1939年9月のドイツ軍のポーランド侵攻により勃発した第2次世界大戦であるが、この時点でドイツ軍が装備していた対空車両は、1tハーフトラック(Sd.Kfz.10)に65口径2cm対空機関砲FlaK30を搭載したSd.Kfz.10/4対空自走砲しかなく、性能的にはまずまずであったものの非装甲のため防御面に問題があり、また半装軌式のために不整地での走破性能に限界があることが、ポーランド戦とそれに続く電撃戦において明らかとなった。 このためドイツ陸軍兵器局第6課は、戦車ベースの対空自走砲が必要であると判断していた。 1940年末になると元々非力であったI号戦車A型が第一線から退き始めたので、これを改造した対空戦車が開発されることになった。 開発はベルリンのアルケット社(Altmärkische Kettenwerke:アルトメルキシェ装軌車両製作所)とダイムラー・ベンツ社によって行われたが、改造用部品の製作はアルケット社によって行われた。 この部品を用いてシュテッテンにあるシュトーベル社により、1941年夏頃に24両のI号対空戦車が改造生産された。 改造に際しては、上部構造物にかなり手が加えられている。 砲塔は無論撤去され、戦闘室は操縦区画を残して上部からサイドにかけて機関室との隔壁までカットされている。 戦闘室内にはH型鋼材でフレームが組まれ、オベルンドルフ・アム・ネッカーのマウザー製作所製の65口径2cm対空機関砲FlaK38がほぼそのまま搭載された。 しかしこれによる車両重心の調整のため、操縦区画が180mm前方に移動することとなった。 この改造は車体前上面装甲板の途中から、そのまま前方にずらす形に行われた。 そのため、車体前上面装甲板は途中で段付きになっている。 またFlaK38の防御用として、操縦室上部に背の低い装甲板が追加装備された。 機関室上面には交換用の砲身を収めるケースが載せられていたが、エンジンからの空気排出を妨げないよう間隔を空けて装着されていた。 戦闘室横のフェンダー上にはプラットフォームとして小さなボックスが取り付けられ、その外側にはさらに展開式装甲板による追加プラットフォームが取り付けられていた。 この展開式装甲板は、機関室上部の最後部にも装備されていた。 しかしこれらの装甲板は申し訳程度で、乗員の保護にはほとんど役立っていなかった。 またサイドの展開式装甲板を立てた時、砲を全周旋回する際にその防盾が干渉することを考慮して、FlaK38の防盾には一部変更が加えられた。 といっても単に、最初から斜めにカットされていた右側の下部防盾の角度をさらに深くし、同様にカットされていなかった左側の下部防盾も右側と同じようにカットしただけのものであり、とくに新しい専用のものが作られたわけではない。 しかし、実際に使用してみると一部装甲板と干渉してしまう部分が出てきたようで、下部防盾の中央よりわずかに上の部分にさらに切り欠きを設けてこの対処としている。 乗員は通常5名であったが、場合によっては8名(砲手×2名、装填手×3名、操縦手、副操縦手、測距手)となることもあった。 携行弾数は不明だが車内への搭載量は多くは望めないので、随伴行動する「ラウベ」と呼ばれるI号弾薬運搬車に依存していたが、自らも専用の弾薬運搬トレイラーSd.Ah.51を牽引する場合もあった。 このトレイラーの上には、交換用の砲身を取り付けることもできた。 I号弾薬運搬車ラウベは、I号対空戦車と同じくI号戦車A型の車体を流用して改造されたものであり、車体上部構造を機関室の隔壁の前で取り外し、新たに周囲を囲む装甲板でオープントップの戦闘室を形成した車両である。 操縦手の前面には大きな透明部が設けられて(車両によりサイズは異なる場合もある)大きな視界を得ていたが、耐弾性という面ではマイナスであった。 もっとも同車の性格を考えると、これで充分と判断されたのであろう。 I号弾薬運搬車ラウベは、I号対空戦車と同じく24両がI号戦車A型から改造され行動を共にした。 I号対空戦車の改造作業が行われている最中の1941年5月、アントワープでこのドイツ軍初の対空戦車を装備する部隊として第614対空大隊(自動車化)が新編された。 まだ装備する車両が無いものの編制後、ポンメルンに置かれた陸軍対空部隊訓練センターにおいて、ドイツの民間車や連合軍から捕獲した装甲車両等を用いて機動訓練を実施した。 同年8月末にはI号対空戦車を装備してベルリンを出発し、ブダペスト、プラハ、ジャッシーを経由して600kmに及ぶ長旅を行い、東部戦線南部戦区に鉄道輸送され、ドニェプル川に架かる橋梁の防空任務に就くこととなった。 もっとも実際にはドイツ空軍が制空権を握っていたこともあって、歩兵部隊の支援に投入されている場合が多かったようである。 1941年9月における同部隊の編制は第1~3の3個中隊から成り、中隊本部にI号戦車(第1および第3中隊はB型、第2中隊はA型)が配備され、各中隊はI号対空戦車4両とI号弾薬運搬車4両を装備する第1および第2小隊、そして3tトラック2両と、それに牽引される2cm4連装FlaK38 2門を装備する第3小隊から編制されていた。 以後南部戦区を転戦し、1942年夏の「青作戦」(Unternehmen Blau)にも参加するが、1943年初めまでにスターリングラードを巡る激戦で全てを失い部隊も解散してしまった。 |
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<I号対空戦車> 全長: 4.02m 全幅: 2.06m 全高: 全備重量: 乗員: 5名 エンジン: クルップM305 水平対向4気筒空冷ガソリン 最大出力: 57hp/2,500rpm 最大速度: 37km/h 航続距離: 武装: 65口径2cm対空機関砲FlaK38×1 装甲厚: 6~13mm |
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<参考文献> ・「パンツァー1999年8月号 I号対空戦車と第614対空大隊(自動車化)」 後藤仁 著 アルゴノート社 ・「パンツァー2009年3月号 ドイツ対空戦車の系譜(軽戦車編)」 久米幸雄 著 アルゴノート社 ・「グランドパワー2011年3月号 ドイツI号戦車の派生型」 後藤仁 著 ガリレオ出版 ・「グランドパワー2006年4月号 ドイツ2cm高射機関砲Flak38」 ガリレオ出版 ・「グランドパワー1999年10月号 ドイツ対空戦車」 佐藤光一 著 デルタ出版 |
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