火器が取り付けられていた。 右側後部フェンダーでは前方ステイの前にS字型フックがあり、ステイの後ろ側には外側にクランクシャフト、中央にバール、そして内側にジャッキが装備されていた。 そして泥除けのステイ後ろ側に、円形尾灯が取り付けられていた。 左側の前部フェンダーでは前照灯の装備は右側と同じであったが、そのすぐ後ろの斜め内側にノーテク社製の管制灯が取り付けられていた。 そして、後方ステイの前にジャッキ台が装備されていた。 左側後部フェンダーでは外側から斧、シャベル、長方形の工具箱があった。 そして後部泥除けのステイの後ろ側に、角型間隔表示灯が取り付けられていた。 フェンダー以外では、車体後面に幾つかのOVMの装備が認められる。 機関室の後面には中央に装甲カバー付きの5連式発煙弾発射機が装備されており、その左右に2リンク分の予備履帯を取り付けるホルダーがあった。 また、この発煙弾発射機と予備履帯を囲むように牽引ケーブル2本を巻き付けて携行させるブラケットが、後面装甲板の四隅に取り付けられていた。 この他、部隊によっては予備砲身用と思われる細長い金属箱を機関室上面後部に取り付けていた。 |
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+走行装置の構造
VK.16.01の起動輪はVK.18.01の起動輪と共にMAN社が設計したもので、6本スポーク型であった。 VK.18.01の試作車Vゼーリエでは当初歯の数が13枚で、履帯もそれに適合した幅500mm、ピッチ160mmのKgs.61/500/160履帯であったが、先行生産型0ゼーリエからは、16枚歯起動輪と130mmピッチのKgs.61/500/130履帯に変更されたという経緯があった。 VK.16.01でも当初は13枚歯起動輪とKgs.61/500/160履帯の組み合わせであったが、実戦配備された車両では16枚歯起動輪とKgs.61/500/130履帯の組み合わせに変更になっている。 履板のリンク数はKgs.61/500/160履帯の場合53枚で、Kgs.61/500/130履帯の場合は65枚であった。 なお履帯の接地長は1,800mmで、履帯間距離は2,330mmであったというデータがあるが、これはKgs.61/500/130履帯の場合ではないかと思われる。 また別のデータでは接地圧が0.72kg/cm2であったとするものがあるが、これがどちらの履帯でのデータかは判然としない。 起動輪とトーションバー(捩り棒)以外の走行装置はほとんどクラウス・マッファイ社が設計したので、VK.18.01と同一仕様であった。 このため転輪はソリッドゴムタイヤ付きの直径650mmで、2枚1組とした片側5組のオーバーラップ式複合配置型であった。 第1、第3、第5転輪のホイールは6本スポーク型になっており、第2、第4転輪はそれを外側から挟み込むように取り付けられた波状ディスク型になっていた。 それぞれの転輪はクランク型のスウィングアームに取り付けられ、車体内部に取り付けられたトーションバー式サスペンションに接続されていた。 そして第1、第5転輪には車体側面に油圧式のショック・アブソーバーが装備されていた。 履帯張度調節装置を兼ねた誘導輪は8本スポークの鋼製リム型で、これを取り付けるスウィングアームにはトーションバーが接続されていた。 なお履帯張度調節装置の調整ボルトは、車体後面の左右に露出していた。 VK.16.01のフェンダーはVK.18.01と同じく、車体側面の円形ハッチ部分で一旦途切れるという特徴があった。 ただし、VK.18.01と違って円形ハッチの位置が左右で異なる関係で、フェンダーの長さも左右で異なっていた。 前部フェンダーは後ろ側の長さが右側が短く、左側が長かった。 逆に後部フェンダーは右側は前方が長く、左側は短くなっていた。 どちらのフェンダーも、前後に走る4本のプレスラインが補強として入っていた。 前部フェンダーの前端部は若干カーブしており、その先にカーブを延長する形で泥除けが取り付けられていた。 この前部泥除けは、3個のクリップにより脱着できるようになっていた。 前部泥除けには外側に1本だけプレスラインがあり、内側は前部アイプレートと被るために削がれた形状になっていた。 一方、後部フェンダーの前端部は車体側を底辺とした三角形状の拡張部があり、その前側は少し直角に折り曲げて補強されていた。 後部フェンダーの後方部は急角度に傾斜して、固定の泥除けにされていた。 フェンダーステイは各フェンダーに2個ずつあり、前部フェンダーの前部ステイはシャシー前方上面装甲板と接続するものであったが、それ以外のステイはシャシー側面装甲板に取り付けるようになっていた。 側面装甲板用ステイは前部フェンダーでは後端部にあり、右側の位置は無線手の円形視察ブロックに掛かっていたので、視察ブロック固定用のボルトに共締めして取り付けていた。 このため、この位置のフェンダーステイだけ特別な形状になっていた。 他の側面装甲板用ステイは肉抜き穴が1つある三角形状のもので、後部フェンダーでは前方部と傾斜した泥除け部の途中にあった。 |
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+砲塔の構造
VK.16.01の砲塔は、VK.9.01の図面を基に設計されていた。 このため、後面が楔状断面になった独特な形状も引き継がれている。 装甲厚はVK.9.01が前面30mm、側/後面14.5mm、上面10mmであったのに対し、VK.16.01では前面80mm、側/後面50mm、上面20mmに変更されていたが、内部寸法は同じとしていた。 ただし戦闘室上面にハッチの無いVK.16.01では、VK.9.01の砲塔側面前方下部にあった三角形の削ぎ落しが不必要であったので、それを省略した分だけ内部容積が広くなっていた。 砲塔の周囲には視察ヴァイザーの類は無く、吊り上げ用フックが左右側面の前方上部と後面中央上部の3カ所に取り付けられていただけであった。 砲塔上面には、後部の中央よりやや右側にVK.9.01と同じ車長用キューポラが取り付けられていた。 80mm厚の主砲防盾は鋳造製で、防盾の側面保持部は増厚したことにより側面装甲板の位置まで拡大されていた。 砲塔の武装もVK.9.01に準じており、防盾左側に2cm機関砲KwK38を1門、右側に7.92mm機関銃MG34を1挺装備していた。 この間に双眼式のT.Z.F.4照準機があり、防盾にはそのための2つの穴が開けられていた。 なお、2cm機関砲KwK38の通常の砲身長は1,100mm(55口径)であったが、VK.16.01の一部の車両は原型となった2cm対空機関砲FlaK38と同じ、砲身長1,300mm(65口径)の長砲身型KwK38を搭載していた。 VK.16.01の弾薬搭載数は不明で戦闘室が狭い分、VK.9.01よりも少なかった可能性が考えられる。 ちなみにVK.9.01の弾薬搭載数は2cm機関砲弾が200発、7.92mm機関銃弾が2,100発となっていた。 |
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+部隊配備
●第66特別編制戦車大隊第1中隊 1942年4月28日に新編された第66特別編制戦車中隊は、2個中隊に拡張されて5月30日に第66特別編制戦車大隊に改編された。 この部隊はマルタ島侵攻作戦(ハークレス作戦)のためにイタリアへ送られる予定であったが、1942年7月25日に第1中隊は東部戦線北部戦区のレニングラード近郊で戦う第12機甲師団と合流するために出発した。 この第66特別編制戦車大隊第1中隊はII号戦車J型7両、I号戦車F型7両、IV号戦車G型14両を保有していた。 そして同中隊は1942年8月にレニングラード戦区に到着し、9月1日に正式に第12機甲師団第29戦車連隊の隷下に入った。 その後、第66特別編制戦車大隊第1中隊は第29戦車連隊第II大隊第8中隊に改称された。 7両あったII号戦車J型は戦闘で損傷し、2両は本国に送り返された。 残りの5両も損傷しており、1942年10月3日~12月8日まで稼働状態にあったのは1両のみで、その後は稼働車が0となった。 1942年12月27日までに補充車両として、10両の新しいII号戦車J型が第12機甲師団に輸送された。 これらは1943年1月23日までに到着し、第29戦車連隊での保有数は15両となった。 しかし古い3両は直後にドイツに返送されたので、12両のII号戦車J型が運用可能であった。 これらの車両は徐々に消耗して5月には半数の6両となり、もはや第8中隊のみに配備するのではなく、第II大隊に分散して配備されていた。 すなわち第II大隊本部に2両と第4、第5、第6、第8の各中隊に1両ずつが割り当てられていた。 その後、1943年7月1日にはこれら6両のII号戦車J型を戦列から除外することが決定され、7月10日にクルプカの第559戦車修理大隊に送り出されたので、第29戦車連隊でのII号戦車J型の保有数は0となった。 ●第13強化警察戦車中隊 1943年1月6日に新編された第13強化警察戦車中隊は、SS第14警察連隊に配属された。 同中隊は7月にクロアチアに移動するまで、南フランスで行動していた。 この部隊には1943年2月の段階で第1、第2小隊に8輪装甲車(ADGZ)が3両ずつ、第3小隊にII号戦車J型が6両、第4小隊にIV号戦車F型が4両配備されていた。 ●第221戦車中隊 第221戦車中隊は当初鹵獲したソ連軍軽戦車で編制されていたが、その後1943年春までにIII号戦車15両もしくは16両に装備が変更された。 そして1943年8月5日に再装備命令が出され、ソ連軍から鹵獲したT-34中戦車5両とII号戦車17両で編制されることになった。 しかし、同中隊が受領したII号戦車は12両でしかなかった。 しかも実際には6両がII号戦車J型で、残りの6両はI号戦車F型であった。 その後、編制機材はII号戦車ではなくIII号戦車17両とされたが、1944年2月29日の段階で同中隊はまだII号戦車J型5両とI号戦車F型5両を保有していた。 第221戦車中隊は1941年末~1942年初頭に編制され、陸軍直轄として中央軍集団の下にいた。 1943年7月5日に発動された「城塞作戦」(Unternehmen Zitadelle)の直前では、警備任務やパルチザンとの戦闘に従事していたが、1943年6月1日に編制されたばかりの中央騎兵旅団に転属となった。 その後1944年1月18日の命令により、同中隊は再び中央軍集団の直轄となった。 そして1944年2月15日の命令で、第221戦車中隊は第3騎兵旅団第3重騎兵大隊の第1(戦車)戦隊として編入された。 ●第350戦車支援中隊 第350戦車支援中隊は、第350支援師団のために現地で編制された部隊であった。 同中隊は1944年11月に10両のII号戦車保有を報告したが、少なくともこの内4両はII号戦車J型であったという。 |
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<II号戦車J型> 全長: 4.34m 全幅: 2.87m 全高: 2.19m 全備重量: 17.4t 乗員: 3名 エンジン: マイバッハHL45P 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン 最大出力: 150hp/3,800rpm 最大速度: 31km/h 航続距離: 175km 武装: 55口径2cm機関砲KwK38×1 7.92mm機関銃MG34×1 装甲厚: 20~80mm |
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兵器諸元 |
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<参考文献> ・「パンツァー2005年3月号 ドイツ戦車史の中でユニークな流れを形成するI号C/F型戦車」 稲田美秋 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2005年8月号 ドイツII号L型軽戦車の開発とバリエーション(前編)」 稲田美秋 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2009年11月号 II号戦車の開発とバリエーション」 久米幸雄 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2012年11月号 AFV比較論 M5軽戦車とルクス」 久米幸雄 著 アルゴノート社 ・「ピクトリアル ドイツ軽戦車」 アルゴノート社 ・「グランドパワー2003年11月号 II号戦車ルクスと試作軽戦車」 後藤仁 著 ガリレオ出版 ・「グランドパワー2012年8月号 ドイツ戦車の装甲と武装」 国本康文 著 ガリレオ出版 ・「グランドパワー2011年6月号 ドイツII号戦車シリーズ」 後藤仁 著 ガリレオ出版 ・「グランドパワー2020年10月号 ドイツII号戦車(3)」 寺田光男 著 ガリレオ出版 ・「第2次大戦 ドイツ戦闘兵器カタログ Vol.1 AFV:1939~43」 後藤仁 著 ガリレオ出版 ・「ドイツ陸軍兵器集 Vol.3 戦車」 後藤仁/箙浩一 共著 ガリレオ出版 ・「世界の戦車 1915~1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵画 ・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵画 ・「戦車ものしり大百科 ドイツ戦車発達史」 齋木伸生 著 光人社 ・「戦車名鑑 1939~45」 コーエー |
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